197 繋がる想い、止まった鉄扇
突然、笑い出したスミノエを、心配そうに見つめるアオ。そんな二人をただ黙って見つめるマヤに、俺は視線を向けて静かに口を開いた。
「悪いが、二人のことを頼む。とくに……スミノエには気をかけてやってくれ」
その言葉に、マヤは短く頷く。そして、そっと立ち上がると、いまだスミノエに抱きついたままのアオの肩に手を置き、何かを耳打ちした。
すると、アオは小さく頷き、ゆっくりとスミノエから身を離す。気がふれたかのように笑い続けるスミノエを、二人がそっと支えながら立ち上がらせた。
その様子を見ていたララが、呼び鈴を鳴らすと、しばらくして、ノーベが厳かな足取りで現れた。
「ノーベ、悪いけど、マヤたちのためにゆっくりできる部屋をお願い。あと、できれば……気持ちが落ち着くような飲み物も、用意してもらえる?」
ララが手際よく指示を出すと、ノーベは恭しく一礼し、部屋を後にした。そのあとを、マヤとアオがスミノエを支えながら、静かに続いていった。
――三人の背中を見送ってから、俺は再び、トガシゼンへと視線を戻し、重く低い声で語りかける。
「まあ、色々あって、まだ頭の整理が追いつかないが、人と魔人――種族は違えど、俺が人間だったということはわかった。正直、それが詭弁のような気もしないではないが……」
そこまで話すと、トガシゼンの表情を窺う。その表情は魔神とは思えないほど、狼狽えていて、人間臭く思わず口元が綻び、言葉を続ける。
「すまん、少し意地が悪かった。俺が人間に戻りたかった理由に大きな理由はない。ただ、元の生活を――といっても記憶がないから少し違うかもしれないが、とにかく、人としての記憶とその生活を取り戻したかっただけだ」
芋虫のような異形に生まれ変わり、記憶もほとんどないまま、ただ無我夢中でここまで来た。その原動力は『人間に戻る』というものだった。
だが、結局は、それよりも生き抜くことに必死で……あらためて、なぜそこまで『人間に戻る』ことに執着していたのかと問われると――正直、よく分からない。
そんな自分を、あまりにも何も考えず動く脳筋だと思い笑いそうになる。
――思い返すとマヤやアオもそうだが、他にも誰か大事なヤツとの約束のためでも、あったような気もする。
……そう考えても、結局、何も思い出せない自分に、ふっと苦笑が漏れる。そして、改めて――みんなに自分の正直な気持ちを伝える。
「……色々と回りくどい言い方をしたが、俺が伝えたかったのは――このまま、魔人として生きていくってことだ。
どうせ、ここまで知った俺を、人族の神――テンマシンが放っておくとは思えないからな。平穏な日々が戻るのは、もう少し先になりそうだ」
そう締めくくった瞬間、なぜかリンから熱い視線を感じて、思わずそちらを向いた――が、次の瞬間、さっと顔を背けられた。
また、俺は何かやらかしたのか――そう思った瞬間、背中にじっとりと冷たい汗が流れた。
◆
サイガが、魔人として生きていくと皆にはっきり伝えた瞬間――私は、胸がきゅっと締めつけられ、頬が熱くなるのを感じた。
その理由は、はっきりしている。サイガが、私と同じ<魔人>として――そばにいてくれると分かったからだ。
ただ、それだけで心は満たされ、嬉しさのあまり笑みが零れそうになる。だが、サイガと目が合うと顔が真っ赤になり、恥ずかしくて目をそらしてしまう。
そんな私を、ララはどこか可笑しそうに――そして、どこか愛おしそうに見つめていた。そして視線をサイガに向けると、少し声を落として語りかけた。
「サイガ、一つ聞いていい? さっき『平穏な日々が戻るのは、もう少し先になりそうだ』って言ってたけど……どういうこと? アンタはこの王領の魔王で、この魔族領の次席――魔皇よ。平穏もなにも、それなりの生活が待ってるわよ?」
そこまで言うと、ララは私の方をちらりと見た。何を言いたいのか、すぐに察した私は、自然と言葉を引き継ぐ。
「そうよ、サイガ。いくらアンタがバカでも大丈夫。元魔王の、わ、わたしが……ちゃんと支えてあげるから!」
緊張で少し言葉が詰まりながらも、なんとか言い終えて、胸を張ろうとしたその瞬間――サイガと目が合い、顔が真っ赤になって俯いてしまった。
そんな私の様子を見て、ララが苦笑いを浮かべる。
そして、ちらりと横を見れば、ライのバカが、胸の前で腕を組み、真剣な顔で頷いて……いるかと思えば、完全に爆睡して船を漕いでいた。
相変わらず期待を裏切らないライのおかげで、私はほんの少し調子を取り戻す。そして、声をかけようとした瞬間――先にサイガが口を開いた。
「悪いな、リン、ララ。せっかくの申し出だが……俺は人族領に戻る。そして――人族の神、テンマシンをぶん殴る!」
