30話 婚姻届けの死闘
「書け!」
「いやぁ、私、文字が書けなくて~」
「侯爵令嬢だった人間が、なに言ってやがる」
えぇ、実際。いくら魔力なしと疎まれていたビビアナとはいえ、最低限の家庭教師はつけてもらってましたとも。学もないんじゃ、嫁ぎ先なんて見つからないからね。
しかし、私の言い訳レベルはこの程度じゃないぞ?
「でも私、転生してまだ半年の赤ちゃんですから。まだこの世界のことが――」
「ほれ、これはなんて書いてある?」
チカ様は紙にスラスラとペンを走らせると、私にズンッと差し出してくる。
それに書いてある言葉に……私はみるみる顔が火照るのを隠せない。
「はうわ……チカ様、なんて破廉恥な……♡」
「読めてんじゃねーか」
……そりゃあ、しっかりとビビアナの知識や能力も受け継いでいますからね。そんなチートがなければ、おそらく皆様の喋っている言葉も理解できなかったのではなかろうか。さすがに物語の世界とはいえ、日本語ってわけではないようだし。
ともあれ馬車旅の道中、私はずっとチカ様に強要され続けているのである。
そう――婚姻届けへのサインだ。
私たちの契約結婚は、急だったこともあり、口約束にすぎなかったのが現状だ。
しかしチカ様、どうやら本気らしく、この王都行きを機に、正式に籍を入れようとしているらしい。
チカ様が半分記入済みの婚姻届けをピラピラと見せびらかす。
「ほら、あんなにも欲しがっていた俺のサインが、ここにあるぜ?」
「……でも、それ提出しちゃうやつじゃないですか」
「なら二枚同じもの書いて、一枚ずつしよう。俺とお揃い、嬉しいだろ?」
たしかに、チカ様とお揃いの物とか、家宝にするしかないやつである。子々孫々を継いでいって、そのうち国宝にするしかないものであるが……。
だけど、私は騙されない。
「そのチカ様の分、提出しちゃいますよね⁉」
すると、チカ様が舌打ちなさる。「バレたか」じゃないです。お揃いは失神するくらい嬉しいのですが、提出されたらお揃いにならないです……て、そういう問題じゃないか。
とにかく私は婚姻届けのサインに、頑固拒否を貫いていた。
正直、ツラい……。
チカ様とランデブー。本当ならチカ様のうたたね顔や欠伸をこの目のシャッターを切りまくるところなのだが、それどころではない。
よりにもよって逃げ場のない狭い馬車の中で、どうしてこんなに横暴なんだ⁉
「そもそも別に、婚姻届けって王都じゃなくても提出できるのでは⁉」
「一般の窓口は各役所にあるが、これでも元王子だったんでね。最終的な届けは全部王城に行くんだ。直接手渡しして仕事を減らしてやるという上司の優しさじゃねーか」
得意げなチカ様のお顔もキュートなのですが……。
そろそろ、私も我慢の限界である。
「ああいえばこういう!」
「あぁ、似た者夫婦だな!」
チカ様と似ているとか、なんたる光栄……!
だけど、今はまるで嬉しくない……。
私が情緒の限界で「うがー」していると、頬杖をついたチカ様の声のトーンが下がる。
「……どうしてそんなに嫌がる? 俺のことが好きだってのはウソだったのか?」
「はあ? チカ様への愛なら毎朝十回ずつお天道様に向かって叫んでますが?」
「あぁ、聞こえている。いつも目覚ましご苦労さん。ただ旅の間はやめろ。近所迷惑だ」
かれこそネーヴェ城を出てから三日は経ちましたが、日課を一日たりとも欠かしたことはございません。チカ様のことはお慕いして存じます。
……推しとしてね。チカ様は素晴らしい人ですもの。
私なんかと釣り合うはずがないくらい、尊い御方ですもの。
結婚したけど、やっぱり離縁とか、どの世界でも悲しいよね。
だったら、始めから生涯末永く一緒に居られる人と結婚するべきだ。
――こんな、いつ死ぬかわからない女じゃなくて。
チカ様の声が、少し寂しげだった。
「……俺からの愛が足りないか?」
「……そうですよ、私なんぞがチカ様に愛されるはずがないんです! チカ様がなにか勘違いしているんです⁉ それこそ王宮のパーティーには私なんかよりステキな令嬢たちがごまんと……」
「言ったな?」
途端、チカ様がニヤリと口角をあげる。
そしてすぐさま、馬車の外で馬を走らせるダビデさんに命令を下した。
「兄上に手紙を届けてくれ。やっぱり俺の帰還パーティーを開いてほしいと」
「へ?」
なんですか、それ。
帰還パーティー? チカ様そんな宴好きでしたっけ?
ダンススーツを着て、シャンデリアの下で踊るチカ様とか……公式シーンにはありませんでしたが、そんなの絶対にスチル確定の美美美なシーン間違いなしじゃないですか!
と、私が妄想している最中、チカ様が私に対して不敵に笑う。
「俺がどんなにおまえに惚れているか、目にもの見せてやる」






