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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

傍若無人な皇太子は、その言動で周りを振り回してきた

作者: 歩芽川ゆい

 ホラーなお話です。流血描写、幼児、女性に対する暴力表現があります。お気を付けください。

 アバンドーネ王家の第1子、ブルスカメンテ王子(17歳)はどうしようもない人間だった。

 第一子と言う事で甘やかされすぎたのかもしれない。王子と言う事で、周りの人間も注意しきれなかったのかもしれない。ただ単に持って生まれた性格かもしれないが、なんにせよ17歳にして「どうしようもない人間」、それが彼の評価だった。


 ブルスカメンテは、小さい頃から頭がよく、帝王学の講師らもこの子なら未来の王にふさわしいと幼少時から確信するほどに、天才的な子供だった。

 それゆえに周りを見下し軽んじる、嫌な性格に育ってしまったのかもしれない。


 彼が愚かだったら、それを理由に簡単に王位継承権を剥奪できただろう。だが何しろ頭がいい。回転が速い。その頭脳だけ取れば、王にふさわしかった。


 もちろん周りの者たちも、彼のその性格を何とかしようと、幼少時から努力した。

 両親である国王も王妃も何度となく言ってきかせ、自分の仕事ぶりを見せたり、具体的な行動の仕方を教えたし、見せた。

 狭い世界にいるからいけないのではと言われれば、王妃が自ら奉仕作業にも連れ出した。

 身寄りのない子供たちへの炊き出しも手伝わせたし、一緒に遊ばせもした。

 贅沢な生活がいけないと言われれば、節制した生活と奉仕の心を学ばせようと、教会に預けたこともある。


 だがダメだった。炊き出し自体はまじめに務めるものの、その後に孤児たちと遊ばせたらその孤児たちに、いかに彼らが愚かでダメな存在なのかを昏々と説き、子供たちは泣いて逃げ出した。その後、彼らはブルスカメンテの名前を聞くだけで震えあがるようになってしまったという。

 8歳の時に教会に預ければ、何故かその教会の不正を暴いて、潰して帰ってきた。お陰で周りからの評価が上がって賞賛を受けてしまい、奉仕の心どころではなく、更に傲慢になった。


 10歳の時には騎士隊に預けた。体も心も徹底的に鍛えてもらえと放り込んでみた。

 その天才的な才能ですぐに動きを習得し、訓練にもしっかり付いて来る皇太子に、周りは感嘆してしまった。しかし訓練で対戦すると、皇太子相手に本気で立ち向かう事をためらった騎士たちに、ブルスカメンテは堂々とダメ出し、罵倒し、それで切れて立ち向かってきた騎士を軽くいなし、逆に冷静に対処できないような騎士は必要ないと解雇を申し付ける始末。

 適当に相手をしても罵られ、力で叩き伏せようとすれば立場を利用して罵倒する。しかもそこそこ強い。そんな皇太子をどうしろというのかと騎士隊長が頭を悩ませている間に、ブルスカメンテは横領をしていた騎士を複数人告発したのだ。

 騎士隊長は立場もなく青ざめ、さらに騎士隊員と同様の剣技をしっかりと身に付けて帰ってきたブルスカメンテに、王も王妃も頭を抱えた。


 

 ブルスカメンテはその知識で周りを見下し、心無い言葉で罵倒するが、相手に手を出したことはない。

 一度でも相手に怪我でもさせればそれを理由に処罰も出来るが、正論で相手を責めているだけでは、処罰は出来ない。多少過激なことを言っても、皇太子という立場がそれを許してしまう。

 無論、空気も読めなければ相手の感情も考慮しないのだから、それを理由に王位を剥奪することは可能だが、何せ有能なので勿体ない、という感情が先に立ってしまう。

 どうしたものかと頭を悩ませる中、しかし彼にも全く思い通りにならない事が、1つだけあった。


 それは婚約者の選定だ。


 彼は6歳の時、すでに傲慢で周りが困り果てていた時期に、国の貴族の娘の中かから婚約者を決めるべく、5歳~10歳までの令嬢が10人ほど集められたことがある。

 一人ずつ短時間だが面談をして行ったのだが、帝王学のお陰か、ブルスカメンテは令嬢には礼儀正しく接していた。それでもまだ幼い彼は最後の方にはさすがにイラついたらしく、最後の相手にキツイダメ出しをした(もちろん王妃に叱られた)が、それ以外はおおむね順調に面談は終わった。

 その後、彼女らと面談を重ねていったのだが、その中の一人はこの初回の面談しか現れず、以降どれだけブルスカメンテが面談に来るようにと命令しても、体が弱いからという理由で彼女と会う事はできなかった。


 それならそれでさっさと諦めれば良いものを、自分の思い通りにならない人間がいる、と言う事が気に入らなくて、逆にブルスカメンテは彼女に執心してしまった。

 父親である公爵が、何度も娘は体が弱くてお会いすることが出来ない、王太子妃になどはなれない状態だから配偶者候補から外してほしいと懇願しても、ブルスカメンテは、本人と直接会わない限りは受け入れないと聞き入れなかった。

 だが自分が公爵の家に行くこともしなかった。皇太子がそんな事をすれば、その彼女を配偶者にしたがっていると認識されてしまうからだ。

 だからあくまでも令嬢に招待を受けてもらう必要があったのだが、一向に彼女は現れない。


 そうして月日が流れてブルスカメンテは17歳になった。

 周りの者は彼の暴言により、彼に心から忠誠を誓う者など誰もいない。ただ「皇太子」である彼に付き添っているだけで、全員ができるだけ関わりたくない、と思えるほどの暴君に育っていた。

 王と王妃もすでに諦めていた。王位継承権は弟に譲ると裏で決めているほどに諦めていた。

だがブルスカメンテにそれが知られたら、何をするか分からない。だからギリギリまで隠そうとしたし、その間にブルスカメンテを暗殺する手段をも考えていた。


 ブルスカメンテは自分の思い通りにならない、婚約者候補のフェロチータ公爵家令嬢のアフリット嬢を何度も何度も呼びだしていたが、10年間、一度も応じない彼女に痺れを切らし、とうとう公爵家へ乗り込むことにした。


「フェロチータ公、この僕が何度もアフリット嬢を呼び出しているというのに、何故会わせない!」


 公爵家の応接室で、ブルスカメンテは、頭を下げるフェロチータ公爵に向かって、座りもせずに腕を組んだままで強く言った。


 フェロチータ公爵はまだ30代後半のはずだが、老人のように老け込んでいる。肌に艶もなく、ダークブロンドの髪はそのほとんどが白く、顔には多くの皺さえ刻まれている。

 彼はもともと領地貴族で、政治には全く関与していないし、王都には領地経営の報告に来る程度で、そのほとんどを領地で暮らしている。

 前公爵は内務大臣だったが、現公爵は官僚止まりで、それも10年前に辞職して領地に引きこもっていた。何か不正でもしたのかとブルスカメンテがその無駄に優秀な頭脳で調べたが、一切そういう事実はなく、堅実に運営しているだけだった。本当にただ「体の弱い娘のために」領地に引きこもったようだ。

 ちょうどその頃に公爵夫人が亡くなっているので、それが影響しているのかもしれない。


 屋敷の外見も荒れており、庭の手入れも足りていない。普通の公爵家であればそこかしこに使用人や護衛がいるものだが、まったく見かけない。領地が貧しいわけではないし、出納報告を見ても十分な収入があった。

 屋敷の中も使用人も少ないし、妙に薄暗い。出迎えこそ公爵と使用人が並んでいたが、驚くほどに少ない人数だった。案内されたこの部屋も、ここに来るまでの掃除も足りていない。そして公爵のみすぼらしい姿。老け込んでいるだけでなく、身につけている服も流行おくれだし、少なくとも王家の者を出迎えるにふさわしい姿ではない。


 ブルスカメンテは小一時間それに付いて説教をしたが、公爵はうなだれたまま、聞いているのか聞いていないのか分からない状況で、ただ申し訳ございませんと繰り返すだけだった。


