170 魔王の不穏、修行の準備
――結局、昨夜は食事を終えると、すぐにサイガと別れた。
正直、あれ以上一緒にいれば、何か取り返しのつかない失敗をしそうで怖かった。
まだ、十代半ばのガキのくせに、異様なまでの迫力と圧力を放ち、私の呪術を瞬時に見破り、しかも即座に解呪しやがった……。
魔皇の称号は伊達ではない……そう、思い知らされた。だが、それよりも──あの底知れない、容赦のない修羅のような精神に、私は恐怖した。
あんな化け物を師匠と呼び、懐くライも、どこか異常なのだと気づく。
そして、もうこれ以上、あの二人には関わるまいと、シーサン平野に向かって出発していくサイガたちを、玉座の間の窓から見送りながら、固く心に決めた。
──しかし。
運命とは皮肉なもので、そう決めた私のもとに、あの方々の使者が訪れた。
「初めまして、ミナニシケイ。悪いけど、新たな魔皇について教えて頂戴」
魔王であるこの私に、気軽に話しかけるその者は、友好的な態度とは裏腹に、どこか蔑むような視線を向け、何の許しもなく玉座に腰を下ろした。
私も、それを当然のように受け入れ、床に膝をついて恭しく答える。
「はい、なんなりとお聞きくださいませ」
その言葉に満足した使者は、当然のように命じた。
──シーサン平野に向かったサイガたちを、見張れと。
◆
結局、昨日は別々で食事をすることになったが、それでも意外と早く帰ってきた師匠に、軽く稽古をつけてもらった。
そのおかげで、心地よい疲れとともにぐっすり眠れたし、今日は朝から元気いっぱいだ。
――だが、師匠は昨夜の夕食がよほど美味しくなかったのか、朝から胃もたれを起こしたらしく、朝食もそこそこに、急いでシーサン平野に向かう準備をするよう指示してきた。
師匠でも食欲がないことがあるんだなあ……と感心しながら、俺は両親の教え通り、テーブルに並んだ料理を残さずきれいに平らげる。
そんな俺を、羨ましそうに見つめる師匠の前には、ほとんど手つかずの料理が残っていたので、俺は遠慮なく頼んだ。
「食べないなら、くれ!」
すると、師匠は、まるで可哀想な近所の子供でも見るような、哀れみたっぷりの表情を浮かべて、小さく笑った。
そして、目の前の料理をすべて俺に譲ってくれた。
「さすが、俺の師匠は優しい」と、俺は心の中で何度も頷いた。
――――――――――――
俺たちは、前回と同じく走ってシーサン平野に向かった。ただ、今回は一ヵ月近く修行する予定だったので、途中の村で食料を買い込むことにした。
立ち寄った村は、魔物が大量に湧き出るという深大奈落の近くだけあって、そこに住む魔族たちは、みんな屈強な体つきで、大量の魔素を保有しているのがすぐに分かった。
――とはいえ、所詮は頭にもなれない下位の魔族だ。俺や師匠と渡り合えるような実力者はいないようだ。
俺は師匠の前を歩きながら、こちらを睨んでくる魔族たちを、逆に睨み返して牽制する。
殺気をちらつかせながら道具屋へ進んでいくと、途中で「無暗に喧嘩を売るな」と、師匠に静かに注意された。
師匠は、こちらを警戒している魔族たちを一瞥すると、懐からミナニシにもらった身分証明の短刀を取り出して、ちらりと見せた。
すると──油断なく伺っていた魔族たちは、一斉に目を見開く。
後で聞いた話だが、あの短刀は魔王ミナニシ直属の、上位の部下にしか持つことが許されない特別なものらしい。
主以上の権力を持つ者だけが携帯を許される、まさに力と地位の証だった。
師匠が短刀を見せたことで、遠巻きに俺たちを見ていた魔族たちは、蜘蛛の子を散らすように一斉にいなくなった。
「これで安心して買い物ができるな」
師匠が小さく呟くのを聞きながら、俺はゆっくりと道具屋の扉を開けた。
カラン──。
「いらっしゃい……おや? 初めて見る顔だな。どこから来たんだい?」
「あぁ、ジュウカン領からだ。ちょっと、シーサン平野に用があってな」
師匠の答えに、道具屋のオヤジは、一瞬だけ驚いたような顔をした。
――あんな魔物しかいないような場所に、何の用があるんだ……とでも言いたげだった。
だが、あまり深く探って藪から棒でも出てきたら厄介だと思ったのか、すぐに態度を切り替え、注文だけ聞いて店の奥へ引っ込んでいった。
「なんか、どいつもこいつも、よそ者に対して冷たくないか、師匠?」
「まあな。だが、最北の地にあるトンハイ領は、冬になると外にも出られないほど雪が積もる。そういった土地では、自然と交流も近くの者同士だけになり、部外者を必要以上に警戒するものさ。」
俺は師匠の言葉を聞いて、(意外と師匠も博識なんだな)と感心していたら、思い切り頭を殴られた。
「な、なんで!?」と、目でそう訴えると、師匠は少しだけ眉をひそめて、「……何か、バカにされた気がした」とか言って、もう一発、俺を殴った。
そんなくだらないやりとりをしていると、道具屋のオヤジが、山ほど積み上げた食糧を台車に乗せて運んできた。
「何やってるんだ、あんたら? 一応、頼まれた量は揃えたが……本当にこんなにいるのか? それに、どうやって持っていくつもりだ?」
道具屋のオヤジは、台車に積まれた荷物を見ながら、呆れたように尋ねてきた。
そんな親父に、俺はにやりと笑うと、背嚢を下ろし、中から綺麗に折りたたまれた超大型の背嚢を二つ取り出した。
俺は、そのまま手際よく台車の食糧を詰め込み始める。
その様子を横目で見ていた師匠は、懐から金貨が詰まった袋を取り出してオヤジに渡した。
「必要な分だけ取ってくれ」と一言だけ告げると、今度は店内に並んだ道具を物色し、もう一つの超大型背嚢に次々と詰め込んでいった。
俺が食糧を詰め終えるころには、道具屋に並んでいた商品の半分以上が消えていた。
師匠は、俺が背負った背嚢よりもさらに重そうな超巨大な背嚢を片手で持ち上げ、肩に軽々と担ぐ。
――そして、道具屋のオヤジに視線を向け、手を差し出した。
呆然と俺たちを見ていたオヤジは、慌てて我に返ると、袋から金貨を数枚取り出して返してきた。
師匠は袋の中を軽く確認すると、金貨を一枚取り出して、オヤジに向かって投げた。
「これは迷惑料だ。明日の仕入れは大変だろうからな」
オヤジが慌てながらも、なんとか金貨を掴んだのを見届けると、師匠はもう用はないとばかりに、颯爽と道具屋を後にした。
俺も師匠を真似て、懐から袋を取り出そうとしたが……俺には一枚も金がないことを思い出した。
(……そういえば、リン姉さんから、「お前には金は必要ない」と没収されたんだった)
慌てて師匠を追いかけながら、俺は必死でお金を催促した。
――だが、もらったのは拳骨一発だけだった。
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『魔女の烙印を押された聖女は、異世界で魔法少女の夢をみる』(完結済み)
『転生忍者は忍べない ~今度はひっそりと生きたいのですが、王女や聖女が許してくれません~』
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