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2022年 卒業写真

彼と知り合って、17年の年月を描いた「ワンスアイヤー」が2020年に完結した。


この小説はその後の二人を、四季をテーマに、「私」の視点で描いて行く。


彼との関係は細々と続いている。


彼は念願の子供が生まれ、転職が成功し、確実に別の道を歩き始めていた。

私は穏やかな日々を送りつつ、時々起こる心の中のさざ波を抑えられずにいた。

<春>


その露天風呂からは羽田空港に向かう飛行機の航法灯の赤い光が良く見える。


温泉の大きなお風呂に入る時、彼のことを考えるのは、知り合って以来私の習性くせになっていた。ゆっくり、誰にも邪魔されず、彼の顔や、声、そして姿を頭の中で擦るのだ。

会っている時はそれが甘く楽しいひと時となり、会えない時にはそれが辛い時間となる。


「会いたい」と涙が流れる時もあるが、すでに頬は濡れているので気にならない。


今年はとうとうお花見をしなかった。


私はこれまでで一番美しい桜の花を彼に見せてもらった。当時彼が住んでいた練馬で、近所の大型団地に続く桜並木を、バイクに乗って花見をしてくれたのだ。

初めての二人でのお花見。初めてのバイクの二人乗り、彼の人生に一歩踏み込んだ感じがした春だった。

それ以来、彼とはささやかなお花見を毎年続けていた。バイクで丘の上の桜の名所に行ったこともある。あの時は彼がお花見のお団子を買ってきてくれたっけ。


昨年は東神奈川の公園に行った。お弁当を作って、敷物を持って、楽しみに出かけたが、散りそうな桜の木が一本あっただけで、心ここにあらずの彼と話すこともなく、空回りする私がいただけだった。


彼は2月にパパになった。


昨年末、「奥さんが産休に入るからしばらく会えない」と言われ、ある程度は覚悟をしていたが、その日は急にやって来た。


「赤ちゃん、生まれた!」と言うLINEのメッセージの後に、「会わへん?」と続いていたのには、思わず笑ってしまった。


赤ちゃんが生まれたなら、普通はその喜びでいっぱいいっぱいになってしまいそうなものなのだが、彼の場合、奥さんがしばらく入院し、その後は里帰りになるので、今のうちに会っておこうという思考になるのだ。無駄なく行動したがる彼らしい。


私の方がそんな大切な日に、私となんて会っていて良いものなのか躊躇する。しかし二か月振りに彼に会えるのだ。おまけにこの機会を逃し、奥さんが退院してしまえば、もう会えなくなるかもしれない。


ホテルを予約し、彼の好きなまい泉のカツサンドを買って、到着を待った。

いつもと何ら変わらない様子で、彼が部屋に入ってきた。生まれたばかりの赤ちゃんのことを聞いて良いものか、それともプライベートの質問はしない方が良いものか、そればかり考えていた。


しかしやはり今日はこの話題は避けられないと、彼も思ったのだろう。奥さんから送られてきた、誕生直後の赤ちゃんの写真を見せてくれた。


赤ちゃんの顔は彼のお父さんに似ていた。


2週間ほど前に亡くなられたお父さんの生まれ変わりのようなタイミングで、赤ちゃんが誕生したのだ。


「早く孫の顔が見たい」とよくお父さんにせがまれたと、以前聞いたことがある。もう少し早ければ、その夢が叶ったのにと思う一方、自分の血を継ぐ者がこの世に生を受けようとしていることを知って天に召されたお父さんは、きっと幸せだったのかもしれない。


それにしても、彼の夢を一つ一つ叶えてくれる奥さんの、なんとお手柄なことか。一人暮らしの彼に家族と跡継ぎをもたらし、料理上手で、知的レベルも高く、恵比寿で生まれ育った大学教授のお嬢さん・・・こんな完ぺきな女性ひとが他にいるだろうか。


名前は「ケント」君とするそうだ。「健人」とするのか、格闘技好きの彼のことだから「拳人」とする案もあると教えてくれた。


「結局どっちにしたのかな?」、温泉に肩まで浸かりながら考えた。


どっちでも良いではないか。それこそもう私ができることも、気にするべきこともない。


それなのに温泉に入ると、今も彼のことを考えるスイッチが入る・・・。桜の花はもう散り始めているというのに。


<夏>

彼は何度目かの転職に成功した。

前回の転職から1年経たずに、別の会社に移ることになる。昨年転職した際、勤め始めてすぐに失敗したと感じ、以前の会社に戻ろうと画策したほど合わなかった会社だった。


有給消化の間に長期の旅行に出かけるのは、彼の転職時の恒例となっている。

前回はタイとベトナムだったが、今回はエジプトに行くのだそうだ。

お土産は?と聞かれたので、ピラミッドをお願いした。以前松本に出張に行った彼に、冗談で「松本城」をお土産にねだったところ、スノードームに入った松本城を買ってきてくれたことがあったのだ。

