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148 キスの価値

私が中庭に着くと、珍しくマヤがライの組手の相手をしていた。


「そんな体たらくでは、サイガには追いつけませんよ。さっさと立ち上がりなさい」


マヤが冷ややかにそう言い放つと、ライは歯を食いしばりながら立ち上がり、再び向かっていった。だが、マヤは正確に彼の足を撃ち抜き、ライの動きを瞬時に止める。たった一発でその場に釘付けにされたライに対し、マヤは容赦なく矢を放ち続けた。矢は変幻自在に角度を変えながら飛び、ライの身体を的確に貫いていき蜂の巣にする。


いくら刃先を削ってあるとはいえ、当たれば当然痛いし、状況によっては大怪我にもなりかねない。けれどマヤは、地面にうずくまるライに対して、まったく手加減する様子もなく、攻撃を続けていた。


私は、マヤが珍しく本気でライと組手をしていることに気づき、思わず首を傾げる。いつもは冷静で、サイガとアオ以外には一定の距離を保っているマヤが、今日は明らかに感情を表に出し、ライに対して容赦なく矢を放っていた。その理由が気になり、まだ攻撃の手を止めないマヤに声をかける。


「珍しいわね。マヤがライの稽古に付き合うなんて。何かあったの?」


するとマヤは、きっぱりとした口調で答えた。


「ええ。ライ君のせいで、絶好の機会を失ったんです。……せっかく、あと少しだったのに」


マヤの言葉に、私は思わずサイガを睨みつけながら、『……お前、朝から何をやろうとしてんだ』と、意志を飛ばす。その視線に気づいたサイガは、慌てて首を横に振りながら、『ち、違う! カミニシとマチさんが中庭でいい雰囲気だったところに、ライが邪魔に入っただけだ!』と、必死に意志で弁解してきた。


「……マヤ、ちょっとこっちに来て。聞きたいことがあるの。あっ、サイガはライのバカと組手してて良いわよ」


私はサイガのアホにライのバカを任せることにして、マヤに歩み寄ると、さっき中庭で見たというカミニシとマチさんの様子を、できるだけ詳しく教えてほしいと真剣に頼み込んだ。


――――――――――


「うわぁ……すごいわね、カミニシのヤツ。まさか年上好きだったなんて、想定外よ」

「ですが、全然甘える様子はなくて、むしろ堂々としていました。どちらかというと、マチさんの方が甘えていて、年下っぽく見えたくらいです」


私とマヤは、中庭の片隅にある小さなテラスに移動し、さっそく「現場」の詳細を共有する。まさか、あの無愛想で仏頂面のカミニシに恋人がいたなんて、しかも相手が、あの綺麗で有能なメイド長のマチさんとは、まったく想像すらしていなかった。


「カミニシに甘えるなんて、マチさんも意外と可愛いわね。……でも、ふたりきりになったらカミニシの方が豹変したりして。急に『マチお姉ちゃん、耳かきしてよ〜』なんて甘え出したりして。ぷっ」

「……確かに、あるかもしれませんね。そう思うと、普段のあの偉そうな態度も少しは許せる気がします」

「ええ〜? それとこれとは話が別じゃない? あんな無愛想で横柄なヤツの、どこに惹かれたのかしらね。マチさんってば……」


私たちは、どうしてカミニシとマチさんが付き合っているのか、考察を始めた。だが結局、いくら考えても答えは出ず、それよりも「二人の関係が今どこまで進んでいるのか」、という方向へと、話題は自然と逸れていった。


「マヤの話だと、キスしようとしてたのよね。まだ日も昇りきらない朝っぱらから」

「はい。おふたりは熱く抱き合い、そして、そっと顔を近づけていこうとした、まさにその時、ライ君の『サイガを探す声』が中庭に響いて……」

「……なるほど。よくわかったわ。昨夜のサイガの『再教育』でまだ疲れは残ってるけど……昼前の軽い運動にはちょうどいいわね。ライのバカも『再調教』してあげましょうか」

