034 魔獣の討伐(1)
少し緊張しているのだろうか、いつもより早く目が覚めた。
窓の外は、朝焼けで空が紫色に染まっている。ベッドから起き上がると、体調を確認するために屈伸や背伸びをしてみる。
――うん、調子はいいようだ。
軽い運動と柔軟を済ませてから、食堂へと向かった。かなり早い時間だったため、開いているか不安だったが、すでにまばらに客が朝食をとっていた。
注文しようとあたりを見回すが、店員の姿が見えず、どうしたものかと戸惑っていると――近くで食事を終えた客が、この時間帯は厨房に直接注文すればいいと教えてくれた。
これから激しい運動をすることになるだろう。体に負担がかからないよう、軽めの朝食を注文することにした。
食事を終え、部屋に戻って着替えを済ませる。昨日と同じ上着とズボンを身につけ、まとめておいた荷物を肩掛けの鞄に押し込み、背嚢も背負って受付へと向かった。
――受付には、ジェミがひとりだけいた。
「おはよう。今日はジェミだけか? ジュラはどうした?」
「おはようございます! 今日は私だけなんです。お姉ちゃんは洗濯の受付の方に行ってます」
元気に挨拶を返すジェミに、俺も笑みを浮かべ、用件を伝える。
「そうか、二人とも朝から大変だな。俺はこれから出るが、これを預かってほしい。頼めるか?」
そう言って、貴金属や硬貨などの貴重品や討伐に不要な道具をまとめた背嚢を指差す。
かなり大きな背嚢を見て、ジェミは一瞬目を見開くが、すぐに元気よく説明を始めた。
「はい、大丈夫ですよ! 相部屋のお客様たちは、大抵、宿に荷物を預けてから出かけていきますので。手荷物は、一つにつき一日1キラです」
特に問題なく預かってもらえそうだと安心しつつ、俺はもう一つ、頼みたいことがあると切り出す。
「そうか、じゃあ頼む。手荷物って言っても、かなりの量だからな。3キラ渡しておくので、今日一日よろしく。あと――もし、俺が帰らなかった場合は、オテギネさんにこの荷物を届けてくれ。必要経費は背嚢の中の金を使ってくれていい」
「!!!」
その言葉に、ジェミは驚いたように目を見開き、表情を曇らせて不安げに俺を見つめてくる。
俺はそんな彼女の頭にポンと手を置き、安心させるように笑った。
「別に、死にに行くわけじゃないさ。魔獣を狩りに行くだけだ。……万が一、いや、億が一に備えてってやつだ。不安にさせたみたいだな」
「ですよねっ。もう……心配させないでくださいよ」
ようやく笑顔を取り戻したジェミに、今日の予定を伝え、宿を出る。ジェミは玄関先まで見送りに来てくれた。
笑顔で手を振るジェミに、こちらも笑顔で手を振り返しながら――オウカさんが待っている正門へと向かった。
正門前では、革鎧を着たオウカさんが、二頭の馬とともに立っていた。どちらの馬からも、こちらの意思を察しているような気配が伝わってくる。
俺も、魔獣の馬たちに軽く挨拶の意思を伝え、短く会釈を返すと、オウカさんの方へ向き直った。
「待たせたか? すまん、受付で少し話し込んでしまった」
「いいえ、時間通りよ。もう出発したいけど、構わない?」
すでにすべての準備を終えていたオウカさん。何も手伝えなかったことが気になり、俺は軽く頭を下げて詫びる。
だが、オウカさんは特に気にした様子もなく、静かに首を横に振ると、出発を促してきた。
俺は、オウカさんの焦る気持ちをやんわりと受け止め、鷹揚に頷くと、あえて別世界の言葉で答える。
「ああ、問題ない。『レッツゴー』だ」
「レッツゴー? ……まぁ、いいわ。じゃ、出発しましょう」
一瞬、オウカさんは怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐに意識を魔獣討伐へと切り替え、静かに馬へと歩み寄っていった。
――――――――――――
村を出た俺たちは東へ向かい、途中から道を外れて小麦畑の間を進む。
目的地は、村の南東にある小さな雑木林――丘の上に位置するその林が、魔獣の住処であり、狩場だという。
小麦畑を抜けて丘が見えてくると、魔獣の馬たちが速度を上げる。あっという間に雑木林の前へ到着し、俺たちは馬から降りた。
――ここから先は徒歩になるらしい。
雑木林に入る前に、オウカさんと簡単な打ち合わせを行う。
地理に詳しいオウカさんが先行し、俺がその後をついていく。互いの役割を確認していたとき、オウカさんが意外と多くの荷物を持っていることに気づいた。
そこで、俺はその荷物を代わりに持つと申し出る。
最初は渋っていたオウカさんだったが、彼女が斥候として先行する以上、身軽であるに越したことはない。
