2、親友ナーナ
ほんの一か月前まで、私は親友のナーナと幸せなひと時を過ごしていた。
「見てロザリー! スウィル様に頂いたの」
伯爵令嬢ナーナが私の部屋で嬉しそうに指輪を見せた。
それは小さなルビーの婚約指輪だった。
私と同じ15歳のナーナは、地方の伯爵子息のスウィル様と婚約した。
ナーナは5歳上のお兄様を訪ねてきたスウィル様と前から秘かに想い合っていた。
白銀の真っ直ぐな髪にローズピンクの瞳が愛らしいナーナは、私と同じ社交界デビューのパーティーでたくさんの結婚の申し込みをもらったが、スウィル様以外と結婚するなら自害すると言い張って、ついに両親を説き伏せた。
地方伯爵で、しかもまだ家督も継いでない若い子息のスウィル様は、ナーナの両親からしてみればあまり嬉しくない相手だったが、ナーナにとってはこれ以上の幸せはない。
私もナーナがずっと羨ましかった。
「ナーナはいいなあ。ドラマティックに出会って、お互い恋に落ちて、ついに想いを遂げるのだもの。ああ、素敵。私もそんな運命の恋がしたかったわ」
昔からナーナの恋の進捗を聞くのが楽しみだった。
……といっても、庭でお兄様と話しているのを窓から見ていたとか、馬に乗っていらっしゃるスウィル様を遠目に見たとか……その程度の話だったが、私たちはそれだけで一日きゃあきゃあとベッドの上に並んで語り合うことが出来た。
「あら、ロザリーだってハリス様はずいぶん素敵な方だとお兄様が言っていたわ。それに王都に近いお屋敷で資産家なんでしょ? お父様がロザリーは運がいいって毎日のように言うのよ。あれは絶対私への当てつけよ。分かってるんだから」
ナーナはふくれっ面で言う。
「そりゃあ条件はいいんだろうけど、社交界デビューのパーティーで申し込まれて結婚って、ありきたりでつまらないわ。もっと物語のようなドキドキはらはらする恋がしてみたかったわ。ナーナみたいに」
「じゃあハリス様では不満なの?」
ナーナは銀細工のような髪を揺らして首を傾げた。
私はそのナーナの顔を覗き込んで、にっこりと微笑んだ。
「ふふ。全然! だってもう恋が始まってるんだもの」
「あ! ロザリーったらのろけたわね!」
ナーナはそばにあった枕を投げつけてきた。
私はそれを受け止め、投げ返す。
「なによ! ナーナだってのろけてるじゃない」
「もうロザリーったら顔が赤いわよ」
「ナーナこそ。幸せそうな顔しちゃって」
私たちは枕を投げ合って、そして投げ疲れて二人で笑いながらベッドに横たわった。
笑い疲れると、私は少し真面目な顔でナーナに尋ねた。
「指輪を頂いたということは、もう王様にご挨拶に行ったのね?」
貴族の結婚は最終的に王様の許可がいる。
ほとんどは形式的なものだが、王様と王妃様にご挨拶をすることで正式に婚約が決定する。
王様の許可なく約束の指輪を渡すことは出来ない。
王都に出向き二人が揃って報告し、その許可の書類を受け取ってから本格的な結婚の準備が始まるのだ。
「ええ。王宮に行ってきたわ。王様と王妃様にも謁見の間でご挨拶したの」
王宮にはデビューのパーティーで行ったことはあるが、謁見の間はまだない。
「どうだった? 緊張した? 王様はどんな方? 王妃様は?」
「もう。ロザリーったら。そんなにいっぺんに答えられないわよ」
「だって謁見の間に入るのなんて一生に一度のことよ。ドキドキするわ」
王様たちはデビューのパーティーでは、薄幕の向こうに座って観覧されていたと聞くが、こちらからはうっすら人影が見えるぐらいでお姿は見ていない。
「謁見の間でも薄幕の向こうにいらっしゃったわ。だからお姿は見てないの。たぶん第一王子のユージン様もいらっしゃったんじゃないかしら。三つ影があったから」
「ユージン様は去年から後継者として公務を手伝ってらっしゃるのよね」
「ええ。でもお声は出されなかったわ。王様と王妃様にいくつかご質問されただけよ」
「何を聞かれたの? 教えて、ナーナ」
私も来週ハリス様と王宮にご挨拶に行く予定になっていた。
「それが……緊張してよく覚えてないの」
ナーナは申し訳なさそうに答えた。
「嘘でしょ?」
「嘘じゃないわ。なかなか答えられなくて、スウィル様がこっそり手を握って耳打ちして下さったの。私はスウィル様の言う通りに答えただけで、自分が何を言ったかすら覚えてないの」
「ナーナったら……。昔から緊張するとすぐ頭の中が真っ白になるんだから……」
人一倍内気で人見知りのナーナは、昔から家族と私にしか自然に話すこともできなかった。
そういうところが可愛いくてスウィル様もナーナを見初めたんだろうけど。
「やっぱり王宮のような華やかな所は苦手だわ。スウィル様と結婚したら、私はお屋敷から出ないわ。スウィル様が過ごしやすいようにお屋敷の中を綺麗にして、美味しいお食事を用意して、花でいっぱいの庭園を作るの。毎日スウィル様のことだけ考えて、刺繍をしてフルートを吹いて過ごすのよ」
ナーナは夢見るように語る。
それがナーナの一番の夢だった。
「私はハリス様の住む王都に行って、街を見て廻りたいわ。たくさんのお店をのぞいて、たくさんの本を読んで、この世のすべてを知りたいの」
私は昔から好奇心旺盛で、なんでも知りたがる性格だった。
深窓の令嬢には不適格なタイプだ。
両親にはいつもナーナを見習って大人しく刺繍をしてなさいと注意されてきた。
「ロザリーが王都に行ってしまうと、もう今までのように会えなくなるわね」
「そんなことないわ。ご挨拶だって日帰りで行ってきたんじゃないの。いつでも会えるわ」
馬車なら朝出たら昼前には着く距離だった。
「本当に? 私は怖くて王都になんて一人で出かけられないけど、ロザリーは会いに来てくれる?」
「もちろんよ。ハリス様は大人だから私の自由を尊重するって言って下さっているの。だからいつでも会いに来るわ」
「ああ、ロザリー。お願いよ。あなたしか気を許せるお友達はいないんだから」
「ええ。私もよ。本当に信頼できる友達はナーナだけよ」
そんなことを語り合っていたのに。
その数日後、スウィル様は突然ナーナに婚約破棄を言い渡した。
「他に好きな令嬢が出来たんだ。ナーナ、悪いけれど婚約を破棄させてくれ」
次話タイトルは「不吉なワインレッドの馬車」です