188 迎える者たち
使役していた二体の異形の魔物を倒されたエルフの女は、謳うのを止めると、肩をすくめて首を横に振り、静かに両手を上げて口を開いた。
「降参よ。もう抵抗しないから、命だけは取らないでくれると嬉しいんだけど?」
どこか人を小馬鹿にしたような口ぶりに、妙な既視感を覚える。
だが俺は、その挑発的な態度に乗ることなく、相手を油断なく見据えたまま、自分の内側にあった異様な感情が完全に消えたのを確認する。
あらためて周囲を見渡すと、皆が頭を押さえたり、軽く振ったりしてはいるが、その表情にはどこか落ち着きが戻っているようだった。
とりあえず、歌の影響が収まったことに安堵しつつ答える。
「都合のいい女だな。さっきまで俺たちを殺そうとしてたくせに、負けが見えたら命乞いか?」
俺はエルフの女の言葉に、不快感を隠すことなく、その舐めた口調を一蹴する。
しかし、そんな俺の態度にも、女はただ苦笑いを浮かべるだけで――その顔には、不気味なほどの余裕が漂っていた。
「そう言わないでよ、サイガ。昔は、もっと優しかったのに」
エルフの女は、ミナニシとはまた違った妖艶な笑みを浮かべながら、甘えるような口調で話しかけてきた。
その態度にマヤとアオは油断なく見据えているものの、どこか懐かしさを感じたのか、表情にはわずかながら穏やかさがにじんでいた。
どうやら、二人とは面識があるらしい。だが、それよりも気になったのは――なぜ、この女が俺の名前を知っているのかということだ。
まさか、俺もこの女と何らかの関わりがあるのか。そう思わせるほどに、女の言葉には妙な説得力があった。
「……まさか、まだ何か魔法でも使っているのか?」
思わず受け入れてしまいそうになる言葉に、俺は再び精神に影響を与えられているのではと警戒し問う。
だが、そんな俺の反応を見ても、エルフの女は笑顔を崩すことなく、ただ妖艶に微笑み続けていた。
すると、その様子を見ていたマヤが、すっと前に出て、エルフの女に語りかけた。
「お久しぶりです、スミノエ様。まさか、貴女と魔族領でお会いするとは思いませんでした」
その言葉に、エルフの女――スミノエは、マヤへと視線を移す。
そして、少し困ったような顔を浮かべると、上げていた両手をゆっくり下ろし、やれやれといった様子で首を横に振りながら、穏やかに口を開いた。
「久しぶり、マヤ。それにアオ。二人とも無事で良かったわ。……まあ、魔族になったみたいだから、『無事』とは言えないかもしれないけど、元気そうで安心したわ」
その言葉に、嘘はないと感じた。スミノエの声色からは、二人を本当に気にかけていたことが伝わってくる、そんな優しい響きがあった。
マヤもまた、それを感じ取ったのか、わずかに笑みをこぼす。
けれど、さっきまで命を懸けて戦っていた相手だとすぐに思い出し、表情を引き締めると、そっと口を開いた。
「ご心配おかけしました。……さきほどまでは、少しばかり生きた心地がしませんでしたが。それより、どうして私たちが魔族だと分かったのですか?」
マヤの問いに、スミノエはわずかに肩を揺らした。動揺したのか、これまでの余裕ある態度――どこか人を小馬鹿にしたような雰囲気は、たちまち鳴りを潜める。
……やはり、スミノエも緊張していたのだろう。
弱っているとはいえ、最上位の魔族たちに囲まれた状況で、気づかぬうちに『魔族』という単語を自ら口にしていたことに、ようやく気づいたみたいだ。
「……ふぅ、私もまだまだね。いくら歳を重ねても、感情を制御するのは難しいものだわ。……マヤの質問に答えるのは構わないけれど、ここでいいの? かなり重要なことよ。おそらく私の話を聞けば、もう後戻りはできなくなるわ」
どこか諦観を帯びた表情を浮かべたスミノエは、じっとマヤの顔を見つめ返す。その瞳は、わずかに揺れていた。
できることなら、これ以上は知られたくない――そう感じさせる、切なさを湛えていた。
マヤも、スミノエの目を見て何かを感じ取ったのだろう。すぐには言葉が出てこず、黙り込んでしまう。
そんなマヤの姿を見た俺は、ゆっくりと近づき、そっと肩に手を置く。そして、小さく頷き、重々しい低い声で口を開いた。
「……わかった。話を聞こう。ただし、お前の言葉に少しでも嘘を感じたら――容赦はしない。それだけは覚悟しておけ」
その言葉に、スミノエは当然のように頷いたが――周囲の仲間たちから、かすかな動揺が伝わってくる。
……少しばかり、殺気を込めすぎたか。内心でそう思い、苦笑した。
◆