「もういい。今日こそはアフリット嬢に会わせてもらうぞ」


 説教したことですっきりとしたブルスカメンテがそういうと、公爵はあきらめたように同意をした。


「しかしながら殿下、何度も申し上げている通り、娘には殿下の婚約者は務まりません。どうかご容赦ください」

「それは直にあってから判断する」

「娘は病弱すぎて、お会いできるような容姿ではございません」

「うるさい! 会ってから判断すると言っているだろうが!」

「で、ですが、娘は満足な教育も受けられないほど、体も弱いですし……」

「私は容姿で相手を判断なんぞしない。ブスならば整形させればいい。デブなら痩せさせればいい。体が弱いのならば王族専門の医者に見せればいい。愚かなら学ばせればいい。なにも私と同等にかしこくなれなどとは言わないし、そんな事は不可能だろうから望んでいない。極端な馬鹿でなければ良いのだ! 健康や体の改善が無理だと言う結果が出れば、その時に私が判断する。つべこべ言わずに会わせろ!」


 その場にいた全員が、内容はともかく言い方! と胸の内でツッコミを入れた。

 フェロチータ公爵は体を震わせながら、分かりました、と小声で答え、部屋の外に待機していた使用人に、ブルスカメンテを案内するように言い、頭を下げた。


「娘は別棟におります。本当にか弱い子供ですので、どうか、ご配慮をお願いいたします」

「たしか今15歳だろう。そんなに弱い子供だったが、その年まで生きているはずがない。ここに連れてこい!」

「殿下、どうぞお願いいたします。娘の身体では、別棟からこちらにも移動できないのです」

 

 消え入りそうな声の公爵に、フン、と鼻を鳴らしてブルスカメンテは行くぞ、と護衛と使用人に声を掛けた。

 公爵は付いて来るそぶりもなく、ただそのまま頭を下げ続けているだけだった。


 扉の近くで、使用人から年老いた執事に代わり、案内をし始めた。

 5人は屋敷を出て左手に向かう。普通なら引退しているような歳の執事は、しかし矍鑠とした歩みで背筋も伸ばして先を歩く。


「殿下、発言をお許しいただけますでしょうか」

「なんだ?」

「アフリットお嬢様について、ご説明をしたいのですが」

「発言を許す。歩いたままで話せ」

「ありがとうございます」


 屋敷から続く道は、レンガで整えられていた。所々のレンガが欠けていたり、割れている部分もあり、整備が行き届いていないのが見てわかる。使用人もほとんど見かけないし、金がないわけではないだろうにとブルスカメンテは訝しく思いながらも、その道をブルスカメンテは大股で歩いて進んだ。


「アフリットお嬢様は足がお悪く、お屋敷に移動することが出来ないだけでなく、長く歩くことすら出来ません。ですから、お部屋の中ではお嬢様が座って対応させていただきますが、どうぞご容赦をお願いいたします」

「体が弱いと言うのは、足が悪いという事だったのか?」

「足も、お悪いのです」

「ふん。確かに歩けなければ外交にも支障をきたすな。だが王族専門医師なら治せるかもしれない」

「……そうだと良いのですが」

「そのほかは? 二目とみられないブスだとか、もしかしてデブすぎて歩けないとかじゃあないだろうな」

「太ってはおりませんし、歩けない理由はそれではございません。わたくしどもには、大変愛らしく、賢いお嬢様です」

「ふん。まあ期待するとしよう」


 美人は見慣れている。どの令嬢も未来の王妃になりたくて必死に自分を磨いている。その変わりゆくさまを見るのは楽しいが、ブルスカメンテがちょっと強く言っただけで泣きだすのはいただけない。そんな令嬢は必要ないとバッサバッサと切り捨てていたら、残ったのはアフリットを含めて3人だけだ。その中でも自分の思い通りにならないアフリット。しかも王族の自分に、歩いて移動させるとは。一体どんな女なのか興味がある。

 ブルスカメンテは意地悪そうに笑った。


 屋敷を完全に離れ、さらに進むと植木の間から3階建て程度の塔が見えてきた。石造りのそれは、どうやら円形をしているようだ。別棟というよりは監禁用の建物にも見える。


「おい、まさか、あれか?」

「はい。あれがお嬢様のいる別棟でございます」

「監禁用の建物に見えるが?」

「……」


 執事は返事をしなかった。アフリットは体が弱いと言っていた。貴族の娘が嫁げないほどに体が弱いのなら、必要のない存在として扱われることもある。貴族では珍しくもない。

 だがなるほど、そこまで疎んじているから今まで会わせなかったのか、とブルスカメンテは納得した。

 6歳で彼女に会った時のことを思い出す。無駄に記憶力も良いブルスカメンテは、最後の方で会った彼女と公爵をうっすらとだが覚えていた。二人は手をつないで入ってきたし、娘も嬉しそうにしていて、体が弱いとか、公爵が虐げている風には見えなかったことを覚えていた。母親が亡くなった事となにか関係があるのだろうか。


 建物が見えてきてからは早かった。だが近付けば近づくほど、異常さを感じる。これは確実に牢屋用の建物だ。窓枠に鉄格子はないが、それ用に作られたものから外しただけではないのか。

 ブルスカメンテは無意識のうちに眉をしかめていた。


「お嬢様は2階でございます。階段のお足もとにお気を付けください」


 執事が扉を開いて、ブルスカメンテとその護衛3人を招き入れた。


 石でできた塔は、ひんやりとしていた。歩いてきた汗がスッと引いていく。

 しかも薄暗い。一応ランプはそこここにあるが、昼間だというのに暗い。こんな中に本当に令嬢は居るのかと疑問に思ったし、護衛達もいつでも対応できるように緊張しているのがわかる。


 入口から見えるのは、どうやら厨房と使用人の控室のようだ。建物が円形かと思ったが、表から見える一角が円形で作られているだけで、中は奥に長い作りになっているようだ。

 王族が来ているという事で、気配はあるが使用人の姿は見えない。ただ塔のまわりに蝶が舞い、花のような良い香りが漂っている。

 階段は入り口から直ぐのところにあった。3人はそれを登っていく。


 登り切った所に、奥に続く廊下と、正面に扉があり、執事がそれを開いた。


 そこは中は狭いが応接室になっていた。質の良さそうな調度品が置かれている。


「狭いし、暗いな! 客を迎えるような部屋ではないぞこれは!」

「普段はお客様などお見えになりませんので、どうぞご容赦くださいませ」

「客などこない? なら急いで用意でもしたのか?」

「お医者様などがいらした時に、こちらでお待ちいただく時に使っております」

「ふうん。まあ医者程度なら良いのかもしれないが、私が来るというのにここを案内するとは、不敬もいい所だな! それにその令嬢がどこにもいないではないか! 出迎えすらないのか!?」

「先ほどご説明申し上げました通り、お嬢様は歩行にも支障がございます。ここで殿下を待つことも辛い体なのです。どうか、ここで今しばらくお待ちくださいませ」


 ブルスカメンテは気に入らなかった。気に入らないが、ここまで来て会わずに帰るのも気に入らない。何が何でも会って、今までも、そして今も、どれだけ不敬を働いているか説明して厳しく説教してやる。泣こうが喚こうが知った事ではない。自分を蔑ろにしたことを、死ぬほど後悔させてやる。

 ブルスカメンテはふん、と鼻を鳴らして、部屋のソファにドカリと腰を下ろした。


**


 令嬢が来る前に茶が運ばれてきた。先に護衛が毒見をし、問題ないと合図をしてきたので一口啜る。そう言えば公爵の屋敷では茶すら来なかったと今さら思い出した。それなのに小一時間も説教したから、喉が渇いていた。

 王族たるもの、毒殺に備えて幼少時から耐性を作っているし、毒の味を覚えてもいる。この茶は飲んだ事のない味だが、確かに毒は入っていない。しかも美味い。

 

