03 呼出し
大学入学から数か月が経ち、いろいろ慣れてきた7月頭、再び裁判所から手紙が届いた。
こんどは最高裁判所ではなく、地元の地方裁判所からだった。封筒に「特別送達」と書いてある。よくわからないが特殊な書留郵便のようだ。
裁判所からの封筒も2回目なので、前ほどは驚かない。封筒を開けると、「裁判員選任手続期日のお知らせ」という書類が入っている。裁判員候補者として裁判所に呼び出されようだ。このほか、裁判員を辞退するかどうかをたずねる「質問票」という書類などが入っていた。
前の手紙はは名簿に載ったことを知らせるものだったけれど、今回の手紙は具体的な事件で裁判員に選ばれるかもしれない候補者になった、ということのようだった。
指定された裁判員選任手続期日は、2023年8月25日金曜日の午前9時30分。もし裁判員に選ばれなければ、この日の午前中で役目は終わる。一方で、もし裁判員に選ばれると、週が明けた8月29日の火曜日から9月1日の金曜日まで裁判員としての裁判所に通い、9月5日の火曜日が判決の予定日ということだった。
無事大学に進学して学生になっていたから、学生を理由に辞退しようと思えばできる。
でも、滅多にない機会ではあるし、その時期は大学も夏休みだ。旅行に行く計画もしていたけれど、幸いその時期は重なっていない。これも経験だと思って、辞退はしないことにした。
質問票には、裁判員になれない理由や、辞退の希望などは特にないと記載して、交通費などの振込先情報を記入する紙といっしょに裁判所に返送した。
今回も、やっぱりオンラインでの提出はできなかった。ここまで徹底しているということは、オンラインをを避ける理由が何かあるのかもしれない。でも、確定申告がオンラインでできる時代、ちゃんと対策をすれば紙の書類にしなければいけないような事情なんて、なさそうなものだ。むしろ紙の方が、封筒への書類の入れ忘れとか郵便事故とか、かえってリスクが高そうな気がする。
ともあれ、あとは指定された日に裁判所に行けばよい。裁判所に行かなければいけないのは面倒は面倒だけど、裁判員候補者として裁判所に行ったり、裁判員を務めたりすると、旅費と日当がもらえるという。悪いことばかりではない。
ただ、アルバイトの給料以外でお金をもらう経験をしたことがないので、税金がどうなるのかとか、細かいことは分からないことも多くて、少し不安も感じた。
裁判所のウェブサイトで見たところ、裁判員の候補者や裁判員に支給される日当は、雑所得という扱いになるようだ。雑所得は、合計20万円までなら、他に確定申告をしなければいけない理由がない限り、特に何もしなくてよいらしい。
逆にいうと、確定申告をする場合、その額が20万円未満でも、裁判員の旅費や日当を含めて雑所得として申告しなければいけないらしい。そして、申告した以上は、当然そこに所得税がかかる。自営業の人や、うちの親のように毎年あちこちにふるさと納税をしていて確定申告をしている人には影響がありそうだ。
自分自身の問題としても、アルバイトに精を出して103万円の壁ぎりぎりで調整していたりしたら、この日当のせいで103万円の壁を超えてしまって、親の扶養控除などに影響が出るのかもしれない。いや、それとも確定申告しなくてよい額の雑所得なら、結果的に103万円の壁は超えていないということになるのだろうか。壁を超えるか超えないかの限界で調整している人には、結構死活問題かもしれない。
この辺は、裁判所のウェブサイトを"扶養控除" "裁判員" "日当"で検索しても出てこなかったし、それ以外のネット検索でも答えは出てこなかった。国税庁のチャットBOTも、こういうマニアックな質問には対応していないみたいだで、結局よく分からなかった。チャットBOTが使える分、国税庁の方が裁判所よりは進んでいると感じる一方で、チャットGPTのような最先端のレベルには全然達しないのが、日本語というマイナー言語の国の悲哀なのかもしれない。
ともあれ、アルバイトとはいえ仕事をしてお金をもらい、さらに裁判員候補者に選ばれ、旅費や日当の税金がどうなるのかを考える。今年の春には統一地方選挙があったから、投票にも行った。成人するってこういうことなのかぁ、と実感するイベントが、今年は盛りだくさんだ。
必要な書類を返送したら、あとは、指定された8月25日に裁判所に行くだけだ。持ち物は、送られてきた書類と印鑑である。
印鑑は、卒業の記念品として学校でもらったものが1本ある。とはいえ実際に印鑑を使うことなんて、今時はほとんどない。銀行口座は印鑑レスだし、引き落としの申し込みもオンラインでできる時代、やっぱり裁判所は古風だ。
そんなこんなを考えているうちに、いよいよ選任期日の前日になった。持ち物は用意したから、あとは慌てないように服を準備しよう。とりあえず選任期日はちゃんとした格好で行った方がいいだろうから、真夏で暑いけど、1着だけ持っているスーツを着ていくことにした。
これを着るのは大学の入学式以来。まだ慣れないけど、いずれ就活でスーツを着る日々が来るし、今から慣れておこう。そんなこんなを考えながら、眠りについた。
この作品はフィクションです。2023年時点での日本の法制度を前提にはしていますが、登場する国名や地名、会社名などは全て架空のものであり、扱う事件も実在のものではありません。