040 サイド:魔王アメキリン(1)
窓の外を眺めると、どんよりとした雨雲が空一面に広がっていた。
私が治める領地には雨季と乾季があり、今は乾季だ。乾季だからといって雨が一滴も降らないわけではないが、今日の天気にはどこか違和感を覚える。
いまだ降らぬ雨に、なぜか苛立ちを感じる。
焦燥感にも似たこの気持ちを抱えながら、私は魔王としての務めをこなしていた。配下の主たちからの意見書や報告書に目を通し、領民から提出された嘆願書や陳情書には、役人たちと共に方策を講じる。
昼食を挟み、午後の仕事に取りかかろうとしたそのとき――突然、扉が開き、配下の者が勢いよく飛び込んできた。
「アメキリン様! ショウオン村の東にある山林で、大規模な山火事が発生したようです! 詳細は不明ですが、人族が関与している模様!」
無断で飛び込んできた時点で嫌な予感がしたが、その内容にため息を漏らす。
「ふぅ……相変わらず人族の者共は好き勝手してくれるわね。今の時期は、小麦の収穫が最盛期のはず……。分かったわ。この城にいる近衛兵全員を、鎮火と村の護衛に当たらせて」
すぐさま状況を整理し、人族による襲撃の可能性も考慮しながら、私は指示を下す。
だが、その命令に配下は目を見開き、食い入るように訴えた。
「!!! それでは貴女をお守りする者が一人もいなくなります! 万が一を考慮して、少しは兵を残してはいかがでしょうか!」
「必要ないわ。近衛兵は優秀だけれど、十数名しかいない。山火事の対応や、人族の襲撃に備えるには、むしろ少ないくらいよ。しかも、あの周辺を治める長も不在のまま。少数の兵を残したところで意味がないわ。だって――近衛兵全員より、私の方が強いもの」
私の言葉に、配下は悔しさをにじませて俯いた。肩が僅かに震えている。
――酷いことを言ってしまった。けれど、それは紛れもない事実だ。
「……ごめんなさい。あなたの気持ちは嬉しいわ。でも今は、領民の安全が最優先。腐っても私は魔王よ。どんな危難が訪れようとも、必ず退けてみせる」
私に仕えたいと願う魔族は少なくないが、どうしても同じ部族である魔人が中心になり、魔獣や魔蟲など、他の種族は一定の距離を置いている。
例外的に、オテギネさんや兜主は忠誠を誓ってくれているが、他の種族たちは大半が静観の構えだ。
しかも、仕官を望む魔人たちは非常に優秀である一方、知力に秀でた文官志望が多く、武に秀でた者は少ない。
かつて、武勇に長けたオウカを長に任じようとしたが、彼女には断られてしまった。いずれは主まで任せたいと考えていたのに……残念だ。
私は、魔王としての在任もまだ浅く、上位の魔族で仕官を望む者はほとんどいない。優秀な者は、すでに他の魔王の配下についてしまっている。
――悩んでも仕方がないが、思い知らされるのは己の無力さだ。
つい、弱気になってしまった。
だが、魔王である限り、私は領民たちを守り、導いていかねばならない。
いまだ俯く配下の肩にそっと手を置き、微笑んで頷くと、近衛兵たちに指示を伝えるよう促した。
――――――――――――
執務室の窓から、近衛兵たちが出立する様子を見送りながら、その無事を祈る。そして、再び役人たちと今後の行政について議論を交わした。
『死免蘇花』の栽培に関する研究成果をはじめ、魔蟲と協力して運営している広大な農園の生産性向上策など――領地改革について多岐にわたる議題を取り上げていく。
――気がつけば、陽はすでに沈み、夜の帳が降りようとしていた。私は役人たちに、今日の議論はここまでにすると告げて解散させた。
一日の業務を終えて自室に戻り、私服に着替える。使用人たちを下がらせ、ようやく一人きりで静かな時間を過ごす。
今日も無事に乗り越えられた……。家族や知り合いを守りたくて魔王になったが、予想以上の重責に押し潰されそうになるときもある。
魔王とは、ただ強ければいいという存在ではない。人を惹きつけるカリスマ、王領を発展させる知恵や知識――さまざまな才能が求められる。
よく、他の魔王たちは長きにわたって王位を保ち、領地を統治してこられたものだと感心する。
数十年に一度、不定期に「選定の儀」が執り行われる。
厳しい試験を通過した七人の魔族が、現魔王と一対一で戦い、勝ち残った者が魔神様より王位を授かる――それが、この世界の魔王交代の仕組みだ。
多種多様な能力を求められる魔王の座だが、結局のところ、最も重要なのは「力」だ。
多くの種族が存在する魔族の中で、唯一絶対の基準――他者を圧倒する強大な武力。これこそが、魔族を支配するに足る資格なのだ。
崇高な志よりも、民をまとめるカリスマよりも、領地を豊かにする知能よりも――ただ、純粋な「力」こそが、魔王たる者の証である。
――次の選定の儀で、私は王位を守ることができるのだろうか。
私が魔王になれたのは、オテギネさんの譲渡によるものだった。私の考えに賛同し、真っ先に配下となってくれたオテギネさんには、感謝の念しかない。
すべての種族が安心して暮らせる世界――ありきたりな理想かもしれない。でも、そこに「人族」も含まれているとしたら……。
魔族は本質的に排他的な種族だ。意識を共有できる同族こそが「仲間」であり、他種族はどこか遠ざけようとする傾向にある。
だが――人族だって同じだ。私たち魔族を、「世界に害をなす悪なる存在」として、一方的に排斥しようとしてくる。
けれど、私たちは違う。魔族は、人族の領地に攻め込み、排斥しようとしたことなど一度もない。
なぜ人族は、魔族を一方的に敵視するのか――。
その背景には、大きな誤解を招く意図的な誘導があるように思えてならない。
すべての人族が魔族を敵と見なしているわけではないと、信じたい。そう願ってしまう自分に、思わず苦笑がこぼれた。
ショウオン村近くで起こった山火事――おそらく、人族が関与している可能性が高い。
彼らがどんな目的で火を放ったのかは分からない。だが、私の領民に危害を加えるつもりならば、容赦するわけにはいかない。
それでも、もし……互いに話し合う余地があるのなら。平和的な解決を模索できるのなら。そう願ってしまう――そんな自分が、やはり苦しくもある。
――ふと窓の外に目をやると、いつの間にか雨が降り始めていた。
お読み頂き、ありがとうございます。
この作品を『おもしろかった!』、『続きが気になる!』と思ってくださった方はブックマーク登録や↓の『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』に評価して下さると執筆の励みになります。
よろしくお願いします