「ふむ、香りとのど越しの良い茶だな」

「お嬢様が、何種類かの茶葉と薬草調合いたしました、特製のお茶でございます」

「そんな事が出来るのか? 薬草と調合と言ったな、どんな作用がある?」

「これはリラックス効果のあるお茶でございます」

「これは、と言う事は他にもあるのか?」

「さようにございます」

「ふうん」


 茶の調合とはなかなかに珍しい。これは外交にも使えそうだ。そう考えながらブルスカメンテがもう一口茶をすすった時だ。

 扉の外から妙な音が聞こえてきた。ズズ、トン、ズズ、トン。それが少しずつ大きくなってくる。

 廊下を何かが移動する音だろう。大きくはないが、妙に反響して聞こえているのか。


「ご令嬢の到着かな?」


 ブルスカメンテは皮肉っぽく言った。よくもまあ、皇太子を待たせられるものだと。

 執事はただ頭を下げ、そのまま扉に向き直り、音が止まると同時に扉を開いた。


「お待たせいたしました、アフリットお嬢様がお見えになりました」

「ようやくか。待ちくたびれたぞ!」


 ブルスカメンテは鷹揚に言って、ソファに座ったまま足を組み、両腕をソファの背もたれに掛けた。

 扉が全開になり、執事が退く。


 ズズ、トン。 音が響いてまずは小さな手が見えた。杖を持っている。

 ズズ、トントン。 続いてドレスの裾が見えた。ドレスと言うには貧弱のようだが。

 ズズ、トン。 杖を突く手が室内に入ってきた。なるほど、トン、が杖の音か。


「おい、何をもったいぶっている。早く入ってこい! この私をいつまで待たせるつもりだ!」


 ブルスカメンテがイラついて怒鳴るが、返答はない。


 ズズ、トントン。ようやく体が進んできた。イラついたブルスカメンテは組んでいた足を降ろし、いらいらと床を踏み鳴らす。


 ズズ、トン。杖を持っている左手が全部見えた。イラついたブルスカメンテはソファの背から腕を戻して、腕を組んだ。


「早くしろ!」

「殿下、もう少々お待ちください」


 執事が静かに告げる。だがブルスカメンテの苛立ちは最高潮に達しようとしていた。


 ズズ、トン。 ブルネットの髪が見えた。その横顔と、薄いドレスも。


 ブルスカメンテは怒りに任せてティーカップを投げつけてやろうと、鷲掴みにした。


 ズズ、トントン。 アフリットの全身が現れた。ブルスカメンテの手は、カップを持ち上げたところで止まった。


 ズズ、トン。 ようやくブルスカメンテは、アフリットと対面出来た。


「……お前がアフリット嬢か?」


 茫然とブルスカメンテが尋ねると、その女は少しだけ頷いた。不敬であると咎めるべき護衛も、声を失っている。


 そこにいたのは、15歳にしては小さな、やせ細った子供だった。ブルネットの髪を結う事もなく流し、両手に杖を持っている。着ているものは、どうみてもネグリジェだ。肩にショールを羽織っているとはいえ、人前に、特に男の前に出て良いような服装ではない。

 それになにより、その顔。右目を大きな黒い眼帯で覆っているではないか。


 ブルスカメンテは茫然としたまま思わず立ち上がっていた。同時に納得した。なるほどこれでは公爵が会わせようとしないはずだ。


 ズズ、トン、と音をさせて、足を引きずりながらアフリットが部屋の中に入ってきた。歩いていると言えるのかと思うほどに小さな歩幅。すぐ後ろに侍女が控えており、歩く姿をはらはらと見守っている。しかもアフリットは動くたびにふらついているのだ。ブルスカメンテでさえ思わず手が出そうになる。


「おい、どういうことだこれは! 令嬢に何があったのか説明しろ!」

「恐れながら殿下、お嬢様がお座りになるまで、お待ちください」


 執事の返答に一瞬にして怒りがぶり返すが、このアフリットに会いたがったのは自分だ。ドカッとソファに座って、待ってやることにした。


 部屋に入ったアフリットを、執事が杖を受け取って右手をそっと支え、後ろの侍女も腰のあたりを支えて、部屋のじゅうたんに足を取られないように、ゆっくりと進ませる。あれは歩いていると言えるのだろうか、と思えるほどの歩幅の小ささと速さだが、部屋が狭いお陰で程なくブルスカメンテの座るソファの正面の一人掛けソファにたどり着いた。


 アフリットはそのままお辞儀をしてみせるが、本来ならばカーテシーでなければならない所を、ただ少し頭を下げただけだ。

 ギロリと睨みつけるブルスカメンテに、執事が言った。


「お嬢様はカーテシーの姿勢をとれません。ご容赦ください」

「本人が言え!」

「恐れながら、お嬢様は声が出せません」

「は???」


 呆けるブルスカメンテをよそに、執事と、後ろを支えていた侍女が二人がかりで体を支えて、アフリットをソファに座らせる。それだけでアフリットの息が乱れているのが、テーブル越しにもわかった。


「このような格好で失礼いたします。お嬢様は体も不自由で、普段はベッドの上で過ごしておりますし、ドレスの重さにも耐えられないのです」

「……どういう事なのか、私が納得いくように説明しろ」


 ブルスカメンテは奥歯を噛みしめながら言った。確かに体が弱いとは聞いていた。だがこれはそんなものではない。大体ドレスの重さに耐えられないなんて、そんな人間がいるものか。

 きっとこれは大袈裟に表現しているのに違いない。こうしてでも自分と会いたくなかったのか、会わせたくない何かがあるのか。

 あの目だって実は何ともないのではないのか。あれさえなければ可愛い顔をしているのだ。顔を隠すためのものなのではないのか。


 苦々しく思っていると、執事がご説明させていただきます、とアフリットの横に立った。


「殿下は、最初にアフリット様とご対面なさったときの事を、どれくらい覚えていらっしゃいますか?」

「確か会ったのは、令嬢たちの一番最後だったな。ブルネットの髪がまだ肩よりも長い位だった。公爵と手をつないで入ってきたときは、元気いっぱいだった」

「そのほかには?」

「普通に挨拶を受けて返したさ。それで終わりだったはずだ」


 つとアフリットが執事を見上げ、執事も目を合わせ、軽くうなずく。


「実はあの時、わたくしも旦那様の従者として部屋の隅で控えておりました」


 ブルスカメンテは全く認識していなかった。使用人などいちいち覚えていない。それは普通の事だ。


「ですからあの時の事はわたくしも覚えております。あの時、殿下は公爵様がアフリット様についてどう思うかと尋ねた時に、こうおっしゃったのです、『気に入らない』と」

「……」


 そう言われて見れば、言ったかもしれない。何しろ10人に会わされて、そのたびにあれこれ話をされて飽きていた。最初こそ物珍しさで大人しくしていたが、大体、見合い自体に興味が無いし、うちの娘はいかがですか、なんて聞かれたって、そんな一目で決められることじゃない。こんな無駄な時間を過ごしている位なら、さっさと部屋に戻りたい。すでにわがまま放題だったブルスカメンテは、王妃の手前耐えてはいたが、癇癪を起こす寸前だったのだ。


「慌てた公爵様は、殿下にお聞きしました。どういった所がお気に召さないのかと。それに殿下がどうお答えになったか、覚えていらっしゃいますか?」

「……覚えていない」


 さっさと終わらせたくて適当に言った言葉など、覚えているはずがない。気に入らないなどと言ったことすら先ほどまで忘れていたのに。

 執事は低い声で続けた。


「殿下はこうおっしゃいました。『その甲高い声が気に入らない』『足音高く歩くのも気に入らない』『私を見るその目も気に入らない』」

「そ、そんな事を言った覚えはない!」

「いいえ、おっしゃいました。あまりの内容に、わたくしは正確に覚えております」


 ギラリと執事の目が光る。


「続けてこうもおっしゃいました。『その年で髪を結うなんて馬鹿じゃないか?』。そして最後に、『そんなに小さいのに、そうやって女であることをアピールしてくるのも、気に入らない』と叫んで、部屋を出られたのです」

