150 しお……かぜ……
「師匠、すげえぞ! でっかい池があるぞ!」
俺たちは、王都ドンジンを出て、カミニシの故郷であるハイヤンへ向かっている。その道中で立ち寄った村の近くで、ライが『初めて見る海』に驚いて、思わず大声をあげた。そして、そのまま俺のところへ駆け寄ってきて「入ってみよう!」と誘ってくる。
「……何を言ってるんだ、ライ。まだ、かなり寒いぞ。こんな中、海に入ったら風邪を引くに決まってるだろ」
しつこく誘ってくるライを何とか諫めようとしていると、リンがどこか楽しげな声で口を挟んできた。
「大丈夫よ、サイガ。アンタとライなら、間違いなく風邪は引かないから」
別世界では『馬鹿は風邪を引かない』って言うのよ――と、リンはあっけらかんとした顔で、ライの願いを叶えてやれと促してくる。その言葉に俺は嫌な顔をして、「そんなことがあるか……」と呟き、すでにパンツ姿になっていたライに服を突き返す。
「もう少しで目的地なんだから、我慢しろ。お前ら、目的は分かってるのか? 遊びに行くわけじゃないんだぞ」
「そうですよ、ライ君。初めての海に、はしゃぐ気持ちは分かりますが……少し落ち着いてください」
「そうだね、ライ君。とりあえず、目的が済んだら――そのときもう一度、サイガにお願いしてみたらいいんじゃないかな?」
俺が突き出した服を断固として受け取らないライに、カミニシたちが「いい加減にしろ」と諫め、「急いでハイヤンに行くぞ」と説教を始めた。それでも海に入ることを諦めようとしないライに、いよいよ我慢の限界を迎えた俺は、右手に魔素を込めて振り上げ――かけた、その時。マチさんが、柔らかな声で静かに呼びかける。
「ライ様、旅を急ぎませんか?確かハイヤンには、美味しい料理や珍しいお菓子があるそうですよ。早く着いたら、皆で食べに行きましょう」
「本当か!? なら急ぐぞ、師匠! モタモタしないでくれ!」
マチさんの一言に、ライは即座に反応。海に入ることなどすっかり忘れて、パンツ一枚のまま歩き始めた。俺は「服を着ろ」と言いかけて――ふと、リンが言っていた『馬鹿は風邪を引かない』という言葉を思い出す。そして、全員に「何も言うな」と目配せを送り、そのまま俺たちは、ハイヤンへ向かって出発した。
◆
ライのバカが、パンツ一丁で肩で風を切りながら堂々と先頭を歩き、私たちがその後ろに続いていく。その異様な光景に、街道を行き交う魔族たちは一瞬足を止めて凝視し、先頭を歩くライに視線を向けた。そして――後ろを歩く私たちに、哀れみの眼差しを送ってきた。
その視線に堪えきれず、私がライに「服を着ろ」と言おうとしたその時、サイガが『馬鹿は風邪を引かない』という別世界の言葉の検証中だから止めろと、意志を飛ばして睨みつけてきた。その視線を受けて、私も「サイガのくせに生意気だ」と怒りを込めて睨み返すと――すぐに調子に乗っていましたと言わんばかりに、サイガは頭を下げた。
だが、サイガは謝りながらも、『お願いだから、もう少しだけライを半裸のままにしておいてくれ』と意志を飛ばしてきた。そのアイツらしくもない真剣さに呆れつつ、私は条件付きで認めてやることにした。その条件とは、私たちから距離を取り、二人で先にハイヤンまで走っていくことだ。これなら問題ない。要するに、あの半裸と同類だと思われなければいいのだ。
サイガはすぐにその提案を受け入れ、先頭を歩いていたライに声をかけた。修行の一環として、ハイヤンまで走って行け――と。するとライは肩をすくめ、まるで自分が冷静な側であるかのように言ってのけた。
「師匠、地図も持っていないのにハイヤンまで辿り着ける訳ないだろう。やれやれだぜ」
その瞬間、サイガの手が無言でライの頭を掴むと、こめかみに青筋を立てながら、唸るように言い放った。
「地図も何も、この街道を真っ直ぐ進めば着くんだ。……やれやれなのはお前の頭だ」
みしみしと音を立てるライの頭を握りしめたまま、サイガは怒りを込めて言葉を続ける。
「今回は許してやる。次からは少しは考えてから言葉にしろ、分かったか」
「い、痛っ……! ご、ごめん、許してくれよ!」