――魔神とエルフを連れてくるから、よろしく頼む――
魔鳥からサイガの伝言を受け取った瞬間、私は頭の中が真っ白になった。
たしかに、魔神トガシゼン様と決闘すること、その決戦の場がダオユン近くの荒野になる可能性が高いこと――それらは、姉さんから聞いて知っていた。
だからといって……私の屋敷にお招きするなんて、一言も聞いていなかった。
三百年以上もの永きにわたり、魔族の頂点として君臨し続けた伝説の存在――魔神トガシゼン様。その雲の上のような方を迎えるなんて、想像すらしていなかった。
それに、エルフまで連れてくるという。もちろん、それ自体に異論があるわけではない。
それでも――エルフといえば、人族の中でも最も魔族を憎み、討ち滅ぼそうとしている急先鋒だ。
そんな魔族の敵ともいえるエルフと、魔族の『神』と呼ばれるトガシゼン様。正反対の立場にある二人を、一体どんな気持ちで迎えればいいというのだろう……頭が混乱する。
とにかく、すぐに準備を整えなければと、私は机の上に置かれた呼び鈴を取り、ノーベに相談しようと鳴らした。
――――――――――――――――
事情を聞いたノーベは、普段は冷静沈着で表情一つ変えないというのに、そのときばかりは大きく目を見開き、しばらく呆然と立ち尽くした。
だが、さすがは長年この屋敷を支えてきた老練な執事である。
すぐに気を取り直すと、配下の召使いたちを呼びつけ、部屋の用意から食事の準備に至るまで、的確な指示を次々と飛ばしていった。
そして、歓待の準備が一通り整った頃、再び魔鳥が現れ、サイガたちがすぐそこまで来ていることを伝えてきた。
その報せを受け、私はノーベを連れて町の正門まで出向いた。
やがて、姉さんたちがダオユンへ向かう際に使っていた見覚えのある馬車と、それに並走するサイガとライ――尋常ではない速度で駆ける二人の姿が、遠くに見え始めた。
「……相変わらずね、あの二人は」
魔神トガシゼン様との死闘で、きっと精も魂も尽き果てていると思っていたサイガとライが、全力で競い合うように走ってくる。
その姿を見て、思わず肩の力が抜けた。隣に立つノーベを見ると、同じように苦笑しながら二人を見つめていた。
――馬車を突き放して加速したサイガとライは、みるみるうちに距離を詰め、私たちの前を駆け抜けると、我先にと倒れ込むように城壁に手をついた。
「ぜぇ、ぜぇ……師匠、俺の勝ちだな! ほんのちょっとだけ、俺の方が先に手をつけたぜ」
「はぁ、はぁ……ライ、寝言は寝て言え。どう見ても俺の方が早かっただろうが……!」
二人はそのまま地面に座り込み、どちらが先に着いたかで言い争いを始めた。その様子を、町に入ろうと並んでいた多くの魔族たちが、物珍しげに眺めていた。
そんな中、少し離れた場所で二人を見守っていると、いつの間にか姉さんたちを乗せた馬車が、すぐ近くまで迫っていた。
ゆっくりと近づいてくる馬車を見ながら、いよいよ魔神トガシゼン様と邂逅するのだと――覚悟を決めた私は、自然と背筋が伸びていることに気づいた。
そして馬車は、私たちの目の前で静かに止まり、扉がゆっくりと開く。
「急にごめんね、ララ。それにノーベも。心配かけたと思うけど――とにかく、例の戦いには勝つことができたわ」
扉から降りてきたのは、姉さん一人だけだった。
そっと地面に降り立った姉さんは、周囲に目を配りながら声を潜め、トガシゼン様との決闘については伏せたまま、結果だけを伝えてきた。
そして、正門の前に集まった多くの魔族たちに目を向けると、私たちだけに聞こえるよう、小声で話を続けた。
「ちょうど、あのバカたちが皆の注意を引きつけてくれてるし……悪いけど、このまま屋敷まで行ってもいいかしら?」
――たしかに、誰も事情は知らないとはいえ、魔族領を支配する魔神を、これだけの人目にさらして迎えるわけにはいかない。
そのことに改めて気づかされた私は、ノーベと顔を見合わせ、ようやく自分たちがどれほど動揺していたかを実感した。
バツの悪そうな表情を浮かべる私たちを見て、姉さんは苦笑を浮かべながら、「迎賓用の入口から入るわ」とだけ告げて、再び馬車へと戻っていった。
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『転生忍者は忍べない ~今度はひっそりと生きたいのですが、王女や聖女が許してくれません~』
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