「そ、そんな事は言っていない……」

「いいえ。確かにおっしゃいました。あの場には王妃様もいらっしゃいましたし、そうおっしゃった殿下をその場で注意もなさいました。きっと王妃様も覚えていらっしゃいますよ」


 ああそうだ、言ったことは覚えていないが、母上に咎められたのは覚えている。それで何か捨て台詞を言ったことは覚えているが、ただでさえ束縛されてイライラしていたのに、母上にまで怒られて癇癪を起こして言ったことだから、全く覚えていなかった。


「だ、だが、それを言ったことと、令嬢の現在とは何も関係がないだろう!?」

「いいえ。全ては、殿下の発言のせいです」

「な! 何を言う!」


 思わず立ち上がったブルスカメンテに、執事は声をかぶせた。


「あのあと殿下が部屋を出て行かれてしまいましたから、婚約者選びは終了となりました。ですがそのように言われた公爵閣下はショックだったのでしょう、崩れ落ちて暫く動くことも出来ませんでした」


 その発言では『お前の娘は選ばない』と言ったも同然だ。だが。


「こ、子供の言ったことだろうが!」

「それでもです。殿下の言葉は、それほどの力があるのです」

「だからって、それと令嬢とどういう関係が!」

「公爵様は、お嬢様の手を掴んで馬車に乗り込み、この屋敷に戻ってきました」


 ようやく立ち上がった公爵は、乱暴にアフリットの手を掴んで引きずるように早足で歩き始めた。執事も急いで追いかけて、途中でアフリットを公爵から預かって、抱いて一緒に馬車に乗り込み、だれも一言もしゃべらずに戻ってきた。

 そして屋敷でやきもきしながら待っていた公爵夫人を無視して、公爵は自室にこもった。

 夫人にどうしたのかと聞かれたが、城での出来事があまりに衝撃的で、執事も公爵夫人に説明できなかった。ただブルスカメンテ様がお嬢様に暴言を吐いたとだけは伝えた。それ以上は公爵から聞いてほしいとも。

 夫人は泣きそうなアフリットと公爵の様子から何かを察したようで、公爵が落ち着くまではそっとしておこうという話になったが、夕食にも公爵は現れなかった。

アフリットは言われた内容は理解できなかったものの、周りの反応を見てか、元気をなくしていた。


 そうしてアフリットは夕食後、公爵の部屋を一人で訪ねて行ってしまったのだ。


「私はちょうど公爵様にお茶を届けようと、公爵様の部屋に向かっておりました。そしてすさまじい悲鳴を聞いて、急いでドアを開けたのです」


 そこで見たものは地獄のような光景だった。


 公爵はアフリットの足を、踏みつぶしていた。何度も自分の足を振り上げ、小さな子供の足を踏んでいた。当然アフリットが泣き叫ぶと、「その声が原因か!」と叫んで、近くにあった杖でのど元を突いた。

 

 バキッという音が執事の耳に届き、我に返った執事が室内に飛び込み、アフリットを助けようとした。だが公爵は止まらず、その杖を振り回して執事も殴り飛ばした。

 激痛と共に飛ばされた執事が何とか起き上がると、公爵は声も出せないアフリットの髪を掴み上げ、側にあったペーパーナイフでその髪を切り始めた。


「旦那様! おやめください! だれか、だれか来てくれ!!」


 執事が痛む胸を押さえつつ必死に大声を出すと、公爵は血走った目で執事を睨みつけ、アフリットの髪を掴んだまま執事に近寄り、思い切り執事の胸元を蹴りつけた。バキリと凄い音がする。その時に振り回されたアフリットの髪がズルリと抜けた。公爵の手には皮膚ごと剥がれた髪の毛がごっそりと残り、痛さに出ない声を上げながらアフリットが藻掻く。執事は何度も声を上げながら公爵につかみかかるが、そのたびに信じられないほどの力で振りほどかれ、殴られた。


 執事の声に気が付いた公爵夫人が侍女と共に駆け込んできて、あまりの光景に悲鳴を上げた。


「あなた! 何をなさっているの!?」

「この髪が! こんな髪のせいで、殿下から拒否されたんだ!!」

「やめて、止めてちょうだい!!」

「この歳で女を振りまいた! 殿下はそれを気に入らないとおっしゃった!!」

「ちょっと、何を……あなた!!!」


 立ち尽くす公爵夫人の目の前で、公爵はアフリットの下腹部を思い切り踏んだ。

 グエッと妙な声がアフリットから上がる。

 公爵夫人は長い悲鳴を上げ、我が子を救うべく公爵にとびかかり、そのまま逆に投げ飛ばされ、ガラスのテーブルの上に背中から、それが割れるのと一緒に落ちた。


「奥様!! 公爵様、何と言う事を!!」


 すでに顔が腫れあがり、動くのにも激痛がはしる執事が、咄嗟に夫人の元に駆け寄るが、夫人は血をながして気絶していた。

 止めなければ、何としても止めなければ! 執事が痛みをこらえて立ち上がった時、夫人の従者が呼んだ使用人たちが駆け付けた。

 だが室内のあまりの惨状に、扉付近で思わず立ち尽くしている。


 その目の前で公爵は、幽鬼のようにふらふらとしながら暖炉に近付き、暖炉に突っ込んであった火箸を取り出し、それをアフリットの右目に押し付けた。


「旦那様!!!」


 執事と使用人が一斉に公爵にとびかかり、アフリットから引き離す。

 公爵は火箸を振り回し追い払おうとしたが、一人が背中に飛びつきうつぶせに倒すことに成功し、3人がかりで取り押さえた。


「お嬢様!!!」


 執事が駆け寄ったが、アフリットの意識はすでになく、全身から血を流してピクピクとけいれんしているだけだった。



**



「お嬢様は死のふちをさまよいましたが、医師の懸命な治療で、何とか一命はとりとめました」

「……」


 さすがのブルスカメンテも言葉が出ない。


「お嬢様は、右目は焼かれ、声帯を潰され、両足を複雑骨折、髪も一部は皮膚ごと引き抜かれていました」

「そ、そんな……」

「公爵に腹部を踏まれた際、子宮と卵巣、腎臓の一つが破裂、その周辺の内臓も酷いありさまだったと医者が言っておりました。一命をとりとめたのは、本当に奇跡だと」


 足も整形はしたが、切り落とさないだけでも精一杯だった。目も声も、治しようがなかった。

 ブルスカメンテがアフリットを見る。彼女は何の感情もない左目で、ブルスカメンテを見ていた。


「傷が回復するまでに1年、動けるようになるまでに2年かかりました。動けると言っても、上半身を起こす程度ですが。胃も腸も動きが不十分なため、食事は今でも重湯しかとれません」


 だから成長も遅かったし、太ることなど出来なかった。女性ホルモンが分泌されないから、体も子供のままだ。


「公爵夫人は、投げ飛ばされた時に全身にガラスの破片が刺さり、1か月後に予後不良で亡くなりました。その場にいた使用人たちだけでなく、使用人の殆どが心に傷を負って、辞めていきました」

「……さきほど、アフリット嬢は、歩いてここまで来た」

 

 ブルスカメンテの言葉に、アフリットはそっとネグリジェの裾を上げた。そこから見えたものに、ブルスカメンテは息を飲んだ。


「骨は何とか集めた、と医者が言っておりました。でもまっすぐにはならないし、歩くのも難しいと」

 

 アフリットの足には鉄の支えが巻き付けられていた。脛から下しか見えないが、足首すら曲がらないように補強されているのはわかる。


「太ももの骨が無事なのが幸いでした。まったく動かないと健康に良くないとお医者様にいわれ、1日に数分は立つようにしております。これはそのための補助器具でして、普段はわたくしたちが抱えて移動しております。今日は殿下がいらっしゃるので、お嬢様が歩くとおっしゃったので、扉の付近から歩いてもらいました」

