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04 選任手続期日1 出頭

裁判員選任期日の当日、指定された時刻は午前9時30分。遅刻したら大変なので、30分前くらいに裁判所に着くように家を出た。


いつもと違う電車に乗り、いつもと違うところを歩いていると、なんだか新鮮な気分になる。


裁判所の近くには公園もあるし、気候のいい時期ならお昼を公園で食べて散歩、というのもいいかもしれない。でも、とにかくこの時期は暑すぎるので、それができないのが残念だ。


裁判所の建物に着いた。裁判所に来るのははじめてだ。一応法学部生だけど、政治学科なので裁判傍聴に来ようと思ったことはなかった。


予備知識ゼロで建物に入ってみると、玄関ホールには空港のような金属探知ゲートがあり、手荷物はX線検査機に通される。


金属探知ゲートの感度はすごく高くて、いつも空港では引っかからないのに、ベルトのバックルと眼鏡のフレームに反応したのか、派手に音が鳴った。一方で、空港とは違ってペットボトルを出せとかは言われなかった。警戒のターゲットは基本的に金属類のようだ。


検査が終わると、ホールには一目で分かる案内掲示があって、それに従っていくと受付カウンターにたどり着くようになっていた。


何かに似ていると思ったらアパレルメーカーのファミリーセールがこんな感じだった。その後は案内表示に従って上の階に移動し、難なく受付にたどり着いた。広い大学で何度か教室が分からなくなった身には、部屋を探して迷うことがないというのは有り難い。


受付では、書類を確認されて、今日の候補者としての番号を指定される。


その後案内された部屋では欠番なく人が席に座っていたから、その日の受付順に番号が振られるのだろう。私は早めに来たためか6番だった。


受付が終わると、クリアファイルに入った書類を渡される。


ここに、「当日質問票」というアンケートが入っているので、クリアファイルに入っている事件の概要が書いてある書類などをよく読んだ上で記入するように、と説明された。また紙のアンケートだ。QRコードを読み込んでスマホで回答とかの方が楽なのに・・・とまた思う。


渡されたクリアファイルを持って、待合室という名の大部屋に通される。大きさは高校の教室2部屋をぶち抜きにしたくらいの感じか。そこに、1.5メートルおきぐらいの間隔で、高校の教室にあったようなサイズの、でも高校よりはポップな感じの机が配置されている。


机の天板の左上部分に番号が貼ってあって、自分の番号の席に座る。手続が始まるまでここで待つ。


さっそくクリアファイルから事件の概要が書いてある書類を取り出した。


そこには、被告人がどこの誰かという情報と、その人がどういうことで起訴されているのかが書かれていた。


被告人は、ベオボマ国籍の女性、名前はネティプ・シリワンといい、年齢は22歳だという。


事件の内容は、えらく長い。


要するに覚醒剤を輸入したということのようだが、これでもかという内容が一文にまとめられている。


数えてみたら約350文字以上あった。文献調査やレポートの書き方を学ぶ大学の必修講座で、一文が100字を超えてくるような文は基本的に悪文だから避けるべし、と言われたのを思い出した。100文字で悪文だったら、350文字なんて最悪じゃないか。思わずため息が出た。


読んでみると、基本的には時系列順に事実関係が並んでいるので、論理が行き来したり分岐したりして分かりにくいという種類の文ではなかった。ただ、「同○○」とか「前記○○」とかというのが多いので、いちいち戻って「同」の中身を確認しなければ意味を正確にとれない。変数を次々に代入して入れ子にしていくプログラムのソースコードみたいなもので、解読にかなりの労力を要することに違いはなかった。


裁判の書類だから、何かこういう風に書かなければいけないと法律で決まっていたりするのかもしれない。でも、そうだとしたら何と時代錯誤でユーザー・アンフレンドリーなことだろうか。法律なんてしょっちゅう改正されているんだから、時代にあわせて改正すればいいのに。とにかくため息が出る。


それはともかくとして、その書類に書かれた事件の概要は、次のとおりだった。文字数は句読点込みで、実に366文字もある。


***

被告人は、氏名不詳者らと共謀の上、営利の目的で、みだりに、令和4年11月25日(現地時間)、ベオボマ国ドンムヤッタ国際空港において、サイム・ジェット808便に、覚醒剤であるフエニルメチルアミノプロパンの塩酸塩の結晶合計約315.2グラムが入ったポリ袋3袋が縫い付けられた下着を着用して搭乗し、同月26日、成丹市所在の成丹国際空港に到着した同機から、前記下着を着用したまま機外に降り立ち、もって覚醒剤を本邦に輸入するとともに、同日、同空港内の中央税関成丹空港税関支署入国旅具検査場において、同支署税関職員の検査を受けた際、輸入してはならない貨物である前記覚醒剤を前記下着内に隠匿しているにもかかわらず、その事実を申告しないまま同検査場を通過して輸入しようとしたが、同職員に前記覚醒剤を発見されたため,その目的を遂げなかったものである。

***


覚醒剤の輸入、これまでの生活で全く縁のない話だ。


裁判員裁判は市民の常識を裁判に反映させる制度だと読んだけれど、覚醒剤なんて、「ダメ、ゼッタイ」とか「人間やめますか」くらいしか知らない。


一度使ったら廃人になって、二度とまともな社会生活はおくれなくなる恐ろしい薬物というイメージしかない。でも、身近に覚醒剤を使ったことがある人がいないので、そのイメージが正しいのかどうかすら分からない。まして、そんな代物を輸入するなんて、想像もつかない。まともな意見を言える気がしない。


大丈夫だろうか。既に不安になった。


泣き言を言ってもはじまらないので、配られた「当日質問票」に記入する。質問はまとめてしまうと次の4つだ。


「1。この事件と特別な関係があるかもしれないと思う人。たとえば被告人の親戚や知り合いだったり、空港や航空会社の職員でこの事件と関係があったかもしれない人」

「2。この事件について、報道などで詳しく知っている人」

「3。辞退の希望がある人」

「4。何か分からないことがあって裁判官に質問をしたかったり、選任の前に裁判官に伝えておきたい心配事がある人」


1から3までは、どれも当てはまらない。4は、覚醒剤の事件に自分が適任なのかという疑問はある。けれど、普通に生活している一般市民はみんな私と似たようなものだろうから、あえて心配事を裁判官に聞いてもらうような話でもないだろう。結局「いいえ」に丸をつけた。

この作品はフィクションです。2023年時点での日本の法制度を前提にはしていますが、登場する国名や地名、会社名などは全て架空のものであり、扱う事件も実在のものではありません。

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