桃色爆走ハルピュイア前日譚 ─飛べないハーピーが最速の娘になったワケ─
桜の花が咲く春の季節、老若男女のハーピーが集う"ハーピニア"と呼ばれる里で、小さな生命が産声をあげました。
ほぎゃあと元気よく泣き声をあげるその子供は、これまた桜色の翼を持つ小さな小さなハーピーの女の子です。
彼女のお母さんは我が子の誕生を心から喜び、彼女を抱きかかえ頬を撫でました。
「産まれたのかい」
彼女のお父さんが慌てた様子でやってきて、抱きかかえるお母さんに近づきました。
「ええ、元気な女の子よ」
お母さんに抱かれる赤ん坊を見たお父さんは、安堵した様子で言いました。
「ああ、それは良かった。ずいぶんと早く産まれたんだね」
お母さんの抱きかかえるハーピーの女の子は、泣き疲れたのか目を閉じてすやすやと寝息を立てています。
かわいい我が子を見て嬉しそうにしていたお母さんでしたが、彼女の翼が小さいように思え、不安がよぎります。
「少し翼が小さい気がするわ」
不安そうに見つめるお母さんを、お父さんは安心させるために言いました。
「なあに、まだ赤ん坊だもの。すぐに大きくなるさ」
お父さんの言葉を信じてお母さんは頷きます。
「ええ、きっとそうよね」
眠った彼女をゆりかごに置いて、二人でその寝顔を見つめます。
愛おしくてたまらない様子で見ていた二人でしたが。
「名前はどうしようかしら」
と、お母さんが呟きました。
嬉しさのあまりすっかり忘れていたお父さんは、翼の先についた指を器用に使い、懐から紙切れを取り出しました。
それには前々から考えていた名前がいくつか書いてあります。
「ええと、ハヤテ。いやごめん、これは男の子の名前だ。ランってのはどうだろう、君の好きな花だ」
お母さんは首を横に振ります。
「好きな花だけど、我が子に名付けたくはないわ」
お父さんは頭を掻いて、次の名前を読み上げます。
「それじゃあ、イチゴはどうだろう、君の好きな食べ物だ」
お母さんは首を振ります。
「いくら好きだからって、食べ物の名前は付けたくないわ」
お父さんはううんと唸り、次の名前を読み上げました。
しかしお母さんは首を縦に振りません。
用意していた名前はすぐに底をつき、お父さんは困ってしまいました。
「ええと、それじゃあ、うーん。サクラというのはどうだろう、翼がまるで桜のように綺麗だから」
お母さんはすこし考えて、首を横に振りました。
「いい名前だけど、もっといい名前を思い付いたの」
そういうとお母さんは、赤ん坊の頭を撫でて言いました。
「『ハル』なんてのはどうかしら」
お父さんははっとした後、強くうなずいて我が子を見ます。
「ハル、か。とてもいい名前だね、君が言うのならそれにしよう」
そう言うと、お父さんは優しく我が子に声をかけました。
「ハル、かわいい僕らの女の子。これから楽しいことがいっぱい待ってるよ」
そう語りかけるお父さんを見て、お母さんはくすくすと笑います。
少し恥ずかしい事を言ってしまったかなと、お父さんは照れ臭く頬を掻きました。
◇
「お母さん、落ち着いてください」
数日が経ち、ハーピニアの病院にて。
医者のハーピーがうろたえるハルのお母さんに言います。
ハルのお父さんはお母さんをなだめようと必死です。
「先生、何かの間違いじゃないんですか」
悲痛な声で医者に詰め寄ろうとするお母さんですが、医者のハーピーは首を横に振ります。
「残念ですが、娘さんは『小翼症』という重い障害を持っています。この翼では空を飛ぶことは出来ないでしょう」
その言葉を聞いたお母さんはその場で泣き崩れてしまいました。
小翼症はハーピーの翼が大きく育たず、一生飛ぶことができない病気なのです。
ハルは生まれたときから"飛べないハーピー"として運命付けられてしまっていたのでした。
◇
「やあい、ダチョウ娘」
空を飛びながら、ハーピーの子供が同年代の子供を見下ろしています。
地上で立ち尽くす子供は、めそめそと泣きべそをかいていました。
泣いている子供は桜色の小さな翼をもつハーピー、名前をハル。
そう、数年が経ち、ハーピニアの学校に通うようになったハルです。
ですが楽しい学校生活とは言えず、いつも同年代の男の子に虐められて過ごしていました。
「くやしかったらここまで来てみろ、ダチョウ娘」
そう言って男の子は足に掴んでいた小石を投げました。
