2023年 時代
<春>
3月1日、覚悟を決めてPCを開き、名簿作りを開始する。「私、高校の同窓会を開く」と宣言してから4か月が経っていた。
話は前年の11月にさかのぼる。
埼玉に住む高校の同級生が、大さん橋で開催されるフラダンスのイベントに出演するので見に来てほしいと、横浜に住む数名の同級生に声をかけたのだ。
そのイベントの華やかで楽し気な様子と、卒業以来初めて会う同級生たちとの会話にすっかり酔った私は、彼女たちに「同窓会を開く」と高らかに告げた。
しかし我に返って、どう計画を進めていくのか、考えてあぐねている内に、月日だけが流れて行った。
そして今年のお正月休み、彼から「会わへん?」と誘いがあった。奥さんが子供を連れて出かけるから、「いつものデイユースのホテルを予約してよ」と連絡がきた。いそいそとWebで予約を済ませた直後、「間違えて奥さんにメッセージ送ってもーた」と返信が来る。とりあえず予約をキャンセルし、彼の動向を見守る。
結局奥さんは一人で出かけ、子供を連れた彼と、お昼に横浜駅直結のお寿司屋で会うことになった。
昨年夏、彼の息子健人君、「健ちゃん」に初めて会ったお店だ。あの時、大好きなお寿司のはずなのに、食べる気にならず、健ちゃんがぐずり始め、慌てて口の中にねじ込んでお店を出たことを思い出す。
彼はいつもと変わりないように見えた。奥さんに間違えて「ホテル予約して」とLINEをしてしまったハズなのに。
「大丈夫だったの?」と聞きたいが、しつこく尋ねると「僕の家の事はほっといてくれますか!」とまた突き放されそうだ。しかし今回は私も多少関わっている。もしかしたら謝罪に行かなければならないかもしれない。
恐る恐る彼に尋ねる。すると「泣いてはった・・・」と教えてくれた。
申し訳ない気持ちになる。彼にも奥さんにも、そして小さな健ちゃんにも。
私が彼と家族を悲しませることになるのかも知れない。彼の幸せを誰よりも願っているはずなのに、私のこのちっぽけな存在が、その幸せを脅かすことになるのだろうか。
心ここに非ずの彼と健ちゃんと早々に別れ、私は一つの決心をする。
彼と会わなくても大丈夫なように、今年何か夢中になれることを始めよう。まずは昨年からの課題であった高校の同窓会に没頭するのだ。
その日の夜、私は高校の同窓会事務局に1通のメールを送った。同窓会を計画しているので名簿が欲しいと。
すると個人情報保護の観点から、データでは渡せないが、紙のリストを郵送してくれると返信があった。
どうせデータにするのだから、紙でなくデータでほしいところだが、きっと無駄なやり取りになると思い、その条件を飲む。
しかし数日後に受け取った紙のリストを実際に目にし、気持ちが一気に萎えてしまった。この膨大な住所録をデータ化するのに何日かかるのだろうと。
そのまま再び月日だけが流れた。
彼のお父さんの初命日が過ぎ、健ちゃんの1歳のお誕生日が過ぎ、バレンタインデーが過ぎたころ、彼から「NHKの番組に出演する」と連絡が来た。長年武道の稽古に勤しんでいる彼が、友人が主催するある武道を紹介するため、相手役として出演依頼が来たそうなのだ。
その放送日が3月1日だった。
すべての用事を済ませ、テレビの前に正座して、番組の開始を待つ。
彼の出演シーンを写真に収めるため、スマホを構える。美しいその動きを見逃すまいと、彼の登場からはけるまでを見守る。堂々としたその姿は、彼が培ってきた賜物だ。
そして決めたのだ。
この人が頑張ってるなら、自分もそれに恥じないようにしよう。彼に会った時、2023年、私はこれを頑張ったと、彼に話せるようにしようと。
まずは手付かずだった高校の同窓会だ。
彼の番組が終わった直後、PCを開き、名簿の入力を始める。名前と住所がわかっている人は郵便番号を入力。こうすることでフリガナとある程度の住所までは、Excelが自動入力してくれる。
同時にLINEでグループを作り、連絡先が分かっている人たちをメンバーに加えた。
最初は9人のメンバーからのスタートだ。ここから同級生の輪を広げて、連絡網を作る。
飽き性の私が息切れしないように、開催日は5か月後の8月12日と決めた。お盆で忙しいかもしれない。しかし開催日に正解はないであろう。
それよりもなるべく早く日にちを決め、それに合わせて夏休みの予定を組んでもらえるようにしたのだ。
彼はなんて言うだろうか?
