戦勝会
夜というのは高級品だった。陽が辺りを照らしてくれる昼間とは違い、雲一つない天気だとしても月光の灯りには限界がある。蝋燭を主とした灯りでしか十分に光を得るのは難しく、無論高価な故に“夜の外出は悪魔を招く”などの噂や戒めで、その中で活動的に動くのは一部の階級にだけ許されているようなものだった。それでも毎夜の様に豪勢な晩餐会が開かれる訳でもない、夜はまだ、人のものではなかった。
けれど今夜は、今夜だけは既に陽の沈んだ夜の世界に明るさと活気に溢れた場所がある。王国首都の中心、威ある王を含めた皇族の住まわれる宮殿の舞踏のために作られた大舞踏会館は数多のシャンデリアに飾られ、その日はその場所が太陽だと言わんばかりに明かりが灯り、その場に訪れる人々は笑い声や楽しげな会話に包まれ憂う様な話など一つも聞こえない。
先日、王国と帝国との間に講和が結ばれた。無敵艦隊とも呼ばれた大艦隊を膨大な数の兵士と共に海に沈め、それどころか広大な植民地から吸い上げた物資を運ぶ貿易船も王国の海となった海路で運ぶ事も叶わなくなり、大海戦を挑む時よりも遥かに立ち行かなくなった帝国が苦渋を飲みながら差し出してきた講和だった。
無論、帝国を下した訳でもなければ大陸に挑めば帝国の誇りとする強力な陸軍があり、大陸の覇権にはいまだ遠い。それでも長い間三流国家だった王国が帝国と肩を並べ、海路上の利権を手にしたこの講和は王国の大勝利と言って憚らないものだった。その結果、王は宮殿を貸し出し戦勝会の様な催しを開く事を決めた。
宮殿、それは王の住まいであり、それを頂点とするこの国の中心。政治、法律、財、その全てが集まる場所に踏み入れる事は何よりの誇りでもあったし、憧れの的だった。それに関われるのは多くが貴族や特権階級といった貴き人々、彼らを補佐する立場の者も青き血の流れる貴族がほとんどで、庶民が立ち入れる隙はない。それでもその日、王室の歴史の中で最も青き血の流れない者達が招かれた。
“魔法”、王国が真っ先にした武器であり、いまだ謎が多いながらもこの勝利に最も貢献した発明品。されどそれが扱えるのは限られた人間のみであり、それは貴族ではない者達からも現れた。
それに気づいた王国は片っ端からその適性のあるものを洗い出し、徴兵し、それを使いこなす事で他の国よりも、帝国よりも早く力として活用し強大な軍事力を手に入れた。この勝利は、魔法の勝利とも言い換える事が出来る。その中でも多くの貢献をなしたもの──貿易船を私掠船で荒らし回る事から始まり、魔法の前になす術もない敵の軍船を沈めに沈め、圧倒的な力を示したもの。彼らを除いてこの勝利はなかったが故に、彼らにも王印の便箋が配られた。その中には王都どころか都市にも立ち入った事のない農村階級の生まれもおり、急に成り上がった彼らを蔑み妬む者もいる、それでも宮殿兵の華々しい空砲と共に始まった戦勝会では王直々に勲章を与えられ、中には家名まで与えられたとなっては、彼らを貶める事は王へ叛くことでもありそれを口に出すものなどいない。
輝かしい立場にはほど遠い者達が宮殿に招かれる立場になる、いわゆるシンデレラストーリー。その中でも最も注目されたと言って良い少女の名は、アメリア。その日クロフォードの名を戴き、それはゆくゆくは領地を手にし貴族としての待遇を約束された者。名もしれない農村上がりの少女は、その夜の舞踏会の中でも注目の的となっていた。
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「ご機嫌ですな、ドレーク卿」
荘厳な会場には王国から集められた奏楽団が館全体に響き渡る音色を奏で、乗じて靴を鳴らし舞踏を楽しむ者、果実酒を手に話に花を咲かせる者と華やかな空気に包まれる中、疲れを滲ませ端で休んでいた所に声を掛けられる。見知った顔の見知った声に細めた目を向け、グラスを交わしその中身を煽った後に言葉を返す。
「これが機嫌良く見えるのなら、レアル卿はこの場に浮かれ過ぎているようだ。今すぐグラスの中身を変えては如何かな」
「はっはっは、せっかくの上等な果実酒、飲み干してやらねば勿体ないでしょう」
あからさまに髭の蓄えられた口元をへの字に曲げながら吐いた皮肉も、まるで聞こえていないかのように流し軽快に笑う男の胸元には幾多の徽章が付けられており、対する男もまた、その胸元には幾らかの徽章を付けていた。
