177 フーオンにカエル
私とララがフーオンの領地運営について意見を交わしているあいだ――まったく興味のないライのバカは、相変わらず飽きもせず外を眺め続けていた。
すると、いきなり窓から飛び出さんばかりに身を乗り出し、空を見上げる。
その視線の先には、マヤとアオを抱えて空を飛ぶサイガの姿があった。おそらく、新たに覚えた呪術を試しているのだろう。
……とはいえ、空を飛ぶ呪術なんて、魔族領全体を見渡しても、オテギネさん以外に誰一人として習得できなかったものだ。
それを、こうも容易く再現してみせるサイガに――私は、どこか薄ら寒いものを感じていた。
相変わらず非常識なサイガの行動にため息をつくと、ライのバカが、馬車がまだ走っているのも構わず扉を開け、勢いよく飛び降りた。
……案の定、着地に失敗して転がりながら地面に倒れ込む。だが、そんなことは気にも留めず、すぐに起き上がると、大声で叫んだ。
「師匠~! 俺も乗せてくれ~! ずるいぞ、修行中は一回も乗せてくれなかったのに! なんでマヤ姉さんとアオ姉さんはいいんだ~!」
どうやら修行中、何度かライは一緒に空を飛びたいと頼んでいたらしい。相変わらずバカだと再認識させられたライの姿に、今度は深いため息をつく。
そして、その大バカは、どう考えても追いつけるはずもないのに――必死にサイガを追いかけていった。
どんどん小さくなっていくライを見送りながら、溜息を吐き小さく呟く。
「フーオンに一直線に向かって飛んでいるサイガにどうやって追いつくつもりよ」
そんな私の様子を見ていたララから笑みが零れる。
「……どうしたの、ララ? いきなり笑って」
「ふふふ、なんだか、姉さんが楽しそうで嬉しいだけよ。ひょっとして、姉さんも、マヤちゃんたちと一緒に空を飛んでみたかったじゃないの?」
そのどこか含みがあるララの言い方に、少しだけ顔をしかめる。
そして、ライの大バカと一緒にしないで――と注意しようとして、マヤとアオを抱えて空を飛ぶサイガの姿を思い出して、少しだけ胸が苦しくなった。
……トガシゼンとの決闘の前日、初めて自分の本当の気持ちに気づいた私は、あの決闘が終われば伝えようと決めていた。
だが、それは誰にも言っていない。なのにララは、そんな私の気持ちを見透かすような視線を向けて、揶揄うようなことを言う。
――やはり、姉妹だなとその絆の深さに嬉しくなる。けれど、今まだ、サイガ本人にも伝えていないこの気持ちを心の奥底に仕舞っておこう。
……私は、わざと聞こえないふりをして、もう見えなくなったライの姿を窓の外から探すのだった。
◆
フーオンの街が見えてくると、俺は街道沿いの空き地までゆっくり降下し、静かに着地した。マヤとアオもすぐに俺から離れ、それぞれ地に足をつける。
二人とも、思った以上に空の小旅行が楽しかったらしく、満面の笑顔でお礼を言ってくれた。
……正直なところ、魔素の消費は予想以上で、途中で落ちるんじゃないかと内心ひやひやした。だが、二人の笑顔を見ていると、不思議と疲れも気にならなかった。
そしてしばらく、その場で立ち話をしていると――ものすごい勢いでライが走ってくるの姿が見えた。
たしか、リンたちと馬車に乗っていたはずだが……なにか問題でもあったかと、俺が心配になって様子をうかがう。
やがて、ライはゼエゼエと肩で息をしながら到着し――いきなり俺の襟首をつかんで、大声で叫び出した。
「どういうことだよ、師匠! シーサン平野で、どれだけ頼んでも乗せてくれなかったくせに! なんでマヤ姉さんとアオ姉さんはいいんだよ! ずるいぞ!」
その言葉に俺は一気に緊張感が抜け、ライの頭を軽く叩く。
そして、そんなに空を飛びたいのかと呆れながら、両脇に手を入れ、『高い高い』の要領でそのまま空高く放り投げた。
すると、どうやら思った以上に力が入っていたらしく、ライは遥か上空まで打ち上げられていった。
……瞬く間に小さくなっていくライを、俺はぼんやりと見上げる。
さすがにこの高さから落ちたら無事じゃ済まないと思った俺は、どうにかしなければと焦るが――何も思いつかない。
そんな俺の葛藤とは無関係に、ライはそのまま上昇を続け、やがて動きが止まると、当然のように落下を始めた。
さっきまで点のようだったライが、みるみる大きくなってくる。
あんなすごい勢いで大きくなる弟子の成長を見て師匠として嬉しくなる――なんてはずもなく、速度を増して迫ってくる姿に、俺は助けを求めてマヤとアオに視線を向けた。
――だが、二人は、落下の巻き添えを避けるように、かなり遠くへと避難していた。
……ソギャン、ニゲンデモヨカタイ。
現実逃避のつもりで、つい異世界の言葉が漏れる。もちろん、何も解決するわけもなく、このままじゃライは地面に激突する。
そんな時間はもう残されていなかった俺は、考えるよりも早く、体が動いていた。
「呪術:似心化法」
頭にカミニシの呪術:駿封逮踏を思い浮かべながら、呪術を発動すると、そのまま地面に落ちるライの影を踏み抜く。
その瞬間、ものすごい勢いで落下していたはずのライの体が、嘘のようにピタリと空中で止まった。
なんとかライを地面への激突から救えたことに安堵するが、同時に、自分の体から大量の魔素が消費されていくのを感じ、慌てて影から足を離す。
すると、再び動き出したライが、静かに地面へと落ちていく。
ただ、呪術のおかげで勢いは完全に殺されており、屋根より少し高い程度の高さから落ちるだけで済んだ。
「ぎゃっ!」
とはいえ、ライには何が起きたのか分からず、頭から地面に落ちて情けない声を上げる。俺はバカ弟子のもとに近づき、怪我がないことを確認すると――無言で思い切り頭を殴った。
「ぎゃっ!」
またしても情けない声を上げて頭を押さえるライを見下ろしながら、深いため息をつく。そして、ようやく口を開き、一緒にいたはずのリンたちのことを尋ねる。
「おい、ライ。なんでお前だけ先に来た? リンたちはどうしたんだ?」
「えっ? そういえば……リン姉さんたち、どこだ? たしか俺……師匠たちが飛んでるのを見て、それで……」
ライは、いつからリンたちと別れたかを思い出せないらしく、顎に手を当て、いっちょ前に考えるふりをしている。
その姿にイラッとしながら眺めていると、はるか後方から土煙が見えた。ものすごい勢いで近づいてくるが、考えるふりを続けるライはまったく気づいていない。
それが、もう目の前まで迫ってきており、馬が嘶いているというのに、ライはなおも顎に手を当て、目を閉じたまま動こうとしない。
そして、速度をまったく落とさず突っ込んでくるそれに――よく見ると、御者席にはリンが座っていた。
思わずリンを凝視したその瞬間、『……何も言うな』と意思が頭に響き、もうどうでもいいや、と思った俺は、ライを無視して横へ思いきり跳んだ。
次の瞬間、馬車は勢いよくライに衝突した。
「ふぎゃっ!」
すると、驚くほど跳ね飛ばされたライは、地面に叩きつけられ、カエルのような格好で気を失った。
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