151 キスの余韻……かき消す反省の声
私たちは、マチさんの案内で宿屋に到着し、受付を済ませると、それぞれの部屋へと向かった。その際、受付でマチさんがこっそりとカミニシさんの隣の部屋を取っていたのを、私とリンさんはしっかりと確認し、目を合わせて頷き合い、静かに別れた。
部屋に入って荷物を下ろした私は、テーブルに置かれていた水差しを手に取り、コップに水を注いで一口含む。冷たい水が喉を通る感覚に、少しだけ落ち着きを取り戻した私は、窓の外へと目を向けた。
そこに広がっていたのは、思った以上に賑わいのある町の景色。かつてここで大量の魔人が拉致され、非道な実験が行われていたという事実が、まるで嘘のように思える光景だった。
――けれど、カミニシさんが嘘をついているとは思えなかった。人族に向ける、あの怒りと憎しみの感情は、間違いなく本物だった。それでも、どうしても同じ人族の誰かが、彼の言うような残虐なことをしたとは思いたくない。私は、その矛盾する想いのはざまで揺れ、心の奥で静かに葛藤していた。
私が悲痛な表情のまま、窓の外に目を向けたまま、通りを行き交う人々を見つめていると――扉を叩く音がして、アオが入ってきた。
「お姉ちゃん、急いで来て! さっきカミニシさんとマチさんが二人で外に出るのを見かけて、尾行したら……近くの、人気のない小さな広場に向かっていったの!」
「さすがね、アオ。なら、まずはリンさんのところに行って、一緒に向かいましょう。この前、お二人の逢引が見られなく悔しがっていましたから」
私は、宿屋の受付で別れる際、アオにそれとなくカミニシさんとマチさんの様子を見ておいてほしいと、こっそり頼んでいた。その後、忍びの能力を駆使してふたりを監視していたアオは、彼らが宿屋を出るとすぐに第1段階の呪術を使い、気づかれないように尾行を開始。そして、二人が人通りのない広場へ入っていくのを確認すると、急いで私に知らせに戻ってきたのだった。
「リンさん、急いで来てください! 例の案件で動きがありました!」
「宿に着いて早々に動くとは、二人ともやるわね。わかったわ、すぐに向かいましょう」
「はい。アオには先に行って、見張ってもらっています」
私は急いでリンさんの部屋に向かい、入室の許可を得るやいなや扉を開けると、正座したサイガの前に仁王立ちし、鋭い目で見下ろしているリンさんの姿が目に飛び込んできた。
何の罵声も浴びせられていないにもかかわらず、サイガはただひたすら謝り続け、許しを請うばかり。私はその様子に少し不思議な気持ちになりつつも、それよりもカミニシさんとマチさんの逢引現場を押さえるほうが優先だと判断し、ひとまず無視することにして、リンさんに出発を促した。
「ええ、そうね、マヤ。こいつの教育はいつでもできるけど、二人の逢引が見られるのは今だけだもの。すぐに行きましょう。
あっ、それとサイガ。部屋に戻っていいけど、明日までに二千文字以上の反省文を書いておきなさい。忘れたら……分かってるわよね? まぁ、分かってなかったら、分かるまで教えてあげるだけよ。
じゃ、私たちは急ぐから」
リンさんは私に頷くと、すぐに準備を整え、サイガに宿題を言い渡して部屋を出た。私は一瞬、サイガに百を超える数を数えられるのか疑問に思ったが、それよりも今は、カミニシさんたちの元へ急ぐ方が先決だと判断する。そして、そんな些細なことはひとまず無視して、私はリンさんとともに宿屋を後にした。
◆
ボクが宿屋から少し離れた、人気のない空き地の前で待っていると、お姉ちゃんとリンちゃんがやってきて、カミニシさんたちの様子を聞いてきた。
「お待たせ、アオ。それで、カミニシたちはまだ始めてないわよね?」
「『始める』って……。なんか、その言い方、ちょっといやらしいよ、リンちゃん」
どうやらリンちゃんは、二人の逢引をどうしても見たくて仕方がないらしく、合流するなり、進展がないことを確認して安心したようだった。そんなリンちゃんの様子に、ボクは苦笑いを浮かべながら「まだ大丈夫だよ」と小声で伝え、カミニシさんとマチさんの様子がよく見える場所まで、お姉ちゃんとリンちゃんを案内した。
まだ季節は冬で、夜になるとかなり冷え込む。そんな中、カミニシさんたちは広場に置かれた唯一の長椅子に並んで座り、寒さを気にする様子もなく、肩を寄せ合いながら会話をしていた。ボクたちがその様子をこっそりと見守りつつ耳を澄ませていると、カミニシさんが突然、昨日のことを話し始めた。──サイガの部屋に行ったとき、ボクとサイガがいい雰囲気になっていたという話を。
「そういえば昨日、サイガの部屋に行ったんだが、その時、アオも一緒にいてな。最初は特に気にしなかったんだが……二人ともやけに距離が近くて、顔も赤くしていたもんだから、てっきり逢引でもしてるのかと思って、悪いかなと思ってすぐに引き返そうとしたんだ。そしたら、二人とも慌てて『何でもない!』って必死に否定してな」
「ふふふ、お二人とも可愛いわね。そんなに必死で否定したら、逆に『何かしてました』って言っているようなものなのに……」
カミニシさんが、ボクとサイガが部屋で逢引していたのに、それを邪魔してしまったとマチさんに話すと、彼女は優しく微笑んで、「まだ他人の目が気になる年頃なのね」と呟き、そっとカミニシさんの肩に頭を預けた。
