裏切りと宿屋
「ここで、長話するのも惜しいから、移動しましょうか」
「分かった。それで、どこに移動するんだ」
「宿屋よ。そこからは、馬車でマギウス国に移動するわ。私達は、そこから来たのよ」
マギウス国。聞いた事が無い国名だ。それにしても、久しぶりに昼間の外を出歩くは。
街は、昼間だからなのか活気に満ち溢れて、大勢の人間が往来をしては、大声で商売をしている。その中には、奴隷に落ちた人間達が枷を嵌めて奴隷商人に鎖を付けられて、運ばれる。
そんな人間達が、通ろうと周りの人間達は見慣れた光景の如く気にしていない。
「レオン? どうかしましたか」
「……何でも無い」
茫然と立っていた俺を、気にしてか先を歩き始めていたクレアが声を掛けてくる。その傍には、メイドが添って立っているけれども、そこだけ切り取れば可笑しな風景だ。一人は、質素な服装をしているけれども、黄金の髪が打ち消す様に気品さを出している。対してもう一人は、メイド服を着た女。旗から見れば、身分の偉い娘が庶民に扮して城下町に遊びに来ており、それを守る従者に見える。だからなのか、歩く度にクレアは商人達に止められては、商品を買う様に勧めては、律儀に頭を下げては前を歩くけれども、また捕まり同じ繰り返し。メイドは特に害が起きなければ動かないのか、口も手を出さない。
だが、少し強引な商人が、クレアの細い白い腕を掴んだ時だった。次には、商人の体が地面に倒されて、茫然とした表情を浮かんでいた。
「お嬢様に、気軽に触れないでくれますか?」
商人を、倒したのはメイドだった。無駄の無い動きだった。昔師匠が教えてくれた、柔術に近かった。一瞬で、商人の腕を掴んでは、捻る様に地面に倒していた。
あのメイド、意外にも戦闘技量を持ち合わせているな。伊達にメイド服を着ていないって事か。
「シュリ! 暴力はダメでしょう。すみません」
どうやら、メイドの名前は、シュリと呼ぶらしい。
「ですが、お嬢様の腕を勝手に掴みました。それに、どうもこの商人からは危険な気配を感じたので」
「だとしても、いきなりはダメです」
と、その場を去ろうとする二人だったけれども、商品はすぐに起き上がり、怖い顔を浮かべて口を開く。
「おいおい! 何、勝手に去ろうとしているんだよ。ああ、こりゃあ、肋骨が折れているぜ、悪いけど慰謝料寄こせよ」
良く有る、チンピラな行為だな。まぁ、この街では日常的な行為だけどな。少しでも、金を貰う為なら何でも商売道具として使う。奴隷の俺の様に。
「えっと、それはすいません。ですけど、生憎お金は持ち合わせておりませんので、すいません。ほら、シュリも謝って」
「……スイマセン」
うわぁ、露骨な棒読み。どんだけ謝るのは嫌なんだよ、あのメイドは。それだと、余計に火に油を注ぐだけだぞ。
「はぁ? 金が無いだと。それに、謝罪に誠意が全く感じないね。えぇ? 分かった分かった、おい」
商人は、右手を上げると、いつの間にか二人の周りには、ガラの悪い数名の人間が囲っており、ニヤニヤと表情を浮かべている。周りの通行人の気配に紛れて分からなかったのか、今になってメイドの表情が険しく変わる。
「おっと、下手な動きをすると直ぐに憲兵が来るぞ? 言っておくけど、無駄な抵抗は止めるんだな。俺と憲兵達は一緒に酒を飲み合う仲だからな」
つまり、叫んでも無駄で大人しく従えって意味だな。
「はぁ、何だ、このクソ茶番は」
反吐が出る程に、阿保らしい茶番劇。メイドが手を出さなくても、多分結果は変わらないだろうな。まぁ、歩くだけでも目立っているから狙われても可笑しくないだろうな。即興で出来る技じゃない所から、少し前から狙われていたな。
流石に、クレアも危機を感じてか、メイドの手を掴んで身を寄せていた。メイドも守る様に周囲に殺意を孕んだ目線を送り、掴まれていない片方の手を袖内に引き上げて、何かを起こすしでかす素振りを見せる。
俺は、縫う様に人混みを掻き分けて、商人の背後に近寄り、口を開く。
「シルバーの関係者に、手を出しても良いのか?」
「うわぁ!?」
不意に声を掛けられ、驚いた様に飛び跳ねる商人は、振り返り俺の顔を見て、目を見開いた。
「レオン!? どうして、貴様がこんな昼間から外に居るんだよ。それに、シルバーの関係者だと!?」
「そうだ、あの二人はシルバーの関係者。そして、俺がここに居るのが証拠だ。それとも、シルバーに確認するか? 良いのか、下手にシルバーの関係者に手を出した事が知られてら、肋骨が折れる以上の体験をする事になるぞ」
ダメ押しに、口元を吊り上げて、商人の心臓の位置を叩く。
商人は、何回か俺とクレア達の顔を見て、溜息を洩らした。
「俺が悪かった。だから、シルバーには言わないでくれ」
「分かった。なら、早くバカな奴らを引かせろ。それと、同じ事を考えているアホが居たら、教えてやるんだな」
その後の動きは、早く。商人は手を上げてブンブンと振って解散を合図する。すると、囲んでいた野郎共はまた人混みに紛れて姿を消して、商人もその場を去り、残ったのは俺達三人。
「……おい、宿屋に行くんだろう? どうした、ションベンでも洩らして歩けないのか?」
「凄い。凄いです」
まるで、初めて魔法を見た子供の様に瞳をキラキラと輝かせ、やや興奮した様子で近寄るクレア。メイドは、溜息を洩らして顔を左右に振っていた。
「レオンは、人気者なんですね。何かシルバーって人の名前を聞いたら慌てて、何か見ていてスカッとしました。悪者成敗した感じで、うんうん」
何この娘。そこは緊張したとかじゃないのか? あれ、なんでシルバーの名前を知らないんだ? 此奴らは、シルバーが差し向けた俺の保険じゃないのか? まぁ、今は良いか。
「おい、宿屋に行くんだろう? どこの宿だ?」
「え? えっと」
クレアから、宿屋の名前を聞いて、瞬時に最短ルートを脳裏で構築して、頷いた。
「これ以上、面倒は御免だ。俺が最短ルートで宿に向かうから、後から着いて来い」
「うん、了解。ほら、シュリも行くよ」
「……はい、お嬢様」
口調が、丁寧になったりこうして友達の様に砕けた口調になったりと、落ち着かない娘だな。けれども、奴隷王を前にしても一切引かない肝を持っているって言うのに、周囲を囲まれた時は子供の様に怖がっていた。何か、心がブレて完成されていない感じだな。それとも、俺の考えが浅いのか?