「ありがとうございます。リンさんが手伝ってくださるなら、仕事(しつけ)もずいぶん捗ります」


私の提案に、リンは心底嬉しそうに頷いた。そして、弓を引くのは面倒だから第1段階の呪術で撃ちたいと伝えてくる。私は、それなら確か死免蘇花―赤―があったはずだと思い出し、問題ないと微笑んで応じた。



俺とライが稽古を続けていると、リンとマヤが中庭に戻ってきて、すぐさま『さっさと代われ』と意志が飛んでくる。何を考えているのかは分からないが、俺が『ライの身体はもうボロボロだ』と訴えると、リンはつまらなそうな顔をして俺を見やり、『これなら文句ないだろ』とばかりに、死免蘇花―白―を使ってライの傷を回復させた。


「ほら、元気になったじゃない。サイガは休憩してていいわよ。あとは私たちがやるから」

「そうですよ。サイガも疲れたでしょう? 大丈夫です、私たちがきっちりライ君の面倒をみますので、とっとと下がって休んでください」


そう言って、リンとマヤは揃ってこちらを追い払おうとしてくる。俺は「傷は治っても体力までは回復してないだろ……」と反論しかけたが、次の瞬間、リンから『昨日の夜のことをもう忘れたのか、てめえ』と、殺気を帯びた意志が頭に叩き込まれ、完全に沈黙した。


急に黙った俺に、ライが縋るような視線を送ってくるが、まともに目を合わせることなどできず、『……ごめん、ライ』と、心の中でそう呟いた俺は、次の瞬間、全力で中庭を飛び出した。


――――――――


中庭から聞こえてくるライの悲鳴を背に、俺は逃げるようにして城へ戻った。そして、守ってやれなかった自分の無力さに打ちのめされながら、トボトボと自室へ向かう。部屋に入ると、テーブルに置かれた水差しを手に取り、そのまま一気に飲み干す。喉を潤したあと、気が抜けたようにベッドに倒れ込んだ。


「ちくしょう……なにが師匠だ。弟子ひとり守れないなんて……」

「そんなことないよ、サイガ。それに、まだ正式に弟子にしてないんじゃなかったっけ?」

「え?」


俺の独り言に、誰もいないはずの部屋から返事が返ってきた。驚いて跳ね起き、あたりを見回すと、いつの間にかアオが、ベッドの横に立っていた。その勝ち誇ったような表情を見た瞬間、マヤの第1段階の呪術を思い出す。俺は肩を落としつつ、苦笑を浮かべながら「驚かせないでくれ」と呟き、どうしてここにいるのかを尋ねた。


「特に用事があったわけじゃないけど、部屋に来てみたら誰もいなかったから、ちょっと待ってたんだ。それで、どうせなら驚かせてやろうと思って。サイガが部屋に近づいてくるのが分かったから、呪術で姿を隠してた」

「なるほどな。……確かに驚いたよ、アオ。それにすごいな、その呪術。まったく気配を感じなかった」


俺の言葉に、アオは得意げに頷いた。そして、ふと表情を和らげながら、どうして落ち込んでるのか問いかけてくる。その問いに、俺は少し顔を曇らせながら、中庭での出来事、ライとの稽古、そして守ってやれなかった後悔を語り始めた。


「……なるほどね。うん、それはお姉ちゃんもリンちゃんも怒るかもね。できればボクも、見てみたかったもん」

「そんなものか? たかがキスだぞ。見られなかったくらいで、ライをあそこまで追い詰める必要があるのか?」


俺はアオの言葉に、どうしても納得がいかなかった。たかがキスで、あそこまで怒るものなのか……そう疑問を口にすると、アオは大きくため息を吐き、呆れたようにこちらを見た。そして、言葉を選ぶようにゆっくりと語り出す。


