1、豹変した婚約者
「はじめましてロザリー・アーシュ伯爵令嬢。私はハリス・ニューマン伯爵でございます」
郊外の伯爵邸に訪ねてきて自己紹介するのは、私との結婚を申し込んできたハリス伯爵だった。
ほんの二週間前、社交界にデビューしたばかりの私には、すでに両手で数えるほどの縁談話が舞い込んできていた。
私はチェリーピンクのふわ髪に緑の瞳をしているが、この髪色と目の色がエルドーレン国では人気があり、おかげで多くの殿方の目を惹いたらしい。
そして数多の申し込み者から両親が選んだのが、このハリス伯爵だった。
「ロザリー。ハリス伯爵様は、社交界デビューのパーティーでお前のことを大層気に入って下さったようだ。王都でもお顔の広い伯爵様だぞ。良いお方にお声をかけて頂いて良かったな」
父はすっかり上機嫌だった。
なにせハリス伯爵といえば、伯爵位の中で五本の指に入る資産家だった。
貧乏地方貴族の我が家にとっては、願ってもない玉の輿だ。
「それになんて麗しい紳士でございましょう。これほど素敵な方とは思っておりませんでしたわ。ねえ、ロザリー」
母も、長い金髪に青目の美しいハリス伯爵が気に入ったようだ。
35歳と聞いていたのでもっとおじさんかと思ったけれど、見た目は若々しい。
やっぱり都会の貴族は違うなあ、と私はホッと胸を撫でおろしていた。
私を見初めたという伯爵を、私はどの方か覚えていなかった。
何しろデビューのパーティーでは、数えきれない紳士たちから挨拶を受けたのだ。
ほとんどの令嬢は、デビューのパーティーで見初められた相手と結婚する。
結婚相手を探している男性貴族はこぞって参加して、両親に縁談を打診する。
そして令嬢たちは打診を受けた中から選ぶというのが、一番よくあるパターンだった。
選ぶと言っても、本人の意志よりも両親の思惑が優先だけれど。
うちのような貧乏貴族は、年齢や人柄よりも経済力優先だった。
結婚で受け取る結納金の額で決めると最初から言われていた。
打診された中には愛人目当ての60代の老公爵様などもいて、結納金の額が一番高かった。
若い侯爵子息などもいたが、まだ爵位を継いでいない子息の結納額は少ない。
このままでは老公爵に決まってしまいそうだと絶望していたところで、ハリス伯爵が名乗り出て下さったのだ。
15歳になったばかりの私とは年の差が20もあるが、60代の老公爵の愛人よりはずっといい。しかも……。
「ハリス伯爵様はお若いのにすでに家督を継いでいらっしゃるのですわね。それなのに奥方様がまだいらっしゃらないなんて。こんな良縁に恵まれて、ロザリーは幸せ者ですわ」
母は老公爵との縁談をずっと反対してくれていた。
それだけに降ってわいた娘の良縁にすっかり満足していた。
「実は若い頃に一度結婚していたのですが、病弱な妻は三年で亡くなってしまいました。それからは妻を忘れることが出来ず傷心のまま独身貴族を謳歌して、気付けばこの年です。父が他界するまでに結婚して孫の顔を見せてやればよかったと、遅ればせながらパーティーに参加してみることにしたのです。そこでロザリー嬢をお見かけして、運命を感じました。これはきっと亡くなった父の采配だと心を決めて参りました」
「まあまあ。なんて一途な方なのでしょう。きっとハリス様は亡き奥方様のようにロザリーも大切にして下さることでしょう」
「ええ。私は他の貴族のように愛人など作れる器用な男ではありませんので、生涯ロザリー嬢一人を愛し続けるとお約束致します」
「まあ! なんて素敵なお言葉でしょう。ありがとうございます、ハリス様」
母はハンカチで目をぬぐいながら、娘の幸運を喜んでいた。
そして私もこの方で良かったと安堵していた。
田舎貴族とはいえ深窓の令嬢として育ち、恋など知らない。
お友達のナーナと二人で、恋するってどんな感じかしらと、とめどもなく語り合って胸をときめかすことはあっても、実際に対象となる殿方に会う機会などなかった。
先にデビューしたお友達の中には、老貴族のもとに嫁いだ子もいる。
ひどいぶ男で夢が破れたと嘆いている子もいる。
恐ろしい暴君で早々に離縁して戻ってきた子もいる。
私たち貴族の娘は、結婚相手によって人生がどのようにも変わってしまうと覚悟していた。
それにもう一つ。
貴族の令嬢たちが最も恐れていることがあった。
それは……。
「あの……一つだけお聞きしてもよろしいでしょうか、ハリス様」
不安を浮かべて尋ねる私に、ハリス様は優しい笑顔で答えた。
「何ですか? 不安なことは何でも聞いて下さい」
「ハリス様は……その……婚約破棄などなさらないですわね?」
私の言葉にハリス様をはじめ、両親もハッと青ざめた。
「な、何を言い出すんだ、ロザリー! ハリス様がそんなことをするわけがないだろう」
「そうよ、ロザリー。ハリス様に失礼ですよ」
二人ともむきになって否定した。
そしてハリス様は高らかに笑った。
「ははは。そんなことを心配されていたのですか? ありえませんよ。私はこれでも責任感の強い男です。一度決めたことを破棄するようなことなど、あるわけがありません」
笑顔で答えるハリス様に、私と両親はほっと息を吐いた。
「し、失礼なことを聞いてごめんなさい。でも……最近婚約を破棄されるご令嬢が多いと聞きましたので、少し不安になってしまいました。だって婚約を破棄されると……」
私はそこまで言って口ごもった。
その私を見て、ハリス様は深く頷いた。
「よろこび組ですね」
その言葉に、私と両親は顔をこわばらせた。
「正式には王后慈愛院ですね。知っています」
通称『王妃様のよろこび組』
婚約を破棄された貴族の娘たちは、その施設に送られ矯正教育を受けるとされている。
設立は今の王妃様になって数年後の五年ほど前。
主に王宮内の教会でのご奉仕や、慈善事業のお手伝いなどをしているらしいが、誰も実態は知らない。
なぜなら、そこから出ることが出来た令嬢は、まだ一人もいないからだ。
そして不思議なことに、この数年、婚約破棄される令嬢の数が異常に増えている。
結婚してから離縁される令嬢や、正式に婚約する前に話が流れる令嬢はいるけれど、王様に婚約のお許しを頂いてから破棄されるなんて、以前は年に一件あるかないかだった。
それなのに、この数年は両手で数えるほどになっていた。
理不尽な話だと思っている。
どれほど一方的に婚約破棄されたとしても、問題があったのは令嬢の方だとみなされる。
男性側はなんのお咎めもなく、すぐに次の縁談相手を探すことも出来るのに、女性側はいつ出るともわからない『よろこび組』に強制的に入れられてしまう。
でもそれがこの国の法律だった。
誰も逆らうことなど出来ない。
だから貴族の娘たちは婚約破棄されることを何より恐れていた。
老貴族でもぶ男でも、すぐに離縁しそうな暴君でも、婚約破棄されるよりはマシだった。
絶対婚約破棄をしないような責任感の強い相手を選ばねばならない。
そしてこのハリス伯爵は、すべてにおいて理想的だった。
そう思っていたのに……。
その半年後、私はハリス伯爵に言い渡された。
「君とやっていく自信がなくなった。婚約を破棄させてくれ」
次話タイトルは「親友ナーナ」です