21話 チカ様の口から可愛い言葉
冥界の入り口――すなわち、塩湖にはたくさんの人々が集まっている。
「濾過する場所がこのくらいと想定すると、施設全体の大きさが――」
「その後、高火力の炎に耐えられる材質になりますと、ここらが最適――」
正直、私に本格的な塩づくりの知識はない。ただの主婦の知恵やらマメ知識レベルである。
なので本格的な事業の開始や、工事となってしまえば、お役御免なわけで。
呼び寄せた専門家と難しい話をするチカ様、かっこいい……。
と、遠くからたまに見つめながらも、私もせっせと働いていた。
「みなさーん、食事休憩の時間ですよー」
腹が減っては戦はできぬ。
もちろん前世ジャパニーズな言葉だけど、私は昔から、なんやかんやこの言葉が好きだった。
どんなにツラい時も。どんなに悲しい時も。
とりあえずお腹がいっぱいになれば、それだけで心があったかくなるものだ。
だけど、当然作業員数十人の食事をひとりで用意することはできないから、私はその一助となるのみ。しかも無駄に『公爵夫人候補』ということで、野営で火や包丁を使わせてもらえなかった私が担当するのは、食事に葉っぱを添えるだけの役。
それでもわずかな休憩時間にチカ様自ら配膳の列に並び、私のところに顔を出してくれるチカ様はさすが気遣い上手。
「だから、おまえの思う夫人の仕事はなんなんだ?」
「チカ様のために働く人たちの空腹を満たし、より一層効率的にチカ様の役に立つよう人材管理をすることです」
「そう弁を立てられると、まともに聞こえるのが始末に負えねーなァ……て、ただの葉っぱかよ。こんなもの、女子供に食わせとけ」
ただの葉っぱとは失敬な!
料理長さん曰く、新鮮な葉物野菜を仕入れるのは、この辺境の地ではすごく大変って言っていたぞ。
……てね、チカ様検定初級の人なら、思うのかもしれないけど。
チカ様のことだ、貴重な食材は女子供に食べさせてやれってことでしょう?
素直じゃない優しさに、思わずニヤニヤしてしまう。
「はいはい、こう見えてビタミンやカリウムが豊富なんですから。たまには葉っぱも摂らないとイライラしちゃいますよ~」
そう言いながら、私は無理やりチカ様のお口に和え終えた葉っぱを突っ込んだ。
シャキシャキ。むしゃむしゃ。
チカ様のお口の中から聴こえる音はオーケストラ。
だけど渋い顔が一瞬、驚きに変わる。
「この葉っぱ、やたら美味いな」
「こっそりチカ様がお作りになった塩をかけただけですよ。そりゃあ、チカ様が作ったんだから美味しいに決まって――」
「そうじゃなくて」
チカ様はもしゃもしゃと葉っぱを咀嚼してから「たしかにな」と頷かれた。
「こうしてシンプルに食べてみれば、おまえが『甘い』と言っていたのもわかる気がする。というか、料理界に革命が起きるぞ」
途端、チカ様が私が混ぜ混ぜしていたボールを抱えこんでしまった。
え、それ全部ひとりでお食べになるんですか?
構いませんけど。本望ですけど。
でも、一人の人間として、やはり疑問に思ってしまうのだ。
「そんなに?」
「サラダといえば、油ギトギトのドレッシングをかけるのがセオリーだろう。対して、塩だけでこんな上手くなると知れ渡ってみろ。体型が気になるミセスやレディたちの顔が目に浮かぶじゃねーか」
「なるほど?」
たしかに異世界食文化には未だ疎い私だ。まあ、前世の貧乏人根性が抜け切れておらず、ドレッシングより塩のほうが安かろうという馴染みだっただけだけど。贅沢するならキャベツに塩昆布だよね。
そんな懐かしい食卓を思い出していると、チカ様に「ちょっと来い」と腕を引かれて。
さすがに、チカ様に腕を引かれることに慣れてきた。
えぇ、慣れましたとも。この鼓動の速さ。一気に血圧が上がって脳卒中になるまで六〇秒くらいは耐えられます。
だけど、これは聞いていない!
人気のない仮建設中の休憩所裏で。
私の足の間にチカ様の膝を入れられるなんて、こんな破廉恥は聞いてないぞ!
「改めて問う、おまえは何者なんだ?」
「転生者ですぅ」
しかも当然のように顔が近いから、思わず目を瞑ってしまう。
「は?」
「違う世界で暮らしていた女の魂が、このビビアナさんに宿ってしまいましたぁ」
はう……チカ様のえっちは尊厳の死。
脳がとろけた私は己の境遇をペラペラ吐露する。
転生じゃなくて、憑依かもだけどね。そこは語感重視ということで。
だけど、思考が止まったのは私だけではないらしい。
珍しく言葉を返してこないチカ様に、私がおそるおそる目を開けば。
チカ様が、珍しく目を丸くしてどもっている。
「お、おまえ、先詠みだって……」
「未来を知ることもできるし、違う世界のことも知ってる……あぁ、これってもしかしたら前世の記憶ってことになるかもですね」
物は言いよう。
そう考えると、地球の小説家たちもよく考えたものだ。おんなじ状況を色んな言い方をすることによって、あたかもガワが変わったように見せているのだから。
チカ様が何か言いかけたときだ。
「チカ様! 緊急のご報告が!」
メッシュの入った鷹のような鳥がチカ様の肩に止まる。
その光景だけ見ればとてもワイルド&ファンシーできゅんきゅんしてしまうところだけど、喋る鳥ことエドワルドさんの固い声音に、チカ様も真面目に取り合う。
「どうした?」
「南方の村で、瘴気による病が蔓延しているようです!」
ねぇ、チカ様。
どんなに脳がとろけても、あなたに秘密にしておきたいことがあるの。
あなたの悲しい未来を、私は知っている――
どんな尋問をされたって、絶対に言うつもりはない。
だって無意味だもの。
そんな未来、私が変えてやるんだから。