べそをかくハルに向かって小石が飛んでいきます。
しかしその小石はハルに当たることなく、彼女の前に現れた者に防がれました。
「やめなさいよ、ハル泣いてるじゃない」
それは女の子のハーピーでした。
ハチドリのような色彩鮮やかな翼を持つその子は、強い口調で男の子へと立ち向かいます。
「げっ、イチカ」
男の子は気まずそうな表情でイチカという女の子を見下ろします。
「あっちへ行きなさい、バカ男子」
イチカはそう叫んで足元の石を投げ返しました。
その石は男の子の頬をかすめ、男の子は驚いて慌てて逃げていきます。
ふうとため息をついたイチカは、ハルに近づいて慰めました。
「ハル、もう大丈夫だよ」
ハルは泣きべそをかきながら、震える声で言いました。
「ぐすっ、ご、ごめんなさい」
イチカはハルの頭を撫でて泣き止ませようとします。
「もう、謝らなくてもいいんだよ」
ハルはべそをかいたまま、再びイチカに言いました。
「ごめんなさいイチカ、石痛かったでしょ」
イチカはふうとため息をつきながら、ハルをなで続けています。
「そんなことは気にしなくていいんだよ、ハル。それにしてもバカ男子、いつもハルを虐めて何が楽しいの」
イチカは先ほどの男の子に怒りをあらわにします。
ハルは自分の代わりに怒ってくれているイチカに申し訳なくて、またべそをかいてしまうのでした。
ハルとイチカは学校に通い始めてから友達になりました。
内気なハルと元々物静かなイチカが仲良くなるのは必然だったのかもしれません。
趣味も合い、二人はすぐに仲良しになりました。
「ねえハル、今日も帰りにゼフさんのお店に寄って行こうよ。はちみつパンケーキ大好きでしょ」
イチカの提案に対し、ハルは泣き止んでこくりとうなづきました。
もうすぐ下校時間、ちょっとだけ我慢すればいやな学校から解放されます。
ハルは翼でなみだをごしごしと拭いて、イチカにまたお礼を言いました。
「イチカ、ありがとう、助けてくれて」
イチカはふふっと笑い、ハルの手を握りました。
「もう、私たち友達でしょ。それよりほら、早く教室に戻らなきゃ。休み時間が終わっちゃう」
イチカはにこりと笑い、ハルの手を引いて教室へと向かって走り出しました。
ハルは彼女に連れられてよたよたと走ります。
「まってようイチカ、はやいよう」
転びそうになってしまうハルを見て、おっといけないとスピードを緩めるイチカ。
まもなくチャイムが鳴り、二人は何とか教室へと戻るのでした。
◇
ある日のことです。
この日は学校がおやすみで、ハルはお母さんの手伝いをしていました。
「本当に一人で行けるの、ハル」
買い物袋を持つハルを心配そうにお母さんが見つめます。
そう、今日ハルは初めて一人でおつかいに行くのです。
「うん、大丈夫だよ」
こくりとうなずいて、持っているメモをつたなく読み上げました。
「ヤギのミルク二瓶、トットコ菜二つ、ゴロゴロ芋三つ。ちゃんとメモもあるもん」
自信ありげに言うハルでしたが、お母さんは心配でたまりません。
「吊り橋はゆっくり渡るのよ、危ないハーピーに近づいちゃ駄目だからね、怖くなったらすぐに戻ってくるのよ」
お母さんは心配のあまりたくさんの約束をしてしまいます。
ハルはこくりとうなづいて、お母さんが開けてくれた玄関の扉を通ります。
「うん、気を付けていってきます」
そして手翼を振って、見送るお母さんと別れを告げました。
ハルにしたら初めての大冒険です。
内心不安もありましたが、優しいお母さんのためにハルは頑張ります。
「ヤギのミルク二瓶、トットコ菜二つ、ゴロゴロ芋三つ」
買うものを忘れないよう声に出しながら、ハルは吊り橋の前までやってきました。
ハーピニアは山の上に作られた里で、ハルの住む地区から商店街までは吊り橋を渡らないといけません。
ハルはおっかなびっくり進み、きしむ吊り橋を渡っていきます。
「うう、えっと、吊り橋はゆっくり渡る」
まだ手すりのロープには届かないので、落ちないように真ん中を歩きました。
ひゅうと吹き抜ける風がハルを驚かします。
びくびくと震えながら、泣きそうなのを我慢してハルは進みました。
なんとか渡り切ったハルは、ふうと胸をなでおろします。
ここまでくれば安心です、なぜなら商店街にはイチカの家があるのですから。
イチカの実家は色とりどりの花を売っている花屋さんで、ハルにきれいな花をよく見せてくれるのです。
