水妖の池
見かけるのは、何度目だろう?
わたしはいつものように、静かにその青年を見守った。
ここは山奥のハイキングコースから外れた場所にあり、豊かな湧水のため水底まで水晶のように澄んでいる池だ。
周囲にはハンノキ、カエデといった大木がはりだし、緑の懐にいだかれた宝石のようだ。
季節によっては大仰なカメラをもった人影が、ただよう静寂を揺らさないよう、ひそやかに訪れる。
同じ人間を何度も見かけることはよくあるけれど、その青年は毎回奇妙なことをするので気になっていた。
いまも青年は水筒を取り出し、中の水を何かの儀式であるかのように、おごそかに池に注ぎ込んだ。
何をしているのだろうか?
いぶかしげに見ていたわたしに気づいて、青年は少し身を固くした。
ひと呼吸分わたしを見つめた後、笑顔を見せ、
「水の中に棲むものを、ここに連れて来られたらいいと思って」
と、語りだした。
――僕は子どもの頃、溺れたことがあるのです。ここではありません。祖父の家の裏山でのことです。
長めの釣り竿を振れば、はみ出す程の小さな沼で、六歳の子どもが魚や虫取りをするのに、ちょうどよい場所でした。
その日は数日前の雨のせいか、いつもより沼の周りがぬかるんでいて、僕は足をすべらせ、水の中に落ちてしまいました。
沼の底はドロドロとしていて、支えにならず、立ち上がれません。
無我夢中でもがいていると、何かが口をこじあけて、身体の中に押し入ろうとしてきたのです。
恐怖にかられた僕は、心の中で「死にたくない!」と強く思いました。
息ができず、苦しい中「死にたくない」と、何度も何度も。
その時、僕の身体の中で何かが混じり合ったような感覚があり、誰かの心が僕の心に流れ込んできたのです。
――沼が枯れる。このままでは死んでしまう。死にたくない。逃げ出さなくては……。
悲鳴のような想いでした。
ある時、湧き水がふつりと途絶え、大きかった沼は干上がるばかり。体力は沼が小さくなるにつれ失われていく。そのままでは死んでしまう……。
その「もの」は生き延びるために僕の身体に逃げ込もうとしたのです。
それがわかった直後、唐突に押し入ろうとする力は消え、僕は岸に押し上げられました。
僕は泣きながら祖父の家に戻り、それきり沼に足を向けることはありませんでした。
昨年、祖父の家を引き払うことになったので、久しぶりに沼に行ってみたのです。
十数年ぶりの沼は、小さな水たまりになっていました。
そんな水たまりに、まだあの「もの」がいたかどうかはわかりません。
でも、もしかしたらと思って、休みのたびにわずかに残った水を汲み、写真が趣味の 友人から教わったこの池に運んできたというわけです。
これで5度目で、最後です。
水筒に入れてきた分を汲んだら、泥しか残りませんでした。
「……沼に棲んでいた『もの』は、この池に来られたでしょうか?」
青年は、わたしにそう問いかけてきた。
さきほど、青年が注ぎいれた水が、池の水と溶け合うのを感じる。
それとともに欠けていた記憶が甦る。
……かつて棲み家だった沼が急速に干上がった。
たまたま沼に落ちてきた子どもに入り、その場から逃げようとしたのだが……。
その子どもは、「死にたくない」と叫んだのだ。
子どもの身体の中に無理矢理入れば、生命がどうなるかわからなかった。
考える間にも、
「死にたくない」
と、子どもは何度も叫んでいた。
わたしと同じ想いだ。
無視できなかった。
しょうがない。他にわたしにできることは、子どもを沼から押し出すことだった。
それからも年を追うごとに沼は小さくなり、動くことも、考えることもできなくなった。
そのまま消えるはずだったのに、……いつの間にかこの池にいた。
思い出した。
この青年があの時の子どもだったか。
わたしは、伸び上がって自分の存在を示した。
出来る限り人の姿に似せたつもりだ。
水面に突き出た水柱のように見えればまだしも、奇異な姿に映って青年を怯えさせなければよいが……。
だが、それは杞憂にすぎなかったようだ。
「よかった。ここに移れたのですね。あの時はありがとう」
青年はそう言ってまた微笑んだ。
こちらこそ、ありがとう。
<了>
いかがでしたでしょうか。暑さにもですが連続投稿にも少々息切れしている作者です。弱っ!
暑いのに弱いのは承知で、朝起きて、キッチンで食器を触ると自分より食器が暖かいってどういうことって思います。
ま、それはさておき。
(先に後書きを読む人注意!ネタバレあり)
水妖と青年の再会の物語。シチュエーションが涼しげなので今日の投稿にしてみました。
早く涼しくなりますように!