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2021年 淋しいのはおまえだけじゃない

彼と知り合って、17年の年月を描いた「ワンスアイヤー」が2020年に完結した。

この小説はその後の二人を、四季をテーマに、「私」の視点で描いて行く。


彼は結婚し、家庭を築き始めた。

私は彼の影を追いながら、自分の人生を立て直すために苦悶する。


優しかった彼は新しい家庭、新しい奥さん、新しい仕事探しに夢中になっている。

一人取り残された私は、人生の転機を迎え、自分自身と向き合い、心を彼に残したまま、現実にの世界で幸せ探しを始める。


<春>


シャバーサナーはヨガの最後に行われる。「しかばねのポーズ」とも呼ばれる究極のリラクゼーションポーズだ。ヨガマットに大の字になって横たわり、無我の状態で体と精神を休める。

インストラクターは「すべてを手放して」と言うが、その言葉は私には「彼への執着を手放して」と聞こえてしまう。そしてそのたびに涙があふれてくる。


しかし私はその涙をあふれるがままにさせている。日頃会いたくて、触れたくて、愛してほしくてたまらない気持ちを我慢しているが、この時だけは自分の気持ちに正直にさせているのだ。そうでもしないと平静を装うことが難しいほど、私は自分を律していた。


元町にあるこのヨガ教室に通いだしたのは、今年の1月のことだ。彼と過ごした17年間をまとめた小説を書き終え、まるでほうけたようになっていた自分を取り戻すために、心と体を労わろうと思ったのだ。


去年の年末から年始にかけて書いた小説は、20の短編からなる結構なボリュームの小説になった。長い冬休みのほとんどを費やしたと言って良いだろう。

文章と涙はまるで泉のように湧いて出た。懐かしさと、淋しさと、愛しさで、胸が苦しい。それでも六万文字以上を使って紡ぎだした小説が出来上がった時、自分はこれで彼を手放せるだろうと思っていた。


現実は違っていた。せっかく書いた小説を彼に読んでほしい。感想を話してほしい。一緒に過ごした時間を「懐かしいね」と振り返りたい。そんな欲望が沸き上がり、彼と会うたびに小説の話をしてくれないかと期待してしまう。

ある時「今度会ったらぼくの感想を話すよ」と言ってくれたので、会っている間中「いつ話すのかな?」とワクワクしたまま、彼が帰る時間になり、「小説の感想は?」と悲痛な思いで訴えると、「じゃあ5分だけ・・・」と軽く言われ、がっかりしたこともあった。


それ以来小説の話はしていない。結局私の自己満足でしかなかった小説は、そのまま封印することにした。


コロナが世界中の常識を変えて1年が経とうとしている。私の仕事はテレワークが基本となったが、担当する役員会議のために、週に一度は出社をしていた。同じくテレワークの彼とは、平日に時々ランチで会うほか、月に1度、土曜日にホテルのデイユースを使って会っている。新婚の彼とはもう会えないかと覚悟をしていたが、不思議なもので、彼の新しい奥さんは土曜日が仕事で、日曜日と月曜日がお休みだった。そのため彼にとっても私にとっても時間が自由になる土曜日が最良のデートの日となったのだ。


またコロナでゲストが減少したホテルが、苦肉の策としてデイユースに力を入れ始めたのも、私にとっては幸運だった。彼の好む大浴場のあるホテルが、日中5,000円で使用できるのだ。「隠れ家」と二人で呼んでいた渋谷の暗いラブホテルのようなところをまた使うようになるのか?と、浮かない気分でいたが、このような小さな幸運が二人の仲を辛うじてつないでいた。


彼は再び転職活動を始めようとしていた。2年前に勤め始めた今の会社は楽すぎて、自分を成長させることができない。そしてこれ以上の出世も望めないと、次のチャンスを求めていた。確かに彼の年齢を考えると、転職のチャンスはこれから2年~3年でピークを迎えるだろう。始めるなら早い方がいい。


