1話 俺との結婚を命じる
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「悪女ビビアナ・ネロ! チカトリィーチェ殿下の前で、婚約破棄に同意していただこう!」
「チカ……殿下?」
頭がすこぶる重い。
ここは一体どこなのだろう。まるでファンタジーに出てきそうな立派な応接間だ。
どうして、私を「ビビアナ」と呼ぶ茶髪の男に、私は髪を引っ張られているのだろう。
どうして、私のそばにいる水色髪の女が、『わたしが悲劇のヒロインよ』って顔をしているのだろう。
だけど、そんなことはどうでもいい。本当にどうでもいいのだ。
だって、今、私の目の前に。
夢にまで見たあの御方が、偉そうにふんぞりかえっているのだから!
私は歓喜のまま、愛を叫ぶことしかできなかった。
「そんなことより、あなたが好きです!」
「はあ?」
アッシュグレーの癖のある長髪。ややタレ目から輝く情熱的な赤い瞳。アルビノ配色は儚いはずなのに、生気が満ち満ちた凛々しい体躯としっかり日に焼けた肌の色。所々に傷跡が残っているのもワイルドすぎる!
そんな憧れのチカ様が、ハスキーボイスで私に「はあ?」と言葉を返してくださった。
私の人生、幸せでした。……もうこの世に悔いはない。
だから最後に、とりあえず私の髪を掴む邪魔な男をペイッと捨てて。
改めて、この世のすべての美を集めた結晶たるチカ王子に平伏した。
「生まれてきてくれてありがとうございます! もし宜しければ、そのまま長いおみ足で私のことを踏んづけていただけないでしょうか⁉」
「……おまえ、自分の立場わかってんのか?」
「チカ様の前に存在することを許されただけで光栄な虫けらでございます! さぁ、そのままぜひ踏みっと……どうしよう、想像するだけで鼻血が出そう……」
「もう一度聞く。おまえは、自分の立場をわかっているのか?」
しまった! 私としたことが、チカ様からの質問を失念してしまうなんて!
イライラとするチカ様ももちろんカッコいいのだけど……チカ様の機嫌を損ねる存在なんて、この世から消滅してしまえばいい。私を含めて。
だけどチカ様が再度訊いてくださったということは、こんな愚かな私めにやり直すチャンスをくださったということ。はぁ、お優しい……ぶっきらぼうで尊大な素振りを一切隠さないのに、その性根はめちゃくちゃ優しいチカ様……しゅき……♡
そんなチカ様の恩情に報いるべく、私は頭を床に擦りながら丁寧に応対する。
「恐らくでございますが、私はネット小説『アウローラの涙』に登場する悪役令嬢『ビビアナ・ネロ』に転生したのだと思います」
私の言葉に「は?」と疑問符を挙げるのはチカ様だけではなかった。
そーいや、この場にはビビアナの婚約者だったスター・アモーレ(私の髪を引っ張っていた男)も、その浮気相手である物語の主人公・聖女アウローラ(悲劇のヒロイン女)も、ポカンと私を見下ろしていた。……ま、浮気者や泥棒猫が、真実の愛に目覚めたなんて知ったこっちゃないよね。チカ様を前にすれば、全員へのへのもへじだ。
「『アウローラの涙』は投稿されるやいなや、三日で日間ジャンル別ランキング一位、一週間で週間総合ランキング一位、十日で月間総合ランキング一位、二週間後には『書籍化・コミカライズが決定』と公表された化け物小説です。そして、その半年後にいよいよ書籍発売とキャラクターデザインが公表されたところで、前世の私はトラックに轢かれて死んでしまい……どうやら第一幕の終盤にある『ビビアナ・ネロの婚約破棄シーン』に転生したようですね」
書籍一巻では、この第一幕を元に改稿したストーリーが掲載されると、著者がSNSで発言していたので、今は一巻ラストの盛り上がりシーンなのだろう。
私が説明の途中で酸素の補給をさせてもらえば、チカ様がポロっと感想を零す。
「頭イカレてんのか、こいつは……」
「え、チカ様を前にして平常でいられる女が、この世に存在するのですか?」
さも当然な真実を指摘されましても……。
私の心からの素朴な疑問にチカ様はため息を吐いてから「続けろ」と命じてくる。
なので、私はその命に従うのみだ。
「このままネット小説通りにいけば、私はこのまま聖女アウローラを殺そうとした罪で、この後チカ王子から処刑を言い渡されるはずなのですが……」
ちなみに補足するなら、ビビアナは聖女アウローラの殺害に失敗したあげく、彼女の顔に傷を残したとして、現婚約者であるスターから婚約破棄&ビビアナの処罰を申し出されているシーンなのだ。婚姻の契約は皇族の管理するところなので、こうして国王の名代として、チカ殿下に同席いただいているのである。
怪我させたのはビビアナであって、私ではないとはいえ……一応、今も「処刑なんて大袈裟です!」と慈悲の心を訴えてくれている聖女アウローラの顔を窺ってみる。
怪我といっても、目の下にうっすら傷が残っている程度だ。チカ様にもその場所に傷跡があるよね。チカ様とお揃いだなんて、羨ましい! めちゃくちゃ羨ましい!
しかし、事情があったとて、女性の顔に傷を残した罪は、やはり相当重いのだろう。……表向きはね。
「アウローラさん、私なら大丈夫ですよ」
だから、私は聖女アウローラに、にっこりと微笑んでみせた。
別に、すでに一度死んでいるのだ。また他人として死ぬなんて些末なことでしかない。
だってその対価として、リアルチカ様をこんな間近で拝めたのだから!
あぁ、ありがとう、神様!
死ぬ前のご褒美、しかと受け取りました!
しかし……罪深い悪女として、もうひとつだけお願いしたいことがある。
「ただ願わくば、死ぬ前にチカ様をガン見してもいいですか?」
「……すでに見てんじゃねーか」
あああああああ、ジト目なチカ様も、本当にカッコいいいいいいい!
私が逆転ホームランに成功したサッカー選手が如く大歓喜ポーズを決めていると、チカ様がすくっと立ち上がる。やっぱり足が長い。
「双方の言い分はわかった。よって、チカトリィーチェ・ダ・タリィアが沙汰を下す」
チカ様のフルネームきたあああああああああ!
その言いづらそうな名前をさらりと言えちゃうハスキーボイス、これだけで白米三倍は食べられる。ご馳走様でした。
処刑告知の直前だが、私の心は幸せいっぱいである。
転生してだいたい三分が経過した。なんて幸せな第二の人生だったのだろう。
さぁ、ここがビビアナが聞くチカ様最後の台詞。耳をダンボにして拝聴しましょう!
「ビビアナ・ネロに、俺との結婚を命じる」
……。
…………。
………………あれ、私、処刑じゃなかったっけ?