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185 邪悪な祝詞に誘われる者たち

ボクがスミノエさんの喉元にクナイを突きつけ、様子をうかがっていると――突然、スミノエさんが口を開き、まるで祝詞のような不思議な言葉を謳い出した。


それは、かつて魔王討伐の旅の中で、何度も耳にしたことのある歌だった。


当時は人族だったボクたちには一切の影響がなく、魔族にしか効かない――そんな不思議な歌だ。


けれど今、その歌が、魔族となったボクたちに牙を剥こうとしていた。反射的に、ボクはスミノエさんの首を掻き切って、歌を止めようとした。


――でも、できなかった。


かつての仲間であり、年の離れたお姉ちゃんのように慕っていたスミノエさんを、殺すという行為に、どうしても踏み切れなかった。


そして、喉元に押し当てたクナイは、寸前のところで止まり、震えていた。ボクが躊躇しているあいだも、スミノエさんは謳い続ける。


ほんの一、二小節ほどしか聞いていないはずの歌が、言葉にできないほどの恐怖をじわじわと植え付けてくる。


――その次の瞬間。視界がぐらりと歪んだ。


さっきまでいたはずのサイガたちの姿が、すべて消え――捕らえていたはずのスミノエさんも、そこにはいなかった。


その代わりにいたのは、首元を深く切り裂かれ、血を流して倒れているマヤお姉ちゃんだった。


それが幻覚だと、分かっている。だけど、頭の中で不気味に響き続ける祝詞が、正常な思考を蝕んでいく。


そして、波のように押し寄せるその音色が、目の前の光景を、強制的に真実(・・)として受け入れさせようとしていた。


――再び、クナイが震えた。


けれど――この震えが、自分の心から湧き出た恐怖によるものなのか、それとも、誰かに植え付けられた感情なのか……もう分からなかった。


分からないまま、ボクはただ――クナイを握る手に、信じられないほどの力を込めていた。


もはや、()も考えられないほどに、何か(・・)に追い詰められ――何も(・・)できず、ただ、ボクは、その場で立ち尽くしていた。


……そのとき。手の甲に、わずかな痛みが走った。


次の瞬間――


曇っていた視界が、一気に晴れるように、すべての負の感情から解放された。





俺は、マヤとアオの様子から――目の前に立つエルフの女が、二人の知り合いであることをすぐに察した。


そして、クナイを握るアオの手が、わずかに震えているのを見逃さなかった。


……二人にとっては、かけがえのない存在なのだろう。


だが俺にとっては――あの決闘の最中に、トガシゼンを狙って何かを仕掛けてきたこの女を、信用する理由はどこにもなかった。


油断なく、そのエルフの女を睨みつけていると――突然、ヤツが謳い始めた。


俺は、その言葉の意味を脳が理解するよりも早く、残されたわずかな魔素をかき集め、呪術:仁心解放(ニッシンゲッポウ)を発動――己の身に降りかかる、あらゆる呪いからの防御を試みた。


……正直に言えば、これは呪術による(・・・・・)状態異常には効果があるが、魔法(・・)に対して効果があるかどうかは不確かだ。


だが、他に身を守る手段がないと判断した俺は、魔素の枯渇も顧みず、迷わず術を己の身にかけた。


すると、俺以外の全員が、わずかに顔を歪めたかと思うと……次第に恐怖の色を浮かべ、ついにはその場に蹲り、頭を抱えて震え出した。


――魔神トガシゼンすら、同じだった。


あの魔神でも抗えないほどの異常な効果を持つ歌を、いまだに平然と謳い続けるエルフ。その姿に、俺は、ほんのわずかにだが、得体の知れない「恐怖」を覚えた。


だが、その「恐怖」すらも、この歌の影響かもしれない――そう思い至った俺は、湧き上がる感情を強引に心の底へと押し込める。


……今は、それよりも状況を打破することが先決だ。


俺はざっと周囲を見渡し、即座に判断する。やはり、この中で、もっとも魔素を残しているのは、マヤとアオの二人だった。


……恐怖に震える彼女たちを見ながら、心のどこかで不安がよぎる。かつて親しくしていたあのエルフの女を、果たして本気で相手取れるのか――と。


だが、それでも。魔素がほとんど残っていない俺たちに比べれば、勝機があるのも事実だ。


それに、今まで何度も俺を助けてくれたあの二人が、もし勝てないのだとしたら……それなら、それで、諦めもつく。


そう思った俺は、身体に残る、わずかな――まさに残りかす(・・・・)のような魔素をすべて、人差し指と中指に集める。


(呪術:釼清刈崩(ニッシンゲッポウ)


その瞬間、二本の指先の爪が細く伸び、真紅の魔素を纏った極細の釼へと変化する。俺はその釼を、自らの口で噛み切ると、即座にマヤとアオへと投げ放った。





手の甲に走った、かすかな痛み――それと同時に、これまで胸を締めつけていた得体の知れない恐怖と不安が、一気に吹き飛んだ。


視界が戻った私は、咄嗟に周囲を見渡し、サイガの姿を探す。


すると、私と目が合ったサイガは、頭を押さえながらも、無理に笑顔を作って――そして、こちらに向けて、親指を立てた。


その姿を見て、私の右手に突き刺さった真紅の針が、誰によって放たれて、そして、誰が救ってくれたのか、すぐに理解した。


そして同時に――こんな事態を招いた自分自身への怒りと、それを引き起こしたスミノエ様への憤りが、胸の奥からこみ上げてきた。


私がなおも謳い続けるスミノエ様を睨みつけると、すぐそばに立つアオの姿が目に入る。その表情を見て、私と同じ想いであることを、瞬時に理解した。


互いに頷き合い、スミノエ様に向けて呪術を発動しようとした――まさにその瞬間。スミノエ様の背後から、突如として異形の魔物が二体、現れた。


まるで空間を引き裂くかのように、何の前触れもなく空から舞い降りたそれらの姿は、まさしく異形そのものだった。


獅子、山羊、猿――三つの獣の頭が一つの胴体に並び、その肉体はオークのように醜く肥大し、左右非対称の四本の腕が生えている。


さらに背中には、ワイバーンをも凌ぐ巨大な翼が広がり、わずかに動かしただけで暴風を巻き起こした


……魔獣や魔物などよりも、はるかに邪悪な存在に見えるその異形の生物は――まるでスミノエ様に仕える騎士のように、彼女の左右に並び立った。


そして、こちらを睨みつける。その双眸に宿る悪意は、言葉などいらないとでも言わんばかりに、私とアオに殺意を突きつけていた。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

もし楽しんでいただけたなら、ぜひブックマークや評価をお願いします。励みになります!


また、

『魔女の烙印を押された聖女は、異世界で魔法少女の夢をみる』(完結済み)

『転生忍者は忍べない ~今度はひっそりと生きたいのですが、王女や聖女が許してくれません~』

も連載中ですので、興味がありましたらご覧ください。


これからもよろしくお願いいたします。

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