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上下巻発売中【WEB版】愛しい婚約者が悪女だなんて馬鹿げてる!~全てのフラグは俺が折る〜  作者: 群青こちか@愛しい婚約者が悪女だなんて~発売中


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フォルティス侯爵夫人ジュリア

「あなた遅くなってごめんなさい、少し横になっておりましたの」

「大丈夫か?」

「ええ、お待たせしてしまって申し訳ないわ、そしてミレイア、あなたいったい何やってるの、部屋に戻るわよ」


ジュリアは俺に気づき軽く会釈をしたあと、泣き叫んでいるミレイアに呆れたように言った。

そうだ、侯爵がハンナに言いつけてジュリアを呼んでいたんだった、すっかり忘れていた。


遅れて登場したジュリアは、レースのつば広帽子をかぶっていた。

帽子の陰から見える彼女の顔は青白く、ぱさついた金色の髪も相まってたしかに体調は優れないように見えた。


「お母さまぁーだってぇ!!」

「静かにしなさい!」


今度はミレイアの目を見てぴしゃりと言い放った。

途端に泣き止むミレイア、先程までの奇声は何だったのだというくらいギュっと口を結んでいる。

その姿を見て、ジュリアはわざとらしくため息をついた。


「ここに来た時に少し話が聞こえたけど、あなたローデリック公爵にあんなに言われるようなことしたの? お部屋に戻って反省なさい」


感情のこもっていない声、ただこの場を取り繕って早く屋敷に戻りたいというのがわかる。

ジュリアはそのまま視線をリリアナに移し、少し目を合わせた後、顔を伏せた。


「リリアナ……、あなたが相当怒っているのが聞こえたわ、ごめんなさいね、駄目な妹をゆるしてあげて」


顔をあげないまま、ジュリアはリリアナの手をとろうとした。

俺はリリアナの肩を抱いて後ろに引き寄せ、リリアナも手を出すことはしなかった。

宙に浮いたジュリアの青白い両手。

その手を取ったのは、今まで黙ったまま後ろで全てを見ていたサフィロ子爵夫人だった。


「ジュリア、ひさしぶりね」


突然声をかけられたジュリアは、ゆっくりと顔を上げ、サフィロ夫人と目を合わせた。


「ごきげんよう、どこかでお会いしたかしら?」


そう返答をした後、表情を一切変えずに握られた手を離した。

知らない人間に突然手を握られ、困惑しているようにも見える。

もしかすると、サフィロ夫人のことをわかっていないのだろうか?