「頑張ったんだね」と言ってくれるだろうか。
いや、彼の事だ。きっと「きょーみないわ」で終わるだろう。
それでも良い。彼を思う時間と気持ちを、すべてこの同窓会プロジェクトに向けるのだ。
<夏>
今年の夏は暑い。太陽が容赦なく照り付けてくる。彼と久しぶりに会ったのは、そんな真夏の平日だった。「会おうよ」と言われその気になると、「奥さんが熱出した」、「健ちゃんが具合悪い」と何度か延期され、もうどうでも良くなりつつある日に、「うなぎを食べた後、うちで仕事せえへん?」と誘いがあったのだ。
うなぎは思い出の食べ物だ。
彼が大阪に赴任していた時代、おいしいうなぎ屋さんに何度も連れて行ってくれた。それまであまり馴染みがなかったうなぎだったが、その美味しさに目覚めさせてもらったのだ。以来彼とうなぎを食べに行くのは、私にとって幸福なイベントとなった。
今の奥さんと出会い、たった3か月で結婚し、急速に私への興味を失った彼の事がやるせなくて、不機嫌だった私を連れて行ってくれたのは、反町駅前のうなぎ屋さんだった。
会っても会話が弾まず、「もう別れ時なのかも知れない」とほぼ覚悟を決めていた時だった。そんな私に、諭したり慰めたりすることなく、ひと言「うなぎ食べよう」と言ってくれた彼のその気持ちが嬉しく、一気に心がほぐれた。やっぱり別れたくないと、気持ちが覆ったのがうなぎだった。
この日も同じお店で待ち合わせをしたが、私が少し遅れて到着したため、店の外で並んで待たなくてはならなくなった。「待つ」と言う行為を厭う彼なので、別のお店を探して、とりあえず彼のマンションの方面に歩き出す。
7月末の昼時、太陽は真上から容赦なく日を照らしている。影が自分の体のサイズと同じなほど、日影がほとんどない中、彼と二駅分を徒歩で移動する。
白楽の商店街入り口の和食店に「うなぎ」の看板があったのを思い出し、たどり着いた時には30分以上が経っていた。涼しい店内で冷たい麦茶を何杯もお替りし、お目当てのうなぎをいただく。
専門店ではないものの、うな重はおいしかった。それ以上に彼がひたむきに食べる姿を見られるのが嬉しい。
彼は食事をとてもきれいに食べるのだ。くちゃくちゃと音を立てることもないし、お箸の使い方も美しい。私はうっとりとして見ていたかもしれない。
食後、彼のマンションに連れて行ってもらう。久しぶりに歩く彼の町。彼は家を買い、間もなく引っ越す予定なのだ。
昨年の秋、「家を建てる」と教えてくれた彼だが、その建築計画はとん挫した。彼と奥さんが望んでいたプランに、土地の形が合わなかったのだ。担当者の対応も納得のいくものではなかったようで、家の建築計画は白紙に戻ったのだった。
ところがその直後に、もともと不動産の仕事をしていた奥さんが、良い物件を見つけてきたそうで、とんとん拍子に話は進み、8月に建売住宅に引っ越すことになっていた。
私にとってありがたかったのは、彼の新居が引き続き横浜で、同じ沿線であることだった。
彼が「引っ越す」と聞くたびに、奥さんの実家がある恵比寿方面に行くのではと、びくびくする自分がいる。いっその事本当に遠くに行ってもらった方が、諦められて、私にとって良いのではないかと思う一方、彼が遠く離れれてしまわないことで安心する自分もいる。
ほぼ3年ぶりに入る彼のマンションは、懐かしいものだった。
私が買ったり、家から持ってきたものが、今も使われている。新婚の夫婦であれば、食器や、寝具、家具などガラリと入れ替えても良さそうなものだけど、それをしないのは彼らしいし、それを良しとする奥さんは、彼のそんな性格を受け入れていることが感じられる。
違いは物が増えていることだろうか。奥さんの洋服や健ちゃんのおもちゃが散乱していて、足の踏み場がないほどだった。「もうすぐ引っ越すから」と彼は言う。けれど私はホッとしていた。恵比寿に生まれ育ったお嬢さんで、東大を卒業し、第一線で働き、彼を魅了して、センスも良く、お料理も上手で、計画通り子供を作り、新築の家を買う・・・すべての女性の夢を叶えてきたような完璧な人だ。その人が家もきちんと整理して、こぎれいに暮らしていたとしたら、逆に嫌味に見えたかもしれない。
