18 第1回公判期日10 証人光岡儀子2
「弁護人、反対尋問をどうぞ」
裁判長がボールを弁護側に渡した。弁護人が立ち上がり、尋問を始める。
「弁護人の有山から質問します」
「あなたが被告人の荷物や体を検査している間、被告人との間に会話はありましたか」
「いいえ。荷物を開けてよいかとの質問でさえ、ジェスチャー込みでないと伝わりにくい状況でしたので、会話といえるような会話はありません」
「荷物の検査の際は、入っているものを順番に説明してもらったりするものではないのですか」
「そういうことが多いです。ただ、被告人の場合は立ち尽くしているという感じで、こちらから話しかけても返事がなかったのです」
「それは、被告人の英語力に限界があったからですか」
「そうかもしれません。少なくとも流ちょうに弁解するようなことは全くありませんでした」
「そういう場合、検査対象者がより理解できる言語の通訳をする、ということはないのですか」
「税関にも、複数か国語が使える職員はいます。ただ、国際空港の成丹でも、常時勤務しているのは英語、フランス語、北京語、韓国語ぐらいまでが限界で、ベオボマの言語ができる者はいません。深夜や早朝に到着する便もある中、いつ発生するかわからない検査事案に即時に対応できるような通訳人をストックしているわけでもないので、現実的には難しいです」
「つまり、英語で十分意思疎通がとれているからベオボマ語での対応を検討しなかったというわけではなく、ベオボマ語で対応するだけの職員配置がないから、完全な意思疎通を図ることまではできないにしても、次善の策として英語で対応し続けた、ということですね」
「その通りです」
「被告人のボディチェックをしたとき、平静だった被告人の手足が震えているのが分かった、という話でしたね」
「はい」
「その前、荷物の検査をしているときから、被告人は震えていたのではないですか」
「そのような素振りがあったという記憶はありません」
「では、明確に震えていなかった、堂々としていた、という記憶があなたにはあるのですか」
「いえ、そこまではっきりしたものはなくて、印象に残っていないので、普通だったのだろうという、そういうことです」
「つまり、震えなどはあったかもしれない」
「そう言われれば、否定はできません」
「ボディタッチの際、誰かに脅されていたから震えていた、そういう様子ではなかったですか」
「それは分かりません。ただ少なくともそのような発言はありませんでしたし、違法な物品を持っている人が検査の際に冷や汗をかいたり手足が震えたりするのはよくあることなので、今回もそうなのかな、と思っていました」
「被告人が『ドラッグ・・・』とつぶやいた、ということですが、本当に英語で『ドラッグ』と言ったのですか。ベオボマ語の単語だった可能性はないのですか」
「私はベオボマ語は分かりませんので、その可能性があるかどうかはわかりません。ただ、私の耳には『ドラッグ・・・』と聞こえた、というだけです」
「つまり、そのような音だったけれど、英語と断定はできない、ということですか」
「一単語だけなので、それだけで明確に英語だったと断言はできません」
「終わります」
弁護人が着席した。ここで休憩になるので、これまでと同じように法廷を後にして、評議室に戻った。
評議室に戻る廊下を歩きながら、教養で選択している心理学系の講義を思い出していた。
教養とはいっても法学部の授業なので、供述に関する心理や、子供の供述を適切に確保するための方法についての最近の展開なども含まれている。そして講義で扱った心理学を生かしたプレゼン例やインタビュー例なども見せてくれるので、学問と実践を両立した、聞いていて楽しい講義だった。
その中の話の1つに、人の判断に影響を与える情報は、話の最初と最後に置くと効果的、というものがあった。
検察官は、2人の証人に、時系列で何があったかを説明してもらった上で、最後に、被告人が脅されていると訴えたりはしていなかった、助けを求めたりはしていなかった、という質問をして、本件の問題点はクリアされているということを明確にして自分の質問を終えようとした。
対する弁護人は、被告人の語学力が不十分で、日本の大学を訪問するようなレベルではないとか、入国準備は不十分だったとかといった人物像に絞って質問をして、証人尋問を全体としてみた場合の最後に、その狙った印象を強めて幕を引いた。
検察官も弁護人も、それぞれ心理学的な効果を狙って、このように質問を組み立てたのかもしれない。
でもそうだとすると、証人尋問というのは、単に言葉で話を追って理屈で読み解いていくようなものではないことになる。そもそも証人は質問されたことに答える以外に語らないのだから、聞かれていないことが実際どうだったのかという情報は、見事にすっぽり抜け落ちる。
証人尋問がそのようなものだとすれば、質問の仕方1つで、話の内容と印象をいくらでもコントロールできる。穿った言い方をすれば、狐と狸の化かしあいのような話なのかもしれない。
尋問を聞く立場の人は、よほどしっかり腰を落ち着けて全体を見ようとするのでなければ、その質問の仕方によって導かれる話の方向性による印象に流されかねない、化かされかねない危険な代物ではないだろうか。検察官も弁護人も、法廷という特殊な場所で、自分だけが話すのではなく、証人に語らせるということを通じて、己の事件の見立てをプレゼンするプロなのかもしれない。
でも、見立てや印象に流されて判断をすることは、最初に裁判員に選任されるときに裁判長に注意された、「不確かなことで人を処罰することは許されない」という原則に真向から反してしまう。プロが技術を駆使する駆け引きの、その渦巻きの中で、その回転に左右されずに軸を保つ、その良識、コモンセンスが問われているのかもしれない。
そして、検察官も弁護人も、裁判員がそうやって身構えて裁判に臨むことを分かったうえで、その磁場を巧みに揺さぶりながら、証人の口を介して主張を投げかけてくる。「裁判員の皆さん・・・」と語りかけてくる。これは大変なところに来てしまったと思いつつ、何としてもこの役割を果たすのだという妙な敵愾心と挑戦心が、なぜか同時にわいてきた。
評議室では、補足で聞きたいことがないかが確認された。でも、税関の検査について追加で聞きたいようなことは、思い浮かばなかった。ほかの裁判員も同様のようで、特に質問はない、ということになった。
再び法廷に戻り、裁判長が宣言する。
「再開します。裁判員、裁判官から補充の質問はありません。証人尋問は終了しました」
「以上で今日の審理を終わります。続きは明日、午前10時から、被告人質問からという予定にしていますが、検察官、弁護人、よろしいですか」
検察官と弁護人が頷く。
「では、次回期日は明日、8月30日、水曜日の午前10時です。必ず出席してください。本日はこれで閉廷します」
法廷での長い1日が終わった。評議室に戻ると、明日のスケジュールを告げられる。先ほど裁判長が法廷で言っていたように、明日は午前10時から、被告人の話を聞く被告人質問がある。
明日のスケジュールは被告人質問だけで、午前中に休憩を挟みながら弁護側が質問し、午後に検察側が質問するという。おそらく午後3時頃には手続は終わり、解散になる予定だそうだ。
明日の朝の集合は今日と同じで9時30分だ。裁判所の外に出ると、冬至も近いこの時期、もう日が暮れていた。そして気が付いた。法廷には窓がない。外がどうなっているか、全然わからない特殊な空間なのだ。
評議室には窓があるけれど、法廷では、外で大雨が降っていようが、暴風が吹いていようが、多分分からないだろう。地震でも起きない限り、外の情報に影響されることはない。あれは、審理に集中することに特化して設計された専用の舞台なのだなと思った。
この作品はフィクションです。2023年時点での日本の法制度を前提にはしていますが、登場する国名や地名、会社名などは全て架空のものであり、扱う事件も実在のものではありません。




