158 魔神との邂逅
俺たちが控室に通されてから、かなりの時間が経った。ライは相変わらずテーブルの果物を食べ続け、マヤはパンダやタヌキの魔獣たちと楽しげに意志を通わせている。
そんな中、普段なら誰よりもこの状況を満喫していそうなリンだけが、腕を組んだまま、真剣な表情で静かに座っていた。
その様子が気になり、声をかけようとしたところ、隣にいたアオが小さな声で止めた。
「今は……そっとしてあげて」
アオの言葉に、俺はふっと視線を戻す。たしかに、リンの周囲には、誰も寄せつけないような……殺気にも似た、張りつめた空気が漂っていた。
いつもと違うリンの様子はやはり気になったが、アオの言う通り、今は黙って見守るべきなのだろう。
そう自分に言い聞かせながら、気持ちを切り替えてトガシゼンとの謁見に備えようとした、そのとき、扉を叩く音が静かに響いた。
「失礼します、サイガ様。我が主の準備が整いましたので、玉座の間までご案内させていただきます」
入室を許可すると、カイがゆっくりと扉を開け、静かに足を踏み入れた。そして深く一礼し、謁見の準備が整ったことを告げる。
俺は無言のまま仲間たちを見渡し、全員が頷いたのを確認すると、カイに向かって深く頷き返した。
カイは再び頭を下げると扉のほうへ向かい、控えめな仕草でこちらに出るよう促した。すると、皆が立ち上がる中、リンだけが最後まで席を立たずにいることに気づいた俺は、そっと近づき、肩に手を置いて声をかける。
「大丈夫か?」
「……ええ、大丈夫よ。ごめんなさい、ちょっと緊張してて……」
リンはそう言って少し笑いながら立ち上がり、自分だけが座っていたことに気づいて軽く頭を下げる。
その姿を見て俺はどこか胸の奥にわずかな不安を感じながらも、それ以上は何も言わずに心の中で静かに――仲間たちを必ず守ると誓った。
――――――――――
カイの後に続いて廊下を進んでいくと、やがて巨大な扉の前に辿り着いた。その両脇には、扉に負けないほどの大きさと威厳を備えた虎の魔獣が並び立っており、俺たちが近づくと、深く一礼して静かに扉を開けた。
扉の向こうには、赤く立派な絨毯が一直線に伸びており、その先には荘厳な気配を纏った巨大な玉座が構えられていた。そして、その玉座には、圧倒的な存在感を放つ初老の男が、静かに座っていた。
カイは先に部屋へ入り、無礼がないよう細心の注意を払いつつ、玉座の前までゆっくりと進み出ると、その場で静かに膝をつき、深く頭を垂れる。
「トガシゼン様、サイガ様たちをお連れしました」
「ああ、分かった。とりあえず、ここまで通せ」
カイの報告に、初老の男――トガシゼンは肘をついたまま、表情ひとつ動かさずに頷き、簡潔に命じる。カイはもう一度、深々と頭を下げ、ゆっくりと立ち上がると、絨毯から降りて俺たちの方へ向き直り、前に進むよう手で静かに促した。
俺はカイに軽く頷き、静かに歩を進め、トガシゼンの前まで出ると、その姿をしっかりと見据えたまま口を開く。
「初めまして、でいいのかな。魔神トガシゼン……いや、富樫禅と言った方がいいか? それとも、咎自然と呼ぶべきか……」
「ふっ、どれでも好きに呼べ。真名も魔名も教えた以上、すでに俺の名は、貴様の魂に刻まれた。それが何であれ、変わりはせん」
トガシゼンは肘をついたまま、表情を崩さず、名前などどうでもいいと告げる。その態度には王者としての揺るぎない貫禄があり、思わず膝をつきそうになる。だが、これから戦う相手に対してそれはできないと、俺はあえて腕を組み、視線をそらさず、静かに目に力を込めて見据えた。
「なら、トガシゼンのまま呼ばせてもらう。それで、どうすんだ? すぐに始めるのか」
俺の言葉に、部屋の空気がぴんと張り詰め、トガシゼン以外の全員に緊張が走った。とくにリンは、戦いに加わることが分かっているだけあって、目に見えて肩に力が入り、体を固くしているのがわかる。
しかし、当の本人であるトガシゼンは、いまだ玉座に身じろぎもせず座ったまま、俺を見下ろしている。
