038 魔素と操作
一旦は思考を停止した俺だったが、オウカさんが魔素の操作や呪術の常識についていろいろと教え始めたので、必死に覚えた。
――【知識の神の加護】も、新たな情報に喜んでいるだろう。
オウカさんの説明は的確で分かりやすく、おかげで魔素の操作はあっさりと習得できた。体内に意識を集中させると、血液とは別に循環している「何か」が確かに感じ取れる。
そして、それが魔素なのだと理解した瞬間、自然と操作できるようになっていた。今では、同じ体内を巡る血液よりも、その存在をはっきりと認識できるほどだ。
魔素を操作できるようになって、ひとつ分かったことがある。
――腕の外殻に魔素を集中させると、それが硬質化したのだ。
さらに魔素を集中させると、外殻は変形して、小さな盾のような形になった。だが、他の部位はいくら魔素を集中させても硬質化までが限界だった。
そんな俺を見て、オウカさんはまるで化け物を見るような目をしていた。
――いや、ほんと、もういいから、それ。
それから、呪術についても簡単に教えてもらったが、『呪術擬き』というものがあるらしい。
これは呪術とは異なり、誰でも発動できるが――発現する事象はどれも地味で、大した効果もなく、生活にもあまり役に立たないものが多いという。
――たとえば、こんなもの。
●遊弦耳好 (ユウゲンジッコウ):想像した音を鳴らすことができる。ただし、声のような複雑な音は出せず、弦楽器のような単純な音に限られる。
●創視送相 (ソウシソウアイ):記憶にある映像を他人に伝えることができる。ただし、一度伝えると、その映像は失われ、二度と使えなくなる。
……といった具合に、「但し書き」が多く、使いどころが難しいものばかりらしい。
『呪術擬き』は、文字や符号が記された特殊な紙に魔素を譲渡することで発動する。その呪いで染まった紙のことを、呪符と呼ぶのだという。
魔族の常識を叩き込まれた俺は、どこか重くなった気がする頭を振りながら、オウカさんに礼を言う。
「ありがとう、助かったよ。俺はまだまだ常識が足りないらしい」
「まぁ、記憶がないんじゃ仕方ないわ。これから思い出すこともあるでしょうし、あまり気にしない方がいいわよ」
改めて、自分がどれだけ何も知らなかったのかを思い知る。まだまだ覚えるべきことは多い――そう自分に言い聞かせると、オウカさんは優しく慰めてくれた。
「あぁ、そうだな。気にしても仕方がない。俺のせいで、かなり時間を使わせてしまったな。そろそろ帰るか?」
彼女の心遣いに感謝しつつ、ここまで付き合ってくれたことに、改めて頭を下げる。
気がつけば太陽は高く昇り、昼を過ぎていた。朝食を軽めにしたせいか、空腹がひどい。
ただ、強烈な腐敗臭が漂い、ヤツの死体が横たわる場所で食事をする気にはなれない。俺は荷物を背負うと急いで帰る準備を始めた。
素早く荷物をまとめて顔を上げると、オウカさんがヤツの死体を眺めていた。その横顔には、どこか複雑な表情が浮かんでいる。
「確か、『倒した相手の持ち物を貰い受ける習わし』があったよな。オウカさんは、ヤツから何か受け取るのか?」
「……いいえ。今回は決闘ではなく、あくまで討伐よ。それに、この魔獣に対して敬意を持つつもりはないわ」
オテギネから教えてもらった習わしを思い出して尋ねてみたが、やはり、ヤツに敬意を払うつもりはないらしい。
「……そうか。わかった。じゃあ、こんな気分の悪い場所からは、さっさと離れるとしよう」
どこか影を落としたオウカさんに、俺は気持ちを切り替えようと、すぐに出発しようと提案する。
彼女も同じ気持ちだったらしく、無言で頷くと、さっと踵を返してその場を後にした。
……帰りも行きと同じように、オウカさんに先行してもらう。
再び雑木林の中へと入るが、先ほどまでの異様な雰囲気は、なぜかすっかり消えていた。ただ、ヤツに犠牲にされた魔族たちの骨や皮が、まだ枝にぶら下がったままだった。
今度は俺が複雑な表情を浮かべ、その光景を見つめていると、オウカさんが教えてくれた。
「魔獣は討伐したから、あとは部下たちが雑木林を綺麗にするはずよ。そうすれば、そのうち生き物たちも戻ってくるわ」
その言葉に、ようやく少しだけ安心できた俺は、犠牲になった者たちにそっと鎮魂の念を送り、再び歩き始めた。
しばらくして雑木林を抜けると、目の前に草原が広がる。少し先では、俺たちを待っていた魔獣の馬たちがじっとこちらを見ていた。
俺が労いと感謝の意思を送ると、馬たちからも同じように労りの気配が返ってくる。
馬たちと意思を通わせていた俺は、オウカさんに「腹が減って倒れそうだ」と伝えると、彼女は笑いながら、荷物の中から弁当箱と水筒を差し出した。