その小さな丸いガラスの玉に入ったお城を、私はどれほど愛しいと思ったことだろう。そして彼のとんちにも感激させられたものだ。


なのでエジプトに行くと聞いた時、迷わず「ピラミッド」と答えたのだ。


帰国後、お土産を渡してくれるために会うことにした。場所は彼とよく行ったそごう横浜のお寿司屋さん。


そして彼はケント君を連れてきた。


ベビーカーを押してお店に現れた彼は、すっかりパパの顔になっていた。私はと言えば、どんな顔をしたら良いのかわからず、ケント君を見ることもできずにいた。

いつもの通り、二人の好きなネタを注文する。久しぶりのお寿司。彼と一緒じゃなきゃ嫌だと思い、ずっとお寿司屋さんに行くのを封印していた。


しかし手が出ない。

眠くなってぐずるケント君をあやす彼が気になって、食べられないのだ。


ケント君のご機嫌はだんだん悪くなっていった。ママがいない、周りはお客さんで賑わっている、居心地が悪かったのだろう。


早々にお店を出ることにした。

せっかく注文したお寿司を口にねじ込むように食べ、熱々のお茶で流し込み、先にお店を出た彼の後を追う。


そごう横浜の屋上に移動すると、彼がエジプトのお土産だと言って、小さなピラミッドと、お茶、そして砂漠に行くたびに採取してくれたと言う砂を渡してくれた。


その頃にはケント君のご機嫌はすっかり良くなっていて、ベビーカーの中で可愛らしく笑うほどだった。

パパとママの愛情をたっぷりもらい、健やかに幸せに育っている様子がうかがえる。良く見ると、目と口は彼にそっくりだった。

その変わり、丸いお鼻はいつかYouTubeで見た奥さんの物だ。間違いなく二人の子供なのだなとわかる。


「抱っこする?」と彼が言ってくれたので、恐る恐る腕を伸ばす。


見ず知らずのおばさんである私の腕の中でも、ケント君はニコニコしていた。長い髪をおもちゃだと思ったのだろう。引っ張って遊ぼうとする。彼が止めさせようとするが、私は幸せな痛みを楽しむ。

赤ちゃんのミルクのような優しい匂い、ふにゃふにゃとしつつも感じられる重さ、小さいのにしっかりと機能を果たしている愛らしい手、私が欲しいと渇望していたすべてが存在していた。


眠くなったケント君をベビーカーに乗せ、彼が屋上をゆっくりと歩く。私は切ない幸福感に包まれていた。夏至を過ぎたばかりの夕焼けが、薄い桃色に彼の背中を映す。その美しい光景を忘れないように、私は夢中でスマートフォンで撮影していた。


ケント君は「健人」と書く。


<秋>

私の誕生日が過ぎても、彼の誕生日が過ぎても、会えない日々が続いていた。「このまま会えなくなってもいいのかも?」と思う自分もいる一方、「いつか私と会いたいと思ってくれるんじゃないか」と期待をする自分もいる。


プレゼントをもらうのを先延ばししているのも、そんな下心があるからだ。

私は昨年のクリスマスから「プレゼントは何がいい?」と聞く彼の言葉を受け流していた。

もし別れることになっても、最後にプレゼントをもらうということを口実に、会える機会を残しておこうと思っているのだ。


彼との話題は、転職、彼の趣味の居合い、猟銃ぐらいになってしまっていて、転職が成功した今は、「プレゼント何がいい?」は数少ない話題の一つになっていた。


実際ほしいものもそれほどないのだ。無意識に考えないようにしているのかもしれない。


彼は忙しそうだった。新しい仕事はドイツ製の歯科で使われる機材を扱う会社で、何十人もの部下を持ち、日本法人の責任者グループの一人となっていた。

年種もグンと上がったそうだ。そういうことをちゃんと教えてくれるのが、彼の良いところだ。


私と出会ったころ、彼はなかなかその能力を認められず、お給料も上がらず、葛藤していた。それがいつの間にか、年収ピラミッドの「富裕層」と言われる上流階級に入っていた。


その姿を、彼の成功を見届けられただけで良かったではないか。ほぼ諦めの気持ちで日々を過ごしている私の心をもてあそぶかのように、彼から「奥さんが泊りで出かけるから会わへん?」と誘いがあった。


彼のその一言はカンフル剤のようだ。しおれていた私の心に潤いが蘇る。今回は奥さんが不在なので、一緒に宿泊ができるのがまた嬉しい。コロナの無症状者用施設として一棟貸しをしていたホテルが、営業を再開するその日を予約した。


待ち合わせは西横浜の二人でよく行った焼肉屋さん。仕事でぎりぎりに到着した私に比べ、彼は早めに到着して待っていてくれた。


いつものように上タン塩から始まり、カルビ、ロースと焼いて行く。彼が注文した大盛りのご飯を少しもらうのも、私たちのスタイル。

忘れないでいてくれる彼の気持ちが嬉しい。


この日はもう一つ楽しみにしていたことがある。野毛山公園の展望台経由で、ホテルに歩いて行くことになっているのだ。このルートは数年前に彼が見つけ、私を連れて行ってくれたものだ。その時は「まだ着かないの?」と文句を言いながら歩いたのだが、後に彼の優しい気持ちに応えられなかった自分が残念で仕方なかった、