その後は、無事に一切揉める様な出来事は起こらず、宿屋に到着しては、クレア達が預けていた馬車に荷物を放り込んでは、素早く宿を後にして、街の出入り口の門を通過した。
夕日で染まった門、街を荷台から眺める。
「もしかして、寂しいって思っている?」
一緒に荷台に乗っていた、クレアが横に小さい腰を下ろして、同じ景色を眺める。メイドは、御者として前に居る。
「どうだろうな。俺はあの街しか知らなかった。生まれた時から、小さい牢で生活していた。あの街で、俺は色んな事を教えられた」
大人からは、言葉と理不尽を。シルバーからは、戦術や友を。師匠からは、生き抜く術を心構えを。街からは、命の価値。
「けど、後悔は感じない。俺は、奴隷だ。俺が死んでも誰も悲しみも嘆きもしない。だから、俺も同じだ」
「レオン、違うよ」
不意に、クレアが異議を唱えられた事に首を捻った。
「君が死んだら、まず私が悲しくなる。それが数刻前に知り合った関係でも、こうして一緒に会話して助けてくれた出来事は私の中で残るからね。それに、レンって子も悲しむと思うよ、最後には泣いていたよ。ねぇ、聞いても良い、どんな関係だったのかな?」
「単なる奴隷仲間だ」
「本当かな? 私にはそれ以上の感情があの子から感じたけれどもな? 本当の所どうなのよ? そもそも、どうやって知り合ったのか聞きたい」
良く喋る娘だな。それに、好奇心旺盛。
「彼奴の気持ちは俺には知らない。俺は彼奴ではないからな。彼奴、レンは俺が初めて買った奴隷だ」
元々、俺は師匠が来るまで一人で暮らして、一人で全てを完結させていた。ある日、師匠がこう言った。
『レオン、今のお前は、井の中の蛙大海を知らず。とりあえず、奴隷でも買ってこい、これは命令だ』
俺に奴隷を、買う様に命令してきた。奴隷なのに奴隷を買うのは何か変な気持ちだった。けれども、既にシルバーは数名を買っては自分の部下として扱っていた。奴隷王が作ったシステムにより、奴隷の俺にも多少の権限や金を持っていた。
シルバーと一緒に、奴隷を買いに行った時、最後に売れ残った娘がレンだった。歳は俺よりも年上で、商人の説明では、没落した貴族の娘で、生まれた時から病気を持っており、余り長く生きられないと、それを証明する様に、体はガリガリに痩せおり、己の人生に絶望しているのか瞳には生気が無く、買おうと買わなくても直ぐに死ぬだろうと誰もが思っており、売れ残っていた。どうせ、直ぐに死ぬなら面倒を見る事も必要も無くて楽だと思って買った。なにより、安く買えた。
けど、それが逆にダメだった。持ち帰り師匠に、見せたら豪快に笑われた。
『あはは、実に良い買い物だな。よし、レオン。ここは一つお前に命令を出そう。その娘を絶対に死なすな。死んだら、お前も一緒に冥府送りにする』
師匠の言葉に、俺は絶句して、酷く後悔した。この教訓から俺は学んだ。後悔先に立たず、と。
その後は、大変だった。何せ、レンはろくに食事を口に入れず、自分一人でトイレにも行けない程病弱。だから、俺は無理やり食い物を口に突っ込み食わせて、トイレにも運んで面倒を見た。更に少ない持ち金で魔法士に呼んでは治癒魔法を頼んだり、強壮薬を買って飲ませた。生かす為にも、金が必要だから俺は、面倒を見ながら師匠の鍛錬にも付き合いながら、奴隷王から下される命令を熟して、金を貰った。それを見ていた、師匠は何も言わず、ただ頷くだけ。シルバーは、可笑しかったのか良く笑っていたけど、良い魔法士や強壮薬を教えてくれた。これは、予想外だったのが、奴隷王が何も言わなかった。それどころか、俺には高額な報酬が出る仕事を落として来た。もちろん、高額に比例する様に、仕事は危険だった。けれども、俺は生き残った。
そんな生活を、レンを買ってから一年程送った頃には、ようやく俺の苦労が実り、レンは平凡な人間と呼べる程に回復した。細かった体は豊かになり、瞳には生気が戻った。今でも、病気を患っていると聞いていたけれども、俺にはどんな病気だったのかも分からない。これを、当時買った商人に言うと心底驚いて買い戻させてくれって言われた。昔の俺なら、俺の問題では無い、とでも言って売っていただろうけど、一年間の苦労が脳裏に浮かび、商人に短剣を向けて断っていた。
それを知ってか知らずか、師匠は満足そうに笑っては、痛い位に背中を何回も叩かれた。回復したからと言っても、俺はレンを奴隷のまま扱いのも面倒だから、今後の事を師匠に相談したら、まさかの奴隷王から、奴隷商会の書類整理等の仕事がレンに来た。元々、レンは没落した貴族の娘だって事で、文字の読み書きや数字、礼儀を覚えており、丁度欲しかった人材って事で商会で働き始めた。素質が有ったのか、仕事は直ぐに覚えては完璧に熟しては、奴隷王にも、仕事ぶりを褒められて、重宝され、今では書類関係は全部レンが受け持ち、奴隷王から信頼されている。
「これで、満足か、クレア」
レンとの、出会いを説明終わる頃には、街の姿は遠く離れて見えなくなっていた。それに、徐々に周囲は夜の風景に変わり始めていた。
「うんうん、良く分かった。レオンは、なんだかんだ面倒見が良い人間って事が。それに、商人に短剣を向けて断った場面とか、最高に良かった」
