035 魔獣の討伐(2)
――危なかった。とっさに体が反応したが、まさに間一髪だった。標的を突然オウカさんに変えて襲いかかってくるとは……完全に油断していた。
ヤツが跳びかかった瞬間、俺は反射的に飛び蹴りを繰り出した。一瞬遅れたかと思ったが、蹴りは見事にヤツの脇腹に突き刺さる。
放物線を描くように跳んだヤツに対して、一直線に放った俺の飛び蹴り――そのわずかな軌道の差が、オウカさんを救う決定打となった。
――本当に、ギリギリだった。だが、おかげで見えてきたものもある。
ヤツと俺の速さは、ほぼ互角。呪術を使ったオウカさんには到底及ばない。そして、こちらは二人。数の上でも、俺たちに分がある。
勝機が見えてきた俺は、オウカさんの無事を確認する。まだ動揺はしているようだが、今は声をかけている暇などない。
……というのも、地面から起き上がったヤツが、再び飛びかかろうとしていたからだ。
――だが、今度は、こちらから先に動く。
前傾姿勢のまま構えるヤツに詰め寄り、正拳突きを叩き込む。隙を突かれたヤツの顔面に拳が入り、体勢を崩したところへ、続けざまに肘打ち、そして回し蹴りを放つ。
その連撃にたまらず、ヤツは後方へ跳ぼうとするが、俺は前足を踏み抜いて動きを止めた。
後退できずによろめいたヤツに、膝蹴りを叩き込もうとした、その瞬間――ヤツが突っ込んできた。
今度は、こちらが隙を突かれる番だった。ヤツの頭突きが深々とみぞおちにめり込み、俺は踏ん張りきれず、地面に尻もちをついてしまう。
そして、無防備になった俺に、ヤツは血に染まったような真っ赤な口を開き、鋭い牙で噛みつこうと迫ってきた――。
◆
まだ、呆然としている私をよそに、サイガたちの戦いが始まった。
今はサイガの方から攻めている。私との模擬戦では、常に受けに徹していたため、サイガが自ら攻撃する姿を見るのは初めてだった。
――すごい……。
すべての技が、流れるように次々と繰り出される。反撃の隙を一切与えず、執拗に攻め続けている。
その猛攻に、魔獣も堪らず後退しようとするが、サイガは前足を踏みつけて動きを封じる。
だが――その執拗な攻撃に、ついに魔獣が強引に体ごと突っ込んできた。予想外の動きに、サイガの反応がわずかに遅れる。
体当たりの衝撃は凄まじく、サイガの体はくの字に折れ、後方へ吹き飛ばされた。
サイガは、崩れた体勢を立て直そうとするも、まだ起き上がれない。そこへ、魔獣が一気に覆いかぶさろうと飛びかかる。
私は、二人の間に割って入ろうとしたが、間に合わない。せめて何かを止めようと、魔獣の後を追って跳躍する。
ガブッ!
その直後、サイガが頭を庇うように差し出した腕に、魔獣の牙が食い込んだ。手甲のような外殻の隙間を縫って、鋭い牙が肉に達する。
サイガは苦悶に顔を歪めながらも、噛み千切られないよう、もう片方の腕で必死に魔獣の顎を押さえ込んだ。
魔獣に追従するように跳び出した私は、図らずもその背後を取っていた。
千載一遇の好機。すぐに居合の構えを取る。
――抜刀一閃。
サイガに覆いかぶさる魔獣の背中を、全力で斬りつけた。
ザシュッ!