「ど、どうやって……」

「この補強金具のお陰で、数歩なら太ももから足を出せばなんとか進めるのです」

 

 だがそんな歩き方をすれば体に負担がかかることは明白で、だからこそ普段は従者が抱えている。


 言葉を失うブルスカメンテに、執事は言った。


「そんな……まさか、こんな状態だなんて」

「殿下から何度も登城の要請があったことは存じておりますが、公爵としてもこの状況を説明するわけにはいかず、体が弱いからとしかお伝え出来なかったのです」

「それにしても、こんな! 犯罪じゃあないか! なぜ公爵を告発しない!」

「公爵を告発してどうなると言うのでしょうか?」

「これは殺人未遂だ! 奥方が亡くなっているのなら確実に殺人だ!」

「旦那様には殺意はありませんでした」

「殺意が無くてそこまでするか! なかったとしても奥方は傷害致死だ!」

「ですから、それを告発してどうするのですか?」

「裁判で裁きに掛けるべきだ! こんな非道な行いが許されるわけがない!」


 ブルスカメンテが激昂すると、アフリットの手がスイと動いた。何事かと見やると、横の従者がアフリットにノートとペンを渡す。


『確かに私への殺人未遂とお母様への傷害致死が当てはまります。普通に考えたら、殺した相手はお母様、すなわち公爵夫人ですから、断首刑でしょうね』


 さらさらと書かれたノートには、綺麗な字が書かれていた。手は無事だったから筆談が出来るようだ。


「その通りだ。あなたは法律に詳しいのか?」

『本を読むくらいしか楽しみがありませんから』

「そ、そうか。令嬢がそう考えるのなら、今からでも公爵を告発しよう」

『それで公爵が捕まったら、この家はどうなるのですか?』

「……え?」

『母もいませんし、兄弟もいません。わたくしでは公爵家を維持することが出来ません、そうなったらわたくしの治療や生活は、どうなるのでしょうか?』

「そ、それは……」

『わたくしを受け入れてくれる親戚がいるとも、思えません』


 治療費も生活費も、無償で出してくれる者を見付けるのは困難だ。せめて家庭教師でも出来ればどこかの屋敷で雇ってくれるかもしれないが、動くのも精一杯な彼女を雇ってくれる家などないだろう。

 ブルスカメンテが娶るのは無理だ。この状態では王妃など勤まるはずがない。庇護することは出来るかもしれないが、普通の貴族ならともかく、皇太子という立場では逆に無理だ。立場的に、誰か一人を特別扱いするわけにはいかないからだ。


『公爵には生きて償ってもらうのが一番なのです』

「それは、確かに」


 自分のした罪を見せつけられながら生きる。娘のために働いて。万一自死でもすれば、この娘が公になってしまう。自分のしたことが公になってしまう。

 だがこのままでいいわけがない。


「金なら国から出せばいい。アイツを告発するべきだ」

『国から? どんな名目で?』

「それは……犯罪被害者一時金とか……」

『それでわたくしは一生、どなたかの世話になりながら生きていける金額でしょうか?』

「足りないのなら足りるように法律を改正すればいい。私は皇太子なんだから、私が一言いえば、なんとでもなる」


 そう言ったとたん、アフリットの目がス、と細められた。そして傍らの執事の手を触る。それに心得たというように、執事が言葉をつづけた。


「そうですね、殿下の一言にはそれだけの力がございます」

「あ、ああ」

「ですから殿下があの時におっしゃられた言葉は、殿下の想像以上の力を以て、公爵に届いたのです」

「え?」

「公爵は、殿下が高い足音が気に入らないから、その足を排除しようとしました。高い声が気に入らないから、その喉を潰しました。殿下がお嬢様の目を気に入らないというから、目を。女なのが気に入らないというから、その腹を」

「ま、まて、待ってくれ、私はそんなつもりは全くなかった!」

「ならばなぜあのような発言を?」

「何人もと引き合わされて、辟易していたんだ! だから別に、アフリットの目や声が気に入らないのではなくて、その前に会っていた令嬢たちをまとめてそう評しただけで!」

「ですが殿下はあの時、他の令嬢たちのことだとは一言もおっしゃいませんでした」

「そ、それは別に誰と言う事はないから! 大体、嫌味以外の意味なんてない言葉だったんだ!」

「そうでしょうね。それでも」


 執事は一度言葉を切った。


「殿下の言葉には全て意味があり、ご自分でも仰っていた通り、力があります。ですから、アフリットお嬢様がこのような体になったのは、殿下の発言の結果なのです」

「あ……」

「それをご自分には関係ないとおっしゃるのは無責任ではありませんか? 殿下は、皇太子として、全ての発言の責任を持つべきです」

「そんな、そんな事を出来るわけがない!」

「ならば少なくとも、発言は慎重になさるべきです」


 ここでまたアフリットがノートを開いた。


『見合いに飽きたのなら、そうおっしゃればよかったのです。なのに殿下は私を罵られた』

「だから、そんなつもりは!」

『そんなつもりが無くてもその結果、私は父親に、こんな体にされたのですよ?』

「……!」


 今までブルスカメンテは、好き放題言ってきた。

 思い返せば、自分の護衛役が自分を諫めたりなどして気に入らないと、お前は首だ死ねとたわむれに宣言していた。そして確かにその護衛は二度と見たことがない。

 王妃と共に出かけた孤児院で、孤児の一人が失礼なことを言ったから、身分もわきまえない愚か者は殺されて当然だ、と脅した事がある。

 あの子供はあれ以来見たことがない。

 部屋に茶を持ってきたメイドのおどおどした態度が気に入らなくて、ティーカップを投げつけて、割れた音で慌てて部屋に来た侍女長に、カップの代金は女の命で払わせろと脅した。そのメイドもその後、見たことがない。

 ただ辞めさせたり、ブルスカメンテと会わないようにさせただけだと思っていたが、もしその言葉を周りが文字通りに受け止めていたら?


 ブルスカメンテが呆然とアフリットを見つめた。


 自分の何気ない一言が起こした結果が、目の前のアフリットだ。

 そんなつもりは全くなかった。だが、確かに自分が言った結果だ。


 今まで何度も何度も何度も、周りに注意をされてきた。だが自分は間違ったことは言っていないと、聞く耳を持たなかった。

 だがその結果は?


『殿下。何故、あの時にわたくしを拒絶しておきながら、何故わたくしに会いたがったのですか?』


 そうだ。戯れでも何でも、あの時確かに自分はアフリットを拒絶する言葉を吐いた。それに対し訂正もしないまま、ただ面会を求めた。


『殿下がわたくしを呼び出すたびに、公爵が苦悩にさいなまれるのは見ていて面白かったですが、わたくしをこんな目にあわせた元である殿下に、わたくしが会いたがるとでもお思いですか?』

「……こんなことになっているとは、知らなかった」

『お会いしたくないと断っているのにもかかわらず、しつこく呼び出す必要がありますか?』

「知らなかったんだ! 説明しない公爵が悪い!」

『殿下は一度でも、わたくしの状況を確認なさったのですか?』

「!」


 まさかこんなことになっているとは、誰も思いつかない。だが確かに何度も体が弱いからとは聞いていた。だが体が弱いなんて嘘だと思っていた。そういえば王妃を始め周りの者はもうフェロチータ家には近寄らない方が良いと、何度も助言をくれたではないか。すべてうるさいと聞く耳を持たなかったが。

 それに嘘だと思うのなら王宮の医師を派遣すれば良かったのだ。そうすればもっと早くにアフリットの状況に気が付けただろう。それを自分は怠った。


 自分の言う事は絶対で、誰もが従うのが当たり前だと考えていたから。それに歯向かうとはいい度胸だと。


『わたくしがこうなった原因は、殿下の発言です。しかし殿下はご自分の言葉に責任も持てないご様子。そんな方に皇太子の資格があるとは思えません』

「うっ……!」


 その通りだ。ぐうの音も出ない。自分の毒舌、それにともなう影響を、全く考えなかった。

 ただの貴族ならばまだ通用したかもしれないが、自分は国を背負う立場だ。その立場で今までいろいろな不正をただしてきたが、それと同じように、自分の発言には責任があったのだ。