此奴、話している時は黙って聞いていたのに、終わった途端にペラペラと良く喋るな。しかも、妙に何かニコニコと笑っている。
「でも、レオンの奴隷なら、一緒に付いてくるべきじゃなかったのかな? そこはどうなの?」
「レンは、もう俺の奴隷ではない。今は、奴隷王の所有物だ」
その言葉に、表情から笑みが消えて、真顔に切り替わった。
「えぇぇ! そ、それって。え? 彼女は、何も言わなかったのか? それに、えっと、危ない事されたりとかは」
急に、狼狽え始めるクレアに、溜息を洩らして補足する。
「奴隷王の所有物になったのは、俺、奴隷王の二人で契約した結果だ」
契約が出たのは、師匠が死んだ頃だった。
「契約内容は、俺と奴隷王が意見を出して決めた。まず俺からは、レンには現状の仕事以外させない。それに、乱暴な事や性行為をさせない強要させない。病気や寿命以外で殺す事は禁止。次に、奴隷王からは、今の仕事を俺や奴隷王以外に絶対喋らない、更に商会から外出禁止。他にも細かい事が有るけど、それで互いに納得して、俺はレンを奴隷王に引き渡した」
「……待って待って、それって彼女、意見を聞いていないよね。それに、本人は契約の事とか知っているの?」
「ああ。知って納得している事だ。俺は、これが正しい行動で、結果だと思っている。それに、もう五年以上も経過している事だ、今更掘り返して言う事でもない、終わっているんだよ」
「訂正致します。レオンは、朴念仁の酷い人間です。全く、なんで彼女の意見を聞かないかな。もしも、私が彼女の立場なら絶対に奴隷王の元には行かないね。そして、レオンと一緒にここに居たはずよ」
「……お前は、クレアって人間で。レンじゃない。それに、俺は元から酷い人間だ」
互いに、暗くなる荷台の中で目線を交差させては、互いに口を開く事は無かった。
流石に、夜が深くなってこのまま進行は危険と判断したメイドが、クレアに野営の許可を得て、比較的広い場所で野営をする事になった。
焚火を囲む様に、俺。少し距離を空けてクレアとメイドが並んで、遅めの夕食を口に運ぶ。二人は、簡素なシチュー、対して俺は干し肉。別に不満は無かった。俺は、クレアに買われた奴隷で、飯を食べれるだけでも十分。けれども、気に要らない事が幾つか有る。準備している間、俺とクレアは互いに口を利く事は無く、無言だった。そして、俺に何か用が有る時は、菅らずメイドを仲介して伝えて来た。直接、話せば済み様な簡単な事でもだ。他にも、有った。
「貴方には、周囲警戒をお願い致します。何か有れば呼んで構いませんので」
食事も終わり、用事が無くなり早々に荷台で寝に入るクレア。そして、残されたのが俺とメイドの二人。郊外で野営する中で警戒する事が有る。一つに、盗賊や魔獣達の襲撃。本来、他国に移動する時には、冒険者を雇って護衛させる。けれども、俺達一同は、冒険者を雇っておらず、自然と誰かが夜の警戒をする役を買う事になる。如何にも無理そうなクレアは除外。残るのは、俺とメイドの二人。
「……了解。なら、早速だけど一つ」
「……はい、何でしょうか?」
「ずっと、出会った時から殺気を俺に向けるな。息苦しい。俺はお前に何かしたのか?」
そう、ずっと不満な事が有ったのだ、それがこのメイドから俺に向けられる、異様な程に強い殺気。殺気を向けられるのは日常茶飯事だが、こうも半刻以上も向けられると気が休まない。
「……それは、貴方がこの場に存在している事が原因です。どうして、貴方の様な奴隷を買わなければならない。貴方を買ったお金にペンデュラムは大事なお金だったのですよ。嫌でも、貴方には殺意が湧きます。話は、それだけですか? では」
台詞を吐き捨てて、メイドはクレアが寝ている荷台に姿を消す。一人、残された俺は、溜息を洩らして、灯が弱くなる焚火に枝を投げて勢いを良くさせる。
「はぁ、何か、師匠から出会ってから面倒だな。本当に」
『人生ってのは、クソ面倒の連続だぞ。だから、こそ面倒な人生を存分に楽しめ、レオン。それが生きている証だ』
いつの間にか、寝ていたのか、師匠の言葉で俺は起きた。
寝ていた時間は、短い。けれども、焚火の勢いが鎮火する寸前まで弱くなっていた。まだ冬の時では無いけれども、肌寒く感じる。これまで、冬での野営は何回も経験して寒気は余り感じない程に体は鍛えられたけれども、寒気を感じる。もしかしたら、弱っている証かも知れない。
「……クソ! おい、メイド、クレア。起きろ、襲撃!」
気付くのが遅かった。知らない間に、無数の気配が周囲を囲む様に察知した。
焚火の勢いを強くして、松明を作って周囲に放り投げて、暗闇に光を広げる。
俺の声に、勢いよくメイドが荷台から飛び出して、傍まで近寄って睨んでくる。
「嫌でも、言いたい事が分かる。逆の立場でも、同じ事を言っただろう。だけど、今は辞めてくれ。それが、最後の会話にしたいとは思いたくない」
「同感です。ましてや、貴方と最後は嫌ですから」
と、メイドは黒い手袋を両手に嵌めており、俺に短剣を突き出してくる。
受け取りながら、注意深く周囲の動きを探る。
嫌な汗が、額から噴き出して、鼓動が自然と早くなって、呼吸が浅く早くなり始める。
最初に、動いたのは、メイドだった。
