近江屋で語る竜馬の回想
翌日、竜馬は長着から取り出した拳銃を俺に見せている。寺田屋での一件でも、伏見奉行の捕り方と防戦する際にも使われたその拳銃であるが……。
「これは、長州藩の高杉晋作から送られたピストルでねえ」
「高杉晋作って、初めて聞く名前だなあ。長州藩については、御所周りの警備を行ったのでよく耳にしているのだが」
尊王攘夷派への容赦ない取り締まりを行う見廻組と新選組であるが、高杉晋作に関しては彼らにとって眼中になかったようである。
「まあ、京の都にあまり滞在しなかったら顔は分からないだろうけど。それはそうと、竜馬さんは高杉晋作のことは知っているのか?」
「知っているさ。去年の年初めに、幕府への考え方の違いで仲違いしていた長州と薩摩との間で盟約を結んだけど、高杉晋作は長州側でこの盟約を結ぼうと進めていた中心人物であるし」
薩長間の盟約は、竜馬も両者に対する仲介役の1人として大きく関わっている。そう考えると、高杉晋作が竜馬に拳銃を贈ったのも2人の間に信頼関係があったからに他ならないだろう。
竜馬が拳銃を長着の中へ戻すと、今度は別のものを取り出した。それは、大人にとっては不似合いな腹掛けであるが……。
「下のほう、なんか黄ばんでいるような……」
「はっはっは! わしは小さい頃、よく『よばあたれ』と言われたものでなあ」
「よばあたれ?」
俺は、竜馬が発する自分の知らない言葉に理解に苦しんでいる。そんな様子に気づいたのか、竜馬は俺に助け舟を出そうと再び口を開いた。
「寝小便のことを、わしの地元ではよばあと言う訳で」
「えっ? じゃあ、この腹掛けの黄ばみというのは?」
「わしは、12の頃までいつも寝小便を布団の上にしちゃってねえ」
腹掛けについた黄ばみは、竜馬が何度も寝小便を繰り返していたことを如実に示している。さらに俺が驚いたのは、竜馬が小さい頃に他の子から馬鹿にされていたという次の一言である。
「小さいときは気弱で、みんなから『弱虫、泣き虫、よばあたれ』と何度も言われたからなあ。そんなわしを叩き直したのが、姉上の乙女でしてねえ」
「そういえば、竜馬さんは姉上によく手紙を書いているようだが」
「まあ、わしが筆まめということもあるけどね。泳術も剣術も、姉上から厳しく教わったおかげで自信がついたわけで」
竜馬の口からは、幼少期の意外な事実が次々と飛び出してきた。けれども、姉上は竜馬に何でもかんでも厳しかったわけではない。
「それでも、寝小便だけは相変わらず続いていてなあ。でも、姉上はわしが寝小便しても全く気にしなかったよ」
「へえ、あんなに厳しかった姉上にそういう一面があるとは」
「だから、わしは1人で寝る時には着物を身につけないでこの腹掛けだけつけて布団に入ったのさ」
「ははは、翌朝起きたらでっかい寝小便をしていたわけだな」
「いつも川へ飛び込んだり、化け物へ小便を命中させたりする夢をよく見たからなあ」
竜馬は、小さい頃の恥ずかしい出来事もサラっと口にするのは近江屋という安息の地にいることと関係があるだろう。
「そんなわしも、12歳の秋に初めて寝小便をしなかった時には思わず大の字になって飛び跳ねちゃったよ。姉上も、わしのぬれていないお布団を見て喜びを隠せなかったなあ」
かつて敵だった俺を大らかな気持ちで受け止める竜馬との友情は、この後も永遠に続くと思っていたが……。