8話 おまえ、顔がこわいぞ?
私をいじめるご趣味を楽しむマーラ侍女長が、スタコラサッサと逃げていった。
なぜだろう……もちろん私は魔法なんて使えないし、別に般若を発動させたりもしてないぞ? 別にこの程度の嫌がらせ、前世の親に比べたらカワイイものだからね。
ともあれ、おやつを見逃してもらえたのは僥倖だった。それでも、六歳のエド君には怖い思いをさせたに違いない。
私は姿勢を元に戻し、エド君にやんわり謝罪する。
「ごめんね。私のせいで怒られちゃったね」
「それより……おねーさんは大丈夫?」
「ん、私?」
エド君は非常にあっけらかんとしているどころか、私の心配をしてくれるらしい。
ずいぶんと将来有望なショタである。
「大丈夫。少し前までは、こんなの日常茶飯事だったからね」
「……ぼく、公爵を呼んで来ようか?」
「チカ様とお友達なの?」
「まあ、そんなとこ!」
なんとチカ様、使用人の子供(仮定)にまで好かれているとは⁉
さすがチカ様である。全人類チカ様の愛の奴隷になる日も、そう遠くないのかもしれない。
私はそんな素敵な未来を妄想しつつ、鞄代わりに支給されていた革袋を差し出す。
「それだったら……代わりにお願いしたいことがあるんだけど」
その、二時間後。
さすがに皮のついていない芋がなくなり、今度はたまねぎの皮剥きを任されていたときだった。背後からズバンッと肩を叩かれる。地面に落ちたのは、私がエド君に託したはずの革袋だった。
そして、怒鳴ってくるのは――
「ガキにきもちわりィこと頼んでんじゃねー」
「チカ様⁉」
気持ち悪いことって!
ただチカ様の執務室の空気を入れてきてって頼んだだけなのにっ⁉
寝室でない分、自制したほうなのに⁉
でも優しいチカ様のことだから、ちょっとくらい入れてきてくれたんじゃないかと革袋の中をハァハァ吸っていると、チカ様が頭をガリガリ掻きながら嘆息する。
「……おまえ、何か俺に報告することは?」
「今日も生きていてくれてありがとうございます!」
「俺はそんなに頼りない主かねぇ」
そして、チカ様が私の両肩に手を置いてきた。
「いいか、よく聞け」
そ、そんな至近距離で見つめないでください……。
ムスクの香りとチカ様の赤い眼差しに、呼吸を止めた私は大発見をする。
チカ様のお肌は、夕方になっても毛穴、ひげ穴が見えないだと⁉
「俺の妻になる以上、おまえは俺のモンだ。俺は俺のモンを傷つけられて笑っていられるほど、器がデカくねぇ。わかったな?」
「かしこまりました! 私が死したときには臓器はもちろん髪から爪まですべてチカ様のお好きに売り捌いてくださいませ!」
どんな死に方だろうとも、全身焼死体にでもならない限り、どこかしら売れる部分は残るだろう。そんな希望を胸にチカ様に訴えると、なぜかチカ様は再びため息を吐かれてしまった。
「……全然わかってねぇ」
そのときだった。
少し慌てた兵士さんが、チカ様を追ってやってくる。
「公爵、お客様が公爵にお目通りしたいと!」
「誰がこんな時間に?」
舌打ち交じりに振り返るチカ様も、やっぱりカッコいい!
夕陽に照らされた銀の髪に見え隠れする首筋に見惚れていると、兵士さんがチラッと気まずそうに私を見た。
「スター・アモーレ次期男爵と聖女アウローラ様です」
☆
【原作小説『アウローラの涙』、第二幕、一章のあらすじ】
ビビアナ・ネロとの婚約破棄に成功したアウローラとスター。
だけど彼らの愛の試練はまだまだ序盤。侯爵家のと縁が反故されたとして、スターの父親であるアモーレ男爵に無茶難題を言いつけられるのだ。
『もしも、本当にこの女と結婚したいなら……ネーヴェ領主との商談を成功させてこい!』
当然、このネーヴェ領主とは、チカ様のこと。
ちなみにこの世界。治癒の魔法を使える『聖女』という魔法使いはそこそこおり、アウローラに飛びぬけた浄化能力があることを知っているのは、スターだけ……ということになっている。アウローラが昔から何者かに命を狙われており(元王女のため)、過度な能力がバレたらより危険な目に遭うことを危惧しているからだ。
スターはアウローラを幸せにすべく、過酷な辺境の地ネーヴェに馬車を走らせる。
『スター、わたしのためにお父様と喧嘩するなんて……』
『どのみち、このまま王都にアウローラを居させるのは危ないと思っていたんだ。安心してくれ。ネーヴェで大成功を治めて、必ずぼくとアウローラのことを、父さんに認めさせてやる!』
☆
というわけで、やっぱりストーリー通りに進んでいるのなら、のちのちチカ様も彼らに討伐されちゃうわけで。
「……おまえ、顔が怖いぞ?」
「気のせいですよ」
たとえチカ様に『顔がこわい』と言われようが、構うもんか。
だけどひとまず、食堂からいい香りがする。
……まずは、腹が減っては戦ができぬ、というやつである。