少しだけ自信がついたハルは、上機嫌に歩きます。
「ヤギのミルク二瓶、トットコ菜二つ、ゴロゴロ芋三つ」
買い物袋をゆらゆら揺らし、リズムに乗せて声を出します。
目の前に商店街が見えてきました、あとは買い物をして帰るだけです。
少しだけ駆け足になり、商店街へと入ろうとした時でした。
商店街の片隅から、しくしくと泣く声が聞こえてきます。
どこかで聞き覚えのある声です。ハルは気になってその方へと向かいました。
立ち並ぶお店の間の小さな路地に泣き声の主は居ました。
「えっ、イチカ」
そこに居たのはボロボロになったイチカでした。
辺りに綺麗なハチドリの羽根がいくつも散らばっています。
服は砂だらけ、髪はみだれて、いつも付けている可愛らしい花の髪飾りがなくなっていました。
「どうしたのイチカ」
ハルは急いで駆け寄ります。
イチカは涙をぬぐい、ハルを見上げました
「ハル、ごめんね、ぼろぼろにされちゃった」
イチカは再び泣きながら説明をしました。
この日イチカはあの男の子に呼び出され、今日こそとっちめてやるとやって来たのです。
しかし男の子は仲間を連れていて、イチカ一人では太刀打ちできませんでした。
「お気に入りの髪飾り、取られちゃった」
男の子たちはイチカをさんざん痛めつけると、髪飾りを奪って逃げていきました。
イチカはどうすることもできず、その場で泣いていたのです。
「イチカ、ごめん、わたしのせいだよね、ごめん」
ハルは涙を浮かべてイチカに謝ります。
きっと男の子は今までの報復をしにきたのだとハルは思いました。
「あいつら許せない、イチカをこんな目にあわせるなんて」
そしてハルはイチカの髪飾りを取り戻すため、戦う決心をします。
本当は怖いけれど、友達のイチカがこんな目にあっているのを見過ごすわけにはいきません。
ハルは買い物袋を投げ捨てて、男の子たちを探しに走り出しました。
男の子たちは商店街のそれほど離れてない所で笑いながら歩いていました。
翼の先に生えた手にはイチカの髪飾りが握られています。
ハルは一目散に駆け寄り、大きく叫びました。
「イチカの髪飾りを返して、卑怯者」
男の子たちは振り向くと、ハルを見てげらげらと笑います。
「なんだよ、弱虫のダチョウ娘じゃないか」
いつもいじめてくる男の子が笑いました。
「さっさと帰りな、痛い目にあうぞ」
その隣の仲間がハルを脅します。
お母さんの危ないハーピーには近づいてはいけないという言葉を思い出しました。
しかしハルはそれでもイチカのためだと男の子たちに掴みかかります。
「イチカの髪飾りを返せっ」
怖いのを堪えて挑んだハルでしたが、さっと男の子たちに避けられて地面に転んでしまいました。
その様子を見てげらげらと笑う男の子たち。
ハルは悔しくて涙が出そうなのをこらえ、立ち上がりました。
「ほれほれ、取り返してみろ」
指でつまんでゆらゆらと髪飾りを揺らす男の子。
ハルは怒ってとびかかりましたが、また避けられて地面に身体を叩きつけます。
しかしハルは諦めません、泣きそうなのを堪えて立ち向かいます。
立ち上がって、飛び掛かって、転んで、立ち上がって、飛び掛かって、転んで。
何度も何度も飛び掛かっては地面に転がってもまた立ち上がり。
「しつこい奴だな、そんなに欲しけりゃくれてやるよ」
男の子はいい加減面倒になって来たのか、高く飛び上がって空へと舞います。
そしてあろうことか、近くにあったホタル灯のてっぺんに髪飾りを置いたのです。
「ほら、取ってみろよダチョウ娘」
そう言ってげらげらと笑って男の子たちは去って行きました。
ハルは追いかけようとしましたが、それよりもイチカの髪飾りの方が重要です。
まだ幼いハルからしたら、街を彩るホタル灯はとてつもない大きな塔に見えました。
「イチカ待っててね」
飛べないハルはホタル灯をよじ登ります。
もうハルは無我夢中でした。怖さなんていつのまにか消えていたのです。
ハーピーの大人たちが気がついたときには、ハルはすでにてっぺんにたどり着いていました。
「あった、イチカの髪飾りだ」
ハルはうんと手翼を伸ばし、イチカの髪飾りを手に取ります。
綺麗な花の髪飾り。すこし汚れてしまいましたが、洗えばきっと綺麗になります。
しかしここで、ハルはバランスを崩して落っこちてしまいました。