そんなある時、彼が奥さんと旅行に行くと教えてくれた。場所は沖縄だそうだ。

話し難そうに伝えてくれたのだけが救いだ。だから私も平静を保とうと必死で自分を鼓舞していた、「お土産、何を頼もうかな~?」と。


しかし内心は動揺していた。沖縄、それは私たちにとって特別な場所ではなかったのか?二人で行った南の島。あれから天気予報で「オキナワ」と聞くたびに懐かしく、ほのぼのした気持ちになっていた。そこに旅行・・・新婚旅行で行くというのだ。

あぁ、彼は私との思い出を少しずつ奥さんにすり替えて行っている。

マンションのあの心地良いベッドが、彼の興味が、彼の時間が、そして今、沖縄までもが、私から奥さんとの思い出に代わって行っているのだ。去年私と行った石垣島への旅からまだ1年も経っていないと言うのに。


沖縄のお土産は、白いサンゴを拾って来てほしいとお願いした。彼と2度行った沖縄で、私はビーチで真っ白な石のようなサンゴを記念に集めていたからだ。私の代わりに彼にそのサンゴを持って帰ってほしかった。


本当は何もいらないのだ。奥さんと楽しい新婚旅行に行って、どうせ現地で青い海をバックにウエディングドレスの写真でも撮ってくるのだろう。白いタキシードを着た彼を想像するだけで苦しい。でもそんな旅行の間、白いサンゴを拾うほんの1分だけでも、私のことを思い出してほしかった。その時の彼は私だけのものだからだ。


<夏>


この街に来るのは何年ぶりだろうか。当時はまだ「赤ちゃんがほしい」と言う希望を持って、駅からの道を歩いていた。彼との子供を授かるために、私は様々なクリニックを訪れていた。その一連の活動の最後の方に来たのがこの街だったのだ。

今日はまったく別の用事で訪ねている。


2か月前に受けた健康診断で、子宮ガンの疑いがあると告げられたのだ。以前不妊治療のためにあらゆる薬を飲み、注射をしていた。今回ドクターから、過去の治療履歴を教えてほしいと言われ、自分が通ったクリニックを一つ一つ訪ねて情報を集めているのだ。

と言うのも不妊治療を諦めた時、すべてのもの、婦人体温計、基礎体温表、お薬手帳、資料などを捨ててしまったため、どんな治療をどのくらいしたのか、自分でも覚えていなかった。


「こんなことならしばらく取っておけば良かった」と悔やむ。相当ハードに注射をし、薬を服用していたので、いつかこんな日が来るかもと想像していたではないか。何が起きてもおかしくないと思っていたではないか。


久々に訪れた不妊治療専門のクリニックの居心地は悪くなかった。誰もが同じ目的で時間を共有している。ただ一つ違うのは、私はもはやもうその一員でもないということだ。できたら一人でも多くの人が私の方に来てほしいとふと思い、自分の業の深さに唖然とする。いつから私はこんな人になったのかと。


その時一人の女性が受付に呼ばれた。どうやらこの群から抜け出す幸福な人らしい。受付嬢に妊娠が判明した後の手続きなどについての説明を受けている。「○○さん」と言う名前を聞いて、思わず顔を見る。間違いない、彼の奥さんだ。


神様はなんといたずら好きなのだろうか。彼のことを愛する二人が、かたや幸せな告知を受け、方やがんの疑いで同じ日、同じ時間に同じクリニックを訪れているのだ。

帰り道、目の前には大きな夕焼けが真っ赤に輝いていた。思えば彼との思い出には常にまん丸の月や太陽が、まるでお決まりのようにあった。

最初にフラれた時には宇宙船のような大きな赤い月で、彼との子供を諦めた時にはソウルのスモッグに浮かぶ真っ赤な夕焼けで、今日は輝くようなまぶしい夕焼けだ。


その太陽に向かって呟く「おめでとう」と。私が手にできなかったものを彼が手にした。それでいいではないか。


<秋>


彼は転職した。前の職場の時には週に1度はランチに誘われて、いそいそと出かけたものだが、新しい仕事を始めてから、ぱったり誘われなくなった。連絡もほぼ来ない。

「やっぱり・・・」と勝手に想像する。あのクリニックで会った人は奥さんで、妊娠がわかったことで私どころではないのだろう。

だったらそう言ってくれればいいのに・・・。一緒に赤ちゃんの誕生を喜ぶことすらもう私はできないのか。「私はあなたの奥さんが妊娠したことを知っています」と、何回SNSのメッセージで送ろうと思ったことだろう。