雑然とした家の様子を見て、人間らしい一面もあることを知り、少し安心した。
彼はこのままここでテレワークをするように勧めてくれた。懐かしいベットでイチャイチャしようとも言ってくれた。しかしさすがに断った。髪の毛が一本でも落ちていたら・・・そのことを考えると気が気ではない。私は持参したシュシュで髪をしっかり縛ってから中に入ったくらいだ。
その代わりに私は写真を撮った。
彼がいつもおいしいコーヒーを淹れてくれたキッチン、一緒にシャワーを浴びたお風呂、身だしなみを整えた洗面台、引っ越した後に大量の段ボールを捌いたリビング、そして何度も喜びの叫びを上げたベッド。
私ももう訪れることはないが、彼も間もなくこの部屋を去るのだ。最後に私に「さよなら」を言わせてくれた彼の優しさに感謝した。
マンションを出て振り返ると、彼のベッドルームにかかったグリーンのロールカーテンが見えた。引っ越し直後、彼が自分で買いに行って、自分で取り付けたものだ。誰にも頼らず、一人で作業をした彼の事を私は何度も褒めた。彼は本当に頑張って一人で暮らしていた。
3年ぶりに彼が東白楽の駅まで送ってくれた。駅前のバス停のベンチは、彼が「付き合っている人がいる」と私に告げた思い出の場所だ。以来彼の家を訪れた後、必ずここまで見送ってくれるようになった。そしてそのたびにここのベンチで短いおしゃべりをしたものだ。
そうしながら彼は少しずつ私から離れ、別の方向に進んで行った。
以前彼に「結局僕はあなたの手のひらで転がされているだけなんやな」と言われたことがあった。その時はよく理解ができなかったが、私はそれだけ雑に彼の事を扱っていたのだろう。そんな彼が自分の幸せを見つけ、離れて行くのは当然なのかもしれない。
私は悲しむ資格すらなかったのか・・・と思うと涙も出なくなった。
彼のマンションに別れを告げた時、彼が「あんたが泣かなくて良かった」と言っていたが、私は悲しみよりも、彼はもう私を必要としていないことを実感したのだ。
もう私の出る幕はないのだった。
<秋>
誕生日を迎え、私は「還暦」と言われる年になった。
少し前までは年を取ることを恐れ、なるべく考えないようにしていた。実際に誕生日を迎えたらきっと落ち込むだろうと恐れていた。
そんな中、8月に同窓会を開催した。準備をしていた5か月半、私は仕事以外のほとんどの時間を同窓会に費やした。
同窓会は大成功だったと言って良いと思う。懐かしい友が、生きて集い、卒業後の人生を語り合う。想定外だったのは、誰もが斜に構えることなく、素直に相手の話を聞き、否定せず、再会を喜び合ったことだった。これがどれほどの力になったかわからない。「勇気をもらった」と一人が言っていたが、まさにその通りだった。私ひとりではない、同級生たちも、様々な人生と向き合いながら、前に進んでいると思うと、ほのぼのとした連帯感が湧き、「よし、自分も頑張れる!」と思えるようになった。
私たちの同窓会の記事が載った母校のニュースレターが届いたころ、彼に新居を見に来ないかと誘われた。彼の良いところはこういうところだ。私が望むことを可能な限り叶えようとしてくれる。もちろん私は彼の新居を見たい。しかし普通の男性なら、自分の家に家族以外の女性を招くことを嫌がるだろう。それが人に言えない仲だとしたらなおさらだ。
しかし彼は私を招いてくれた。その気持ちが素直に嬉しい。
彼の新居は以前のマンションからそう遠くない場所にあった。駅からの坂道を、誇らしい気持ちで進む。結構な急斜面を上り詰めると、大きなお屋敷が並ぶエリアにたどり着いた。ここは知っている。以前彼とランチをした際、食後に一緒に散歩をした丘だ。その時は反対側の駅から登って来たが、大邸宅が並んでいたことでよく覚えている。
彼はここに住む人になったのか・・・。