「それにたくさんの御婦人に言い寄られてばかりだったではないですか、いやはや、とても羨ましい」
「誤解を生む言い方はやめろ。……男も居た、それに俺は妻帯の身だ」
恐らくご機嫌と言った理由を言われ、ため息をつきながら崩した言葉を返す。こうした軽口を言い合えるのも彼との付き合いが長いからで、互いに貴族階級でありながら魔法が主力になる前から軍人としてやり取りがあった。魔法で成り上がった軍人は歴が短い故に徽章の数も少ない。
「それほどに注目されているからこそ、たくさんの方に囲まれていたのではないですか。そんな英雄がどうして、こんな所で壁の花になっているのです」
「どうせ分かっていて言っているんだろう。請われる話はずっと同じ、それに言い寄られる理由は、俺じゃあない」
その徽章の中で一番上に輝くものは、太陽の柄を表していた。それはこの勝利を決定的にした、大海戦の成果を称えたもの。歴戦の軍人であった己は、栄誉あるその海戦の先頭の艦を担っていた。それでも話す内容は己の武勇伝ではない、その艦に乗っていた、ある魔導士が原因で。
「アメリア・クロフォード卿ですか。私もぜひ、その時の話を伺ってみたいと思いまして」
その魔導士は、その海戦で最も多くの船を沈めたとされている。それを間近で見ていたが故に、彼女の武勇伝を請われるままに話しに話し、話疲れるままに会場の隅へと閉じこもっていた。
「だったら俺が囲まれている間に聞けば良かっただほう、二度手間だ」
「こうして二人きりになって話せる話もあるでしょう。貴方がどう彼女を思っているか、も気になりますしね。」
変わらず気の良い笑みのままに紡がれる言葉に、二度目のため息を吐く。だからこうして、隅にまで引き下がった俺をわざわざ探して声をかけたのか。
「正直、良い気はしないでしょう。最も戦果を挙げた船の艦長は貴方であったのに、その手柄も名声も、彼女が奪い取ったも同然ですから」
「まぁ、な。そう思われるのも、そう思ったのも嘘じゃあない」
「それを含めて、話してやる。……あの日、何があったのかをな」
またこの話をしてしまうほど、酔っていたかもしれない。グラスに残っていた液体を飲み干して喉を潤し、口を開いた。
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水平線に見える敵の姿はいまだ遠い。それでも見てる敵艦の姿は、まるで島が動いているかのようだった。
好き放題に王国の私掠船が海を荒らし回った結果、帝国は王国の息の根を止めるべく大艦隊を派遣した。その数は数百といったところ、その一つ一つに何百人もの人間が乗っていると考えれば、数万、下手すれば十万に近い兵隊が王都へと向かっている事になる。まして帝国は大陸を制覇した陸軍を持っている、その上陸を許せば、次の植民地になるのは王国だ。
対して王国は百にも、五十にも届いていない艦隊で彼らと相対している。それも真っ直ぐに向かい合う形で、商船になんとか砲をくくり付けた船も含めて、簡単に言えば自殺行為。そんな海戦に王国の命運は委ねられていた。
「……本当に、勝てるのでしょうか」
隣から気弱な声が聞こえる。双眼鏡から目を離せば、己を補佐する副官が不安そうな瞳を向けていた。彼もこれが初陣ではない、幾多の戦地を共にした兵士、それが故にこれが自殺行為でしかないことも良く分かってしまっている。この艦は艦隊の一番槍、このままいけば真っ先に沈むのはこの船だ。
「今更どうにも出来ん。俺らはただ、任務を全うするだけだ」
それでも引き返す訳にはいかない。この海を譲れば、あとは王国の敗北しかないのだから。
ただ彼らは何の策もなしにこの自殺行為を敢行している訳ではない。交戦の一歩手前で、この艦を先頭に敵前で大回頭する予定になっている。
艦というのは横に並んだ方が強い、それは単純に、横に並べば一度に攻撃出来る頭数は増えるし、縦に並ぶより連携が取れやすい。一方で敵に横っ腹を見せれば弱点を晒しているのと同義で、突破されれば逃げることもままならない。そんな作戦を具申したのはこの艦長であった。
縦に並んだ艦隊の中心、それに魔導士を固めている。回頭、船の方向を向かい合う形から腹を向けるようにするまで攻撃は出来ない、それを先頭で受け止めながら横並びになり、温存した魔導士艦隊で敵を一気に叩く。これしか勝機はないと申し立て、それが受け入れられ、晴れて盾役の一番槍となっている。この艦はあくまで陽動役、乗せている魔導士も己を除けば一人しかいなかった。
