ドレス職人 カーティス
午前中の仕事を片付け、風呂に入る。
全ての支度を終え、クロードに見送られながらフォルティス家に向かう馬車に乗った。
そういえば明日はミレイアの誕生会、やはり夢の中で見たローズピンクのドレスが引っかかる。
リリアナに会った時に誕生会で着るドレスの色を聞いてみよう、まあ絶対にローズピンクなんて選ぶわけない、これは絶対に自信がある。
小さい頃からリリアナが紫や淡いブルーなどが好きなのは把握済みだ。
結婚の記念に特注で頼んでいる胸飾りも、翠、碧、紫の石を組み合わせたものだ。
胸飾り……。
そういえば一昨日見た夢に胸飾りが出てきた気がする。あれはいったいどんな形だったのか……。
ぼんやりと、胸の痛みがよみがえる。
まただ、もう夢のことは考えるなレイナード!
あ、いいこと思いついたぞ。
焼き菓子の店に行った後、仕立職人のところに行き、リリアナのドレスと同じ色のサッシュを選ぼう。
これなら急にリリアナのドレスの色を聞くのも不自然じゃない。
そのうえ結婚前の二人がお揃いなんて、うん、なかなかいいじゃないか。
おっと、ついニヤけてしまう。
馬車に揺られながら、自然とせりあがる頬を両手で押さえた。
あれこれと考えているうちに、馬車はフォルティス家に到着した。
門をくぐり、入口に向かう途中、馬車庫にあまり見かけない一台の馬車が停まっているのが見えた。
荷台が大きいので何らかの業者のものか?
馬車を降りると、銀色の髪をした恰幅のいい執事が迎えに出てきた。
「お待ちしておりました、ローデリック公爵」
「あぁ、久しぶりだな、元気かブラッツ」
「ありがとうございます、この通り元気でございます」
そう言いながら、金ボタンがついた胴着をポンっと叩いて見せた。
ブラッツはフォルティス家では一番長い執事だ。
黙っていると一見厳しそうに見えるが、話すと目じりが下がる表情が親しみやすく、口調も軽快でとても楽しい男だ。
執事を見れば家督が分かるというが、その点ではこのブラッツは最高の執事だろう。
「さてローデリック公爵、リリアナ様でございますが、ただいまドレス職人の来訪が長引いておりまして……」
ブラッツはふさふさの眉毛をグっと下げて困った顔をした。
「ドレス職人?」
「はい、手違いがあったようで、大変申し訳ないのですが、少しの間お待ちいただくことになるかと」
「ああ全然かまわない、気にしないでくれ」
「ありがとうございます、では、こちらへ」
申し訳なさそうな顔のブラッツに案内され、玄関広間の右側にある客室へ通された。
「後でお茶をお持ちいたします」深々と頭を下げ、ブラッツは部屋を出て行った。
どこからか、リリアナの声と甲高い男の声が微かに聞こえてくる。
ん? これは隣の部屋か?
「こちらの手違いでございます、何度謝っても謝りきれません、お嬢様どうぞこちらを受け取ってくださいませ」
「ですから、手違いのことは仕方がありません、ですが、そのドレスも受け取れません」
リリアナの声の調子からすると、同じ問答を何度も繰り返しているようだ。
優しい口調ではあるが疲労しているのを感じる。
「ですが、このままでは私は店に戻ることができません、本当に、なんというミスをおかしてしまったんだ、大変申し訳な……うぅっ」
男の声が震え、途切れ途切れになる、泣いているのか?
「泣かないでカーティス、あなたを困らせるつもりじゃないの、でもこちらを無償で受け取ることはできない、私は怒っていないからもう帰っていいわ」
リリアナがとにかく困っているのが伝わってくる。
カーティス? こいつがブラッツの言ってたドレス職人か、一体何をしてるんだ。
このままだとまだまだ長引くのではないか、せっかくのデートだというのに!
何がどうなってるのかはわからないが、我慢ならないぞ。
ええい、くそ! 思わず立ち上がる。
確かこの手の客間は、隣とつながる扉があったはずだ。
隣の部屋との仕切り壁に近づくと、備え付けの暖炉があり、その横の飾り棚の上に花が生けられていた。
あ、横に細い扉があるじゃないか。
扉に耳を近づけると、男のすすり泣く声がいっそうよく聞こえてきた。
あーもう、行くか。
ドンっ!
「失礼、いったい何があったのかな?」
思いのほか扉が軽く、大きな音を立てて登場してしまった。
二人とも驚いた顔をしているが、俺も心臓がドキドキしている。
「まあレイ、もういらしてたんですね」
突然の入室に驚いたリリアナは、ちょうど男にハンカチを差し出していたところだった。
男は俺の出現に驚き、腰を抜かしたような体勢で尻餅をついている。
そして、そんな二人の後ろには、派手な装飾が施してある鮮やかなローズピンクのドレスがあった。
一体どうしたことだ、この派手なドレスは!
しかもローズピンク、夢と全く同じじゃないか!