私が知っている彼の家は、練馬の小さなアパートで、彼が私を抱くと、建物全体が揺れるようなところだった。それももうずいぶん前の事だったと思い出す。あれから彼は5回もの引っ越しをしていた。
「わらしべ長者みたいだな」と思う。
彼は少しずつ住む場所を向上させ、そして最終的には横浜の高級住宅地に、一軒家を構えるほどになったのだ。
彼の成功を素直に嬉しいと思う。そしてその道のりを見守れたことは、私にとって光栄だった。この間の彼を見ていたのは、私だけだったと言う自負もある。
彼の家は4つのベッドルームと広いリビングのある、素敵なデザインの家だった。特に2階のリビングは天井が高く、広い家をより広く感じさせている。
健ちゃんはその中央でおもちゃに囲まれて遊んでいた。何度か会っているはずなのに、家族以外の侵入者があったことで、一気に緊張し始めた。彼の姿が見えないと、途端に不安げな表情を浮かべ、彼を探す。私が抱っこして写真を撮ってもらおうとすると、顔をくしゃくしゃにして泣き始めた。手を広げ彼に助けを求める。
仕方がない。健ちゃんにしてみたら、私は完全なるよそ者なのだ。お父さんとお母さんに囲まれ、平和で安全で心地よい家に、土足で踏み込んできたのが私なのだ。
ひと通り家の中を見せてもらい、彼の幸せな暮らしぶりを感じ、私は不思議な気分に包まれていた。嬉しいかと言われれば違う。でも悲しいかと聞かれればそれも違う。どちらかと言うと「安心」に近い。そして心から良かったなとも思う。ただ彼がまた一つ遠くなった淋しさは感じていた。
帰り道、バギーを押す彼と一緒に坂道を下る。彼は私とこの辺りを歩いたことを覚えていた。健ちゃんはまだいぶかし気に私を見ている。
送ってもらった駅で振り返ると、やっと健ちゃんは小さな手でバイバイをしてくれた。その姿を見ただけで顔がほころぶ。彼の一挙手一投足で、嬉しかったり悲しかったりする私だが、それは息子の健ちゃんに対してもそうなのかと、思わず笑ってしまう自分がいた。
<冬>
コロナ禍で控えていた海外旅行に主人が出かけた。それを彼に告げると、早速翌日健ちゃんを連れて遊びに来てくれると言う。私は嬉しさと不安の両方を感じていた。健ちゃんが来て一緒にゆっくり遊べることは単純に嬉しい。ただ最後に会った時にあれだけ私を警戒していたので、我が家に来ても緊張して、ご機嫌斜めになってしまうのでは?と不安だった。
前日、私は職場の近くのアンパンマンミュージアムに足を運んだ。ここで売っているキャラクターのパンを、健ちゃんのおやつにしようと思いついたのだ。建物の入り口のベーカーリーは、平日の午前中だと言うのに、長蛇の列ができていた。健ちゃんと同じ年回りの子供を連れた家族が、楽しそうに順番待ちをしている。その中で一人、スーツのままポツンとたたずむ私は、完全に異色の存在だった。しかし周りはそんなことを気に留める人は一人もいない。それぞれの家族が、かわいい子供や孫のため、どのパンを買おうか、そのことに夢中だ。そうこうしているうちに、私の番になった。
アンパンマンは一つ450円。そのほかのキャラクターも似たような値段だ。しかし選ぶのが楽しく、あれこれ箱に入れてもらっていたら、パンだけで3,000円を超えた。パンにこんなに散財をしたのは、生まれて初めてのことかも知れない。
しかしそれだけに止まらなかった。お隣にはショップがあって、アンパンマンのグッズがあれこれ売られていた。そうだ、我が家には健ちゃんが遊べるようなおもちゃがない。彼に「いらない」と言われても、すんなり処分できそうな値段のものをいくつか買うことにした。
とは言っても、アンパンマンミュージアムのキャラクターグッズなので、どれも結構な値段がする。
その中で私が小さな時に大好きだったパズルや、目の前で子供が夢中になって遊んでいたゲームをかごに入れ、ついでにお菓子をいくつか追加した。
翌日の土曜日、彼は健ちゃんを連れてやって来た。そして私の心配は杞憂に終わる。私の愛犬が健ちゃんを熱烈に歓迎してくれたのだ。バギーに乗ってやって来た健ちゃんに向かって嬉しそうに突進する愛犬に、「グッジョブ!」と心の中で叫ぶ。彼に対してはごろ~んと服従の姿勢で歓待していた。愛犬は仔犬の頃彼に可愛がってもらったことを覚えていたのだ。