振り抜かれた刃が魔獣の背中を裂き、勢いよく血しぶきが舞う。
激痛に叫びを上げる魔獣は、顎の力を緩め――その隙を逃さず、サイガは強引に腕を引き抜いた。
それを横目に見ながら、私はすぐさま返す刀で、さらに斬撃を叩き込もうとする。
だが、魔獣は一瞬の判断で迷いなく前方へ跳び、辛くもその斬撃をかわした。
振り下ろされた刀は空を斬り、付着していた血が地面に飛び散る。
追撃を外した私は、すぐにサイガへ視線を向ける。彼は魔獣との距離を十分に取りながら、噛まれた腕の状態を確認していた。
……出血はひどいが、どうやら戦闘には支障はないようだ。
拳を握ったり開いたりを数度繰り返した後、サイガは私に向かって、親指を立ててみせた。
◆
…正直、かなり危なかった。噛みつかれたときは、本気で腕を食いちぎられると思った。深く食い込もうとする牙を、外殻が阻んでくれたおかげで、なんとか引き抜けた。
オウカさんとの模擬戦では、外殻が形を変えて攻撃を防いでくれた。だが今回は、変形しなかった。
――何か規則があるのか? 全然、分からない。とりあえず、分からないことは考えない。目の前の敵に集中するだけだ。
噛まれた左腕の調子を確認する。拳を強く握り、開閉を繰り返す。多少の出血はあるが、もう血は止まっている。動きにも支障はない。
俺は、オウカさんに、問題ないと伝えるため、親指を立てて見せた。
そして、ヤツに視線を向けると、オウカさんの一撃は、かなり効いたようだ。ヤツの顔色は明らかに悪い。
ここは畳み掛ける好機だと判断し、距離を詰めようとする――だが、同時にヤツもこちらへ向かってきた。
四肢を地に蹴りつけて、獣のように迫ってくる。俺はカウンターを狙って拳を構えたが――ヤツは直前で急停止した。
次の瞬間、ヤツは上体を起こし、二足で立ち上がった。
目の前に、俺の背丈を優に超える体躯。その姿は、獣というより人に近い。前足は肩から自然に垂れ下がり、腕そのものだ。
多少前傾姿勢ではあるが、立ち上がった姿はまるでコボルトを彷彿とさせる。数秒前までは明らかに四足の獣だったはずなのに――この短時間で、体形を変化させた。
ヤツは呆然とする俺を見下ろし、咆哮を上げながら前足を振り上げ――そのまま鋭い爪で斬りかかってきた。
咄嗟に意識を切り替えた俺は、すぐに後方に飛び退き、数歩分の距離を取る。
改めてヤツの全身を見つめ直す。やはりその体形は、さっきまでの魔獣とはまるで別物だった。
――こんな魔獣、存在するのか?
ちらりと視線を送ると、オウカさんが無言で首を横に振った。
――やはり、ヤツだけが特別な魔獣……あるいは、異質な存在。
ヤツがただの魔獣ではないと分かり、さらに慎重になった俺は、体形が変わっただけなのか、それとも能力も向上しているのか――確かめるために自ら動いた。
ゆっくりと慎重に間合いを詰め、拳が届くギリギリの位置で足を止める。相手の動きに対応する「後の先」を狙う。
一拍の間――ヤツが動いた。
左足を踏み出し、左腕で大きく横薙ぎに振るい、その爪で俺の腹を抉ろうとしてくる。だが、こちらも右足を踏み出して懐に飛び込み、右腕で攻撃を受け止める。
重い衝撃音が荒地に響いたが、俺は踏ん張って右腕で受け止める。すると、がら空きになったヤツのみぞおちが、目の前に現れた。
すかさず左拳を叩き込もうとする――だが、拳が届く直前、ヤツのもう一方の腕が割り込んでくる。咄嗟の防御で一撃は阻まれた。
互いに一撃を通すことなく、また距離を取って睨み合う中――俺は、視線を逸らさず、さきほどの攻防を頭の中で反芻する。
……ヤツの攻撃は、体形が変わる前と同じくらいの威力だった。つまり、見た目は変わったが、能力に大きな変化はない。
そして、ヤツはすでに深手を負っている。こちらは二人、相手は一体――
「この戦い、勝つのは俺たちだ」
――その時の俺は、そう信じていた。
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