『申し訳ございませんが、わたくしはこんな体なので、どなたの婚約者も務まりません。そして生涯ここから出るつもりもありません』

「アフリット嬢。あなたの指摘通りだ。目が覚めた。本当に申し訳なかった」

『謝罪は受け取りました』


 だが許すとは言ってくれない。ブルスカメンテはそれに気が付いた。いつもならばこの私が謝っているのだぞと暴れるところだが、自分のしたことに気が付いた今はそんな事は出来ない。


「謝って済むことではない事も理解している。だがこのままでは私の気が収まらない。どうか、王家の医師を派遣することを許可してもらえないか?」

『殿下の気が収まっても、わたくしの気は収まりません。医師は今さら必要ありません。足の骨はとうに着いておりますし、この目も喉も治りませんから』


 アフリットはそういうと、右目の眼帯をまくって見せた。あまりの傷にブルスカメンテも直視できなかった。あれは治るというレベルではないのは、素人にも分かった。アフリットはすぐに眼帯を戻す。


 また失敗した。そうだ自分の気が収まるかどうかなど、アフリットには関係がない。


「それでも、もしかしたらもう少し良い矯正具があるかもしれない。栄養の良い食材を提供できるかもしれない」

『殿下』


 何とかしたいという一心だったが、アフリットはノートを掲げて遮った。


「なんだ?」

『はっきり申し上げてもよろしいでしょうか』

「もちろんだとも。なんでも言ってくれ」

『迷惑です。もうこれ以上わたくしにかかわらないでください』

「な……」

『ご自分が意味なく殺されかけたとして、ごめんね、誤解だったみたい、で許せますか?』

「そ、それは……」


 そこまで言われて漸く気が付いた。アフリットに会う資格がないのは、自分の方なのだと。


 現実を認識して、茫然とするブルスカメンテを見ながら、アフリットは隣の二人の手を借りて立ち上がった。思わず伸ばした手を、3人は綺麗に無視する。

 手がふさがったために筆談が出来なくなったアフリットは口を動かした。ブルスカメンテがその口に注目しながら耳をそばだてると、かすかな空気の震えが聞こえた。

 それを言葉として発言したのは、執事だった。


「もうお会いいたしません。公爵を告発するのもおやめください。少しでもわたくしの事を哀れと思ってくださるのなら、静かに暮らさせてやろうとお思いになるのなら、放っておいてください」

「……」


 アフリットは足を引きずりながら向きを変えた。二人がそれを支えるのを見て、ブルスカメンテは言った。


「執事。どうかアフリット嬢を抱えて部屋に戻してやってくれ」

「……不敬では?」

 

 ブルスカメンテは頭を横に振った。


「私の為にここまで歩いてきてくれて感謝する。あなたの事情は理解したから、もう無理をしないでほしい。許されるならば私が抱えて部屋までお連れしたいが、それは望まないだろう? だからどうか、従者に連れて行ってもらって欲しい。それから私への見送りも何も要らない。どうかゆっくり休んでください」

「……ご許可に感謝いたします」


 執事と侍女が頭を下げ、執事がそっとアフリットを抱えた。ブルスカメンテはそれを立って見送った。そして3人の護衛に合図をして、ブルスカメンテは部屋を、そして塔を出て行った。



 それからのブルスカメンテは帰城してすぐに、過去に自分がたわむれに処罰するように言った者たちがどうなったのかを調べた。

 死ねと言った孤児は、ブルスカメンテが帰った直後に他の施設に移っていた。だがブルスカメンテに罵られた恐怖から失語症を患い、今だに言葉が出にくいらしい。そのせいもあり、あれいらいずっと施設に引きこもってしまっているそうだ。


 護衛達も直後に解雇されて、故郷に帰ったり職を変えていた。優秀だったものもいたのに、と今さら衝撃を受けた。


 カップを投げつけた侍女は、その日のうちに自死していた。カップの代金を本当に命で支払ったのだ。


 ブルスカメンテはようやく自分のしでかしてきたことに気が付いた。


 さらには自分が切り捨てた令嬢たちはどうなったのかを調べると、こちらは全員無事だったが、そのなかでも強い言葉で切り捨てた2人は「皇太子に拒否された令嬢」というレッテルが貼られてしまい、今でも屋敷に引きこもっていた。

 

 ブルスカメンテは今さらながらに衝撃を受け、部屋に籠った。そしてさらに気が付いた。

 そんなブルスカメンテを心配して、だれも部屋に来たものがいないことに。

 唯一、王妃からは医者が派遣されたが、それだけだ。その医者すら、体調は悪くないとブルスカメンテが答えるや否や、すぐさま退出した。

 侍従さえも呼ばなければ部屋にも来ない。食事は決まった時間に出されるが、要らないと言えば即座に片付けられた。そして誰も心配の声もかけない。


 ブルスカメンテはようやく、自分が愚か者であったことに気が付いた。頭の回転の速さや記憶力など付属でしかない。それなのにどれだけ思い上がっていたのか。

 自分が見下してきた人々が居なければ、自分は生活すら出来ない。アフリットが言っていた、生活費。それは自分の場合、国の民の税金だ。食材は国の民が作ってくれたもの。この城も、設計も建てたのも、全て国民だ。もしここに果物があったとしても、ブルスカメンテは剥き方もしらないから食べることすら出来ないだろう。

 国王も王妃も、自分よりものを知らない愚か者とすら思っていたが、自分を教育してくれたのは誰だ。こんな自分を見放さずに、いつも叱ってくれていたのは。


 ブルスカメンテは3日ほど部屋に引きこもった。その間、今までに自分に関わった人々を調べなおし、その結果にそれまでの自分の行動を顧みて何度もベッドに頭を打ち付けたし、転げ回った。

 なによりもアフリットに申し訳なかった。どうやっても償えないが、どうしても償いたかった。


 4日目にげっそりとして部屋から出てきたブルスカメンテを、周りは今度はどんな癇癪を起こすのかとひやひやして見守ったが、ブルスカメンテは青い顔で、国王と王妃と面会したいから、取り次ぎを頼む、と小さな声で言って、また部屋に戻っていった。

 使用人たちは顔を見合わせながら、癇癪を起こされないうちにと急いで面会許可を取り、知らせた。


 ブルスカメンテは悄然とした様子で、国王夫妻にアフリットの現状を伝え、公爵を訴えたいと申し出た。

 二人はしばらくの間何も言わずにいたが、国王が言った。


「公爵を訴えることは許可出来ない」

「何故ですか!?」

「アフリット嬢が望んでいないのだろう?」

「しかし、殺人未遂に傷害致死です! 貴族とはいえ、いえ、貴族だからこそ許してはなりません!」

「ならば元凶のお前も、殺人教唆で訴えないといけないな?」

「え?」

「公爵はお前に言われてアフリット嬢に危害を加えたのだ。そうだろう?」

「あ……」

「だがアフリット嬢はお前を許さないが、関わりたくもないと言っているのだろう? そこにはお前を訴えるつもりはないという意味があるのではないか?」

「あっ!」

「ついでに言えば、お前の言動が原因で、死んだ者や健康を害した者が他にもいれば、お前こそ罪に問われる。それでいいのか?」


 良くはない。良くはないが。


「……私はそれだけの事をしてきてしまったのです。裁きを受け入れたいと思います」

「ほう、ようやく認識したか」

「はい。アフリット嬢をはじめ、多くの者たちに私が死んでも償いきれないほどの罪を犯してしまいました。私には王位を継ぐ資格もありません。どうか、廃嫡したうえで私も裁きに掛けてください」


