184 弟子の成長、不穏の予兆
俺は結局、何ひとつ役に立てなかった――。
フーオンの辺境にある荒野へ転移してからは、ただ師匠とリン姉さんの死闘を見守ることしかできず……。
そんな俺に比べ、マヤ姉さんやアオ姉さんは、トガシゼンを救うために、想像を絶するほどの魔素を注ぎ込み、あの伝説の呪術――黒き死免蘇花を発動してみせた。
皆が互いの健闘を称え合い、静かに余韻に浸る中――俺だけは、その輪に入ることもできず、ただ俯いたままでいた。
……と、その時。トガシゼンが静かに身を起こし、ゆっくりと立ち上がる姿が視界に入った。
ヤツは、まず師匠とリン姉さんを見渡し――そして俺に視線を向けると、静かに口を開いた。
「おい、小僧……いや、ライだったか。貴様の呪術――不遇退転、見事だったぞ。そして、俺をあそこまで追い詰めたサイガとの連携、鍛え抜かれた体術。どれもが――称賛に値するものだった」
その言葉に、俺は思わず目を見開いた。
死闘を繰り広げ、死の淵にまで迫った師匠やリン姉さんでもなく――命を救ったマヤ姉さんやアオ姉さんでもなく、トガシゼンが最初に口にしたのは、俺への賛辞だった。
何とも言えない気持ちで立ち尽くす俺に、師匠が苦笑しながら、そっと言葉を継いでくれた。
「そうだ、ライ。胸を張れ。お前のおかげで、俺たちは勝つことができたんだ。それに――呪術も使わず、魔神トガシゼンをここまで追い込んだ。その力、そして磨き上げた技。そのすべてを、誇りに思え」
魔神と魔皇――二人の絶対的強者からの、嘘偽りない賛辞。その言葉に俺は、目頭が熱くなるのを感じた。
呪術すら凌駕する圧倒的な力。全てを超越したような師匠の強さに憧れて、少しでも近づきたくて、がむしゃらに――ただひたすらに追いかけてきた。
けれど、遠ざかっていく師匠の背中を見て、何度も、何度も心が折れそうになった。
そんな俺の横を、マヤ姉さんやアオ姉さんは颯爽と走り抜け、迷いなく師匠のあとを追っていった。
それでも俺は、足掻くことをやめなかった。
修行を続け、少しずつでも前へ進んでいる――そう思っていた。……だが、今回の決闘では、またしても何もできなかったと、そう感じていた。
そんな俺に、師匠とトガシゼンは「胸を張れ」と言ってくれた。
「自分の道を突き進め」と――背中を押してくれた。
……気がつけば、俺は人目もはばからず、声を上げて泣いていた。
そんな俺の頭に、師匠が大きな手を乗せて、ぐしゃぐしゃになるくらい、力いっぱい撫でてくれた。
そのゴツゴツした硬い手から伝わってくる温かさを、俺はしっかりと心に刻む。
そして――いつか、尊敬する二人の魔人と肩を並べる男になると、そう固く誓った。
◆
私とアオは、サイガとトガシゼン様に認められて泣き崩れるライ君を、どこか微笑ましく見つめていた。
けれどその隣に立つアオが、ふいに表情を険しくする。さっきまでの穏やかさが嘘のように、鋭い目で周囲を見回し始めた。
「……!」
その変化に私もすぐに気づき、反射的に周囲を警戒する。
けれど、目に見える異変は、私には見つけられなかった。さすが忍びの修行を積んできただけのことはある――。
アオは、空気の揺らぎや気配の変化に、人一倍敏感だ。魔王討伐の旅でも、その勘に幾度となく救われてきた。
そんな妹が、滅多に見せないほどの真剣な表情をしている……。私はすぐにただ事ではないと察し、サイガにそっと近寄って小声で告げた。
「サイガ……少し、まずいようです。アオが、不穏な気配を感じて、今までないほど神経を張り詰めています……」
サイガはその言葉を聞くと、ライ君からそっと距離を取り、額の外殻で目元を隠した。
そして、外殻にある魔眼を開き、ゆっくりと周囲を見渡す。すると突然、私の肩に手を置き、誰にも聞こえないよう細心の注意を払って、小声で囁いた。
「……マヤ、視線は向けるな。俺が見ている方向から、少し右にある大きな岩――その裏を攻撃してくれ」
そう言い残し、サイガは何事もなかったかのように笑顔を作ってアオの方へと歩いて行った。
その背中を見送りながら、私は静かに深呼吸を一つし、すぐさまサイガの示した岩へと指先を向けた。
「呪術:迅輝射填 (シンキイッテン)」