サフィロ夫人は凛とした姿勢を崩さず、無言のままでちらりとフォルティス侯爵へ目線を送る。

先程までミレイアに振り回され疲れ果てていた侯爵は、今度はジュリアの態度を見て驚きを隠せない様子だった。


「では、娘の具合が悪そうなので失礼いたします」


そんな周りの空気が気にならないのか無視をしているのか、ジュリアは優雅に美しいお辞儀をしたあと、くるりと屋敷の方向へ振り返った。

いつの間にかミレイアの横にはハンナが寄り添っている。

その光景をぽかんと眺めていたフォルティス侯爵が、慌てたようにジュリアを呼び止めた。


「待ちなさい! その対応はないだろう、15年ぶりだぞ」


ジュリアは15年というキーワードにピクリと片眉をあげて振り返る。


「昔のことは忘れたい記憶ばかりですので、申し訳ございません」

「そうは言っても自分の母親だろう!」


今までの出来事に疲弊しきっていたのか、フォルティス侯爵はムキになったように声を荒らげる。

その横で唇の端をあげ「この人の母親になった記憶はありませんけどね」と、サフィロ夫人が呟いた。

ジュリアは無言のままで、表情も全く崩さない。

サフィロ夫人もそんな姿を冷たい視線で見つめながら、侯爵に一歩近づいた。


「フォルティス侯爵、彼女の言うことを信じていたい気持ちはわかりますが、先ほどお話ししたように私は子供を産んでおりません」

「わたくし、あなたの娘だなんて言った覚えはございませんわ」


突然、ジュリアが切り返した。


「え?」


思いがけない言葉に、侯爵と俺が同時に声をあげ顔を見合わせた。そのあと目を丸くしたサフィロ夫人とも目が合った。

ジュリアはあきれたような笑みを浮かべ、仕方がないといった雰囲気で話し始めた。


「わたくしサフィロ家のことを考えておりましてよ、だから黙っていたんですの。あなたの夫であるサフィロ子爵が、わたくしを連れ帰ったあの日を覚えてますか? わたくしはサフィロが他の女に産ませた子供です」


なんてことを言い始めたんだこの女は?

二人とも目を白黒させて、訳が分からないという顔をしている。

ジュリアは続ける。


「わたくしを生んだ母が死んだあと、どうしても一緒に暮らしたいと考えたサフィロが考えた筋書きですよ。でも、わたくしはあの屋敷でひどい目にあった、それは主人であるフォルティス侯爵もよく知っています。あなたの顔なんて覚えて無くて当然ですわ」

「よくもまあそんなことを! あなたは当家に来た時褐色の髪色だったじゃない」

「いいえ、わたくしは生まれた時から金髪です、父譲りです、ごらんのとおりですわ」


そう言って少しくすんだ金色の髪を靡かせた。

頭が悪い女ではないとは思っていたが、まさかこんなことを言い出すとは。

サフィロ夫人は額に手を当て、冷静さを失っている。クロードが慌てて夫人に寄り添った。


そしてフォルティス侯爵は……って、おいおい侯爵、言葉を失ってるだけじゃなく同情的な目で妻を見ているじゃないか、信じてくれるなよ。

俺はリリアナをステラにまかせて、ジュリアに近づいた。


「こんにちはフォルティス侯爵夫人、レイナードです」

「ごきげんよう」


ジュリアは少しだけ微笑んで会釈をした。


「私がリリアナの婚約者で、リリアナが生物学に長けているということはご存じですよね」

「ええ明日が結婚式ですもの、もちろんですわ。それにリリアナのことは本当の娘のように思っておりますの、わたくしも自慢です」

「はい、私も彼女の人間性や考え方を尊敬しており、憧れさえ抱いております。大変素晴らしい女性であり、彼女の夫となれることを光栄に思っています」

「まあ、明日の結婚式が楽しみですわね」


目を細めてはいるが笑顔ではない。身体を動かさずここから去ろうという意思を全く崩していない。


「そんな彼女のおかげでわたしも薬草に詳しくなりましてね」

「……」

「侯爵夫人は、髪を好きな色に染められる染料があるのはご存じでしょうか?」

「ええ聞いたことはあります、でもわたくしはこの金色の髪に誇りを持っておりますから必要がないですわね」

「じゃあ、これはなんでしょう?」


俺の言葉が合図になったかのように、サフィロ夫人を支えていたクロードが、こちらに近づいてきた。

手には古めかしい革素材のノートのようなものを持っている。

クロードからノートを受け取り、目印の紙がはさんであるページを開いた。


「こちらのノートはこの国の端にある小さな丘で、薬草を栽培している農園の台帳です」

「それがなにか?」

「はい、ここは市中に薬草を卸している農場で小売りは行っておりません、しかし今から15年程前、一人の女性が髪を金髪に染めるハーブを調合してほしいと現れたそうです」

「……」

「最初は農場主も断ったのですが、市場の倍の金額を提示され、そこまで言うならと売るようになったそうで……」


俺は台帳に書かれているメモと、小さな紙切れが貼られているページを夫人に見せた。


「『ハーブの調合は北の国より持ち込んだもの、これと同じで構わない』という主のメモ書きと、女の字で書かれた紙の切れ端が貼られていますね」


ジュリアは無言のままページを見つめ、ミレイアの横に立っているハンナは顔を伏せている。


「ハーブは調合後に使用期限があるそうです、髪を染めるものは長くて半年、それを過ぎると希望の色には染まらなくなるとか。それを聞いた女性は毎年春と秋の年二回、15年間欠かさず買い付けに現れるようになったと……」