――その姿に得体の知れない恐怖を覚えながらも、「戦う前から怖じ気づいてどうする」と心の中で自分を叱咤し、睨み返すと、突然、ヤツが声を上げて笑い出した。
「ふっ、はははは。なかなかどうして、俺も大概だが、貴様もなかなかだな、サイガ。会って間もないというのに、もう決闘を始めようというのか」
トガシゼンはこのとき初めて俺の名を口にし、その目にはわずかに興味の色が浮かんだ。その表情にはどこか嬉しそうな気配が滲み、まるでこれから始まる遊びに胸を躍らせている子供のようにも見えた。
◆
目の前に立ち、真っすぐ俺を睨むサイガの姿に、思わず笑みが零れる。これまで戦いを挑んできた数少ない強者たちの中にも、ここまで堂々としていた者はいなかった。
……それに、背後に控える連中からも、皆一様に魔王級の力を感じる。とくに、あの白髪の女は、サイガを除けば、これまで俺が戦ってきた魔族の中で間違いなく最も強い。
俺は今まで感じたことのない高揚感に包まれ、抑えきれずに全身から魔素が溢れ出る。その濃く重い魔素を察知し、サイガが一歩前に出て仲間たちを庇おうとする。
すると、それに続くように白髪の女も前に出て、サイガの隣に並ぶ。その動きに目を細め、思わず笑みが浮かぶと、興味を抑えきれずに名を問う。
「……面白いな、女。名を聞こう、お前は誰だ」
「……私は、ジュウカン領の元魔王、アメキリン。貴方に真名と魔名を授けられた者です」
その言葉に、思わず驚く。……そういえば、たしかにサイガの前にジュウカン領の魔王となった者がいたことを思い出す。あのときは、魔竜オテギネが出てこないと聞いて興味を失い、カイから報告を受けただけだった。
そのまま特に深く関わることもなく、名前も適当に与えたにすぎなかったが、まさか、ここまでの力を持っていたとは思わなかった。それに、たしか人族の勇者に倒されたと聞いていたはずだが……。
俺はサイガと並ぶアメキリンを一瞥し、どんな経緯があったにせよ、今この場に立つこの女が、それだけの力を持っているのなら、これ以上を問う意味はないと切り捨てる。
そして、ゆっくりと玉座から立ち上がり、サイガの前まで進んで対峙し、見下ろした。
目の前に立つサイガは、膨大な魔素と常軌を逸した肉体の密度から、信じられないほどの圧力を放ちながら俺を睨んでいる。
……まだ十代半ばにしか見えないその若者が、いかに鍛え、どんな呪術を身につけた結果、この年齢で魔神である俺に並ぶほどの力に辿り着いたのか、その背景に興味が湧く。
――だが、それ以上に、ただ早く拳を交えたいという衝動の方が勝り、俺は思わず拳を握りしめ、獰猛に睨み返した。
睨み合う俺たちを前に、周囲の者たちは誰ひとり言葉を挟むこともできず、ただ黙って見つめるしかなかった。
俺とサイガに次ぐ力を持つアメキリンでさえ、隣にいながら声を失い、ただ呆然とその場に立ち尽くしている。そんな沈黙の中、カイが一歩前に進み、静かに声をかけた。
「トガシゼン様、サイガ様。お二人とも、そろそろここまでにされてはいかがでしょうか。日も傾いてきましたし、サイガ様には旅の疲れも残っているかと……。お互いに万全な状態で戦われたほうが、きっとより楽しめるはずです。明日の昼までお待ちいただければ、この私が責任を持って、お二方が思う存分に戦える決闘の場をご用意いたします」
その言葉に、俺はゆっくりと握った拳をほどき、サイガから視線を外して背を向けると、そのまま玉座へと戻って腰を下ろした。
そして、高ぶる気持ちをなんとか抑えながら、ちらりとカイに目を向け、「すべて任せる」と短く告げると、頬杖をつき、静かに目を閉じた。
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『転生忍者は忍べない ~今度はひっそりと生きたいのですが、王女や聖女が許してくれません~』
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