暗闇に向かって、勢い良くナイフを投擲した。直後、魔獣が絶命する断末魔が暗闇に轟く。それが、開戦の合図になった。
一斉に、四方八方から魔獣が暗闇から姿を飛び出してくる。瞬時に、魔獣はウルフだと分かった。白銀の毛並みに犬よりも二回り大きい四足歩行の魔獣。
「数は!?」
「不明でしょうね。けれども、貴方には余裕の相手では?」
平然と、投擲を繰り出すメイド。対して俺は、近寄ってくるウルフを素早く手首を切り返して、体に傷を切り刻み血を噴出させる。即興コンビネーションアタックだけど、メイドの撃ち洩らした相手を俺が対処する。悪くなかった。
「クソ。体が重たい、それに、足腰がうまく言う事を聞かないし、短剣じゃあ、一撃で仕留められない。おい、長剣は無いのかよ」
「有りますけど、それはお嬢様の護身として預けております」
「チィ。そうかよ。なら、お前のナイフでも貸せ。一本よりも二本有れば回数が増える」
「御冗談よ。私の獲物は特殊でして」
メイドが倒した、魔獣の見れば投擲したナイフが残っていない。観察して分かった。投擲したナイフには、細いワイヤーが結ばれており、刺してはワイヤーを引っ張りは手元に戻していた。何だが、貧乏臭い攻撃だと思える。けれども、それが指一本一本付けられては、両手合計十本のワイヤーナイフ。まるで、人形操りの様な、巧みな指裁きで宙にナイフが舞い踊り、ウルフの命を切断しては乱舞する。しかも、相当頑丈なワイヤーなのかウルフの肉体を切断する。
「うまいな、それ。最初は、思った所に上手く投げるのが難しいよな。相当訓練したんだろう」
「御託は良いですから、倒す事に専念したらどうですか」
「ああ、そうだな。どうやら、親玉の登場らしいぞ、警戒」
もう、三十体以上は倒したころ、暗闇の中から一段と殺気を出す存在を感じ取る。
のしのしと地面を揺らして、そいつは暗闇から姿を現す。倒したウルフよりも更に大きく、鋭く尖った犬歯。ギラギラと尖がった瞳。明らかに上位種、それか、歴戦のウルフだろう。思い返すのは、この前に戦った魔獣共を指揮していた主。一般的な冒険者や新兵では、荷が重い相手。
「……メイド。お前なら、倒せるか?」
「……難しいですね。相手が一体ならば対処は出来るでしょうけれども、如何せん、他の相手やお嬢様の護衛が有ると」
もしも、この場に俺一人ならば、他を気にせずに胸が躍り戦えただろうけれども、今はメイドや荷台にいるクレアの存在が動きに制限を掛ける。まるで、枷。
「メイド、俺が仕掛ける。お前は、雑魚の相手はクレアの護衛に専念しろ」
「妥当な結果でしょう。それに、貴方は魔神も倒せる猛者ですからね。適材適所と言った所でしょう」
「ああ。任せろ」
乾いた下唇を、舌で潤しながら、俺は親玉に向かって体を走らせた。今回は、全開のアニマ解放させる時間が惜しい。けれども、ただ具現化させるだけならば、時間は要らない。
願うのは、主を切断出来る武器なら何でも良い。そうだ、メイドが使っていたワイヤーでも構わない。
瞬時に、胸元から光が粒子として溢れたけれども。
「がはぁ!」
粒子が出た瞬間に、全身に強烈な激痛が走り、一気に力が抜け落ちて、立っているのも不可能になり、口からは吐血して、その場で顔面から地面にキスさせられる事になった。必死に重たい瞼を開けた景色には、真っ赤一色に染まって微かに見える物の輪郭も滲んでハッキリと見えない。それに、冬に全裸で放置された様に体が寒く指一本動かせない。追い打ちを掛ける様に、頭痛に襲われて真面に思考を巡らせる事も出来ない。
とにかく、懸命に起き上がろうとするけれども、腕が震えては力が入らない。
「レオン!」
「ダメです、お嬢様、外に出ては!」
「シャイニング!」
一面に激しい、閃光が暗闇を打ち払う。突然の光に、ウルフ達は目をやられたのか、悲鳴を上げて、その場で暴れる音が聞こえる。
一体誰が、魔法を唱えた? 頭痛の中で疑問が浮かぶ。
「レオン! 大丈夫!?。ああ、血が!」
真っ赤な視界の中で、今にも泣きそうに表情をぐちゃぐちゃにしたクレアが近寄っては、体を起こしてくれた。
「……俺の事は放置して、メイドの、傍にいろ。喰われる」
「ええい、そんな寝言は良いですから、シュリ! 手伝って頂戴、レオンを荷台の方まで運びます」
「……了解しました、お嬢様」
クソ、何をしているんだ俺は。女二人に体を運ばれているんだよ。それに、俺は守られているのか? ああ、そう思ってくる程に、自分に苛立ってくる。無能で弱弱しい自分が、男なら剣を握って、自らの体を犠牲にしてでも、戦えよ。それでも、と嘆き喚き抗えよ。さぁ、願えよ。
「我は、望む。内なる痛みを憤怒に、圧倒的な暴力に、全てを駆逐する、憤怒の嵐を、具現化せよ、我が魂よ。アニマ」
全身が、雑巾を絞る様に激痛が走る。そうされている様に、全身の皮膚からは血が噴き出す。直接内臓を掴まれて乱暴にぐちゃぐちゃと遊ばれている気分。痛みだけ残して感覚は全て吹き飛ぶ。今、俺は立っているのかも分からない。天と地がどこを示しているのかも分からない。けれども、内から溢れる痛みが憤怒に切り替わるのは分かる。さぁ、誰が俺に仕打ちをした奴は誰だ。誰を殺せば楽になる?