ドレスを見て呆然としていると、「こ、これは、ローデリック公爵、大変お見苦しいところを……うぅ」
尻餅をついていた男が慌てて立ちあがり、右脚を引いて膝を曲げ、深々とお辞儀をした。
会ったことはないが、俺の顔を知っているのか。
「いい、構わん、一体何をもめていたのだ?」
顔を上げた男が、急に早口で話し始めた。
「改めまして、わたくしドレス服職人のカーティスと申します。実はわたくし共にフォルティス侯爵家からドレスのご依頼をいただいたのですが、頂いたデザイン画を、あの、なぜか間違えて制作してしまいまして、あの、希望されていたドレスと、あの、全く違うものが出来上がってしまったのです!」
必死な話を聞きながらリリアナを見ると、目を合わせて小さく頷いた。
カーティスはつづけた。
「こちらのミスであることは重々承知ですが、もう新しいドレスを仕上げることは不可能。幸い明日のパーティーのメインであるミレイアお嬢様のドレスの色は、ローズピンクではないと把握しております。なのでこちらを無償で提供させていただくので、お納めいただきたいと提案していたのでございます。うぅぅ……」
男は話をしているうちにどんどん体が沈み、今にも土下座をしそうな勢いである。
リリアナは困ったような顔で小さくため息をついた。
「言い分は分かったので、ドレスを持って帰ってほしいという話をしていたのです。いくらミスとはいえ、無償というのも納得がいきませんし、ローズピンクのドレスは私にはちょっと派手すぎます。手持ちのドレスを手直ししてパーティには参加するので、気にせず帰ってもよいとお話ししていました。」
うん、いかにもリリアナらしい意見だ、さすが俺のリリアナ、そして困った顔も可愛い。
カーティスはずっとグズグズと鼻をすすっている、正直鬱陶しいな。
この男はなぜここまで頑なになるんだ、本人が許すといっているのだから早く帰れ、デートの時間が無くなってしまうじゃないか。
しかもなんだこのローズピンクのドレス、夢を思い出すうえにデザインが派手で全然リリアナに似合わない、こんなの誰も気に入らない。
「なあカーティスとやら、彼女もそういっていることだし、もう帰ってもいいのではないか?」
床に座ったままのカーティスに仕方なく手を差し出した。
「で、できませぬぅーーーーーーー」
俺の手を見つめ、ぶんぶんと首を振りながら、カーティスはその場に崩れ落ちた。何なんだ、大げさにもほどがある。
「私ども、はじめてのお嬢様からのご依頼、しかも母上であるフォルティス侯爵夫人からご紹介いただいたのでございます。侯爵夫人もドレスの仕上がりを大変楽しみにされていました、それなのに違うドレスでパーティに出席されるとなると、顔向けができません。うぅっ」
「な! そもそも元はと言えば、そなたのミスであろう、それを……」
続きを言いかけて気づいた。
フォルティス侯爵夫人はリリアナの継母である。
リリアナの母親は体が弱く、リリアナ二歳の誕生日目前で帰らぬ人となった。
その後、すぐにフォルティス侯は再婚をし、妹のミレイアが生まれたのだった。
継母の紹介だというドレス職人、間違えたデザイン、ローズピンクの派手なドレス、そして俺の夢。
いろいろ引っかかる点が多すぎる、胸がざわざわする。
ちらりとリリアナを見ると、床にへばりついているカーティスに話しかけている。このままじゃ埒が明かない、よし、ここは俺が何とかしなければ。
「うむ、わかった、私がこの話を引き取ろう、このドレスは置いていけ」
「本当でございますか!」
床と同化しそうになっていたカーティスは、驚くほどの速さで飛び起きた。
「レイ!」
慌てるリリアナに近づき、そっと耳打ちをする。
「考えがあるから任せてくれ」
そう告げた俺をじっと見つめ、目で頷きながらもリリアナは小さく口を尖らせた。
あれ、ちょっと怒ってるのか? なんて可愛いんだ、ギュってしたい! っと、その前に、まずこの男を帰らせることが先決だ。
さっきまで泣き顔だったカーティスは、満面の笑顔で跪き、俺の両手をとった。
「大変、大変感謝いたします! このお礼とお詫びは必ずや……」
両手の甲に顔を擦り付けながら、お礼を言い続けるカーティス、いや、勘弁してくれよ。
「わかった、わかった、いいからもう帰っていいぞ」
手を掴んだまま必死で喋り続けるカーティスを、グイっと引っ張り上げ、そのまま押しだすように、廊下へ放り出し扉を閉めた。
「公爵様! この御恩、なにとぞ次に……公爵閣……」
扉の外でまだ声が聞こえるが、多分この騒ぎでブラッツが気付いてやってくるだろう。
ふう、やれやれ、次はリリアナだ。
振り返り部屋を見ると、派手なドレスの前でリボンやレースを引っ張っているリリアナがいた。
こちらに気づくなり、また唇を尖らせた。
「もう! なぜ帰してしまうんです、私、このドレスをどうしたらいいのか」
「まあまあ、このままだとあの男は日が暮れるまで居続けたはずだ、そんなの絶対に嫌だろ? まず俺が嫌だ、それにこのドレスは無理に着なくていい、侯爵夫人にも経緯を説明すればわかってもらえるだろう」
「でも、代金だって」
「わかってる、大丈夫だって」
そう言いながら、少し膨らんだリリアナの頬を両手で包んだ。
「むっ、やめてくだひゃい」
「やめるから、もうドレスのことは忘れて。いまから焼き菓子店へ行こう、ハーブの専門店だそうだ」
美しい深緑の瞳でこちらを見つめながら、リリアナは、うんうんと大きく頷き、「わかりまひた」と答えた。
「あと、焼き菓子を食べた後、もう一軒行くところがある」
そう告げて、リリアナの頬から手を放した。