「いい? サイガ。キスって、女の子にとってはすごく大事なことなの。いつ、どこで、誰とするのか。それが『初めてのキス』なら、なおさらなの。……分かる?」

「まぁ、何でも『最初』は肝心って言うが……。でも、カミニシとマチさんは何度もしてるわけだろ? だったら、それを邪魔されたからって、ライを半殺しにするほどのことじゃないと思うんだが……」

「はぁ〜……やっぱり分かってないね」


アオは、さらに深いため息をついたあと、少し声を潜めて言った。


「別にね、ふたりのキスを邪魔されたこと自体に怒ってるわけじゃないと思うよ。たぶん、お姉ちゃんもリンちゃんも、キスしたことがないから。……見て、勉強したかったんじゃないかな?」


俺の言葉に、ため息混じりで返したアオは、まだ何も知らないからこそ興味があるのだと語り、怒りの理由は、カミニシとマチさんのためではなく、『自分たちの興味を奪われたこと』にあると説明した。確かに、その言い分には妙な説得力がある。知らないからこそ見てみたい、知りたい――それは、ごく自然な感情だろう。……とはいえ、だからといってライを半殺しにする理由には、やっぱり納得はいかないが。


俺が何とか納得しようと、ライが半殺しにされている光景を頭から追い出し、キスに憧れるリンとマヤの姿を想像しようと頑張っていると、突然、アオがじっと俺の顔をまじまじと見つめてきた。


「ねぇ、サイガは……キスの経験ってあるの?」

「……正直、何も思い出せない。多分、あるとは思うんだが、誰としたのかは分からない。もしかしたら、年齢的に『してるはず』だと思い込んでるだけかもしれない……」


人間だった頃の年齢――28歳という数字を思い出せば、キスどころか、それ以上の経験くらいあってもおかしくはない。だが、実際にはその記憶がまったくない。たとえ「ある」と言っても、相手が誰だったのかも、どこでしたのかも思い出せない。恋人がいた形跡もないし、結局、どこかの店で、気まぐれに情婦とキスした程度なんじゃないか、という曖昧な結論にたどり着く。


……まあ、俺のキスなんて、どうでもいい。そう思った瞬間、やっぱりリンやマヤが他人のキスにあそこまで興味を持つ理由が分からなくて、俺は腕を組んで俯いた。すると、アオが下から俺の顔をのぞき込むようにして問いかけてくる。


「本当に誰とキスしたのか、覚えてないの? ……ボクたちと出会う前に、付き合ってた人とかいなかったの?」

「なんだ、アオ。そんなに気になるのか? 俺のキスなんかが」

「……そりゃあ、気になるよ。だって、初めて好きになった人だし」


俺を覗き込んでいたアオは、目が合った瞬間、はっとしたように視線を逸らし、頬を赤らめながら俯いた。その照れた仕草があまりに素直で、思わず俺は微笑んでしまう。そして、静かに口を開いた。


「……まぁ、正直、過去のことは覚えてないが。一度、肉体が滅びて生まれ変わった時点で、全部振り出しに戻ったようなもんだろ? だから、キスの経験も『なし』ってことにしないか?」

「……うん、そうだね。昔のことばかり考えても仕方ないし。スマソ、スマソ」


アオは、どこか照れ隠しのように別世界の言葉で謝りながら、「これから先のことが大事だよね」と小さく呟くと、次の瞬間、そっと俺に抱きつき、頬に軽くキスをしてきた。そして、顔を赤く染めながら、少し照れたように笑いかけてくる。


「とりあえず、これでボクの方がお姉ちゃんより先にキスしたってことになるよね。……次は、ちゃんとサイガからしてくれると嬉しいな」


俺はキスされた頬に手を添え、思わず顔を真っ赤にする。そんな俺を見つめるアオも、負けないくらい真っ赤な顔をしていて……俺はどうにか「わかった」と、一言だけ返すのが精一杯だった。

お読み頂き、ありがとうございます!

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また、「転生忍者は忍べない ~今度はひっそりと生きたのですが、王女や聖女が許してくれません~」という作品も投稿していますの、こちらも読んで頂けると、なお嬉しいです。

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