身体が真っ逆さまに落ち、周りの大人たちが叫びます。
ハルはイチカの髪飾りを大切に抱えて、落下に身を任せました。
大人たちの中から一人飛び出すものが居ました。
そのハーピーはハルを見事にキャッチ。間一髪のところでした。
「これはこれは、誰かと思ったらうちの小さな常連さんじゃないか」
ハルが目を開けると、いつもおいしいはちみつパンケーキを作ってくれるゼフさんがいました。
辺りにはゼフさんの買い物袋とその中身が散乱しています。
無我夢中で助けてくれたゼフさんに、ハルは感謝しました。
「ありがとうゼフさん、助かりました」
ゼフさんはハルを優しく地面に下ろし、安堵した様子で言いました。
「いいんだよ、しかしどうしてホタル灯なんかに登ったんだ、危ないじゃないか」
ハルは注意するゼフさんに頭を下げて、こうなった経緯を説明しました。
ゼフさんは男の子たちに憤り、ハルの勇敢さを褒め称えます。
「ハル、君は勇気を出して立ち向かった。君はあんな卑怯者たちよりもとても強い子だ」
その言葉にハルは少し照れ臭くなり頬を掻きました。
「ハルっ」
大きな声をあげながらやってくるのはイチカです。
イチカはハルに駆け寄って、ぎゅっと抱きしめてきました。
「ハル、ごめんね、一人で行かせちゃって」
ハルはいつもイチカにやってもらっているように、イチカを撫でました。
「大丈夫だよイチカ、それよりほら、髪飾り」
そしてそのまま、イチカに髪飾りを付けてあげました。
服は汚れてしまっていますが、いつもの可愛らしいイチカです。
「ふふ、ありがとうハル」
イチカが照れ臭そうに笑うと、ハルもえへへと笑いました。
周りの大人たちは勇敢な行動を見せたハルに賞賛の拍手を投げかけたのです。
◇
買い物を済ませた帰り道、砂だらけの二人は仲良く手をつないで帰ります。
大人たちはハルとイチカに男の子たちに謝らせることを約束してくれました。
二人とも上機嫌で帰路を歩いています。
「ねえイチカ、わたしね」
途中、ハルが真剣な表情でイチカに語ります。
それはこの騒動を経験してハルが決意したことでした。
「わたし、もっと強いハーピーになるからね。もう弱虫だなんて言われないような、そんなハーピーになるからね」
それは友達を守りたいというハルの願いが詰まった決意でした。
しかしイチカは心配そうにハルに言います。
「ハル、無茶なことしたら駄目だよ、約束して」
ハルはこくりと頷いて、約束の印に指切りげんまんをします。
「うん、約束」
そして二人でえへへと笑いあったのでした。
その日からハルの特訓が始まりました。
飛べないハルはまずは体力作りだと走り込みを始めます。
脚力をつけるため近所を毎日のように駆けまわり、いつもへとへとになって家に帰りました。
「ハル、急にどうしたの」
ハルのお母さんは心配してハルに聞きますが、ハルはこう答えます。
「お母さん心配しないで、わたしは強くなるんだ」
その答えにお母さんはまた首をかしげるのです。
しかし、一生懸命なハルに口をはさむこともできず、ただ心配そうに毎日見守っていました。
走り込むうちに、ハルは走る楽しさを見出していきます。
気持ちいい汗をかき、風が頬をすり抜けていく感覚は、彼女をとりこにしていきました。
きっとこれは飛ぶのと変わりない気持ちなのだと考えたハルは、ますます走るのに夢中になっていきました。
近所のハーピーたちからは、最初は"飛べないかわいそうな子"という目で見られていました。
しかし楽しそうに走るハルを見ているうちに、何人かのハーピーはその見方を変えます。
やがて"彼女は地上を飛んでいるのだ"と比喩するようになり、応援する者まで現れ始めました。
雨の日も風の日も、毎日毎日走り続けたハル。
イチカが襲われてから一年が経った頃には、"爆走娘"というあだ名まで付けられるくらいになりました。
◇
その日は、学校で身体測定をする日でした。
いつもハルは飛べない子向けの特別なメニューをこなしていたのですが。
「先生、お願いがあります。わたしもみんなと同じメニューをさせてください」
ハルは先生にそうお願いしたのです。
先生は驚いて、首を横に振りました。
「ハル、君は空を飛べないだろう。同じメニューなんて無茶だ」
しかしハルは食い下がります。
「せめて五十メートル飛びをみんなと一緒にやらせてください」
