現(うつつ)世の進軍
アーレフは天井が見えないほどの扉の前に立つ。
「ソレス…」
子どもがアーレフの足元にまとまりついた。
「ソレスは泉にいるよ」
「いつも泉を見てる」
アーレフが透かし彫りの扉に手をかけると、力をかけずにす……っと、開いた。
「ソレス」
アーレフはその中に入っていく。
暗闇に輝く泉があり、そこへ淡白く輝く光りが吸い込まれているのを見た。
ゆらり…ゆらりと。
壁一面に薄光りの球はゆらぎ、泉の辺でソレスは横笛を吹いている。
とても美しい澄んだ音色で、エレフは立ち尽くして聴き入った。
その音に誘われるように、光が泉に消えていく。
暗闇に幻想的な空間が生まれていて、音が消えアーレフは顔を上げた。
「どうした?アーレフ」
ソレスが目の前に来て、少し笑う。
「何故だろう…わからない」
ソレスはそのまま泉の淵へとアーレフを引き寄せる。
「終焉の泉。破滅の剣と共に朽ちた小さな魂は、解放されたがってここに集まる。俺の笛で魂が休まるなら…ってな。あいつらみたいに形を維持できる奴らだけじゃない。まだたくさんいるんだ」
ソレスのがっしりとした指を持つ手にアーレフは触れ、そっと口をつける。
「美しく悲しい曲だった…」
「そうだな…」
ソレスが身を屈めて、エレフの身体を抱きしめた。
「泉をくぐり、修羅の現世ヘ」
泉の中から浮かび上がり水から上がると、アーレフはため息を着いた。
終焉の泉から忘れられた神殿の泉に戻ったアーレフは、明るい日差しを見る。
…現世ではほんの少しの瞬きの間…なのか…。
アーレフは何事もなかったかのように歩み、そして客室で夢も見ないほど深く眠りについたのだ。
漆黒の闇とは違い、明るく鮮やかな色彩のタペストリに飾られる部屋。
刺繍の美しい壁飾りが、目に痛いほどに。
ソレスたちはあの闇の中にいるのだろうか…。
両手で体を抱きしめる。
「アーレフ、いるか?」
ペルシャザルとその侍従が、頭を下げアーレフの部屋に入って来て、手に螺鈿の衣装箱持っていた。
「余からの贈り物だ。ひと夜の礼だ」
箱を開けると、絹衣のカンドーラと、赤の絹衣に金と銀、瑠璃の刺繍を施したマントが目をひいた。
「着衣はアルカディア風、纏いはバビロン風。奴隷解放軍オーロリオンらしい縫取りだろう」
金の獅子の旗印も赤布に金。
躊躇った後、身につけた。
今までの衣より丈が短く、合わせ身が動きやすい。
金の武具を胴、腕に留め、赤のロングマントを纏う。
「ソレス」
右手を水平に開き、手のひらを上にかざすと、黒い稲妻と共に漆黒となった剣が出現した。
ペルシャザルがその剣の切っ先を両手にすくい、刃に口づけをする。
「余の夫たるオーロリオンに祝福を」
「怖くはないのか?漆黒の剣だぞ」
「バビロンでは黒曜石は縁起物だ」
アーレフが胸から剣を出し、神官を斬ったことは、ノームの顔を曇らせた。
破滅の神の剣は、破滅の力を吸い込み、白銀は…完全な漆黒に染まっている。
「武運を」
ペルシャザルから剣を受け取ると、剣が消えた。
足早の足音と賑やかな声に、顔を上げる。
「アーレフ…おおっ…これば…すごい。バビロン国王からですか?」
軍神さながらに立つアーレフに、シリウスとリーリアムは片膝を付いた。
「バビロン国王より騎馬二十五を譲り受けました。また、鉄武具五十を借り受けましたので、兵士達を訓練したいのですが」
アーレフは鮮やかに笑う。
「俺も相手をしよう。では、ペルシャザル…武を期待してほしい」
「うむ」
マントを靡かせて、歩み出した。