その言葉に、ライ以外の全員が驚き、サイガへと視線を向けた。だがなぜか、サイガは私だけをまっすぐに見つめ、深く頷いたあと、静かに頭を下げた。
「今まで本当にありがとう、リン。お前のおかげで、俺は生き残れた。そして……人間に戻ることができた。感謝してる。魔王の称号は、お前が引き継いでくれ。それくらい、アンタなら簡単だろ?」
そう言うと、サイガはトガシゼンの方へと振り向き、私に背中を見せた。
その瞬間、私は頭が真っ白になり、気づけば、サイガの後頭部に鉄扇を叩き込んでいた。
――――――――――――
私は今、ララの計らいで、サイガが眠っている部屋にいる。
あのとき、サイガが人族領に戻ると言った瞬間、怒りで頭に血が上り、気づいたら思いきり鉄扇を振り下ろしていた。
……けれど、それでもまだ腹の虫が収まらなかった私は、いまだ爆睡中のライの頭にも一撃食らわせ――それでようやく、ほんの少しだけ、気持ちが落ち着いた。
そんな私の様子を、ララは困ったような顔で見ていたが、やがて穏やかに皆へと声をかけた。
「……ふう、今日はとりあえず解散にしましょう。トガシゼン様もお疲れでしょう。お部屋を用意しましたので、どうぞゆっくりお休みください」
そう言うとララは、使用人を呼び、トガシゼンを部屋へと案内させた。
そして、テーブルに突っ伏して気絶しているライを背負いながら、こちらを振り返って声をかけてくる。
「……姉さんも、できれば休んでって言いたいけど……無理よね。ノーベにサイガを運ばせるから、目が覚めたら、しっかり話し合ってちょうだい。今日は、二人きりにしてもらえるよう、マヤとアオには私から伝えておくわ」
そう言って呼び鈴を鳴らし、ノーベを呼んで指示を出すと、ララはライを背負ったまま、静かに部屋を後にした。
――部屋を出ていくときに見せた、ララの困ったような笑顔を思い出す。……また、心配ばかりかけてしまった。
そんな自分が嫌になって、ひとつ、ため息をついた。すると――サイガが目を開け、ゆっくりと上半身を起こす。
「あれ? なんで俺、ここで寝てるんだ……たしか、トガシゼンに、魔王の称号をリンに譲渡するよう、頼もうとして……」
どうやら、まだ完全に目覚めてはいないらしい。虚ろな目で遠くを見つめ、誰にともなく、小さな声でつぶやいていた。
そんなサイガに、何と声をかけていいか分からず、私はただ黙って、その横顔を見つめていた。――と、気づいたサイガが、突然ベッドの上で土下座した。
目を見開いた私だったが、すぐに気づく――
ああ、これは今までさんざん教育してきた成果だ。
――思わず、吹き出してしまった。
……よく考えれば、私はずっと、サイガに我儘ばかり言ってきた。
理不尽な言いがかりにも文句を言わず、ストレスで殴っても、文句を言っても、本気で怒ることはなかった。
私はそんなサイガに、ずっと甘えていた。
……そして、勝手に思っていた。この関係は、永遠に続くものだと。
でも――違った。
こんな我儘で、勝手で、不器用な私を、サイガが好きになってくれるわけがない。そう思ったら、胸がちくりと痛んだ。
私は今までマヤやアオみたいに、素直になれなかった。それに、あの二人の方が、可愛くて、綺麗で――私なんか、きっと敵わない。
……そう思った瞬間、目に涙が滲んでいた。
私がしてきたことを振り返れば、サイガが私に振り向くはずがない。
答えは分かってる。だから、聞くのが怖かった。
ずっと頭を下げ続けるサイガを見つめながら、私はそっと席を立ち、部屋を出ようとした――その時、サイガが、私の手を掴んだ。
私は驚いて目を見開き、思わず振り返ると、サイガは、まだ頭を下げたままだった。
けれど、異様なほど真っ赤に染まった耳が目に入り、私はあることに気づく――まさか、私と意識を繋いでいたな。
私は反射的に鉄扇を構え、思いきりサイガの頭を殴ろうとする――が、その瞬間、サイガは素早く顔を上げ、鉄扇を受け止めた。
そして、まっすぐに私の顔を見つめながら、口ではなく、直接、頭の中に語りかけてくる。
『悪かった、リン。……覗き見みたいな真似をして。言い訳になるが――リンから教育されると、習慣でつい、強く意識が繋がってしまうんだ』
その声を聞いた瞬間、私は顔を真っ赤にし、……そして、心から反省した。
自分がしてきたこと。
自分が言ってきたこと。
全部が恥ずかしくなって、言葉も出なかった。
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『魔女の烙印を押された聖女は、異世界で魔法少女の夢をみる』(完結済み)
『転生忍者は忍べない ~今度はひっそりと生きたいのですが、王女や聖女が許してくれません~』
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