回り出す破滅
馬の野駆けから始まり、鉄武具での戦闘訓練、遠弓の扱い、それをふまえての狩猟。
アナトリアにほど近いバビロンの軍城の簡易幕屋は、奴隷開放軍が賑やかに活動する。
元々が軍属で占められている開放軍だか、今後の展開では農奴など、武器を手にしたことのない、しかし戦いたい者のための統率、連携等が何度も繰り返された。
バビロン側も製鉄精製の全てを、奴隷開放軍の武具製作に費やし、馬の捕獲調整にも全力で当たる。
東のアッシアからの進軍がない今のうちに、アナトリアから南を、オーロリオン将軍と共にとることが出来れば、豊かなこの地方で勢力を増すことができると考えていたからだ。
半月は軍の力量を上げ、軍長を育て上げるのに努め、シリウス隊、リーリアム隊から二人ずつ軍長を正式に任命し、配下に騎馬隊を組織した。
騎馬はあと半月で二倍に増えると確約してくれた。
アーレフは直属配下のミゲル隊と話しながら、隊の練習を見ていた。
「では、ミゲル達には、情報を流せと」
ミゲル隊は戦闘経験がない若い者が多く、配食や幕屋設営を含む情報収集と補給が中心で、戦闘には後方からの予備戦力として関わり、アーレフが全面を指揮するので、戦闘配下ではないが、最初と最終局曲面では、ミゲルに動いてもらう手筈になっていた。
「そう…ラコニア、エジプト、マケドニア、トラキア、ガリアに商船団経由で『噂』を流させろ。アルカディア王の死亡。まずは噂だ、その後は怪文書を」
ミゲル隊のカテラは頷いて、
「キネーン、鳩を使うぞ」
キネーンと呼ばれた雀斑の子どもは、鳥籠からぶちの鳩を出し、足の小さい状筒を開けた。
「早鳩ですから、馬より早いです。オーロリオン将軍、後は何を」
アーレフは天を仰いだ。
「あと半月後に決起する…」
細く切った羊用紙に、滲むことがないタールで短い伝聞を書くと、キネーンに渡す。
キネーンは鳩に何かを告げ、空に放った。
「皆さまに必ずお伝えします」
かしこまったキネーンの頭を、ガシガシと撫でながら、カテラは笑った。
「こいつも、奴隷として売られて来て、港の屋敷の鳩部屋で働くことになりました。鳩奴隷は糞まみれで、鳩と共に暮らします。可哀想なやつで、人柱になりそうにもなった時、ミゲル先生に助け出されて…感謝しています」
アーレフは
「歳はいくつだ?」
とキネーンに尋ねる。
「十二になりました」
真っ赤な顔をして、奴隷開放軍将軍を見つめるキネーンに、アーレフは微笑んだ。
「お前のためにも、戦いは早く終わらせよう」
アーレフは強く思う。
子どもを…奴隷にする国は許せない。
そして…奴隷として、人を蔑む国は滅ぶべきだ…と。
山岳神殿都市アナトリアへの進撃を明日に控え、奴隷開放軍は静かに時を過ごしていた。
バビロン王ペルシャザルが駐在し、鳩使いのキネーンと仲良くなりギリシャ語を教えてもらっている。
シリウスは、リーリアムと静かに最終作戦やら語らっていたし、部下達もめいめいに、焚火を囲んでいた。
アーレフは森の奥の崩れた神殿に向かう。
羽根の生えた崩れた神の像と、それの片羽根が落ちた泉が見える。
ここで沐浴し、眠りにつくのがアーレフの日課になっていた。
シリウスもリーリアムも黙認してくれて、部下が寄ることを禁じてくれたので、一人になることが出来た。
「ソレス…明日は戦いになる。俺は…憎しみを抑えきれないでいる。すまないな…」
泉に声を掛け、静かに水に入る。
返事は…なかった。
各国がアルカディア王国に進軍していると、トラキア国境境から報告が来た時には、すでにラコニアからガレー軍が海峡を通過していた。
「イオリアスの港からガレーを出せ。ラコニア軍を押し戻す」
オリヴェールは広間に集まる貴族、大臣、王族に分散指揮をする。
「レーダーはアナトリアに向かってくれ。バビロンの動きが気にかかる」
レーダーは頷く。
「準備が出来次第向かいます」
レェード派の貴族・王族は、すでにラコニアに亡命しており、その財力も損なわれている。
マケドニアが大きく大陸を迂回して進軍し、トラキアも呼応するように、進軍を始めた。
「何故…王が亡くなったことが…」
レェードが死にカロルはオリヴェールの元に戻ることが出来、オリヴェールの金の武具を整えながら、忘れていた手紙を差し出す。
「なんだ?」
「アポロニア王女様からです」
「エジプトも…アルカディアに…?アポロニアもアルカディアを見限ったらしい…詫び状だ」
「オリヴェール様…」
柔らかな金の髪がさらさらと華奢な体を覆い、清らかな神女が足早に政務室に入って来た。
「神女様」
カロルは礼を取り、下がっていく。
「しばらく城を開けることになる、アテネー」
アテネーはオリヴェールにそっと抱き着いた。
「私がいない間は、王母の部屋へ」
そのまま薄く朱を塗った唇に、オリヴェールは唇を押し付けた。
アテネーは抵抗する事なく、彼の柔らかい口づけを、ただ、受ける。
「何があったの。話して、オリヴェール」
「周囲の国がレェード国王が亡くなると同時に攻めてくる…」
アテネーがオリヴェールの着衣にしがみつき、体を押し付けた。
「戦いに…なるの?」
オリヴェールはアテネーの肩に手をかけて、体を引き離す。
「ああ、だが…貴女は絶対に守りる」
アテネーが唇を噛み締めた。
「おかえりを…お待ちしています…オリヴェール…」
オリヴェールは紫貝で染まった絹衣を翻して部屋を出る。
最愛の人を残して、滅びを引き連れたオーロリオンを向かえ撃つために。
「カロル、アルカディア軍、進撃するぞ」
城の庭に王軍が列んでいる。
遊撃は貴族に任せて、トラキアに向かい、アルカディア軍は動き出した。