その呪いの言葉を発した瞬間――指先が光を帯び、無数の輝く矢が空間に現れる。
私は弓術で鍛えた感覚をもとに、放射と速射を融合させる軌道で、一気に光の矢を撃ち放った。
無数の光矢は、鋭い弧を描きながら大岩の裏へと殺到する。その速さは、扇状に広がる軌道とは思えないほど速く、鋭く、そして正確だった。
瞬く間に幾重もの矢が岩の裏に消えていくと――かすかな悲鳴が聞こえた。
「きゃっ!!」
その声にどこか聞き覚えがあり、私は思わずサイガの方へと視線を向けた。
すると、その隣には、いつの間にかアオの姿はなく、どこを見ても気配すら感じられなかった。
そして、代わりにいたのは、白き死免蘇花をリンさんに使い、静かに傷を癒しているライ君だった。
その様子を見て、私ははっとする。
リンさんも、トガシゼン様も、そしてサイガさえも――魔素を使い果たし、戦える状態ではないということに、ようやく気づかされた。
今、戦えるのは、黒き死免蘇花を発動するために魔素を半分以上使った私とアオ、そして、わずかに魔素を残しているライ君だけだ。
敵の戦力がどの程度かは分からない。けれど、もし魔王級の魔族が複数いるのだとしたら――かなり危険な状況だ。
私は、いかなる事態にも即応できるよう、今ある戦力を冷静に分析していた。そのとき――大岩の影から、アオが一人の女性を捕らえて現れた。
その女性の姿を見た瞬間、私は驚愕に目を見開く。
そして、再びサイガの方を見やると、その表情は険しく、まさに敵を見据えるかのような目つきで彼女を睨みつけていた。
その姿に、私は確信する。……やはり、サイガは記憶を失っているのだと。
――サイガが「敵」として見るその女性。それはかつて、魔王討伐の旅を共にし、死線をくぐり抜けた仲間。
ゼウパレス聖王国の巫女――エルフのスミノエ様なのだから。
スミノエ様の喉元にクナイを突き付けながら、こちらへ向かってくるアオの表情も――どこか陰りを帯びていた。
やはり、妹もいまだに状況を受け入れきれていない。それが、ひしひしと伝わってきた。
サイガは、魔素が完全に枯渇しているリンさんとトガシゼン様を後ろへ下がらせると、わずかに殺気をまといながら、スミノエ様から目を逸らすことなく、慎重に前へと歩を進めた。
やがて、アオがスミノエ様を伴ってサイガの前に立つと、サイガは鋭い眼差しで見据えたまま、底冷えするような低い声で問いかけた。
「おい……さっき、トガシゼンを狙ったのは、お前か?」
そんなサイガの言葉にも、スミノエ様は臆することなく、肩をすくめて苦笑する。
すると、サイガはさらに警戒を強めるが、スミノエ様は意に介する様子もなく、サイガを無視してアオに向かって穏やかに語りかけた。
「ねえ、アオ。私は抵抗する気はないからさ――その物騒な短剣を、下げてくれない?」
スミノエ様の、まったく邪気のない口調に、アオはどうすべきか逡巡した。だが次の瞬間、サイガから強い視線を向けられる。
その視線に応えるように、妹は小さく頷くと――警戒を緩めることなく、クナイを持つ手にさらに力を込めた。
そんな周囲から敵意を浴びせられている状況にもかかわらず、スミノエ様からは、不思議なほどの余裕が感じられた。
――吟遊詩人であり、巫女でもあるスミノエ様には、直接的な攻撃手段はない。
魔王討伐の旅でも、彼女は音響魔法や精神魔法を駆使して、後方から私たちを支援してくれる存在だった。
そんな彼女が、今や魔王以上の力を持つ私たちから敵意を向けられても、なお平然としている――それが、どこか不気味だった。
私はその姿をじっと見つめていた。すると――突然、スミノエ様が口を開き、謳い出した。
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『魔女の烙印を押された聖女は、異世界で魔法少女の夢をみる』(完結済み)
『転生忍者は忍べない ~今度はひっそりと生きたいのですが、王女や聖女が許してくれません~』
も連載中ですので、興味がありましたらご覧ください。
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