異世界の通訳がこんなに強面なんて聞いてない。
のんびり系の異世界もの考えてたら、こうなりました。
夕日の差し込む、あるアトリエにて。僕は一人、薄暗い影と夕日の赤に色づけられながら、部屋の隅に縮こまっている。僕はしがない画家である、と言いたい。
「もう、無理だ」
というのは、実を言うと、しがないどころか落ちこぼれた画家であり、今まさに絶望を全身で表現している真っ最中なのである。
無理に筆を持ってでも何か描いてみようと思うのだが、しばらくすると静かに筆をおかざるを得ない心持になる。とにかくインスピレーションが湧かないのだ。先日そんな苦難を越えてようやく一つの作品を仕上げたのだが、講評はとてもひどいものだった。それはもう、ショックが大きすぎてその場で気絶するほど。
タイトルは『明日』。薄っぺらい布地のキャンパスに願望やら羨望やらを染み込ませただけの、所詮偽物だ。何が明日だ、何が希望だ。自分で描いておきながら馬鹿々々しい。
「このまま透明人間になって、誰にも知られずに、消えてしまえばいいのに」
そんな言葉をこぼして、作品に触れる。
と、その刹那、そこに存在していたありとあらゆる色が溶け出して、混ざり合って、――――――――やがて何も見えなくなった。
あれから、どれくらい時間がたったのだろう。リビングの床で寝た時のような痛みで、僕は意識を取り戻した。何だか眩しい。そっと瞼を持ち上げると、さわやかな空色が流れ込んできた。唖然として、「え」とも「は」ともとれる、なんとも間抜けな声を発してしまった。
とりあえず、腰が痛いので立ち上がってみる。少し体を伸ばすと、体のいたるところでパキポキと不健康な音が鳴った。
「ヨノロ、コドラカキハノタ?」
「うわっ、びっくりした……」
突然声をかけられ、思ったことをそのまま口にしてしまった。が、どうやら言葉が通じていないらしい。僕に話しかけてきたと思われる少女は、猫のような耳をぴょこぴょこと揺らしながら、首をこてんとかわいらしく傾げている。数秒後に何かひらめいたような顔をして、「とたとた」という効果音がつきそうな動きでどこかへ走って行ってしまった。
どうしようもない僕は、とりあえずその場で少女を待ってみることにした。すると予想通り、僕の体内時計で5分後には帰って来た。――――――――厳つい男を連れて。
詳細を伝えておくと、身長は180センチほどで、着ているTシャツとジーパンはところどころ破れている。筋肉質で力も強そうだが、ボディービルダーほどの肉付きではない。上に視線をずらしていくと、そこにはなんとも表現しがたい強面があった。短髪で、眉間にしわが寄っている。目つきが悪いことこの上ない。
というように、僕の頭は冷静に分析しているが、実際は180度反対だ。怖くて一ミリも動けない。なんて考えていたら、目があった。僕は強面の男と見つめ合うというなんとも奇妙な空間に放り出されてしまった。本当は今すぐにでも目をそらしたいのだが、そうしたら殺されるのではないかと思い、鬼のような顔面から視線を外せずにいる。はて、どうしたらいいのやら。そんな状況が約3分続いた。
すると、男はようやく口を開いた。
「お前、俺の言葉がわかるか」
「えっ、あぁ、はい、まあ」
しどろもどろになりながらも言葉を紡ぐ。そんな僕の様子を見て、男はため息をついた。何か、怒らせるようなことをしてしまっただろうか。怖くなって、僕は肩をすくめる。
「名前」
「……え」
「名前は」
「も、萌木紫苑、です」
「年」
「あ、30です」
「出身は」
「えと、日本」
そこまで聞くと、男はまたため息をついた。一応いろいろ考えてはみたのだが、僕は自分が置かれたこの状況をまだ理解しきれていない。ならば、聞いてみるしか策は無い。
「あの、僕、何かしました?」
「ああ?」
濁点がつきそうなほど低い声で男は僕を睨み付けた。思わずひえっと声が出る。
「あー、悪かったな。そんなにビビるんじゃねえよ」
頭をガシガシとかきながら、男はそう言った。
「お前、自分の状況理解してるか?」
話が通じない人だったらどうしようかと思ったのだが、良かった。彼はどうやら物分かりが良いらしい。
「……いや、よくわからないです」
嘘を付くこともできず、とりあえず素直にそう言ってみれば、男はまた呆れたようにため息をついた。そして、こう言った。
「異世界、ってわかるか」
「……は?」
「あ?」
男は僕のすっとぼけた反応に対し、すぐさまバリトンボイスで聞き返してきた。これを恐ろしいといわずしてなんというのか。僕はまた「ひぇ」と情けない声を出した。
「アスキ、カツカキカテルシオノ?」
「違ぇよ」
「テナン? ムト、アスキコバトノカワイナーン」
「テメェ、わかっててやってるだろ」
「ルシュニコクウホー!」
「あっ、テメェ、待ちやがれ……って、おい、お前も頼むからそんなに怖がらないでくれって……俺が遊ばれるだろ」
「は、はぁ」
目の前の強面の男は、猫耳をはやした可愛らしい女のこと親しげに会話を交わしたあと、少ししょげたような顔でそう声をかけてきた。いや、本当にしょげているのか……? ともかく、ただでさえ「異世界」という言葉を吐き出されてわけが分からないのに、知らない言語で知らない人(?)が話しているのだ。僕の頭の中はもはやカオスである。
「異世界……異世界とは……?」
「要するに、日本じゃねぇってことだな。お前も、さっきムトの言葉聞いただろ?」
「ムトって、あの女の子ですか。猫の耳みたいなのをはやした」
「ああ、日本だと猫だな。こっちだと『トツキ』っていう獣人の一種らしい」
「獣人……」
また新しい情報が出てきて、僕の頭は余計に混乱する。唯一ありがたいのは、目の前の男が、厳つくて圧は強いものの、ちゃんと話が通じる相手だということである。
「あ、あの」
「なんだ」
「お名前を、うかがっても、よろしいでしょうか……?」
そういえば、と思い出して僕が尋ねると、男は軽く息を吐いた。僕がそれを見て肩をピクッと揺らすと、男は眉尻を下げた。
「……自分で言うのもなんだがな、外見で判断しないでくれよ。いきなり殴りかかったりしねぇし」
「あ、そ、その、すみません」
返答からまだ警戒を解かれていないことを察したのか、男はすっきりしない表情で、軽く頭をかいた。
「あー、名前だったか。俺は真田亜栖紀(さなだあすき)だ。お前は……シオンでいいか?ま、しばらくは帰れる見込みもないし、一応、よろしくな」
「よ、よろしく、お願いします。えっと、真田さん?」
「おう」
ずいと手を差し出されて、僕はおずおずとそれを握り返した。ちらと様子を窺ってみると、相変わらず顔は怖いけれど、幾分かましになったような、いや、そうでもないような。それでも、よろしくするだけの気持ちはあちら側にもあるらしいので、僕は少しほっとした。
と、ここまで考えて、僕はふっと気がついた。
「……え、僕帰れないんですか?」
続きません。