 涙ながらのその言葉に、国王と王妃は顔を見合わせた。

 こんな殊勝な態度と言葉が出てくるとは考えてもいなかった。これが本当に改心した結果だとしたら。王妃が静かに言った。


「私たちが何度も諫めたのに、あなたは聞く耳を持たなかった。あなたのしてきたことは、許される事ではありません」

「おっしゃる通りです。私が愚かでした」

「それならば、もういちどアフリット嬢に会っていらっしゃい」

「え? しかし彼女は私には逢いたくないと……」

「会えなくても良いのです。あなたが勝手に考えて勝手に行動することは許されませんが、その結果、あなたがどうしても裁かれて死にたいというのなら、その願いを叶えましょう。フェロチータ家には私から連絡をいれますから」

「……分かりました。そのようにいたします」


 ブルスカメンテは臣下の礼をとって、座を辞した。そのような礼を取ったのも初めての事だ。

 その場に居合わせた全員が、目を疑うほどの、変わりぶりだった。


***


 1週間後、ブルスカメンテはフェロチータ家の門をくぐった。後ろには前回も一緒に来た3人の護衛を連れている。

 しかしすぐに屋敷の雰囲気がおかしい事に気が付いた。

 

 確かに前回来た時にも、公爵家はみすぼらしかった。庭も建物の、手入れを怠っているのがわかるほどだった。だがこれはどうだ。前回はかろうじて咲いていただろう花々は枯れ、木々の形も乱れ放題だ。そして屋敷にも蜘蛛の巣がかかっている。


「この荒れた様子は一体……」


 うっかり護衛の一人が呟いた。瞬間にハッとする。護衛ごときが許可もしていないのに喋った、と首になったものを知っていたのだ。だがブルスカメンテは咎めることもなく、同意していった。


「何があったのか分からないが、これは異常だな。注意してくれるか」

「はっ!」


 護衛の一人が先に走り、門扉を叩くが、誰も出てこない。王妃からの連絡が来ているのだから、誰もいないことはあり得ないのだが。

 何度か叩いても返答がないので、護衛はそのまま取っ手を掴んでドアを押した。


 ギイ、と音を立てて、扉があっさりと開いた。鍵もかけていないらしい。


 護衛がすかさずドアの内部を確認するが、困惑したように言った。


「殿下、中には誰もいません」

「いない? そんなバカな」

「しかし人の気配もありませんし、明かりもついておりません」

「……扉を開けてくれ。中に入ってみよう」

「はい」


 護衛が緊張しながらドアをあけ、先に入る。開いたドアから見えた室内は、なるほど薄暗く、全く人は見えない。

 護衛に囲まれながら屋敷に入り、護衛が誰かいないのか、と声を上げるが、誰も出てこない。


「応接室に行ってみよう」

「しかし……」

「このままここで突っ立っていても仕方がない。応接室に誰もいなければ、アフリット嬢の元に行く」

「分かりました」

 

 ブルスカメンテはこのような場面でも癇癪を起こすことなく、冷静だった。本当に殿下は変わった、と護衛達は思いながら、前回執事に連れられて行った部屋に向かった。

 部屋に入るまで、誰にも会わなかった。廊下は大きな窓のお陰で明るかったが、そのせいで掃除が行き届いていないのが分かった。ありていに言えば埃が積もっているのだ。

 いくら使用人が少ないとはいえ、短期間でこんなに? と誰もが疑問に思いながら、到着した部屋の扉を叩く。

 だが応答はない。

 護衛がドアノブを回すと、これもまた簡単に開いた。


「フェロチータ公爵、入るぞ」


 護衛が声を掛けながら先に入り、「うわっ!」と悲鳴を上げた。


「どうした!」

「こ、公爵が! 公爵が死んでいます!」

「なに!?」


 護衛が左右を守りながら、ブルスカメンテは室内に飛び込んだ。


 ボロボロになったカーテンから、陽の光が入っている室内。その窓に背を向けるように干からびた男が首を吊ってぶら下がっていた。

 ぼろぼろになっている服が前回会った公爵が着ていた物と同じだったので、あれが公爵だとわかった。


「ちょっとまて。たとえ前回、私と会った直後に自死したとしても、こんな干からびているわけがないぞ」

「ええ、これは相当経っていると思われます」

「なら前回この部屋で私たちが会ったのは、何だったんだ?」

「さ、さあ……」


 4人は茫然としながら部屋を見回した。


 確かに前回、この部屋で公爵に会った。あの暖炉もこのソファも覚えている。

 そう言えばこの来客用ソファにはテーブルが無かった。茶も出さずにと思ったのだから、覚えている。いまもここにはテーブルがない。だから、前回来たのと同じ部屋だ。だが前回はあんな死体はなかった。


「アフリット嬢は? アフリット嬢は無事なのか!? 離れに行くぞ!」


 ブルスカメンテの号令で、護衛3人と共に屋敷を飛び出し、駆けだした。


 こちらの庭も荒れ放題だった。背の高い植木は横にも伸び、道にもはみ出している。見えてきた塔は同じような外見をしているが、近づいてみるとやはり蜘蛛の巣などがあちこちにある。


「手入れをされていない!?」

「アフリット嬢が心配だ、行くぞ!」


 ドアを叩いてもやはり誰も出てこなかった。開かなければ体当たりしてでもと思ったが、こちらもあっさり開いた。そして中は前回よりもひんやりとしていて、ひとけが全くない。

 

 急いで2階に上がる。その間も誰何する声を上げているが、誰一人出てこない。


 応接室を開ける。部屋の中は暗く、誰もいない。


 それならばアフリット嬢の寝室に行くしかあるまい。幸いそんなに広くない屋敷だ。一つずつドアを開けていってもすぐに見つかるはずだ。

 護衛が応接室の隣のドアを開いた。

 小さな空き部屋で、どうやら使用人の控室のようだ。誰もいない。

 

 次の扉を開けた。ここは風呂場だった。だが水も湯も張っていない。

 その隣はトイレだった。無論誰もいない。


 その隣を開けた。天蓋のベッドが見えるが、やはり誰もいない。

 それでもこの部屋には埃一つなかった。空気もよどんでいない。やはり誰から手入れをしているのか。


 ブルスカメンテは恐る恐る、天蓋ベッドに近付いて、そのレースのカーテンをめくった。


「……」


 誰もいなかった。白骨もない。


 ただ、子供サイズのネグリジェが、ベッドの上に置いてあっただけだ。


「一体、どういう事なんだ……」


 ブルスカメンテが呆然とつぶやいた。




 のちの捜査で、フェロチータ公爵と執事の日記が発見された。


 執事の日記には、あの日のアフリットへの暴行と、公爵夫人への暴行が 詳細に書かれていた。それはあの日、ブルスカメンテが聞いた内容と全く同じものだった。

 公爵の日記には暴行の詳細はなかったものの、その後、それらの行為への悔恨が書き綴られていた。

 

 使用人に取り押さえられ、ようやく正気を取り戻した公爵は、すぐに医者を呼び、二人の診察を頼んだ。この医者は上級貴族の中でも有名な医者だったから、アフリットはなんとか一命をとりとめることができたようだ。その病状に関しても、執事が事細かに書き残していた。


 夫人はガラスで多くの外傷を負っていたが、それらは命にかかわるものではなかった。だがアフリットへの暴行を目撃したことが原因で精神を患ってしまい、さらに食事が喉を通らずに、衰弱死した。


 公爵は後悔でその遺体に縋って泣き叫んでいたそうだ。


 アフリットが別棟に移されたのは、公爵の声を聞くだけでアフリットが怖がるからだった。謝ることも介護することも許されなかった公爵は、アフリットの為にあの別棟を建てて、近寄らないようにしたが、生活や治療には困らないように金を渡していたらしい。

 棟が監禁用のような形をしていたのは、短期間で作ったためらしい。たしかに単純な作りなので、短期間で作れただろう。

 アフリットが別棟に移ると同時に執事も、公爵には会いたくないとアフリットの執事となった。以降、必要な時以外は公爵に会う事すらしていない。

 