それに――昨日の戦いで実感したが、オウカさんの持ち味は、軽やかな動きと鋭い一撃だ。その機動力を荷物のせいで損なっては意味がない。
いくつか理由を挙げて説得すると、オウカさんも納得し、荷物を預けてくれた。
少し打ち合わせに時間がかかってしまったが、気を取り直して雑木林に入ると、すぐに、空気の異様さに気づく。まるで、生き物の気配がまったくない。
にもかかわらず、辺りには血の匂いが漂っている。どれほどの殺戮を重ねれば、ここまで異常な空間が生まれるのか――思わず身を固くする。
さらに警戒を強めた俺は、オウカさんの後を慎重に進む。奥へ進むにつれ、血の匂いはどんどん濃くなり、景色も次第に異様なものへと変貌していった。
周囲には、すでに魔獣の犠牲となったと思われる多くの魔族や魔物の皮、骨――そして、魔人たちの所持品までもが、木の枝に無造作に吊るされていた。
……さらに進むと、突如として林が途切れ、切り開かれた荒地が現れる。
草一本生えていない乾いた土だけが広がる不毛の地。その中央には無数の死体が積み重なり、小山のようになっていた。血の匂いに加え、今は強烈な腐臭も漂っている。
俺たちは周囲に目を凝らし、魔獣の姿を探す――だが、見当たらない。おそらく、狩りにでも出かけているのだろう。
俺がオウカさんに、今後の動きを確認しようとした――その瞬間、死体の山の陰から魔獣が現れた。
全てを憎むような深紅の眼。耳まで裂けた口から覗く禍々しい牙。異常なまでに発達した筋肉を覆う皮膚は、黒地に白の縞模様。
――それは、トラに酷似した、黒と白の魔獣。
そいつは、こちらを睨みながら、ゆっくりと近づいてきた。
◆
――あれは、魔族なの? 私はあんな魔獣、知らない。
禍々しく巨大な魔獣は、こちらを睨みながら、着実に距離を詰めてくる。その圧倒的な威圧感に、思わず一歩、後ずさってしまった。
「飲み込まれるな、オウカさん。戦う前に弱気になったらダメだ」
肩にそっと手が置かれる。サイガだった。彼は後ろに下がるなと、静かに注意する――それでも、凶悪な魔獣を前に、逃げ出したい衝動が湧き上がる。
そんな私を見て、サイガは背負っていた荷物をゆっくりと下ろし、私を庇うように前へ進み出る。
「ここは前衛の仕事だ。オウカさんは後ろに下がって、攻撃に専念してくれ」
魔獣から視線を逸らすことなく、サイガはそう告げ、構えを取った。
直後、魔獣が飛びかかってきた。だが、サイガは私を強引に突き飛ばしつつ、前へ出て、その一撃を軽々と避ける。
そして、避けざまに左膝を魔獣の脇腹へ打ち込んだ。
――魔獣は予想外の反撃に驚き、後方へと跳ねて距離を取る。
しばしの静寂。魔獣は背を丸め、いつでも飛びかかれるような前傾姿勢を取る。
サイガと魔獣は、互いの実力を探るように、一定の距離を保ちながら、円を描くように移動を始めた。私は二人から少し離れた位置に移動し、攻撃の機会をうかがう。
――その時、突如、魔獣の意思が届いた。
<キサマタチハ、ダレダ?>
頭の中に響く声は、鮮明で、言葉ではなく意思そのものとなり流れ込んできた。
――やはり、ただの獣ではない。上位の魔族だ。
思わずサイガへ視線を向けたが、彼は動じることなく、魔獣を鋭く見据えていた。
私は、この土地を守る者として、静かに、だが低く力を込めて答えた。
「私はオウカ。あなたは?」
<オレニ、ナハナイ。シゾクメイハ、ラオジョン>
――ラオジョン!? 返答を期待していなかった私は、その名に驚き、思わず声を荒げる。
「ラオジョンの体は黄褐色よ! あなたのように黒くはないわ! 縞模様だって白じゃなく黒だったはず! 本当にラオジョンなの!? ……仲間はどうしたの!?」
その問いに、魔獣は顔を禍々しく歪め、怒気を孕んだ憎悪をこちらにぶつけてくる。
<……ソウダ。オレダケガチガウ。オレダケガ、マカナトチガウ!>
「!!」
どす黒い憎悪の奔流に呑まれ、体がすくんだ。足が、一歩も動かない。
その瞬間、魔獣はサイガとの対峙を突如やめ、こちらへと跳びかかってきた。
……不意を突かれた私は、とっさの構えも中途半端になり、避けることも受けることもできない。
ならば――斬るしかない!
そう判断し、刀に手をかけるが、あまりに速すぎる。
極限まで高めた集中力は、魔獣の動きを正確に捉えていた。なのに、体が追いつかない。ただ、迫りくる鋭い爪を目で追うことしかできない。
――やられる!
ドォカッ!
……無意識に目を瞑った。そして、鈍く重い衝撃音が耳を打つ。
恐る恐る目を開けると――私の顔を抉ろうとしていた魔獣は、大きく横に吹き飛ばされていた。
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