16話 チカ様だってお年頃
先ほど、エド君ことエドワルドさんが言っていた。有能の所以は仕事を取り掛かる早さだと。なので、多少びっくりされても隣領の焼き討ちを実行しようと踵を返せば、頭を抱えたチカ様から「待て」かかる。
「なぜ物騒になる?」
「そもそも川の汚染、隣領の嫌がらせですよね?」
私は指をポキポキ鳴らしながら、ノンタイムで答えた。
川の汚染の理由は、隣領が工業用水を川に垂れ流していることが原因なのだ。
それをやめてもらいたければ、処理施設でも建設しろ――と、前領主が脅された結果、前領主はあっさりと水の買取に逃げたのである。ま、このファンタジー世界で浄水施設やら下水道を爆誕させろと言われても、転生者とかでなければ無理だわな。前の領主、渋々ここを治めていただけでやる気がなかったって小説で言っていたし。
チカ様が一瞬私を瞠ったかと思えば、まさに小説内と同じことを言う。
「前領主が適当な交渉もしやがって。今回は俺の私財から払っておいたが……これがずっと続くなんざ、相当な痛手だな。早急にどうにかしないと――」
「そこで、ご提案があります。チカトリィーチェ公爵」
私とチカ様の希少な会話シーンを邪魔しないでほしい。
それだけでこの無駄にセットされた頭をぐしゃぐしゃにしてやりたいところだが、さらに聖女アウローラまで口を挟んでくる。
「わたしの涙で、川の水をきれいにすることができると思います」
あくまで、それは善意の慈悲であるかのように、控えめに。
対して、交渉担当であろうスターは無駄に鼻高々である。
「ま、当然タダでとは言いませんが。彼女は俺の婚約者ですから、アモーレ家と契約条件を結んでいただきます。もちろん、こんな下人風情な待遇も改めていただきますがね」
「詐欺してたやつが、えらそーに」
ボソッと呟いたチカ様にも、スターは余裕で笑みを深めるだけだった。
「ご安心ください。今度はお友達価格にしますよ」
さて、こんな頭お花畑の目論見通りにいかせるわけにはいかない。
私は知っているのだ。だんだんと調子に乗ったアモーレが『アウローラの慈悲にこれだけの価値しかないだと⁉』などと、すぐ値上げに走ることを。小説内だと、いい感じにチカが安値で買い叩いたことになってしまうのだけどね。
さて、この詐欺野郎……どう調理してやろうか……。
そう般若を発動させていたときだった。チカ様が私の髪をすくって口づけしてくる。
「おまえには退屈な話だ。部屋に戻ってろ」
「で、ですが――」
「俺の言うことが聞けねーのか?」
チカ様に出ていけと言われたら、出ていくしかない私だけど。
だからといって、ほっとくわけにはいかないぞ?
チカ様を悩ませる存在など、全員処して差し上げなければ!
不本意ながら、私の今のポジションは『チカ様の結婚相手(候補)』となっている。
なので『奥様』と呼ばれたりすることもあるけど……基本的に頼める相手には『ビビアナ』と、名前で呼んでもらえるように頼んである。
「ビビアナ様……顔が怖いですよ?」
「へ?」
仰々しい敬称が付いちゃうのは、百歩譲っているのだけど。
ともあれ、私は言われた通りにお鍋をゆっくり混ぜているだけ。全然、顔がこわばる作業ではない。
今日のディナーはシチューらしい。無駄な取引をやめたと言っても、買ってしまった根菜類はまだまだたくさんあるわけで、今日のメニューはブイヨンを使ったシチューとなった。
お水問題を解決したら、スパイスなどの仕入れを増やすことはできないだろうか。
私、カレー作りが得意なんだよね。保存が効くから。まとめて作って置くと、時短と節約に大助かりの節約メニューだったのだ。
カレーと一口にいってもたくさんの種類があるから、郷土料理的な感じで広めちゃったらどうかな。あの匂いを一度嗅いだら忘れられないと思うから、観光客なんかにもウケるのでは? あと、人類皆カレーが好きなはずである。チカ様もきっとお気に召してくれるに違いない。
「だけど、スパイスがな……」
「味、薄いですか?」
やっぱり敬語での対応は続くようだけど。
私ができることは、誰に対しても丁寧な態度を貫くだけ(※ただし、チカ様の味方に限る)。
「いえ、そんなことは……」
だけど、私は思わず言葉を途中で止めてしまった。
正直言って、前々からここの料理は味が薄いなと感じていたのだ。
私自身は、前世からの習慣で慣れているんだけどね。
でも、チカ様の年齢は二十代前半。しょっぱい味を好むお年頃のはず。
ならば出しゃばりであろうとも、味の助言はれっきとしたチカ様へのご奉仕だ。
「正直なところ、チカ様も歳盛りの雄々しき男性なので、もう少し塩分を増やしたほうがお口に合いそうな気がします」
「それでしたら、公爵とビビアナ様のお皿にだけ塩を足しましょうか」
「お鍋に直接足しちゃうのはダメなんですか?」
だってどうせなら、美味しいものはみんなで共有したいもの。現に料理もおひとり分だけでなく、チカ様の料理も使用人たちの分も、あまり変わらないものが提供されている様子だ。
前領主のときは違ったらしいけど、節約と使用人らの健康管理を兼ねてと、これもチカ様のご指示なんだって。さすがチカ様。有能すぎる。
だけど私の疑問に、料理長の眉がひそめられた。
「塩は貴重ですから」
えーと……つまり、塩が高いから鍋にドボドボ入れられないよってことだよね。
仮にもここは公爵様が治めるお城ぞ? と目を丸くしていると、料理長さんが苦笑した。
「ははっ、都会のお嬢様だったビビアナ様が知らなくても当然かと思いますが……スパイスと同様に、この国は塩は他国からの輸入に頼っていますからね。どうしても辺鄙なこんな場所だと、輸送費もかさんで値段は上がってしまうものでして」
言われてみれば、前世の塩事情だって輸入が大半だったはずである。
スーパーで買うお塩は、一般庶民からしたらそこまで高い物ではなかったけどね。でも食生活の必需品には違いないから、これが高額だったら前世の私は飢え死にしていたかも。お塩ふりかけご飯は給料日前の御馳走だったもの。
「お塩が、貴重……」
だけど塩が、この地域でも貴重?
なんかしっくりこなくて、私は色々と考える。
この地域の事情、気候、土地柄……小説で読んでいた光景を実際に目の当たりにしてきて。
チカ様との思い出を振り返って、私はとある光景を思い出す。
「これだっ!」
私は思わずお玉を鍋に放り入れて、料理長さんの両手を握っていた。
「さすがチカ様胃袋守護隊長、ありがとうございます! これでチカ様をお救いできるかも!」
「え、おれ、そんな役職でしたっけ?」
料理長から出世した隊長が目を丸くしているけど、私は細かいことは気にしない主義だ。
チカ様の幸せの前なら、他人のことなどすべて些事に過ぎないよね!