「お、ま、え。かぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
真っ赤な視界に一瞬だけ見えたのは、主。
距離、位置等、空間概念を無視して、ただ引き裂く様に、腕を払った。
すると、主の体や周囲の草木や逃げていたウルフ達は、見えない手で払われた様に、体が勢い良く横水平に吹き飛んでは、姿を消した。こうして、何とか俺達はこの夜を超える事は出来たらしい。
次に目を覚ましたのは、翌朝の事。見えるのは、また荷台の天井。なんか、もう見慣れた気がするのは何故だろうか。
「ぐううう」
ボロボロの体を、無理やり起こして、背中を荷物に預ける。
「……最悪だ。俺は、どうなっているんだ」
「それは、私の台詞ですよ。レオン、水よ」
外から、水筒を渡してくるのは、クレアだった。その奥では、メイドが焚火の始末をしていた。
受け取ろうと、腕を上げるだけでも、激痛が走り、嫌でも苦痛の顔になり、水筒は受け取れなかった。
「ちょっと、しっかりしなさいよ。ほら、水よ。慌てないでゆっくりと飲みなさいよ」
「ごふ!」
口に、強引に飲み口を捻じ込まれた。俺の意思とは関係無く、口内に生ぬるい水が流れ込まれて、懸命に窒息死しない為に、水を飲み込む。
「ぶはぁ! おい、俺を殺す気かよ!」
「こっちは、貴方のせいで死ぬと思ったんだから、もしそう思うなら、痛み分けよ。それに、今まで大変だったのよ。急に血を吹いて倒れたと思ったら、ぶつぶつ喋りだしたら、急に叫ぶし、と思ったら魔獣達は全員真っ赤な手が吹き飛ばすし、そして、君を見たら全身血塗れで意識無くなっているんだよ。か、体を拭いたり着替えさせるのは大変だった、シュリが」
おい、そこはお前じゃないのかよ。
「ねぇ、貴方。大丈夫なの? それに、本当に魔神倒した?」
「倒した。けど、代償に全治半年は前線で戦えない体になっているだけだ」
クレハ、まるで鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべて、動きが固まる。
「……え? 冗談話だよね?」
「本当の事だ。嘘を言ってどうする。お前達は、シルバーの保険なんだろう? 聞いていないのか?」
「ちょっと、待って待って、それって奴隷だったら、ダメだよね」
「ああ。だけど、シルバーがそこら辺を何とかすると言っていたから、お前らの事だと思っていた、まさか、違うのか?」
「当たり前でしょう! はぁ、最悪。どんどん何か悪い方向に転がり落ちている気分。これじゃあ、無理じゃない。ってか、何で買う時言わなかったのよ」
「言う訳が有るか? 自ら、処分される原因を言う訳が無い。それに、あの時は、お前らをシルバーが寄こした保険だと思って既に、分かっている物だと思っていた。だとしたら、お前ら相当お人好しで、間抜けだな、買う時は慎重にその場で判断する物ではないぞ。そう両親に教わらなかったのか?」
「ぐぬぬ」
何も言い返せないのか、変な呻き声を吐き出すクレア。
「にしても、良く五千万って金額を持っていたな」
「あのお金は、別に使う予定だったのよ。けど、もしかしたら、運命だと思ったのよ」
運命ね。それは、多分外れクジを引く運命だな。
「まぁ、俺としては、このままここに放置して構わないぞ。むしろ、そっちの方が俺個人としては気楽で良い」
「ろくに水も飲めない、貴方を? 冗談言わないで。ここで、貴方を置いて行ったら、私の気持ちが納得出来ないわ」
アホらしい。気持ちで決めるのかよ。客観的に見れば、こんなお荷物は置いて行くだろう。逆の立場なら問答無用で実行する。
「ううう、これからどうしよう。あの人が居るって聞いて、七日も荷台に揺れて移動したっているのに、到着して開けば、既に他界していないし、それでも、弟子で魔神も倒した君を買ったのに、聞けば半年間も戦えない体とか、もう終わったわ。完全に無理だわ」
勝手に絶望して、その場に座り出して、天を見上げ始めるクレア。どこか、昔のレンを見ている気分。
「聞いて良いか。お前は国で何をするつもりだったんだ。まさか、反乱でもするつもりだったのか?」
「違うわよ。向かっているマギウス国は、次期皇帝を決める為に現皇帝の子供同士が争っているのよ。そして、十人居る子供の末っ子。第五皇女なのよ」
「……いやいや、それこそ冗談じゃないのか? お前が皇女だって? 笑える。着ている服は平民と同じ質素な服。それに、護衛にメイド一人? 出鱈目過ぎる」
「嘘ではないわ。嫌だけど貴方と同じくね」
まぁ、今更嘘を言う意味も無いか。
「しかし、次期皇帝を決める為に、子供同士で争うとは皮肉だな。血と血で争うか、現皇帝も酷い奴だな」
「違うわ。確かに血と血で争う事も有るでしょうね。でも、次期皇帝を決めるのは、民よ。少し、国の事情を説明しましょうか。多分、その方が良いでしょうね」
マギウス国。遥か昔、それこそ神話と呼ばれる時代に遡る。当時、人間、魔族、天族が互いに争いを起こしていた。けれども、中でもそれぞれの長が狂っていた。遥かに強靭は体や魔力で争う度に、仲間や敵の血が大地を染めて、危険人物だった。このまま争えば、いずれ戦火は世界や魔界に天界まで広がり、関係無い人物まで血を流す事だろうと。それを危惧して、人間や魔族、天族はそんな三人を封印する事を決めた。その封印されているのが、マギウス国。だけど、誰もが封印する事に賛成はしておらず、今でも解放しようと、人間や魔族に天族が封印されているマギウス国を狙っているのよ。だから、日々問題が発生しているのよ。それらを解決したのが、初代皇帝になった人物よ。誰よりも、民や未来の事を案じいた。その事から、次期皇帝を決めるのは、そこで暮らす民が決める仕組みになったのよ。決めるポイントは、様々よ。冒険者が集うギルドに寄せられる問題を解決したり、襲撃してくる魔族や天族の仲介して争いを辞めさせたり、黙らせる。つまり、どれだけ民が安心して任せられるか。だから、ただ上から口を出して動かない皇族は絶対に選ばれないし、逆に自分勝手に動く皇族も選ばれない。けれども、やはり争いは起きる。だから、他よりも技量の有る仲間を増やせるかが問題になる。
