山奥のノーム
奴隷開放軍がアナトリアに複数のグループで侵入し、時の合図を待っていた頃、アーレフは山深い廃屋にいた。
「父上…」
崩れた小屋は戦闘の傷痕が残り、柱を両断した無残な姿で残っている。
自然の石が置かれた土山は綺麗にされており、剣が墓碑のように刺さっていた。
しかも新しい草花が一つ置かれている。
「アーレフ?ねえ、アーレフなの?」
家の横の小さな洞穴から、子どもの背丈の女がひょこりと出てきて、アーレフと呼んだ。
「やだ、やっぱりアーレフだ。大きくなって…」
「グレダ母さん…」
「子どもはすぐに大きくなってしまうねえ」
小さな女はアーレフのその横に立って、真新しい花を一輪置いた。
「アーレフの父上様のお墓だよ」
グレダはただ無言で両手を土につけ、アーレフはそれに従った。
土と共に生きるノームの拝礼だ。
「アーレフ、おいで。あんたには少し狭いかもしれないけれど」
廃屋の裏山の入り口はアーレフが膝をつかねば入れない狭さだが、内部は高く掘られていて、光苔で薄明るくなる道を進み、ノーム一族の住処にたどり着く。
「アーレフ!おっきい!」
「アーレフだけ?レティーシアは?」
ノーム一族は一同に身体が小さく、土と共に生きている。
鉱脈を見つけ鉱物を採掘し、国を潤す手伝いをする反面、財源を知るノームは命を狙われるため、こうして隠れ棲んでいると聞いた。
「グレダ母さんが…父上の亡骸を…?」
「ああ、そうだよ。あんたたちはいなくなるし、あのままにしておくのもねえ」
温かいものをお飲みと、薄い野菜スープを出されて、アーレフは木さじで口に運ぶ。
「母さんの味だ…」
「あんたたちは、あたしが育てたんだからねえ」
父はいないことも多く、アーレフとレティーシアはノーム一族の中で育っていた。
細い坑道を走り回り薄暗い闇に慣れたアーレフたちが父と会うときは、山を降りた父がノーム一族に食料を渡す時だけだったし、レティーシアには優しいがアーレフには厳しい父が苦手だった。
会えば基本剣技を叩き込まれ、姉を守れと厳しく言い放つ父から母の話を聞いたことはない。
しかしレティーシアが捕まりアーレフが賊の前に立ちはだかった時、父がアーレフを庇って剣を薙ぎ払った。
…レティーシアを守れ…。
その言葉と共に。
「俺は…姉上を守れなかったた…」
「レティーシア…ああ…なんてことなの…」
泣きながらグレダは空になった皿を受け取り、小さな椅子に腰掛けたアーレフの頭をそっと抱き寄せた。
「守れなかったよ…グレダ母さん…」
アーレフだけの心の儀式…。
「おいで、アーレフ」
家だった廃屋の裏、少し歩いたところにある泉に、連れていかれノームの子どもが遊んでいるのを見る。
グレダとアーレフの二人は足を留めた。
水汲みは子どもの仕事で、アーレフもよくここに来ていた。
「あたしたちがはじめてあんたのお父上に会ったのはね…」
グレダの言葉に頷いて、泉の辺にアーレフは座った。
「生まれたてみたいなあんたをこの泉に沈めていた時なんだよ。レティーシアは火のついたように泣いていてね…」
「え…?」
「レティーシアが泣いて知らせてくれたんだと思った。じいちゃんがお父上を止めたんだけど…あんたを殺さなきゃならないとお父上は繰り返していたんだ」
「どうして…俺を…父上は…」
グレダは首を横に振った。
…何故父上が…俺を殺そうとした…俺だけを…殺したかったのか?
「あたしには分かんないよ。旅に出てるじいちゃんなら分かるんだろうけど…」
「ノームのじいさんならしばらく一緒に旅をした。でも、じいさんはなにも…ただ…」
そう…ただ…ただきつく忠告をされ、アーレフはそれを最近破った。
沈黙だけが流れていく。
静かな刻だった。
夕暮れが迫っている。
泉に青い月が映っていた。
座ったアーレフの指先に、グレダの指が触れ握られる。
「アナトリアには何をしにきたんだい?」
「母さん…俺…」
アーレフはその指をそっと掴み、唇を付けた。
「母さんたち…じいさんのいるガリアに逃げた方がいい」
「アーレフ…なにを言っているの?」
「俺は…アルカディア王国と戦いに来たんだ」
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