そのたびに「いや、これは彼の口から聞かなければならない」と自分を制する。私の精神はもう限界だった。


私の誕生日の9月が過ぎ、10月の彼の誕生日も過ぎたころ、久しぶりに会うことになった。


コロナの自粛要請が明けた週末で、いつものデイユースのホテルが満室だったため、久しぶりに「隠れ家」に行くことになった。待ち合わせ前に彼のバースデーケーキを買い、待ち合わせしたヨドバシカメラで私の誕生日プレゼントを買ってもらい、横浜のラブホテル街を目指す。

薄暗いホテルの部屋のテーブルにケーキを置いて、キャンドルを灯し、彼に1年の目標を尋ねる。


それは彼にとって尋問のようなものだっただろう。


「去年の目標はクリアできたの?」と、何気なく聞いた風を装ってみる。昨年の誕生日の時、間もなく結婚する彼が「子供を作りたい」と宣言したことは、彼自身もよく覚えていた。

果たして彼は再び言いにくそうに、しかし明らかに照れたように、そして嬉しそうに「子供ができました」ととうとう告白した。

「おめでとう」の代わりに「知ってたよ」と伝えたのは、私の精一杯の嫌味だ。

何故教えてくれたなったのか、あなたの口から聞きたかったとも。


彼はもちろん驚いていたし、どうして知っているのかといぶかしがってもいた。そして「僕のことをつけてたの?」と疑ってもいた。

私は言わなければいいのに、すべてを事細かに話してしまった。彼がきっと「黙っていてごめんね」と優しく謝ってくれるのを期待して。


しかしそうは行かないのが現実だ。彼は子供ができたからと言って手放しで喜べなかった。病気の疑いがあったり、あれこれ手続きしなくてはならなかったり、安定期になるまで誰にも言えなかったと。

おまけに転職した仕事が想像以上に大変で、朝から晩まで会議続きで忙しかった•••どうせ信用していないだろうけどと、怒り始める。

それに加え、私が彼の両親のことや、家庭内のことを興味深く尋ねたりすることが嫌で仕方なかったとも告白した。特に彼の父親の病気のことを尋ねられると、答えようがない、我が家の事はほっておいてくれと言い放った。


すぐ隣にいる彼が、手を伸ばせば触れられる位置にいる彼が、恐ろしいほど遠くに感じられる。

確かに私は彼のご両親、特にお父さんのことは何回か尋ねた。以前病院に入る際、保証人の欄に名前を連ねたこともあるから気になっていたのだ・・・と言うのは表向きだ。

本音を言うと彼と話すことがなかったのだ。彼のことはなんでも聞きたい。でも彼がほとんど自分のことを話さなくなった今、楽しく会話をするネタが見つからないのだ。

そこでとりあえずご両親のことを尋ねたが、敏感な彼は私のそんな不埒な理由を本能で見抜いていたのかもしれない。


言葉に詰まるようじゃ恋も終わりね。。。と歌ったのは桑田さんだったなと、ふと考える。


もしかしたら今日が私たちの終わりの日なのかも知れない。いたたまれなくなり、隣に座っていたソファーから、数歩離れてベッドの端に腰を下ろし彼を見つめる。思えば彼が私に向かって微笑まなくなってからずいぶん時間が経った。昔の写真を見ると、彼はいつも笑っていた。その顔が大好きだった。しかし今の奥さんに出会い、結婚が決まってからは、彼は私に笑顔を見せなくなった。もう一度微笑んでほしくて、会うたびに写真を撮っているが、ぎこちなく笑ったふりを見せるだけだ。

そしてもはやその「笑ったふり」すらなく、視線を私に向けることもなくなった。


今日は私が彼を「子供ができたくせに教えてくれなかった!」と弾がいする日じゃなかったのか?そして彼が「黙っていてごめんね」と優しく謝ってくれる日じゃなかったのか?