「そこで、師匠の出番か。しかし、何でそこで師匠なんだ?」
師匠と出会ったのは、もう十年程前の事だ。もしも、必要なら今よりもっと前に会いに来ているはずだ。つまり、争いはここ最近起きた出来事だと推測できる。しかし、一眠りしたからか、頭痛は引いてくれて助かる。これで、まだ頭痛が残っていたら最悪だ。まともに会話も出来ない。
「もう、十五年前かな。それこそ、シュリとも出会う前。当時、人攫いに会ったのよ。で、助けてくれたのがあの人だったのよ。短い間だっけど一緒に暮らして色んな事を教えてくれたのよ。昔、それこと私達の様な歳には現皇帝の仲間として動いていて、実力者だった事を。当時の私は、あの人を勇者だと思ってずっと尊敬していたのよ。でも、ある日急に居なくなって探したけど見つからなかったのよ。でも、最近になって偶然にもあの人に関する情報を知ってね。それで、もしかしたら私達に手助けしてくれるかなって思ってね」
それで、会いに来たのか。にしても、知らなかった。師匠が昔、クレアと出会っていて皇帝の知り合いって事も。
「レオンは、そこら辺聞いていなかったの?」
「ああ。興味も無かった」
「お嬢様。こちらは準備が出来ました。行きましょうか」
後片付けが終わったらしく、メイドが近寄って来た。
「……そっか、よっと」
起き上がり、腰に着いた土を払う。そこには、何故か、先ほどまでと違って微笑んでいた。
「シュリの方もご苦労様。じゃあ、行こうか」
「はい、お嬢様。それで、彼は置いて行きますか?」
昨日よりも、一段と険しい表情で俺を睨んでくるメイド。
「シュリも、レオンと同じ事を口にするのね。残念、彼は一緒に連れて行きます。例え、戦えない体でもね。これは、絶対命令です」
余り成長していない、胸を自慢げに突き出してハッキリと宣言された。
「そうですか。お嬢様が決めたのでしたら、私から言う事は何もありません。ですけど、もしも何か起きた場合には、私は彼を処分致します」
明白な宣告も、メイドから告げられる。
「ああ。起きたら遠慮せずに、首を刎ねるが良いよ。俺はそれで、別に恨まないし、亡霊になって襲う事も無い」
「もう、二人共。物騒な事は言わないでよ! ほら、移動しましょうか」
こうして、馬車はまた動き始めた。
その後は、運良くマギウス国より更に東に向かっている商人一行と遭遇して、便乗して移動が出来た。商人一行には護衛として冒険者達が乗っており助かった。一緒に行く駄賃として、昨夜倒したウルフの毛皮や肉を売った。他にも、夜の警戒にも協力する形で。こんな俺でも、警戒する事は出来た。
移動する間も、クレアは動けない俺を健気に看護してくれた。その時のメイドから向けられる殺意は痛かった。
マギウス国に到着したの、俺が国を出て丁度七日経った、昼間だった。荷台から顔を出していたクレアは、俺を手招きをする。
「ほら、レオン。あれがマギウス国よ」
到着する頃には、ようやく体を動かせる位には回復しており、荷台から外を見た。
「……大きいな。俺が居た街よりも、数段大きいな。それに、往来する人間も多い。それに、あれはエルフか?」
それまで、余り往来する人間は少なったけれども、国に近寄る度にどこから湧いたのか大勢の人間が居た。その中に、目を引いたのが、エルフだった。
特徴的な耳が長く、得意とされている弓矢を背負っていた。エルフが居るのは、更に北に有る森林で暮らしているとされて、人間よりも長い寿命を持っているとされている種族。そして、余り人間と関わらないと聞いていた。関わるのはどちらかと言えば天族寄り。
「うん、マギウス国は話したけど、天界や魔界から干渉が有るから必然的に色んな種族が来るのよ。それに、大きい国って事で貿易も盛んでね。ほら、あそこに歩いているのは、ドワーフね。それに、あの黒い髪が特徴的なのは、鬼火族よ」
ドワーフは、俺の国にも居て直ぐに分かった。岩穴や地中で暮らす種族で、鍛冶等造る事が得意で、騎士団が使っている騎士鎧や剣もドワーフが作っていた。何より、身長が小さいのが特徴的だ。中には大きい奴も居たけれども、大勢が小さい。そして、種族的に魔族寄りだけど、今では金や生活する為に人間にも協力している。
そして、クレアが指差して教えてくれた、鬼火族。探すのは、少し苦労したけど、特徴を言ってくれたおかげで見つけられた。確かに、他の違って漆黒の髪が目立った。
「鬼火族。それって、メイドもそうなのか?」
「鬼火族。ここより更に東に行った諸国で生活している種族。シュリも鬼火族よ。もしかして、知らなかったの?」
「余り、東側は知らないし、興味が無かった」
そう答えると、クレアの表情は輝き出して、律儀に教えてくれた。
鬼火族の起源は、オーガ種と人間が交配して誕生したのが鬼火族とも言われている。けれども、明白に決まった起源は無いし、諸説あるそうだ。
鬼火族は、黒い髪が特徴的とされて、暗闇には慣れており光が無くても動ける事が出来る。だからなのか、昔から暗殺等に適しており、そういった稼業をしているそうだ。更に、主人や一度決めた人物には絶大的な信頼を預けて、裏切る事は無い。人間に近い種族って事で、人間寄りらしい。そして、女性が多く生まれる種族だそうだ。
それを、聞いて俺は、これまでメイドの動きを思い返せば鬼火族だと納得できた。特に最後の説明に。まぁ、裏切られないだけマシか。
クレアの説明を聞いていると、大きな門を通過して、そこで一緒に便乗させて貰った商人一行とは別れた。
「で、ここからどこに向かうんだ?」
「もちろん、私達が暮らしている家よ」
「そっか。で、どんな家なんだ?」
「ふふふ、レオン。きっと貴方は最初に、こう口にするでしょうね。大きいとね」
確かに、到着して俺は、クレアの予言通りに、口にした。
「……大きい。が、何だ? この年期の入った建物は?」
目の前には、奴隷王の商会よりも数倍大きい木造の建物が広がっていた。だが、明らかに他と違って年期の入っているのが分かる。それに、他の建物は煉瓦造りが目立つって言うのに。奴隷王の商会は煉瓦造りの建物だ。