 だが3年後、アフリットは内臓の損傷の影響で、8歳でこの世を去っていた。

 執事もアフリットを埋葬した後に、あの時に公爵から受けた暴行がもとで、まもなくこの世を去っていた。


 公爵には連絡がなくしばらく知らないままだったが、離れに定期的に手入れや手伝いに行っている使用人たちから、2階から反応がないという報告を受け、恐る恐る離れを訪ねた際に執事と侍女の遺体を発見した。


 執事は彼の部屋のベッドの上で亡くなっており、侍女はそのベッドの足元に倒れてすでに亡くなっていた。侍女の近くにはグラスが落ちており、遺書から自死だと判明した。


 その時に発見された執事の日記からアフリットがすでに亡くなり、埋葬も済んでいることを知った。その中で執事も自分がもう長くないと書き残している。


 公爵は生きる希望を失い、その場で自死しようとしたが、そこにブルスカメンテからのアフリットへの面会要請が入ったと連絡があった。死んだと報告することは簡単だったが、もとはと言えばブルスカメンテがあんな発言をしたのがいけないのだ。

 だいたい娘に興味がないと言ったくせに、あれだけ暴言を吐いたくせに、もう一度会いたいとは何事か。


 公爵はアフリットが生きているように装った。だが会わせることは出来ないから、病弱を理由に断った。その嘘のせいで、生きているように見せかけるために、公爵は何事もなかったかのように領地運営を続けた。

 そしてこっそりとアフリットの菩提を弔いながら、そろそろいいかと考えるタイミングで何故かブルスカメンテからの面会連絡が入り続けた。それゆえに公爵は生き続けた。


 だがとうとうブルスカメンテが会いに来た。


 最後の日記には、あの塔へ向かうブルスカメンテを見送り、もう隠しきれないから自死すると書かれていた。

 屋敷にいた数人の使用人は、事前にあの日で雇用終了だと伝えられていたそうだ。ブルスカメンテが帰った後に雇用終了で退職金もしっかり貰って屋敷を離れていたので、その後の騒動は一切知らないと言う事だった。


 しかし後日の王妃からの使いの者に年老いた執事らしき人物が対応したという事だったというから、それも謎だ。


 それにしてもこんな短期間で公爵が干からびたりはしないはずで、それは謎のままだった。


「お母様はアフリット嬢や公爵に何かがあった事はご存知だったのですか?」

「いいえ。ただフェロチータ公爵もほとんど表には出てこなかったし、アフリット嬢に至っては年頃の令嬢だというのに、全く表に出てこなかったから、何かがあるとは考えていたわ。それにたまに見かけるフェロチータ公爵は憔悴しきっていたしね。とはいえ問題を起こしているわけでもなかったし、本人が大丈夫というものをそれ以上追及することは出来ませんから」

「そうでしたか。それにしても、私が話したあのアフリット嬢たちは誰だったのだろう……」

 

 国王夫妻と共にその報告を聞いたブルスカメンテが呟いた。幻覚ではない。3人の護衛もアフリットを見ているし、あの話を、あの場で聞いているのだから。


「もしかすると」


 王妃が言った。


「アフリット嬢の魂だったのかもしれないわね」

「魂?」

「恨みなのか、ただ伝えたかったのかは分からないけれど、訪ねてきたあなたにすべてを訴えるために、執事とアフリット嬢の魂が見せた幻なのかもしれないわ」

「……」

「本当はなれなかった、成長した姿で、アフリット嬢はあなたに自分の行いを認識させた。それはあなたへの復讐になったのではないかしら」

「……そうですね」

「あなたはアフリット嬢のお陰で人間の心を取り戻した。それでもまだ、死にたい?」


 死んで詫びたい。公爵と同じだ。

 黙り込んたブルスカメンテに、国王が言った。


「きっと、公爵は長年、生きたまま死んでいたのと同様だったのだろうな。だから心臓の鼓動を止めた瞬間から、元々死んでいた体があっさりと朽ちたのだろう」

「お父様……」

「これでお前も死んだら、アフリット嬢を誰が弔う? だれが彼女の事を覚えている?」

「……」

「本当に反省しているのなら、生きて彼女を弔い続けてはどうだ? 彼女をその心の中に生かし続ければ、お前はどんな言動でも必ずその結果を想像できるだろう。罪を背負って死ぬのは一瞬だ。だが罪を背負って一生、死ぬことができるその日まで反省し続けることを、アフリット嬢は望むのではないだろうか」

「……そういう考え方もありますね。少し考えさせてください」


 


 結局、ブルスカメンテは自分と公爵を告発することはしなかった。フェロチータ公爵は、領土ではとてもいい領主として評判だったし、その経営も手堅いものだった。何もその評価を無理に落とすことはない。

 そしてフェロチータ公爵もアフリットも病死と発表された。それが一番波風が立たないからだ。公爵の領地はブルスカメンテが継いだ。そして忙しい公務をぬって、公爵同様に手堅い経営を続けた。


 アフリットの菩提はあの塔の近くにあった。そこだけは綺麗に整備されていた。最後までフェロチータが手を入れていたのだ。あの時に香っていた花の匂いは、そこからのものだったらしい。少し離れたところに執事と侍女の墓もあった。そこもしっかりと手入れされており、あの時塔にもいた蝶がのんびりと飛んでいた。


 ブルスカメンテはそこに沢山の花を植えた。庭職人に教えてもらいながら、自分で花を選び、株を植え、水を撒いて手入れをした。

 季節に合わせた花を植え、自ら摘んで、アフリットの菩提と執事たちの墓に供えた。


 以降のブルスカメンテは人が変わったかのように、穏やかな人間になった。そして王位継承だけは固辞したが、弟の補佐として、国のために尽力し続けた。


 自分が威嚇してしまった孤児には、直接謝罪したうえで、教育と職をあっせんした。辞めさせた護衛騎士たちは、望むものは復帰させたし、望まないものには十分な退職金を支払った。こんな皇太子のいる国にはいられないと出国していた者には、手紙とお詫びの品を送った。


 自死させてしまった侍女は、家族に十分な追悼金を送り、その墓の前で膝をついて謝罪をした。


 もちろん許してくれない者もいた。殺すなら殺せとと言いながらブルスカメンテに恨みの言葉を投げつけた者もいる。ブルスカメンテはその言葉をすべて受け止め、深く頭を下げた。

 もう二度と顔もみたくないと水を撒かれたこともある。


 だがそれらはすべて自分が原因だと、ブルスカメンテは謝り続けた。


 引き籠ってしまった令嬢にも謝罪の手紙を送り、謝罪の品を送ることで名誉の回復をはかった。元とはいえ皇太子が謝罪したことで、彼女たちは少しずつ社交界に戻ってきているようだ。


 ブルスカメンテは生涯結婚をせず、表舞台にも必要最低限しか上がらず、ことあるごとにアフリットの墓を訪ね、手入れをし、その菩提を死ぬまで弔い続けた。


  


お読みいただきありがとうございました。

幽霊オチです、失礼いたしました。


 なかなか面白かった、と思っていただけましたら、イイネをぽちっとしていただけますと励みになります。

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[良い点]  オチも含めて寓話だと思いました。  それは皇太子の犯した罪とは誰しも身に覚えがありそうなものだからかもしれません。  因果応報の所謂昔話的な結末を迎え「めでたしめでたし」で結ばれる皇太子…
[良い点] 初めまして通りすがりの読専で御座います。 ホラーというより寓話ですね。 この王子という存在が『風が吹けば桶屋……』じゃなかった『傲慢が生んだ必然のバタフライ効果』というか。 [気になる点]…
[良い点] いっそ死んでた方が救われた気がするのでヨシ。(何も良くない) いや、王子もカスである事は変わらないが それはそれとして公爵がドカスなだけだよ??
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