「ラブホテルの休憩時間が終わるまで寝ているから、帰りたいなら帰っていいよ」と冷たく突き放す彼に謝ったのは、結局私だった。

あんなに苦しんで、悩んで、淋しくて、彼に抱きしめてほしかったのに、いつの間にか私が「ごめんなさい」と言っていた。

ようやく彼が私を抱きしめてくれた。このぬくもりのために、このひと時のために、私はこの数か月どれだけ苦しんだことだろう。

泣いている私の背中をなでながら、彼が教えてくれた「生まれてくる赤ちゃんは男の子だ」と。


<冬>


彼は三たび転職活動を始めていた。8月に働き始めた会社は、入社してすぐに「自分に合わないかも」と思ったらしい。早朝から深夜までバーチャル会議が続き、昼食を摂る時間もままならないほど忙しいそうだ。それだけではない。上司から今の状況を改善できるのかと、糾弾されている。入社して早々、まだ仕事の内容も把握していない頃からそのような状態で、自分が伺い知らない問題の改善を求められる理不尽な状況が続いているようだ。

直近の会社に戻してもらえないかと、恥を忍んで聞いてもみたが、うまく行かなかったと話してくれた。

彼が辛い思いをしていると聞くと心が痛む。


しかし私はすっかり臆病になっていた。あまりしつこく状況を尋ねると、また「僕の家のことはほっておいてくれ」と言われてしまいそうで、会っても当たり障りのない会話になってしまっていた。


彼はと言うと、さすがにラブホテルでの一件以来、私への対応が変わっていた。より優しくなったというか、気を使ってくれているというか。そのよそよそしさがまた淋しいのを彼は知らない。

微笑んでくれるだけでいいのに。前のように楽しそうに、嬉しそうに、私に笑いかけてくれるだけでいいのに。

思えばこの1年、私が追い求めていたのは彼の笑顔だったのかもしれない。二人で会っていても上の空だったり、私が大切にしている思い出を忘れていたり、「ほっといてくれ」と突き放されたりしても、彼が前のように笑ってくれたらこんなに淋しい思いをしなかったのに。


淋しい、今年何回そう感じただろう。あんなに一緒にいたのに、あんなに好きだったのに、あんなに分かり合えていたのに。

しかしそう思っていたのは私だけだったのかもしれない。

彼に会っていない時には、私には家族が一緒にいた。彼はその時一人だったはずだ。彼はきっと私と同じような淋しさを味わっていたのだろう。私はそれを知らなかったし、知ろうともしていなかった。


私だけが淋しいと思っていたが、それは私の思い違いだ。人は皆何かしら淋しい。「淋しいのはおまえだけじゃない」西田敏行の歌のフレーズが私の頭の中をこだまする。


そう考えられるようになっただけでもこの1年は無駄ではなかった。もしかしたら2021年はこれから訪れるもっと淋しい日々の前哨戦、準備段階だったのかも知れない。少しずつ彼と会えなくなる日々への心の準備をするように神様が用意してくれた1年だったのだ。


明日がクリスマスイブと言う23日、彼から「奥さんが来年早々産休に入り、半年くらい会えなくなる」とメッセージが来た。

いよいよその時が来たのだ。


彼はあと数か月後には父親になる。私とは全く違う道を歩くことになる。そしてその道は私が知らない道でもある。

泣かないようにしようと思ったが、それは無理だった。

彼は「僕も会いたいんやで」とおなじみのセリフを言ってくれるが、私は覚悟を決めていた。


次に会う時の彼はきっと私がまったく知らない彼だろう。今でも私と一緒にいても上の空の彼なのだ、パパとなってから私と会っても、きっとまったく別の事を考えているだろう。彼はそう言う人なのだ。自分の気持ちに正直で、興味がないことには無情なほど興味を示さない。そんな彼と会う勇気は今の私にはない。


その代わり私は祈ろう。彼の幸せと健康な赤ちゃんの誕生を祈るのだ。そのあとはどうしたらいいのかわからない。でもそれでもいいのだ。そのあとのことは来年考えよう。ただ離れてもいつか「会いたい」と思ってもらえる自分でよう。「ずっと会える人でいてほしい」と彼に言われた言葉を信じて。


2022年1月1日0:00、大好きな彼に今年も誰よりも先に新年のあいさつを送る。彼にとっても私にとっても新しい一歩を踏み出す年のスタートだった。


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