「ようこそ、私達の宿屋兼酒場。『暁亭』に」
メイドは、裏側に馬車を置きに消えて、残ったのは俺とクレアだけ。互いに自分の少ない荷物を持って、中に入ると、一段と建物が大きいと実感した。
宿屋兼酒場って事で、数多いテーブルやカウンター席が有り、三十人位は余裕で入れるだろう。二階に繋がる階段も大人三人が並んでも通れる程の幅が有る。南側から差し込む日差しが多く、建物内に居ても外と変わらない明るさ。しかも、埃やゴミも無く綺麗に掃除が行き届いているのが分かる。けれども。
「宿屋にしては、静か過ぎないか?」
そう、気付いた。宿屋って言うには圧倒的に人の気配が感じない。まるで、無人の建物に入った気分。
「えっとね。宿屋だけど、今は休業中かな?」
「は? 休業中なのか。それは、次期皇帝を決める為に忙しくて休業したのか?」
「否定したいけど、その通り。元々、私の両親が運営していたけど、父さんは私が幼い頃に病気で、その後は母さん。元第三皇女だった母さん、一人で頑張っていたけど、母さんも二年前に病気、その後は色々有って休業してね」
乾いた笑い声が、無駄に広い空間に響いて、余計に寂しさを引き出す。
「いつお客さんが来ても良い様に、シュリと私でいつも掃除はしているから綺麗でしょう? そして、いつかはここをまた、お客さんで一杯にしたいのが、私の夢なんだ」
夢か。奴隷だった俺には考えれない事だ。
「この広さを、お前とメイド。二人で?」
「うん、最初は時間が掛かったけど、今じゃあ元々綺麗だから、簡単に済むからね。それに、いつでも開ける様に色々と頑張っているんだからね」
「クレア。悪いが、俺はどこで寝れば良い。外か、それとも馬小屋か?」
「まさか、レオンは、とりあえず二階の客室を使って良いよ。あ、一部屋だからね。壁貫通して一部屋とかダメだからね」
「そんな、バカな事はしない。そこまで行う技量は今は持ち合わせない。悪いが部屋を借りるぞ」
少ない荷物を手にして、客室に足を運んだ。
客室に入ると、一階同様に綺麗に掃除されて、埃も無ければ、ベッドに掛けられているシーツも皺一つ無く、最低限の家具が置かれている。窓から見えるのは、裏庭なのか広い草地が有り。その隅には馬小屋に馬を入れているシュリの姿が見えた。
荷物を乱暴に、放り投げて重たく感じる体をベッドに投げ出して、木目の天井を見上げた。
疲れた。流石に七日も、荷台で生活していると俺でも尻が痛い。けども、何よりもこんな俺を面倒見てくれたクレアに申し訳ない気持ちで一杯で、心が苦しい。
「こんな俺でも、今から彼奴の手伝いが出来るか……あ。そっか、レンはこんな気持ちで暮らしていたのかな?」
それに、やはり俺は井の中の蛙だったらしい。いいや、もっと知る機会は有ったけど、俺は放棄したんだ。師匠の事も全然知らなかった。そして、レンの気持ちも知ろうとしなかった。そして、もう一つ気になる事が出来た。
「師匠、あんたから授かった。魂を具現化する、アニマウェポン。これは一体なんだ? どうして、魔神以降も俺は生きているんだ?」
ダメだ、これ以上は考えられない。非常に眠い。そういえば、シルバーはどうやって俺を処分から回避させるつもりだったんだろうか。今に思えば、もう出会う事が無いから分からないか。ダメ、非常に眠い。
微睡に誘われて、ゆっくりと瞼が閉じた。
物音で寝ていた意識が、覚めた。
「レオン様ですか?」
ゆっくりと、重たい瞼を開き、手元のランプに火を灯して、室内を明るくするが、そこは無駄に広い一室。空になった二つのベッド。そして、微かに主人が居た匂いだけが残っていた。
「……ああ、そっか。レオン様はもう居ないのか」
これまで、彼の為に生きて来たけれども、その愛しい人は既にこの部屋は居ない。黄金の髪をした娘が彼を、外に連れて行ったのだ。別に、娘に対して特別な感情は湧かない。けれども、彼が居ないのは寂しい。仕事にも、全然集中する事が出来ない、簡単なミスもしてしまっている始末。心の一部が抜け落ちている気分。いっそ、死んだ方が楽な気もする。だけど、死ぬ事は彼を裏切る気分でもっとダメ。それに、奴隷王と交わした契約には、死ぬ事は出来ない。
「早く、この環境に慣れないとダメね」
もう一回寝ようとしたけど、中々寝れない。
「はぁ、トレイと水でも飲みに行きましょうか」
病弱だったとは思えない、健全に成長した白い足をベッドから出して、部屋を出た。
深夜の商会内は、昼間よりも一段と静かだった。ここに居る奴隷達は夜に動く事が多く、つまり、彼らの活動時間は今。残っているのは、買い手が決まらない奴隷か処分待ちをしている奴隷の二択。
静かな通路を歩きながら、気付いた。
「……あら、話し声?」
そもそも、目を覚ましたのは物音だ。商会内は、常に衛生管理はきちんと管理されているから、ネズミが活動する事は無い。必然的に、物音を立てるのは商会内に居る人間に限られる。ここは、奴隷王が鎮座する商会で、そんな所を狙う愚者は国の中には存在しない。襲えば、奴隷以上に恐ろしい経験をするのだから。だが、こんな時間に自由に動き話せる人間は、限られる。奴隷達は商会内でも、基本枷を装着する義務になっている。それに、移動するにも部屋には鍵が掛かって出る事も出来ない。何より、奴隷達は地下で生活しているのだ。レンや奴隷王の部屋に居た女は特殊で、地上の部屋で生活している。他にも地上で部屋を使えるのは、剣奴として格付けされて奴隷王から認められた人間だけ。そんな剣奴も今は居ない。
私は、自然と足先が物音や話し声がした方に向かって進んでいた。そして、到着してしまった。
「……奴隷王の執務室?」
聞き耳を当てて、室内の声を聞き取ろうとする。けれども、はっきりと聞こえない。辛うじて聞こえたのは、奴隷王とシルバーの声だった。
『ふざけるな! レオンを処分しただと! 彼奴が、どれだけの技量を持っているのかお前が分からないはずがない。例え、それが全治半年掛かっても、採算が取れる程に』
うわぁ、シルバーさん。奴隷王に対して凄い言葉使い。怖いもの知らずなのかしら?
