108 マヤの気持ち
「アンタも気づいていると思うけど、彼女たち魔族化しているわよ」
俺も薄々とは気づいていたが、リンの言葉で確信に変わった。マヤたちと話している時、2人の体の中を魔素が循環していることを感知した。だが、人間は魔素を取り込む事はできない、故に魔族化はしないはずだ。
しかし、魔族化しないはずの人間である2人の体内には魔素があった。しかも、リンには及ばないものの大量の魔素が循環していた。予想に仮定を重ねた不確かな推測でしかないが、2人が魔素を取り込んだ原因は俺が魔素を譲渡したせいだ。
瀕死の2人を救うために俺は死免蘇花―紫―を発動し、肉体を修復した。その時、死免蘇花に大量の魔素を譲渡したが、その一部が2人の体にも流れ込んでしまったようだ。2人の体内にある魔素を感知した時、僅かだが俺の魔素が混ざっていた。
「やっぱり、そうか……。俺も2人の体内に魔素があることは分かっていたが、リンから見ても2人は魔族と同じに見えるか……」
「えぇ、正直、驚いているわ。人族は決して魔族化しないはず……なのに2人の体内には魔素が大量にあったわ。私には及ばないけど、既に魔王並みよ」
俺はテーブルにあった水を一気に飲み干すと、窓の外を眺める……夜も更けて明かりを点けている家も疎らだ。リンを見ると俺を気遣う視線とぶつかり、俺は思わず苦笑いを浮かべる。
「リン、悪いな、心配をかけて。お互いに今日は働き過ぎた。とりあえず、もう休んで、明日になったら、また、考えよう。寝てる間に何か良い方法を思いつくかもしれないしな」
「そうね、サイガ。今日は本当に疲れたわ、ちなみに私、新しい呪術を覚えたから、おやすみ」
最後にリンはとんでもない言葉を残して部屋から出て行き、俺は何も言えず唖然とリンを見送ることしか出来なかった。
――――――――
俺が目を覚まし窓から外を見ると、既に村の人たちは復興に向けて忙しなく働いていた。昨日のリンの最後の言葉が気になり、なかなか寝付けなかったせいで、起きるのが遅くなった。いまだ眠気が抜けない俺は心の中でリンに悪態をつくと、急いで着替えて食堂に向かった。
「あ、おはようございます、サイガさん! 昨日は本当にありがとうございました! 今から食事にしますか?」
「おはよう、ジェネ。相変わらず元気だな、なんだかジェネの元気な姿を見ると安心するよ。少し遅くて悪いが食事を頼む」
「はい! 分かりました、少し待っててくださいね!」
ジェネは元気に返事をすると、駆け足で厨房へ入っていった。俺は何となく元気な妹を見ているようで嬉しくなり、頬が緩んでしまう。そういえば、マヤとリンも俺の妹か従妹のはずだが、そんな感情は沸いてこないな……。
「朝からご機嫌ですね、サイガ」
俺が厨房に向かうジェネの後ろ姿を眺めていると、マヤが声を掛けてきた。何故だか少し不機嫌そうに見えるのが気になるが……。
「おはよう、マヤ。体は大丈夫か、昨日の今日だ、あまり無理はするなよ」
「ありがとうございます。サイガは今から朝食ですか?」
「あぁ、昨日、少しリンと話し込んで、寝るのが遅くなってしまった」
「……そうですか」
俺の言葉に増々と不機嫌になるマヤに何と声を掛けようか悩んでいると、ジェネが食事を持って来てくれた。ジェネは少し話したそうだったが、俺たちの様子を見るとそのまま厨房に戻って行った。
俺が気まずい雰囲気の中で食事をする間、マヤはじっと俺を見ているだけで話し掛けることは無かった。俺は食事を終え、重苦しい雰囲気を振り払うように努めて明るくマヤに声を掛ける。
「マヤ、もし良かったら少し散歩しないか」
「そうですね、ご一緒させて下さい」
俺はジェネに食事のお礼を言うと、そのまま宿を出てマヤと一緒に村の中を散策する。中央広場から正門に続く大通りを2人で歩きながら村の様子を眺める……誰もが村の復興に向けて汗水を流し頑張っている。
「村の人たちは強いな……」
「そうですね、昨日、あんな酷い目にあったのに、皆さん、既に前を向き頑張っています」
マヤも同じ気持ちだったようで、俺の何気ない呟きに答えてくれた。その後、2人で目的もなく歩いていると、小さな広場を見つけたので少し休憩することにした。木陰にある長椅子に2人並んで座り、行き交う人たちを眺めているとマヤが俺に問いかける。
