9話 元気だったかい?
「本当に私も同席するんですか?」
「客人の相手をするのが、本来の夫人の務めだろうが」
と、チカ様がおっしゃるものだから。
久々にお貴族ワンピースを着させられた私も、なぜかご相伴に預かることになった。
「やあやあ、ビビアナ。元気だったかい?」
「チカ王子、ビビアナ様、お久しぶりでございます」
ビビアナの元婚約者スター・アモーレと、泥棒猫聖女のアウローラ。
お久しぶりも何も、あの処刑(未遂)宣告の日から一か月も経っていない。
というか、このネーヴェ領に来るまでに二週間以上はかかるので、彼らも私たちが出発して一週間やそこらで王都を出発したはずである。
それなのに、私に対して清々しく挨拶ができるツラの厚さにある意味感動していると、今日も食堂でもふんぞり返ったチカ様が、長いおみ足を組み替えた。
時間も時間ということで、夕食を一緒に、というやつである。
チカ様は余所行き声ながらも、心の内を隠さないところが好き。
「で、はるばるこんな辺境まで、どんなご用件で?」
「それはもちろん、商売のお話でございます!」
ほらでた。スターの商売の話。
原作ウェブ版では、スターの持ち掛けた行商に、チカ様が難癖をつけて安く買い叩かれしまうということになっている。それを、アウローラが使用人らを味方にすることで、適正価格での取引を締結させるのだ。
だから、私は耳をダンボにしてチカ様とスターの会話を確認しようとするも……目の前に並べられる食事から目を外すことができなかった。
だって、何日ぶりのまともな食事だろう?
このスープ、飲んでもいいんだよね?
おそるおそるスプーンで運ぶと、コーンの甘みと温かさが体中に沁みわたる。
……おいしい。もう味が付いているだけでおいしい。
「王都からご引っ越し後、何かお困りのことはございませんか? 微力ながら、我がアモーレ商会でお手伝いできることはないかと思いまして」
でも、このスターの商談イベント、小説内ではあっさり終わっていたんだよね。
二巻発売のあかつきには、このあたりを加筆したいって作者さんがSNSで言っていたけど……ネット小説上だと、始めはチカ様に邪険にされるも、必死の交渉で信頼を得た、程度のイベントだったはず。
実際、チカ様も「まあ、待て」とスターの話を制止させる。
「せっかくだからあたたかいうちに召しあがってくれ。愛しのフィアンセが次のメニューを首を長くして待ちわびているご様子だ」
「へ?」
あら、いつの間に。
私は無意識のうちに、お皿を直接ベロペロ舐めていたようだ。
だってずっと、塩なし味なし蒸かし芋しか口にしていなかったんだもの……。
さすがに恥ずかしくて萎縮していると、スターがあからさまに睨んでくる。
……別に私、まだ何も邪魔してないよね?
こんな男のどこがいいのか、聖女アウローラを問い詰めてあげたいところである。
私にそんな義理、まったくないんだけどさ。
食事会の直後、私は部屋に戻る前に厨房へと足を運ぶ。
ここのシェフのご飯があんなにおいしいとは思わなかった。もうサラダもお肉もデザートまですべてがおいしかった。ぜひお礼が言いたい。できることなら、レシピを知りたい。なんなら残飯も貰いたい。余ったピラフをおにぎりにしてもいいですか?
と、戦うための明日の食料を確保すべく、私が厨房に向かっていたときだ。
だけど、お片付け中だろう厨房には、先客がいたらしい。
「恐縮です、聖女様からそんなありがたいお言葉をいただけるなんて!」
「いえ、わたしは思ったことを伝えたかっただけなの」
角からひょこっと覗けば、聖女アウローラのまわりに厨房担当者たちが勢ぞろいしていた。どうやら私と同じように「おいしい食事をありがとうございました」と伝えにきた様子。
今まで城外移動しか許されてなかった私が初めての城内で少し迷っている間に、聖女アウローラは世話役に案内してもらったんだっけ?
なるほど……こうやって、ネーヴェ城内の人心掌握をしていったんだね……。
別に、先をとられたとか、そういう嫉妬はない。好感度上げ、ご苦労様だ。
「それでも、なんか……ね」
この後に、いくら女主人になる予定とはいえ、殺人未遂を犯した悪女がお礼を言っても、気まずいのはシェフたちだろう。
私はこっそりその場を後にしようとすると、袖を引かれる。
エド君だ。厨房の和やかな人だかりを指して、私をまっすぐ見上げていた。
「おねーさんはいいの?」
「これでも空気は読めるつもりだからね」
そんなことより、そろそろ子どもは寝る時間なのでは?
私がご両親の所属を聞こうとするよりも先に、エド君がわざとらしいくらい明るい声音で話し始めてしまう。
「シェフのおじさんが、今日のマッシュポテトは特に力作だって言ってたよ! 丁寧に皮が剥かれているから調理がしやすかったって!」
「そりゃあよかった」
チカ様も食事の好き嫌いはないようで、備え付けのマッシュポテトまで綺麗に平らげていた。私が剥いたジャガイモが、チカ様の血となり肉となった瞬間を目撃したのだ。それだけで、私の三日の賃金として十分なくらいの報酬だ。
「明日からもがんばって働けそうだよ」
私はにっこり微笑みながら、エド君の頭を撫でる。
エド君は少しばかり複雑そうな顔をしていた。
もしや恥ずかしいのかな。かわいいお年頃だね。
昨日は久々にまともな栄養を摂取して、お腹も心もいっぱいになった。
そしたら、あとは働くしかない!
スターの野望の邪魔をするという崇高なる目的もあるけれど、でも昨日の話を聞いていた感じ、今のところおかしな取引をしている様子はなかった。
だから大きな動きがあるまで、しばらく様子見をしようと思っていたのだけど。
「さすがに、ヤバいよねぇ~」
私は自分の手を眺めながら、嘆息する。
あかぎれが我慢の限界だった。今日はまともに兵士さんたちの泥だらけ訓練着をひとりで洗えという。仕事内容が真っ当になってきたから、ありがたい話なのだけど。
「これもチカ様のため……チカ様のため……」
いざ――と、私が手を冷水に浸けようとしたときだった。
まだ朝早いというのに、いつの間にか隣にいたエド君が私の手を引っ張る。
「おねーさんも聖女様に治してもらおうよ! 今からお庭で、聖女様が庭師さんのお膝の治療をするんだって!」
「え、やだ」
おはよう、と挨拶する前に、思わず真顔で否定してしまった……。
聖女アウローラの祈りは、その涙に宿るという特別仕様。
彼女の流した涙に高い治癒力と浄化力があり、それが人々の病や怪我を治すのだ。
まさに小説のタイトル『アウローラの涙』まんまだね。
なので、私のあかぎれを治してもらうには、彼女に泣いてもらわなければならないわけで。
……や、そんなの癪だから。
小説内の女主人公だけど、ラストでチカ様を退治してしまう女ぞ?
どうして私が、そんな女に慈悲を乞わねばならないのだ。
「こんな傷、舐めとけば治る!」
と、本当に舐めてみせようとしたときだった。
「じゃ、俺が舐めてやろうか」
そのこぶしが、私よりずっと背が高い誰かに掴まれて。
魅惑ハスキーボイスの持ち主を私が聞き違えるはずがない。
今日も麗しいチカ様が、私に見せつけるかのように「チュッ」と私の手のそばでリップ音を立てる。