「ああ、魔皇とはいえ、アイツはまだ十代半ばだ。喋り方は大人びていて、考え方もどこか古風だが……恋愛や人生に関しては、まだまだ子どもなんだな」
「そうね。でも、アオさんとサイガ様がそんな関係だったなんて、ちょっと意外だったわ。私はてっきり、マヤさんとお付き合いしているのかと思ってたの。昨日も、お二人で中庭を散策されていたでしょう? あの時の雰囲気、とても良くて……見ていて微笑ましかったわ」
マチさんの言葉に、カミニシさんはわずかに驚いた表情を見せたものの、すぐに苦笑いを浮かべ、「アイツも、なかなか隅に置けない奴だな」とつぶやくと、そっとマチさんの肩に手を回して抱き寄せた。そして、遠くを見つめるようにしながら、静かに会話を続けた。
「まぁ、あの若さで俺に勝ち、魔皇にまでなったヤツだ。『英雄、色を好む』っていうが、アイツも例外じゃないんだろう。あれだけの男だ、周りの女がほっとかないのも分かる」
「ええ、確かに。魔素が感知できない私でも、そばにいるだけで圧倒されるほどの存在感を感じたわ。……でも、それを言うなら、リン様からはそれを上回るほどの威厳を感じたわ」
マチさんは、最初に私たちを見たとき、リンちゃんこそが魔皇だと思ったと語った。そして、あの押し潰されそうな威圧感は、今まで出会ったどの魔族からも感じたことがなかったと、身震いしながら言いつつ、カミニシさんにそっと体を寄せる。
「ああ、アイツも規格外の魔素を持っているよ。それに、サイガに向ける殺気は、隣にいた俺でさえ身震いするほどだった」
「レンでも、そう感じるのね。……でも、もしかして、リン様のあの殺気って、実は感情の裏返しだったりしないかしら?」
「ぷっ、マチも面白いこと言うな。……もしあれが感情の裏返しだとしたら、アイツ、どれだけサイガのこと好きなんだよ」
カミニシさんは肩をすくめ、苦笑しながらも、最後はきっぱりと口調を引き締めて続けた。
「マチ、これだけは断言できる。リンのあの殺気は本物だ。決して、愛情の裏返しなんて生ぬるいもんじゃない」
マチさんの言葉に、カミニシさんの顔は一転して真剣なものになり、リンちゃんがサイガに抱いている感情は、決して愛情なんかじゃないと断言する。そして、「あんな厄介なヤツに目を付けられて、同情するよ」と肩をすくめて見せた。
……その瞬間、物陰から聞いていたリンちゃんが、第1段階の呪術を発動しかけ、慌ててボクとお姉ちゃんで必死になだめにかかる。一方で、呪術騒ぎの傍ら、カミニシさんとマチさんはまるで何事もなかったかのように、ふっと視線を絡ませ、微笑み合っていた。
「もう、そろそろ戻らないと、サイガたちが心配するかもな」
「そう……もう、そんなに時間が経ったのね。せっかく二人きりになれたのに」
「そう言うな。これからは、なるべく一緒にいるよう努力するよ」
「……約束よ、レン」
カミニシさんは、これ以上ここにいるとサイガたちが呼びに来るかもしれないと思い、急いで宿屋に戻ろうとマチさんに伝えた。するとマチさんは、「もう少しだけ二人でいたい」と子供のようなわがままを言って、カミニシさんを少し困らせる。
そんなマチさんの甘えたような態度に、カミニシさんは苦笑いを浮かべながら、「これからずっと一緒にいるから」と優しく説得し、そっと唇を重ねた。
◆
私たちが、カミニシとマチさんの口づけする様子を凝視していると、サイガが大量の紙束を抱えて、宿屋から出てきた。
「お〜い、リン、どこだ。やったぞ、ちゃんと反省文を二千文字以上書いたぞ。受付の人と一緒に確認したから、間違いないはずだ〜!」
サイガのバカは、通りを行き交う人々の注目を一身に集めているにもかかわらず、その視線をまったく気にする様子もなく、必死に私を探していた。そして、「もう二度と舐めた態度はとらないから、許してほしい!」と大声で叫び始めたせいで、周囲の人々もざわざわと騒ぎ出す。
「なんだ、あの青年は。いきなり外に出て、何を叫んでいるんだ?」
「だが、なんか必死に謝っていて、ちょっと可哀想にも見えるな」
「そうだな。よっぽどの悪事を働いたんだろうが、そこまで追い詰める必要があるのか? 掟に厳しいカミニシレン様でも、あそこまでやらんぞ」
ハイヤンの住民たちは、必死に許しを請うサイガの姿に、「あれだけ精神的に追い込まれるなんて、どれだけのことをやらかしたんだ」と驚きながら、それでも「さすがにやりすぎじゃないか」と、首をかしげる者も少なくなかった。
そんな、宿屋の前で繰り広げられる珍妙な光景を目にしたカミニシは、「やれやれ」と首を横に振り、マチさんに先に宿へ戻るよう伝えると、必死に私を探しているサイガのもとへと歩き出した。
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『魔女の烙印を押された聖女は、異世界で魔法少女の夢をみる』(完結済み)
『転生忍者は忍べない ~今度はひっそりと生きたいのですが、王女や聖女が許してくれません~』
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