ハルの熱意に負けた先生は、五十メートル飛びに参加することを許可しました。
意地悪な男の子たちはひそひそと話します。
「飛べないくせに、恥をかくだけだぜ」
あの事件の後、男の子たちはこっぴどく叱られてハルと距離を置いていました。
しかしこの突拍子もないようなハルの行動に驚き、そしてくすくすと笑っていました。
「ヘマしたらみんなで笑ってやろう」
最近の元気なハルを見てあまり面白くないのです。
男の子は数人の仲間と一緒に飛べないハルを笑ってやろうと誓いました。
「ハル、大丈夫なの」
イチカが心配してハルに聞きます。
しかしハルはにこりと笑って答えました。
「うん、大丈夫だからしっかり見てて」
心配そうに見つめるイチカに手を振って、ハルは列に並びます。
まもなくハルの出番です。一緒に走る生徒の中には同学年でも飛ぶのが一番速いハーピーがいました。
男の子たちは大きく差をつけられて恥をかくだろうとくすくす笑っています。
「のろまのダチョウって言ってやる」
男の子はそう悪い笑みを浮かべていました。
ハーピーの生徒が並び、間もなくスタートの笛が鳴ります。
「位置について、ようい」
鳴り響く笛の音と同時、生徒たちが一斉に飛び立ちます。
ハルはグランドの地面を思い切り蹴り上げて走り始めました。
そして全員、飛べないハーピーのハルに驚くことになるのです。
ぴんと手翼を後ろに伸ばして走るハルは、何人かの生徒を一気に追い越して差をつけます。
抜かされた生徒は度肝を抜かれたかのような表情をして、頑張って追い付こうとしました。
しかしハルの走るスピードにはついていけず、疲れてふらふらになってしまう生徒も居ました。
ゴールまであと十メートルのところで、ハルは一番早い生徒と競り合っています。
生徒も負けるわけには行かないと全力で飛び、ハルもまた勢いよく地面を蹴り走りました。
あと五メートル、四メートル、三メートル。
一瞬、生徒が疲れてふらりと体勢を崩します。
そのたった一瞬で、ハルは体一つ分の差をつけました。
ハルはそのままゴールを走り抜け、さらに十メートル先で止まりました。
生徒も先生も唖然として彼女を見ています。
一番早い生徒も自分が負けたのが信じられない様子です。
ハルの友達イチカも驚いていましたが。
「すごい、すごいよハル」
と、思わず歓声を上げました。
その歓声を皮切りに、拍手と喝采がへとへとになりながら戻るハルを出迎えます。
男の子たちはもう何も言えず、ハルを認めるしかありませんでした。
「イチカ、わたしがんばったよ」
ハルは友達のイチカににこりと笑って言いました。
イチカはハルの手を握り、嬉しそうに笑い返します。
「うん、とってもすごいよハル。ハルは一番早いハーピーになったんだ」
ハルはそんな誉め言葉に少し照れ臭くなり、頬をかきました。
先生も生徒もあの意地悪な男の子も、もうハルを馬鹿にするものはいません。
ハルはついにみんなから認められ、立派なハーピーになれたのです。
◇
「お母さん、いってきます」
ハルは今日も元気よく家から駆けだします。
お母さんも元気になった我が子に安堵する一方、怪我をしないか心配ごとが一つ増えてしまいました。
それでも楽しそうに笑う我が子を見ていると、嬉しい気持ちでいっぱいになるのです。
「ハルおはよう」
通学途中、イチカがハルと合流します。
「イチカおはよう、あのねあのね、昨日こんなことがあったんだよ」
ハルは内気な性格は何処へやら。おしゃべり好きの元気な女の子になりました。
そんなハルの変化にイチカも喜び、ハルのお話を楽しそうに聞いています。
二人の友情は更に深まって、もう親友とも呼べるほどになりました。
ハーピニアの住民たちも、ハルをかわいそうなんて思う人はもう居ません。
むしろ元気過ぎて困ってしまうくらいです。
もう少し大人しくなってくれないかな、なんてボヤきも聞こえてくるほど。
しかしそれでも、ハルを邪険に扱うものはもう誰もいません。
こうしてハルはハーピニアの一員として、立派なハーピーの一人として、みんなから認められたのでした。
桜の咲く春の季節。今日も元気に桜色のハーピーが大地を駆けぬけています。
そして、十年と少しが経った頃。
とある少年との出会いによって、ハルは大空を目指す大冒険をすることになるのですが。
それはまた、別のお話です。