「サイガ、やっぱり、人間に戻るために魔神を探す旅に出るのですか?」
「そうだな、多分、出ることになると思う。1カ月後には俺が魔皇になったことが魔族領全土に布告される。そうなったら、どちらにしろ平穏に暮らすことはできないだろう」
魔神トガシゼンが1カ月後に御布礼を出したら、大勢の魔族が魔皇の称号を狙って俺に戦いを挑んでくるはずだ。そうなれば、魔族領全土からジュウカンに魔族が押し寄せ、その中には領民を人質に取るような卑劣な輩もいるかも知れない。……もうこれ以上、ジュウカンの領民に迷惑は掛けられない。
「……なら、私も連れて行ってください」
「駄目だ、危険過ぎる。いくらマヤが強かろうと、それは無理だ。それに……」
「それに魔法が使えないなら尚のこと無理ですか……」
マヤの言葉に俺は固まってしまう……。何も言えず立ち尽くす俺にマヤは悲し気に笑い、言葉を続ける。
「朝起きて、すぐに気づきました。魔法で水を出そうとしましたが何も出ず、他の魔法も同じく発動することはありませんでした。それに【占いの神の加護】も付与が外れたようです……」
マヤは俯き涙を堪えているのか、肩が少し震えている。俺は何と声を掛けて良いか分からず、ただ見つめることしかできない。しばらく沈黙の時間が続くが、急にマヤが顔を上げ俺を見つめる。星空のような黒い瞳に吸い込まれそうになり、俺が思わず視線を逸らそうとした時、マヤが口を開いた。
「サイガ、私はあなたが好きです。だから、一緒に連れて行ってください」
マヤに真っ直ぐ見つめられ、俺は何も言葉が出ない。ただ、頭の中はマヤの言葉で一杯になり、必死に理解をしようとするが心が追いつかない。何か言わなければならないはずだが、俺は何も言えずマヤを見つめる。
「サイガ、あなたは私の事をどう思っていますか? 記憶は無いかも知れませんが、今の気持ちを教えてください」
俺にとってマヤは大切な仲間で、守らないといけない大切な存在だ。だが、この気持ちが何か分からない……きっと【知識の神の加護】も教えてくれない。自分の言葉で伝えるしかないが、上手く伝える自信がない。
「……俺はマヤとは一回り以上も年が離れているし、多分、育ちも良くない。俺なんかが、マヤと釣り合いが取れるとは思えない。俺にできることは体を張って守ることぐらいだ」
何とか自分の想いを言葉にしながら話すが、どうしても上手に伝えることができず、俺はこの気持ちが分からず頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「……俺に出来るのは、守ることだけなんだ。マヤに何かを与えることもできないし、喜ばすような気の利いた言葉も言えない。きっと俺といてもつまらない」
静かに俺の言葉を聞いてくれるマヤを見ていると、記憶は戻らないが、気持ちだけは蘇る。俺は魔族で年齢も離れていて身分も低い鈍感な男だ。きっと、他に相応しい男がいると思うと、この気持ちを素直に伝えられない。
「サイガ、私はあなたが好きです。この感情はあなたがくれたんです……。何気ない会話、屈託のない笑顔、遠慮しない態度、全てが私にこの感情をくれました」
マヤの言葉に俺は何も言えずに俯いてしまう。本当に俺なんかで良いのか……。
「顔を上げて、サイガ。あなたがくれたこの感情を、あなたが否定しないで。私はサイガが好きです、大好きです!」
顔を上げると、マヤが目に涙を浮かべ俺に笑いかける……。俺はマヤの笑顔に応えたい……今のありのままの気持ちを伝える。
「……俺もマヤが好きだ、命よりも大切に想う。何も憶えていないが、この気持ちだけは思い出した。だが、俺は魔族でマヤを幸せにする自信がないんだ……」
「サイガ、幸せにしてほしいから好きになった訳ではありません。私は幸せになりたいから、あなたを好きになったんです。サイガ、自信なんて必要ありません。私には確信があります、あなたと一緒なら幸せになれます……」
マヤが泣きながらも懸命に笑顔を作る……。その姿を見た俺はマヤを抱き寄せると泣き止むまで、ずっと抱き締めていた。