「わたくしとその話、何の関係が?」

「はい、農場主にハンナの写し絵を見せたところ、この女性が買いに来るとハッキリと証言していました。それをどうお考えになりますか?」

「まあハンナが! ずっと黒髪なのにおかしな話ね」


ジュリアは台帳から顔を上げ、俺の目をじっと見つめて微笑んだ。

全く狼狽えているようには見えない、そして肩をすくめてハンナの方を見た。


「ハンナに似た女性は沢山いるでしょう、それが言いたかったお話? もう屋敷に戻ってもいいかしら」

「あなたのためにハンナが買い続けていたのでは?」

「おかしなことをおっしゃる婚約者様ね、わたくしも色々と準備もありますし、ミレイアのことも……」

「農場主の話によると、髪の色を金色に保つにはひと月に二度は染めないといけないそうです。こちらのハーブは年に一、二度染めるくらいでは何もないが、定期的に染め続けると、頭皮が荒れ、食欲も落ち、日光にあたると皮膚に湿疹ができてしまうという症状が出るために日中は帽子が手放せないとか……」


フォルティス侯爵がハッと顔をあげてジュリアを見た、なにか心当たりがあるようだ。

ジュリアは帽子のつばを軽くつまみ、深くかぶりなおした。


「農園の主人が大量に買っていくハンナのことを心配していましたよ」


俺の言葉にジュリアは少しだけ口を開き、ハァと溜め息をついた。

帽子のせいではっきりと表情は見えないが、先程より面倒くさそうな様子で、不満げな口元をしている。


「わたくしが日差しに弱いのは昔からです、北国生まれだからかしらね、では失礼いたしますわ」


少し早口で応えたジュリアは、俺とサフィロ夫人に向かってわざとらしいほど恭しく頭を下げた。

そんな母親の姿をミレイアはずっと見つめていたが、それを無視するかのように、ジュリアは一人で屋敷に向かって歩きはじめた。


サフィロ夫人が口惜しそうな顔でその後ろ姿を見つめている。

同じように自分の妻である女の後ろ姿を、引き留めようともせず、ぼんやりと見つめている侯爵の姿もそこにあった。

なぜ何も聞かないんだ、仕事では有能なのに妻や娘のことになると頼りにならなすぎる……。

薬草園の農場主もここに呼んでおけば良かったのか、いやそれでもあの女はハンナに擦り付けて逃げただろう……ええい!


「フォルティス侯爵!」


大声で呼びかけると、侯爵が正気に戻ったかのようにこちらを見た。

返事を待たずに続ける。


「明日行われるリリアナの結婚式のあと、侯爵は二カ月の休暇をとられたそうですね」


俺の言葉にジュリアの足がぴたりと止まった。

もちろんこれは嘘だ。

侯爵は黙ったままなので構わずに進める。


「リリアナが生まれてからというもの、月に一週間程度の滞在で旅に出ることがほとんどだったと聞いております、こんなに長期間家族と一緒にいられることは初めてなのではないですか? どうぞ夫人と一緒にごゆっくりなさってください」