そろそろ予定の距離になる。そうすればこの艦は突如として敵を前に横っ腹を向け始め、数多の敵の大砲がすっ飛んでくる事になる。その覚悟を決め、死地に向かう命令を飛ばそうと息を吸い込んだ、その刹那、場違いな女の声が響いた。
「なぜ、攻撃なさらないのですか」
少し咳き込みそうになりながら吸った息を吐き、睨め付けるように瞳をその声の主に向ける。この艦唯一の魔導士、アメリア。長い金の髪を制帽にしまったこの成り上がりは、艦長であり貴族である己にこの場面で口を出していた。
「いきなり口を出すな、小娘。お前の任務はこの艦を守る事だ。……それに馬鹿を言うな。あの距離だ、どうやって攻撃するんだ」
いくら魔導士とはいえ、今の彼女はただの農村上がりの小娘、撃ち殺して海に捨てたといってそれを咎める者はいない。それでも鉛玉で答える訳でも殴打で答える訳でもなく言葉を返すだけでも、この艦長は温情であったとも言える。それに敵の姿はまだ遠い、このままもう少しすれば砲弾は届くだろうが、魔導士の射程としては更に遠い。だからこそ隙を晒して誘い込み、そこまで近づいた所で一気に敵を叩こうとしている。砲弾を撃つにも、魔導士を使うにも、彼女の意見は場違いだった。だから次に紡がれた言葉に目を丸くする。
「私なら、届きます」
淡々と、簡潔に紡がれた言葉。だが、嘘を言っているようにも、誇張して伝えてきたようにも見えない。ただ出来る事を伝えただけ、そのような面でどんどんと大きくなっていく敵の艦隊を見つめている。だがそろそろ艦の舵を切らねばこのまま真っ直ぐ突っ込むことになる、それではこの艦もこの作戦も全て海の藻屑。割ける時間は、僅かしかなかった。
「一度だけだ、やってみろ」
「イエッ・サー」
彼女はすぐに胸元から“杖”を取り出す。魔導士の力を一点に集め、魔法の力を発揮しやすくするための魔導器具。それが指し示す敵の姿は、未だ遠い。
魔法は、イメージと計算の具現化だと言われている。風を起こしたいなら、簡単に言えば暖かい空気と冷たい空気を生み出し、その流れを作って大気を動かす。折れた骨はその断面と巡る血液を繋げ、元の形に繋がるようイメージする。それは距離が離れれば離れるほどにその計算もイメージも難しくなっていく。魔法適正があるからこそ、この距離で何かを成そうとするのさえ不可解にしか見えなかった。届くと言っても大砲がかろうじての距離、いまだ豆粒程度にしか見えない。
それでも杖を向けたまま、彼女は動かない。
そのまま時間が過ぎ、タイムリミットになる。彼女の事を全て無視し、息を吸い込み、回頭のための舵の号令を言い放つ。
「右舷一杯、宜候──!」
「──メガルラ」
刹那、空気が爆ぜた。遠くに見えていた艦隊の上空、その上に眩い光が現れたと思ったのと同時、高々と突き立てられた立派なマストも、鉄の貼り付けられた艦も、それに乗っていた兵士達も、ばらばらに崩れ落ちながら海の藻屑となっていく。信じられない、何が起こったかも分からない光景の中、半ば反射的に声を荒げる。
「伏せろおおおお!何かに掴まれええええ!」
一瞬の間を経て、爆風が吹き荒れる。マストは軋む嫌な音を立て、大きな艦は傾き、艦員達は必死に周囲にあるものを掴んで突然の衝撃に耐えている。号令に反応できなかった者、運の悪かった者がそのまま吹き飛び海に放り出されていく。
その風も一瞬の出来事だった。傾いた艦が元に戻ろうと振り子のように揺れ続ける中で齧り付くように掴んで覗いた双眼鏡の景色は、簡単に言えば地獄だった。
整然と並んでいた艦に無事なものはなく、真っ二つに沈んでいくもの、どんどんと傾き浸水していく艦から飛び降りる兵士の姿、燃え上がり生きたまま焼かれ落ちる者、誘爆か少しの時を置いて弾け飛び木片となっていく艦。次いで双眼鏡から、隣の女魔導士へと目を向ける。魔法は使う力に応じて魔力も、脳の負担も身体に与えていく。彼女は汗一つかかずに目を前を見つめていた。信じられん、そう何度も言いたい事ばかりが募る、それでも歴戦の勘はここが好期としか思えなかった。
「前進全速!このまま突っ切り、敗残兵どもを沈めろ!」
生き残った敵艦が、ぼろぼろのまま背を向けようとしている。王国の艦隊は真っ直ぐのままに帝国艦隊と衝突、“無敵艦隊”と呼ばれた敵艦隊は、その日のうちにほとんどの姿を消した。