『もう処分した結果は変わらない。そんなに大事なら、帰って来た日に言うべきだったな。なのに、お前はどうした? こう考えたじゃないか。処分の判断には、最低でも二、三日掛かる。だから、それまでに話せば良いと。甘かったな』
『……クソったれが、クソ爺が!』
「きゃあ!」
と、急に勢い良くドアが開いたから、突き飛ばされる形で、その場に尻餅してしまった。
出て来たのは、普段はニコニコと微笑んでいるシルバーさんだけども、その時は、鬼だった。
「お前は、確かレンだったか。お前も、慕うレオンが居なくなって悲しいのか? ああ、それとも、レオンが居なくなった代わりに、奴隷王にでも慰めて貰いに来たのか? それとも、僕が慰めてあげようか? これでも婦人達には人気だよ?」
「なぁ! どうして、私が!」
「いい加減にしろ。奴隷共!」
開いたドアで見えないけれども、室内から奴隷王の高ぶった声が聞こえた。
「シルバー。貴様は少し外に出て、頭を冷やせ」
「チぃ。へいへい、分かりましたよ。奴隷王。じゃあな」
シルバーさんは、そのまま大股に歩いて姿を消した。少ししてから、裏口が開閉する音が聞こえた。
怖かった。へぇ、あのシルバーさんだったの? まるで別人に感じたわ。元から、彼はどこか裏が有る様な気がしたけども。
「そこに居るのは、レンか? 入れ」
「あ、はい」
起き上がり、室内に入るけど、酷かった。
綺麗に整理されていたはずの物や書類が、散乱している。まるで、嵐が通過した様に。そんな部屋に、深く腰を下ろすのが奴隷王。少し疲れているのか、表情には疲労が滲んで、吐き出される溜息は重たかった。
「悪いな、散らかっていて。それで、レン。お前は何故聞き耳を立てていた?」
私は、奴隷王に物音がして、好奇心で来てしまった事を説明した。
「そうか、お前の部屋まで聞こえたのか。それは、悪かった」
「あの、どうして?」
「レオンを処分した事か? 確かに、処分したじゃないか。なのに、あのバカ野郎は多分勘違いしている。そこに、気付けずに心を乱すとは、まだまだ甘い。普段の彼奴ならば、冷静に更に深く言葉の意味を探りに来たはずだ」
ああ、確かに処分した。一般的な奴隷の処分と聞けば、殺したって連想する。けれども、レオン様は娘に買い取られてここから消えた。奴隷王から見れば、ここから姿を消えた事は処分したに等しい事。なら、それを説明すれば、あそこまで怒る事も無ければ、物が散乱する事は無かったはず。何と、不器用な奴隷王だろうか。
「それと、レン。お前に、一つ仕事を与えよう。これを、マギウス国に居る娘に届けろ」
奴隷王は、机の引き出しから、一つのペンデュラムが取り出される。
「それと、処分した奴に、これを渡して伝えろ。契約は破棄された。と、後はお前が対処しろとな」
更に、一枚の用紙がペンデュラム脇に置かれた。それは、随分前に見せられた契約書類。
見間違えるはずがない、それは、私の扱いをレオン様と奴隷王が書いた書類だから。これまで、書類整理等をしていても、一切見る事が無かったけれども、まさか奴隷王の部屋に有るとは思わなかった。
「なら、彼女の護衛が僕がやろうじゃないか。どうせ、暇になっているからね」
と、まさかの外に出ていたはずのシルバーさんが現れた。
その表情は、普段の物に戻っていたけれども、逆に戻っている事が不気味にも感じた。
「シルバー。冷やすには早かったな」
「ええ、切り替えは得意ですからね。それで、護衛の役は問題ないかな?」
奴隷王は、少し間を開けてから、口を開く。
「良かろう。だが、お前の部下は置いて行け。行くのは、レンと貴様の二人だけだ。良いな」
「ええ。もちろん。問題ないですよ。じゃあ、早速早朝に行こうか、レン」
「……はい」
従うしかなかった。例え、彼から怪しい雰囲気を出していると分かっていても。それに、もう一度レオン様に会えるのならば構わない。
それは、レオンが商会から去った日の、深夜に起きた出来事だった。