その場に留まったままのジュリアの背中が迷っているのを感じる、だがこのまま屋敷に戻るだろう。

しかし、このあと侯爵との話し合いは免れないのはわかっているはずだ。

侯爵には集めた資料と農場の場所を渡しておこう、これ以上ジュリアに介入するのは難しい。

今日の出来事をフォルティス侯爵はいったいどう思っているだろうか……。


何も言わない侯爵を見つめていると、後ろに立っていたクロードが、俺の肩をポンっと叩いた。

振り返ると、リリアナもすぐ横に来ていた。

全身の力が一気に抜け、安堵感に包まれる。


その時、屋敷に進み始めたジュリアにフォルティス侯爵が声をかけた。


「ジュリア、いまレイナードが言ったとおりだ、君を驚かせようと黙っていた、この機会に一月ほど旅行に行こうじゃないか、肌に良い温泉地に行きたがってただろう」


それを聞いたジュリアは、背中を向けたまま皆に聞こえるほどの大きなため息をついた。

そしてくるりと振り返り、更に帽子を深くかぶりなおした。


「なんですか旦那様、あなたまでわたくしを疑っているような口ぶり、呆れますわ」

「いや、旅行は前から言っていたではないか」

「こんな疑い掛けられて、やっていられません、わたくし当分一人で旅に出ます」

「え?」

「おかあさま?」


ずっと黙ったままハンナに寄り添っていたミレイアも声をあげた。

泣きだしそうな顔で母親とフォルティス侯爵の顔を交互に見ている。

ジュリアはそんなミレイアを見ることもなく、右手をあげて払うような仕草をした。


「もう疲れたわ、後はお好きにどうぞ、ハンナ、ミレイアをよろしくね」


ジュリアは誰の止める声も聞かず、あっという間に屋敷へと戻っていった。

立ち尽くすミレイアと、妻が去った後を見つめる侯爵。

リリアナは複雑な表情をして、どこを見るでもなく立っていた。


その時、激しい風が吹いた。

庭園の砂が舞う。

美しい榛色の髪が舞い上がり、バランスを崩したリリアナの体を俺は受け止めた。


これはあの時と同じ風だ、俺が死んでしまったあの時と……。


よかった、リリアナは俺の腕の中にいる。

そして俺も生きている。

驚いた表情のリリアナをそのまま優しく包み込むように抱きしめた。


「リリアナ、愛してる」


腕の中でリリアナは、俺を見つめて何度も頷いた。

細い肩、やわらかい髪、涙を湛えた深緑の瞳、全身に暖かいぬくもりと鼓動を感じる。

あの時の俺、大馬鹿なレイナードはもういない……。


「レイナード様」


リリアナを感情のままに抱きしめ続けていると、背後からクロードの声が聞こえた。

仕方なくリリアナから腕を離すと、クロードは何も言わず、チラリと目線を後ろに移した。

振り返ると、まるで生気が抜けてしまったかのようなフォルティス侯爵が立っていた。

そして俺と目が合うなり、深々と頭を下げた。


「侯爵、頭をあげてください」

「ローデリック公爵……たくさんの迷惑をかけているということしかわからない、明日は結婚式だというのに大変申し訳ない……私はまだ頭の中の整理ができず、根本さえ分かっていないのだろう、とりあえず今からサフィロ子爵夫人と屋敷に戻ろうと思っている、本当に、不甲斐なくて申し訳ない……」


顔をあげたフォルティス侯爵の唇が微かに震えていた。

娘の結婚式の前日、幸せなはずの一日だと思ってたのに、こんなことが起こるなんて混乱しても仕方がない。

何度も頭を下げようとする侯爵を支えていると、ステラがサフィロ夫人と一緒に近づいてきた。


「レイナード様、リリアナお嬢様、私が二人を屋敷にお連れいたします、お二人はせっかくお茶の用意ができておりますのでごゆっくりなさってくださいませ」


ステラはとびきりの笑顔でぺこりと頭を下げ、うなだれたままの侯爵とサフィロ夫人を連れて屋敷に戻っていった。

ステラの笑顔を見ると、なんだか一気に日常が戻ってきた気がした。


足元を見ると、芝の上にピンク石の胸飾りが転がっていた。

うしろにはミレイアがハンナと二人で取り残されているはずだ、しかし絶対に振り返らない。

今はもう、俺が生きられなかった時間が始まっているんだ。


俺はリリアナを横から抱きあげ、額にキスをした。


「では、お姫様が用意してくれたお茶菓子をいただきにまいりましょう」


恥ずかしがるリリアナにもう一度キスをして、中庭への道を進んだ。



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