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「……それはそれは」
「だからあの海戦の立役者は俺じゃない。俺はただ、敵の尻を叩いただけだ」
人当たりの良い笑みを崩し口元に手を当てる相手の反応見ながら、空になったグラスを会場の使用人に注がせ再びその中身を煽る。使用人、といっても卑しい身分の人間などいなく貴族の血がなければ宮殿には立ち入れない。この娘もどこぞの領主の娘なのだろう、されど魔法の力があれば、庶民であってもいずれこの宮殿も青い血など関係がなくなってくる。それほどまでに、あの海戦の魔法の力も、あの小娘の力も衝撃的なものだった。
「されど、彼女がいなければ貴方の作戦通りになったのでしょう。ある意味、それをぶち壊しにしたのも、彼女なのかもしれませんね」
気づけば崩れた表情などなく、相変わらず己にとっては君の悪い笑みを貼り付けたままこちらを見つめていた。そのような反応は初めてで僅かに目を見開く、確かに、彼女がいなければ己の艦は囮になったが、具申していた作戦通りにはなっていただろう。
「作戦通りになっても、成功したかどうかなど分からん。結果を言えば損害はほとんど無いといって良いままに、敵をほとんど沈めたんだ。成果としてはこれ以上のことはない」
「それと、貴方が彼女をどう思うかは別の事のように思えますが」
三日月を描く様に細められた目、だが瞳は笑っておらず真っ直ぐに己の方に向けられている。何が言いたいのか、何が聞きたいのか。その真意は分からないが、酔いのせいにして、思うがままを彼に話す事にした。
「どうも思わんさ。あれは……化け物だ」
「化け物、ですか。いたいげな少女に言う言葉ではありませんねぇ」
「お前が聞いたんだろうが」
「ですが、貴方も魔法を使われるのでしょう。貴方の方が軍歴も、指揮官としての能力もある。ならば、このように持て囃される前に蹴落とす事も容易いのではとは思っていましたよ」
会話の合間に、何度も果実酒を煽る相手の肌は白いままだ。到底酔っているようには思えない、そういった事も含めて、彼女か、己を探りに態々話を聞きに来たのだろうか。それが彼の中でどういった評価に繋がるのかは分からない、ただ濁した所で己の中で抱えられる事でも抑えられる事でも、蹴落とせる事でもなかった。
「確かに、俺も魔法は扱える。目覚めただけの輩とも違う、充分魔導士としても薙ぎ倒せるくらいには才覚はあるようだな」
「でしたら、野放しにしているのは何か思惑あっての事なのでしょうか」
「違う。俺はあの海戦を、あの出来事を、最も近くで見た。それでも、俺には似たような事など出来ない」
魔法適正は血を選ばない。それでも貴族の中に魔法がない訳ではなく、己は偶然にも適正があった。立場と軍歴的に提督のような立場にいるが、前線に立って魔法で敵を薙ぎ倒す事も出来る。あの光景を見て爆発の魔法──瞬間的に空気を圧縮させ、その反動で周囲を炸裂させる攻撃。その後の海戦で、あの距離で、あの規模の地獄を作り出すイメージなど出来なかった。
「その意味であれはまさしく、化け物だ。気にかけた所で勝手に戦果を挙げて、勝手に出世していくんだろう。妬むだけ、どうしようとしただけ、無駄だ」
「はっはっは、なるほど、ありがとうございます。ではもう、ドレーク卿は実は彼女にはもう興味はないのですな」
「それも違う」
「……ほう」
グラスの中身を再び空にすれば、胃の中は果実酒に満たされ吐く息に酒の匂いが混じる。浮かべた笑みは、酔っ払いのおやじらしく少し下品に口元が歪んだ。
「あんな化け物が、今夜はドレスで着飾って出てくるんだ。そりゃあその姿は一回拝んでみたいもんだ」
貴族は皆軍人ではなく、政治や王室に関わり前線に関わらない者もいる。だからこの場は貴族服に身を包んだ者と、軍服を着たまま参列する者が居た。
それでもこの場は舞踏会の舞台であり、貴婦人はドレスに身を包んで参加するもの。女性軍人であっても、軍服に身を包みスカートでない姿での参加など許されていなかった。であればあんな暴力的な力を持った女だとしても、今夜はドレスを着てくる筈だ。
「ほうら、来たぞ。大量の帝国兵士を屠った、麗しきシンデレラの登場だ」
様々な声や音色に包まれた会場が沸いた声に包まれる。麗しき王国の化け物、アメリア・クロフォードの登場だった。
初めてブックマークして頂きました。正直、とても嬉しいです。拙筆ながら何とか連載していけるよう頑張って参ります。