純潔の生け贄
静かな夜だった。
女神デーメテール神域は、アルカディア国王によって守られている。
純潔の娘たちが巫女として暮らす、女神神殿の最奥。
その前に露払いでもするかのように取り囲み男神神殿があり、その帳は、『侵入者』によって破られようとしていた。
神託を受けに来た商人に混じり入り込み、神殿の死角に佇む人影数人。
黒く染めたマントに身を包んだ、暗殺者の先頭に立つレェードはほくそ笑んだ。
神託を述べる美しい女。
金の髪に硝子のような薄金の瞳は、慈愛に満ちている。
そしてアルカディアの大神官が言う、
『純潔の生け贄』
だ。
妾腹ではあるが長子、神剣にも選ばれず、神々の血の末端でありながら権利を剥奪された、このレェードが国の『王』になるための…。
夜半を待ち、国影が動き出す。
「アルカディアの王になるのは…この俺だ」
口元がにやりと揺らいだ。
アテネーは荒々しい言い争いの声で目覚めた。
侍女長の声だ。
「何者です、あなたたちは」
侍女長の厳しい声がする。
「ここを王の奥神域です!無礼者」
物が壊される音がして、扉が音もなく開き、パタパタと足音がする。
「アテネー様、お逃げください。国王様の元にお逃がしするよう申し付けられました」
侍女がカタカタと震える手で、アテネーの手を掴むのが分かった。
「侍女長様が賊と対峙されているうちに、お早く」
薄絹に素足のまま、侍女に寄り添われながら、走っていく。
「沐浴の泉の端を渡り、王宮に参りま…あっ…」
悲鳴と喧騒の中でアテネーの手から、侍女の手が離れた。
「アテネー様…お逃げ…げほっ…」
侍女のくぐもった声に、二、三歩…と後ろに歩み下がる。
侍女の胸から剣の刃が血塗られて飛び出ていた。
禊泉が足元を触れた。
「…動けば、お前を切る」
低い声…聞いたことがある…?
アテネーは暗闇で賊の気配を探った。
「まさか…あの時の双子の片割れ?人柱にしたのではなかったのか…」
含み笑い…低い声…知っている気がする…。
「このために…このためだけに生きていたのだな…私のためにな!」
動けない…動けば…いや、動かなくても殺される。
「助けて…誰か…」
口の中で呟くと、肩口に鋭い痛みが走り、生暖かい液体が外へ外へと零れ落ちていく。
「我のための、生贄を捧げる。この神殿は今から女神ネメシスの神殿となるのだ」
低い笑い声…黒髪の男…。
意識が遠退く…意識が無くなる…最後に見たのは、幼い誰かの泣き笑いの顔。
そしてたたらを踏み、深い泉の水の中の感触…。
意識の淵で誰かに押さえつけられ引かれるような気がした…。
微かな違和感のある気配に、アーレフが足早に走っていく。
待ちきれないアーレフが深夜のイオリアスの表門に来たのは、つい先ほど。
ソレスも付き合って来たのだが、
「何か変だ」
とアーレフが呟いた。
「ソレスは戻って女神神殿の長に話してくれ。…血の匂いがする。俺は今から奥神殿に向かう」
返事も聞かずにアーレフは走り出していた。
「おい、アーレフ!ちくしょう、無理をするなよ!」
アーレフは壁を伝って見上げる神殿に、死の影が蠢くのを感じ、悪寒が背を走る。
「なんだ…これは…」
神殿から奥神殿へは、まだ距離があり、近くの石窓から入り込むと見えたのは、黒いマントの男が年かさの女を刺し、女達の悲鳴が上がり、神殿奥に入ろうとするのを女たちは慌てて止めるものの、剣を振り回されさらに悲鳴を上げたところだった。
アーレフは巫女と男の間に立ちはだかり剣を素手で止め、怯んで男は逃げ出す。
「神女様は…レティーシアはいや…アテネー様は無事か?」
やっと雲隠れから出た月明かりにアーレフの容貌を見て、一人が
「アテネー様!」
と叫ぶ。




