ガレー乗りのシリウス
イオリアスの女神神殿へは海からしか行かれない、行かれなくなったと聞き、行きのガレー船に乗せてもらうことが出来たが、ついでにガレーの漕ぎ手として働くこととなった。
女神神殿は女たちの救済のための神殿でもあり、奴隷狩りにあい花奴隷として男たちの相手をする苦しみから逃れるため走りこむのだが、逃げ出す奴隷女が多いからか男たちが陸の扉を塞ぎ、間口が狭まり海からの逃げ道となったらしい。
「すまないな、俺は奴隷頭のシリウスだ。少しでも早く着きたいなら、片腕とちびよりあんたたちを使わせてもらう」
『片腕』は文字通り片腕がなく、炊事場に消えていく。
『ちび』は痩せこけた子供で、静かな内海でも立っているのが辛そうだったが、よろよろと帆の綱を束ねに行く。
「あんな子どもまで…」
リーリアムは楽師として海の神々をなだめる歌を歌い、アーレフとソレスは、櫓を漕ぎながら、『ちび』の様子を見た。
「『ちび』は『ガレー奴隷』だから、陸を知らない。舵輪、面舵、左」
シリウスは測り付きの望遠鏡を見ながら、指示をする。
「ガレー奴隷は普通の奴隷とは違うのか?」
アーレフが苦々しく尋ねると、
「このガレー船で生まれた。ガレー船の持ち主の専属の奴隷で、死ぬまでガレーにいるんだ」
とシリウスがことも無さげに話した。
「そんな…」
アーレフが呻いた。
リーリアムは知っている、アーレフの優しさを。
「アーレフ、奴隷は…可哀想だな…」
ソレスもまたアーレフの率直さを心配し、尊敬すらしていた。
「どうにかして…なんとかならないか…奴隷は…奴隷は…悲しい」
前を漕ぐアーレフは誰ともなしに囁くと、自身の言葉に唇を噛み、しばらくして目線を上げる。
『ちび』はよたよたと作業をしていた。
「なあ、シリウス、あんたは奴隷だよな、それにしては…」
ソレスの問いに、シリウスは笑った。
このガレー船は、漕いでいる漕ぎ手は割と自由に話している。
シリウスがそうさせているのだ。
「俺は元々小さな国の武官だ。軍でガレーを指揮していた。まあ、小さなポリスでだがな。黒い悪魔に負けたってやつだ」
イリオンでも聞いた『黒い悪魔』の話。
次々と小さなポリスを潰して回り、属国にしていく。
その中には『奴隷市場』の需要の為の『人間狩り』もあるとの噂。
「文字が読め、海路を知る、だからガレーでは長になれる。だが、俺もまた奴隷だ」
シリウスは日焼けした顔で笑った。
昼から半日程でイオリアスの港に付き、いつもより早い到着に、シリウスは口笛を吹く。
「アーレフ、大丈夫か?」
漕ぎ続けて流石にへたるアーレフに、ソレスが手を貸して船を降りる。
「朝夕とガレーは出る。また声をかけてくれ」
「ねえ、僕、ここでしばらく歌っていてもいいかなあ」
「まあ、どうぞ」
「え?」
ソレスが驚いてリーリアムを見る。
「お前がアーレフから離れるのか?」
「だって、シリウス、いい男だからね。なんだろう、彼に一目惚れかな?」
「ふん…また、あんたの『人間惚れ』か」
シリウスは荷物を運ぶ奴隷の中で指示を叫び、自分の業務に戻っていき、何故だかリーリアムもついて行く。
それを見送りながら
「ガレーの奴隷か…以前も見たな…」
とアーレフがぽつりと呟いた。
「え、アーレフ、お前港にいたのか?」
アーレフは崖沿いに削った石段を上がりながら頷く。
「ガリアとトラキアが小競り合いを始める前に、フェニキア商人船に乗り込んで、ラコニア、クレタと渡って、アルカディアに着いた」
「おまえ、あっち側にいたのか…」
「いや…逃げ出したところで知り合いのノームに拾われて…あちらこちらと」
階段をあがると開けたなだらかな斜面があり、柔らかな草原を進むと、衛兵の立つ低めの城壁が見えた。
跳ね橋は上がり、衛兵はアーレフとソレスに礼をとる。
「し…神女様っ」
衛兵に凝視されて、アーレフは咳ばらいし、
「女神長はいらっしゃるか?面会を求めている者がいると告げてくれないか?」
衛兵はむっつりとしているアーレフをじろじろと見ながら値踏みをするようにしており、
「な、頼むよ」
とリーリアムが言う『鼻薬』…つまりは少量の金貨をソレスが握らせると慌てて一人を残して神殿内に入っていく。
「神女様…ではない…んだ…」
ソレスは「神女ってなんだ?」
と尋ねる。
衛兵はほこらしげに、
「女神長様が嵐の夜にお助けした神の巫女様だ。あんた…よく似てる。神女様の方が気高く美しいがな。しかしあんたも華やかで美しいな」
アーレフは顔のことを言われると常腹を立てるのだがそれすらも忘れて、
「レティーシアに会える…」
と喜びに泣きそうになった。
ほとぼりが済むまでは、互いのために会わない方がいい、お前たちは良くも悪くも目立ちすぎるのだから…。
ノームに言われた日々を解禁する、今、ここで。
アーレフは神殿の開門を待ち続けた。