そのためずっとやり直しをしたかったのだ。


彼が住んでいた2年間、何度も通った西横浜の街を抜け、藤棚商店街から野毛山を目指す。最初の上り坂がキツいのは前と一緒だ。だけどこのキツさすら愛おしい。前回は途中の商店で彼が缶ビールを買って飲みながら歩いたが、今日は肌寒くてそんな気分にならないようだ。


間もなく頂上に差し掛かるという時に、彼が引っ越すことになると教えてくれた。


もしかしたら奥さんの恵比寿の実家へ?と思ったが、今彼が住む街から5つほど行った駅が引っ越し先だそうだ。子供ができて手狭になったからと言う理由で、庭付きの一軒家を建てるのだ。


ちょうど山頂の展望台に到着した。


彼の幸せや成功は私も嬉しいはずだ。しかし「おめでとう」と言いながら、私のほほには涙が伝っていた。

彼が今のマンションを購入した時、私はとても嬉しかったが、勝手にこれで彼の人生は行きついたと思ってしまっていたらしい。彼はもっと大きな可能性を秘めていたのだ。

私はそれを知らなかった。彼のことは誰よりも知っているつもりだったのに。


もしかしたら今の奥さんと出会ったことで、彼の可能性はもっと広がったのかも知れない。


私は彼にとって縁起の良い女性ひとでいたかったが、それは私ではなかったのだ。


彼はいつものように「なんで泣くん?」と戸惑っていた。私たちの目の前にはあの夜と同じ、美しい横浜の夜景が広がっていた。一つだけ違うのは、あの時の彼は存在もそして気持ちも私のすぐ横にいてくれた、今夜は存在は私のすぐ横にいても気持ちと目線は遥か遠くあると言うことだった。


<冬>

彼に大学院入学のお祝いとしてiPadをプレゼントしてから、間もなく10年が経とうとしている。ものを大切にする彼は、まだ問題なく使ってくれているが、電池の消耗時期を考えると、いつ使えなくなったとしてもおかしくない。

新しいiPadも、できることなら私があげたい。一番重宝する物を彼にプレゼントしたいのだ。


そのためには長い間避けていた「私が何をほしいか」を、彼に伝える必要がある。さもないと不公平になると、彼が言うかもしれないからだ。

そう思うと、ほしいと思うものがいくつか出てきた。その中の一つを彼に買ってもらうついでに、会うことになった。


コロナの自粛が少しずつ解除され、Go Toキャンペーンが再開し、世の中は国内旅行ブームのようだ。いつも使っていた横浜のホテルが、ことごとくデイリーユースを止めてしまっていたため、蒲田のホテルを予約した。


去年のクリスマス、ホワイトデー、誕生日、そして今年のクリスマスをまとめて、一つのプレゼントを彼に買ってもらう。お店では「 “ご主人”もいかがですか?」と言われても、平然と受け答えをしてくれていた彼のことをありがたいと思う。

私が「ほしい」と思ったのは、振動で腹筋を鍛える製品だ。10代のころからポッコリとしたお腹が悩みだった。フラットなお腹は一生縁がないと諦めていたが、来年は少しあがいてみようと思っている。その足掛かりがこの製品だ。


彼に買ってもらったことで、よりその気持ちに拍車がかかるようにしたい。


蒲田で会った翌週はクリスマスイブだった。


珍しく彼から先に「メリークリスマス」と、そして喪中で新年のあいさつができないと言う、事務連絡のようなメッセージが来た。


彼は気づいていないかもしれないが、私は毎年1月1日0:00に彼に「おめでとう」のメッセージを送るようにしていた。ユーミンの「今年も最初に会う人があなたであるように」(A Happy New Year)をイメージし、彼に届く最初のメッセージが私であるように願って送っていたのだ。


そのメッセージを送ってくれるなということか。


なにもクリスマスに言わなくてもいいのになと思った私に、追加のメッセージが届く、「あなたの健康と幸せと“長生き”を願っている」と。年寄り扱いされるようになったなぁと笑うしかなかった。


大晦日、紅白歌合戦の大トリは福山雅治だと知り、絶対見ようとテレビの前に陣取る。その前に登場したのが松任谷由実で、「卒業写真」を歌った。


あなたは、私の、青春、そのもの


私にとっての2度目の青春は、彼だったのかもしれないとぼんやり思う。

人ごみに流されてしまいがちな私を、彼は時々叱ってくれた。

私に興味を失った彼は、もう私を叱ってくれることはないのだろうか。


福山雅治の「桜坂」を見終わると、年は2022から2023に変わって行った。

彼と知り合って20年になる節目の年が静かに始まったのだった。





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