ライの謝罪を受け入れたサイガはようやく頭を離すと、思ったことをすぐ口にするなと注意し、「急いでハイヤンまで行くぞ」と走る準備をするよう促した。すると、涙目になりながらもライは素直に頷き、なぜか元気よく「お先に失礼!」と叫ぶと、そのまま一人で走り出していった。
突然の行動に呆気にとられたサイガが、すぐに追いかけようとしたので、私は慌てて声をかける。
「ちょっと待ちなさい、サイガ。ライのバカがいなくなったから、私たちとしては、このままゆっくり向かっていいのよ。アンタも言ってたでしょ、ハイヤンまで一本道なんだから迷わないわよ、きっと」
その言葉に、サイガも「確かに、ライがいなければ羞恥の視線を浴びることもないな」と呟き納得したようで、すでに遠く小さくなったライの背中を見送りながら、なるべくゆっくり進もうと提案してきた。
こうして私たちは、サイガの提案通り、途中で観光を交えながら、のんびりとカミニシの故郷――ハイヤンを目指して歩き出した。
ハイヤンへと続く街道は、海岸線に沿って伸びており、潮風が心地よく、景色も素晴らしかった。サイガの提案に従うのは少し癪だったが、それでも、久しぶりに見る海は新鮮で、つい見入ってしまう。何度も足を止めては、じっくりと風景を味わいながら、ゆったりと進んでいった。
本来なら昼過ぎにはハイヤンに到着しているはずだったが、サイガの提案と、街道から見える美しい景色のせいで、着いたのは日が暮れる直前になってしまった。そして、ハイヤンの入口まで進むと、ライのバカが毛布にくるまって待っていた。
「師匠、俺の勝ちだな! まったく余りに遅いから心配したぞ」
「ああ、お前の勝ちだな、ライ、流石だ。それで体調とか大丈夫か?」
「ん? 珍しいな、師匠が俺の心配をするなんて。そういえば、少し熱っぽい気もするが、きっと走ったあとで体がまだ火照ってるだけだろ、ヘックシュン!」
ライは顔を真っ赤にして鼻水を垂らしながら、全然平気だと言い張るが、明らかに風邪の症状が出ており、私たちを見る目もどこか虚ろだった。そんなライの姿を見たサイガが、私の方を見て『馬鹿は風邪を引かないんじゃなかったか?』と意志を飛ばしてくる。
勝ち誇った顔を見せるサイガに、私は「ほんとう、師弟揃って学習しないな」と呟くと、微笑みながら『いい度胸だな、あとで顔貸せや』と意志を返す。そして、今夜も再教育で夜が遅くなるのかと、ひとつ大きな溜息を吐いた。
――――――――――
カミニシのおかげで、すぐに町に入ることができた私たちは、マチさんが予約してくれていた宿屋に向かう。
「思ったより、さびれていないわね」
「はい、レン様が長い間、町を整備して治安を良くしてくれたおかげです」
過去にあんな悲惨な事件があった割には、活気があり、多くの人々が行き交う町の様子を眺めながら、私は感想を口にする。その言葉にマチさんが嬉しそうに頷き、カミニシが魔王となってから、さまざまな支援や援助を行ってきたことを説明してくれた。
「へぇ〜、意外と情に厚いのね。もう少し合理的なヤツだと思ってたわ」
「……お前からどう思われようが構わんが、故郷がなくなるのを見過ごせるヤツなんて、そうそういないと思うがな」
「……そうね、ごめん、確かにあなたの言うとおりだわ」
私が素直に謝ると、その様子を見たサイガとライが、信じられないものを見たかのような顔をして、「リン(姉さん)でも、謝ることができるんだ」と呟きながら、互いの頬を抓って「夢じゃないんだ」と確認し合っていた。
私はそんな二人を睨み、謝っても絶対に許さないと心に誓う……。気づけば、いつの間にか目的の宿に到着していた。
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『魔女の烙印を押された聖女は、異世界で魔法少女の夢をみる』(完結済み)
『転生忍者は忍べない ~今度はひっそりと生きたいのですが、王女や聖女が許してくれません~』
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