弁当箱には、肉の燻製や野菜を挟んだパンが詰められており、手で掴んで簡単に食べられるよう工夫されていた。
また、水筒に入っていたスープも、細かく刻まれた野菜や干し肉が入っていて、飲みやすく仕上がっていた。
その食べやすさもあって、俺はあっという間に平らげてしまう。少し物足りなさは感じたが、空腹はしっかりと収まった。
ふとオウカさんを見ると、まだ食事中だったので、俺は魔獣の馬たちと意思を通わせ、世間話をしながら時間を潰した。
――しばらくして、オウカさんも食べ終わり、俺たちは村へと出発した。
――――――――――――
雑木林を出てから数刻が過ぎ、ようやく村が見えてきた。遠くにその姿を認めたとき、俺はとても長い一日だったと、溜め息混じりに疲れを吐き出す。
村の入口に着くと、オウカさんから明日の予定を聞かれた後、俺たちはそこで別れた。日は傾き、夜の帳がゆっくりと降り始めている。
俺は広場へと続く大通りを歩き、宿屋を目指して足を進めた。
宿屋に着くと、受付にはジュラとジェミの姿があった。二人は俺に気づくと笑顔で迎えてくれる。俺も軽く手を挙げて応え、無事を伝えるように笑顔を返した。
預けていた背嚢を受け取って部屋に戻り、荷物を下ろして一息つく。魔獣との戦いで酷使した体は、埃と汗で汚れ、肌はべたついていて気持ちが悪い。
せっかく洗濯してもらった衣服に、このまま着替えるのは憚られた。俺はさっぱりしようと、湯屋を目指して受付に向かう。
「お疲れ様。湯屋に行きたいんだが、この村にあるか?」
俺が受付にいたジュラに尋ねると、彼女は静かに振り向き答えた。
「湯屋ですか? ありますよ。この宿屋の向かいにございます」
「目の前だったのか。ありがとう。じゃ、行ってくるよ」
礼を言って宿屋を出ると、広場を挟んだ向かいに湯屋があった。宿屋に次ぐ大きさのその建物は、古びてはいるが、どこか趣のある外観をしていた。
受付で2キラを払い、浴場に入ると、すでに何人か先客がいたが、魔人以外の魔族はいなかった。
ゆっくりと湯に浸かり、戦いの汚れと疲れを洗い流すと、俺は宿屋へと戻った。
さっぱりした気分のまま食堂に向かい、夕食を済ませると、すぐに部屋に戻ってベッドに倒れ込む。
魔獣との戦いで疲れきった体は、すぐに睡眠を求めてきた。――俺は、静かに意識を手放し、深い眠りへと落ちていった。
――――――――――――
翌朝、窓から差し込む日の光で目を覚ます。かなり早くに寝たはずなのに、起きた時間はいつも通りだったようだ。
ベッドから起き上がって背伸びをすると、体のあちこちから鈍い痛みが走る。全身の筋肉痛が、昨日の戦いの激しさを思い出させた。
軽く柔軟をしてから、俺は食堂へ向かうと、そこにはジェミの姿があった。
これで最後だと思った俺は、最後の食事を堪能しようと定食を二人前頼んだ。そして、料理が届くまでの間、ジェミと会話をして時間を潰す。
「サイガさん、昨日は『例の魔獣』の討伐だったんですか?」
「あぁ。でも、討伐したのはオウカさんで、俺は手伝っただけだ」
相変わらず元気いっぱいのジェミに、俺は笑顔を浮かべて答える。すると彼女は、どこか尊敬するような眼差しを向けながら話し始めた。
「へぇ〜。でも、オウカさんから手伝いを頼まれるだけでもすごいですよ! だって、オウカさんって元頭で、将来的にはこの領地の長になるかもって噂が流れるくらい、めちゃくちゃ強いんですから!」
どうやらジェミはオウカさんと知り合いらしく、少しだけ過去の話をしてくれた。俺は模擬戦の記憶を思い出しながら言葉を返す。
「そうらしいな。手合わせしたけど、確かに強かった。呪術を使われてからは、もう防戦一方だったよ」
「オウカさんと戦ったんですね! はぁ~……その場にいたかったなあ~」
他愛ないやり取りをしているうちに、料理が運ばれてきた。ジェミも他の客に呼ばれたようで、会話はそこで終了となり、俺は食事に集中することにした。
朝食を済ませて部屋に戻り、荷物をまとめてから受付へ向かう。ジュラとジェミに今日この村を発つことを伝えると、二人ともすごく残念そうな顔をした。それでも、再会の約束を交わすと、ようやく納得してくれたようだった。
手続きを済ませて玄関に向かうと、ジュラとジェミが見送りに来てくれていた。二人と握手を交わし、別れの言葉を告げて宿を後にする。
――そして俺は、討伐の後処理を確認するため、オウカさんがいる駐屯所へと向かった。
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