愛犬の歓迎を受け、すんなり馴染めたのか、健ちゃんはまるで自分の家のようにくつろぎ、YouTubeでお気に入りの「おさるのジョージ」を見始めた。手にはアンパンマンミュージアムで飼ってきたパン。キャラクターはあまり意識せずに、おいしそうに食べている。これなら普通のパンでも良かったかもしれない。
昼食には健ちゃんをバギーに乗せ、関内のうなぎ屋さんに出かけた。
冬なのにぽかぽか温かい。缶チューハイを片手に歩いている彼は、私にバギーを押させてくれた。
幸せな重みを感じる。もし私が彼の子供を身ごもることができたなら、こんな風にお散歩を楽しんでいたことだろう。結局健ちゃんは夕方まで私が買ってきたおもちゃで遊び、時々思い出したように私の愛犬をなで、YouTubeでおさるのジョージを見て、彼と帰って行った。
次の週、彼は毎日私の家に来て仕事をした。特別なことはできない。私もテレワークなので、同じ空間で仕事をし、一緒に昼食を食べに行くと言うだけだ。私にはそれで十分だった。しかし彼はこのままでは私がかわいそうだと思ったのだろう。私を抱こうとしてくれた。そして結局できなかった。彼は指で私を喜ばせようとする。
彼は誤解をしている。
私は一人で気持ち良くなりたいわけではないのだ。私は彼と一緒に昇り詰めたいのだ。
知り合って以来、彼は何度も私に欲情して、何度も抱いてくれた。でもその彼はもういないのだ。いや、彼がいないのではなく、私が変わってしまったのかもしれない。私はもう彼を欲情させることが出来ない女になってしまった。
同情や申し訳なさで、私を抱こうとしている彼に、私の方こそ心から申し訳ないと思う。
でも許してほしい。認めたくないが、私は今年還暦なのだ。
彼が今の奥さんと知り合い、潮が引くように、私への興味を失い、どんどん遠くに行くのを繋ぎとめようと必死だった。「な~んも変わらんのやで」と言いながら、一番変わって行く彼に絶望し、淋しさと虚しさで何度も泣いた。
それでもこの悲しい気持ちがある内は、私は彼と繋がっていられるような気がしていた。自分の気持ちすら変わってしまえば、その時こそ彼との別れになってしまうのを恐れていた。しかし最近では、悲しさ、淋しさよりも、単純に彼の幸せを喜べるようになってきている。
彼と過ごした1週間の最終日、私たちの思い出の西横浜の焼肉屋に1年半ぶりに行くことになった。
安定のおいしさだったが、お店はビックリするほどオシャレにリフォームされていた。
時代は動いているのだなと漠然と感じる。「おいしいね」と言い合う、この時間が好きだ。
食後は二人でゆっくり話しながら、横浜駅に歩いて向かう。
彼にどんな1年だったか尋ねてみる。
彼は「特に大きなことはなかった。健ちゃんが笑った、健ちゃんが泣いた、健ちゃんが熱が出た。そんなことで1年が終わった」と話してくれた。
「幸せなんやね」と尋ねると、彼は小さく微笑んだようだった。その時久しぶりに泣きそうになった。
年末、テレビ番組で、昭和の歌を特集していた。そこに中島みゆきの「時代」が流れて来た。
今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて
もう二度と笑顔にはなれそうもないけど
そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう
そうだ。時代は流れているのだ。
もう笑えないと思うことを、笑って話せる時が来る。
彼の事もそんな風に思える私になれたのかも知れない。
私が理想としていた「私は彼の港になりたい」と言う思い。これは今も変わりない。でも私は彼の背中を追いかけるのではなく、前を向きたい。そして彼が私を必要とする時に、一人で立って、彼の助けになれるような、そんな港になろうと願う。
彼と知り合って20年の記念の年が、間もなく終わろうとしていた。




