195 砕かれた呪い、もう一つの真実へ
スミノエがすべてを語り終えたかのように、椅子の背にもたれ、目を閉じた。
その様子を、私たちはただ黙って見守るしかなく、呆然とその場に立ち尽くしていた。
――すると、突然、サイガがスミノエの元へと詰め寄った。
直後、深紅の魔素を纏った手刀が、スミノエの胸に突き刺さる――かに見えた。
……が、その刹那、手刀は寸前で止まり、呪詠の源――テンマココロの血から創られた深紅の宝石を、粉々に砕いていた。
誰もが驚き、目を見開く中で――魂でサイガと繋がっている私だけには、アイツの意思がはっきりと伝わってきた。
そのおかげで、私はすぐに、なぜサイガが宝石を砕いたのか理解できた。
サイガは、誰よりも早く深紅の宝石が呪術を発動しようとしていることに気づき、釼清刈崩を発動。その呪いを強引に刈り崩したのだ。
――おそらく、その呪術はスミノエを殺すためのものだ。
どのような仕掛けかは分からない。だが、スミノエが人族の『隠された真実』を語った時点で、あの神――テンマシンが、彼女を生かしておくはずがないと思えた。
深紅の破片が宙を舞う中、私が思考を巡らせていると、驚きに目を大きく見開いていたスミノエが、どこか悲しげな表情を浮かべ、ゆっくりと口を開いた。
「ふぅ……邪魔しないでよ、サイガ。ようやくこれで、ゆっくり休めると思ったのに」
その言葉に、サイガは静かに首を横に振ると、構えをとったままの手刀で、スミノエの両手を縛っていた拘束具を断ち切った。
――そして、低く重い声で、ゆっくりと語りかけた。
「……だめだな。もう少し生きてもらう。ここで死なれちゃ俺が困るし、アオやマヤが悲しむ。それに……はっきりとは覚えていないが、アンタは、自殺なんかするタマじゃなかったろ?」
自殺――その言葉で、ようやく私は真相に気づいた。
深紅の宝石に込められていた呪術を発動させたのは、テンマシンではなく……自らの死を選ぼうとしたスミノエ自身だったのだ
部屋にいた誰もが、その事実を悟り、重苦しい沈黙に押しつぶされそうになる中――アオが突然、スミノエのもとへと駆け出し、そのまま勢いよく飛びついた。
スミノエは、アオの小さな身体をしっかりと受け止め、少し戸惑いながらも、穏やかに微笑んだ。
そして、胸の中で泣き出したアオの頭にそっと手を添え、慈しみを込めて静かに撫で続ける。
――しばらく、その光景をじっと見つめていたサイガが、やがてゆっくりとトガシゼンの方へと振り向く。その瞳には、揺るぎない決意の光が宿っていた。
その表情を見た私は少しだけ嫌な予感がした。その直後、はっきりとした口調で、静かに言葉を放った。
「――色々あって、忘れかけてたが……教えてもらおうか。人間に戻る方法を」
◆
俺は、胸の中で泣き続けるアオを優しく抱き締めるスミノエの姿を見て、とりあえず――しばらくの間は馬鹿なことは考えないだろうと判断する。
そして視線をトガシゼンへと向け、鋭く睨みながら、重く低い声で口を開いた。
「――色々あって、忘れかけてたが……教えてもらおうか。人間に戻る方法を」
その言葉に、全員が驚き、一斉に俺へと視線を向ける。
どうやら、誰もが俺の目的を忘れていたらしい。俺が「人間に戻ること」を目指していたことを――。
たしかに、人間に戻るということは、呪術が使えなくなり、今まで鍛え上げた力を失う可能性がある。
それに、魔族でなくなってしまえば、この地に留まり続けるのは難しくなるだろう。
だが――俺は元々、人間だった。
リンの呪術――器死回生によって魔族へと転生させられ、元に戻る術を探すうちに、魔族領の事件に巻き込まれた。
……俺はただの冒険者あがりの普通の軍人に過ぎないはずだ。
本音を言えば、マヤとアオと一緒に人族領へ戻りたいと、ずっと思っていた。少なくとも、二人には――人間に戻って、平和な暮らしを送ってほしいと願っている。
俺が全員に強い視線を向け、自らの意思を示すと、トガシゼンは小さく首を横に振り、ゆっくりと大きく息を吸い込んだ――そして、深々と頭を下げた。
「……すまん、サイガ。俺は、お前を騙していた」
その言葉に、俺は驚き、思わず目を大きく見開く。
――まさか、魔神であるトガシゼンでさえ、「人間に戻る方法」を知らないのか。
そう思った瞬間、騙された怒りよりも――落胆の方が大きかった。気づかぬうちに肩が落ち、視線も下を向いていた。
その様子を見て、マヤが声をかけようとした……そのとき。
トガシゼンが、再び口を開く。
「……悪いな、言葉が足らなかった。よく聞け、サイガよ。――もともと魔人も、人間なのだ。だから、『戻る』も何も、それは叶わぬのだ」
そう言って、トガシゼンは――スミノエすら知らなかった、もう一つの真実を語り出した。
◆
俺は、サイガに深々と頭を下げた。
決して、騙すつもりはなかった――
だが、どうせ島の呪いで死ぬことすらできぬこの身では、誰にも敗れるはずがないと決めつけていた。
……そう、心のどこかで俺はサイガのことを、見くびっていたのだ。
そして何より――
俺をも凌ぐ力を持ちながら、それすら捨ててでも「人間に戻る」と願う、その強い信念……それを目の当たりにして、軽々しく口にした約束を深く悔い、心の底から謝罪した。
「人間に戻る」――
その言葉を、はじめてサイガから聞いた時、あまりに滑稽で、笑い出しそうになった。
あの時、俺はサイガを、ただの人族の男――
人族の神に洗脳され、歪められた歴史を盲信している愚かな者だと、決めつけていた。
だが違った。その呪術を見て、その魂に触れて、俺は理解した。
こいつなら――
こいつなら、もしかしたら……
曾祖父・テンマカイ様の呪いを、叶えてくれるかもしれない。
そう、俺は確信した。
深々と頭を下げ、心の底から謝罪し、そして、最大限の敬意を込めて口を開いた。
「……すまん、サイガ。俺は、お前を騙していた」
その言葉に、サイガは驚き、そして落胆する。
だが、俺は続けた。
「……悪いな、言葉が足らなかった。よく聞け、サイガよ。――もともと魔人も、人間なのだ。だから、『戻る』も何も、それは叶わぬのだ」
その言葉に、部屋にいた全員が俺を凝視する。あのスミノエさえ、驚きに目を大きく見開いていた。
ざわり、と動揺が空気を震わせ、全体に広がっていく。
その中で、俺は言葉を継いだ。
「テンマカイ様がこの世界に転移したとき――この地には、人と鬼人、それに獣人と魔人しかおらず、すべてをまとめて<人間>と呼んでいた。
人は体外の魔素を操るのに長け、鬼人や獣人は強靭な肉体を持ち、そして、魔人は体内に魔素を取り込むことができた」
そこまで一気に語ると、ふと、周囲に目をやる。リンが――どこか納得したような表情を浮かべていた。
その表情が気にはなったが、それよりも、語らねばならない『真実』の方が先だ。
そう思った俺は、さらに口を開いた。
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『魔女の烙印を押された聖女は、異世界で魔法少女の夢をみる』(完結済み)
『転生忍者は忍べない ~今度はひっそりと生きたいのですが、王女や聖女が許してくれません~』
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