6話 まるで奥さんみたい♡
このネーヴェ領は、大きな山と山に挟まれたいわゆる盆地のような場所にあり、日中夜の寒暖差がとても激しい場所である。さらになぜか作物などを植えてもすぐに枯れてしまうらしく、とても人間が暮らしにくい辺境――という、嫌われている土地だ。
「それなのに、おまえは今日も楽しそうだなァ、オイ」
「私、チカ様のパンツを洗ってる……♡」
まだ陽が昇って間もない時間。私はせっせと洗濯ものに勤しんでいた。
長袖とはいえ、メイド服の生地も厚手のシャツくらいだからけっこう寒かった。しかも、こんなファンタジー世界に洗濯機なんてあるはずがないから、大きな金ダライと洗濯板での手作業だし、水だって当然冷たい。
そんな中、厨房裏で洗濯している私に、チカ様がジト目を向けてくる。
「なんで公爵夫人になるおまえが洗濯をしてんだ?」
「お気になさらず。けっこう楽しんでいるので」
だって、チカ様のパンツを洗えるのだ!
これぞ奥さんの特権! すっごく奥さんっぽいぞ!
さらに今日は朝からチカ様が様子を見に来てくれたし!
チカ様に会うのは、ここに来てぶりだから……三日ぶりかな。引っ越ししたばかりで、引継ぎとか食事をとる暇もないくらい、とてもお忙しくされていると話だけは聞いている。
あぁ、三日分年を重ねたチカ様。鼻頭を赤くして、白い息を吐くチカ様はまさに国宝です。さらに毛皮のコートを羽織って、とてもセレブリティ。
どんなホストもひれ伏すしかない色気を放つチカ様が、こんな真っ赤なふんどしを履いているなんて……♡ と、せっせか綺麗にしていると、チカ様の鼻で笑う声が聞こえる。
「残念だが、それは俺のじゃねーよ」
「えっ、じゃあ、誰のです?」
「さぁな」
そうして、チカ様が踵を返す。
それでも、私は「まあいっか」と心がホットのまま洗濯を続けた。
誰の物であろうと、チカ様のために働いている人には違いないし。
つまり、このパンツを洗うことはチカ様のためになるということだ!
さらに朝ごはんとして、蒸かしたジャガイモがひとつ貰える対価としては、悪くない仕事である。
そんなジャガイモの皮も、全部私が剥いている。
「このジャガイモが、チカ様の血となり肉となり……」
「というか、夫人はいつまでそんな作業を続けているんだ?」
一日懸命に働いていれば、あっという間に日が暮れる。
チカ様の古城で何人働いているのか知らないが、その全員分の野菜を剥くだけで一苦労だ。そんな苦労をするのが下っ端メイドの役目と、私はメガネ侍女長のマーラさんに言われるがまま、日中ずっと野菜の皮を剥いていたのだ。
「花嫁修業だそうです」
「おまえは料理人の妻になったのか?」
「チカ様お手製のご飯なんか食べたら死んじゃうかも。死因・幸福過剰症♡」
私は一旦手を止めて、チカ様を見上げる。
「それはそうとチカ様、もしかして眠れないんですか?」
「最愛の妻を城内で見かけないから、また浮気でもしてるのかと様子を見に来ただけだ」
「おうふっ」
最愛の妻だなんて……。
私はリップサービス致命傷を負った……のはさておいて。
浮気だと? しかも『また』浮気?
ちなみに、この厨房裏。私以外の人が来るのは、私に指示をくれるマーラさんか、ゴミ捨て当番さんくらいである。よって、浮気以前に私はほぼ誰とも会わない一日を過ごしている。
まあ、私ことビビアナ・ネロは聖女を殺そうとした悪女だからね。その噂は辺境の地でも伝わっているらしく、みんな私のことを怖がっているらしい。ゴミ捨ての人たちも、みんなわざとらしいくらい視線を逸らして、足早で通り過ぎる。外聞も減ったくれもない。
そんな私を、わざわざチカ様が気にかけてくれているだと?
しかも、まるで私を心配しているようなこともおっしゃるのだ。
「まあいい。それは誰からの命令だ? 即刻解雇を――」
「え、私のジャガイモ……チカ様食べてくれないんですか……?」
元より、前世社畜アルバイターだった私に、公爵夫人らしく「うふふ」「おほほ」などできないと思っていたのだ。
だけど、こんなメイド仕事ならできる! 私でもチカ様の御役に立てるぞ!
そう、せっせと働いていたのに!
「ご安心ください。あなた様に『死ね』と命じられない限り、私はチカ様の御食事のために、せっせと野菜の皮をむき続ける所存です!」
「ちなみにおまえとジャガイモ、どっちを食べてもらいたい?」
チカ様がまたしても私の両頬を手で包んで、ガウッと噛みつく真似をする。知らなかった……犬歯が大きい。かわいい。しかもコートから出したての両手は、すごくあたたかい。
だけど、私を舐めないでほしい。
私は愛されるよりも愛したいタイプなのだ。
「ジャガイモっ‼」
そもそも、ビビアナの細い身体は、お胸以外にまともな可食部分ないもの!
私が半泣きで訴えると、なぜかチカ様のほうがたじろいでしまった。ちらりと横目で並べてある籠を見ては、形のいい眉をしかめる。
「……だが、それは何日分だァ、おい」
朝のお洗濯が終わってから、ずーっと剥き続けていたのだ。別に皮むきも苦手じゃないからね。大きな籠十個分くらい、たくさん皮むき済みの野菜が入っている。ま、これでもノルマは三分の二が終わったくらいだけどね。
「すみません、私はこのお城に何人いるか存じませんので計算ができません」
「……とにかく、今日はとっくに終業時間だ。早く休め」
「でも、ノルマがまだ――」
「『チカ様』の命令が聞けないのか?」
そんな一人称『チカ様』なんてかわいいことを、言われてしまっては……。
私の答えは一つしかなかった。
「聞きまーす♡」
しかし翌日。今日も私はまだ陽も昇っていない起床時間前に叩き起こされた。
「仕事を途中で放り出すなんて、どういうことですか⁉ 今日の食事は抜きですからね!」
「あらら」
……まぁ、こうなることは読めていたよね。
でも、チカ様に休めと言われたんだもの。一日絶食になったとて、悔いはないけど。
侍女長マーサ・サーラさん。年は四十代後半くらいか。
まだ年寄りってわけでもないのに、随分早起きのようである。
わざわざ、熱心なことで。