他人事だと思ったらー2ー
大変お待たせいたしました。「他人事だと思ったら」第二話です。
今回は前半は説明文、後半は感情文に力を入れました。
なお今作では、前作では入りきらなかったファンタジーな世界観が入っております。
前作より長文となってしまいましたが、何卒よろしくお願いいたします。
◇01
パーティーでの刀傷沙汰から、数日が過ぎようとしていた。
あれからシュザ王子は離宮で軟禁されている。拘束された当初こそ暴れていた王子だったが、時間が経つにつれておとなしくなったという。
上層部は、事件の聴取や南星国との交渉、王子を含む当事者達の今後の対応決めなど、ずいぶんと慌ただしい。
そんな中、ヨシュアは自身の執務室で黙々と働いていた。
彼が所属する紅玉騎士団にも宮廷警備を担う部隊はあったが、当日は別の場所を警備していたため、お咎めは無かった。その代わり、責任を問われた近衛騎士団や他の騎士団に属する第二王子派の騎士達が次々と謹慎または自宅待機の処分を受け、彼らの本来の担当を紅玉騎士団の面々が代行するはめになったのだ。
新設数年目の紅玉騎士団は、ビャーコフ第三王子選りすぐりの若手エリート部隊として注目されていたが、一部の者達からは実績の少なさを理由に軽んじられることもままあった。各部隊の隊長格はヨシュアを始め伯爵家以上の家柄であったし、所属している騎士も学園時代にビャーコフ王子や隊長達と繋がりがあった若手騎士が中心だった。不本意だったが侮ってくる者は熟練の騎士や武官の重鎮が多く、言い返せない状況が続いていたのも事実だ。
国が大変な時に不謹慎かもしれないが、この事件は紅玉騎士団の評価を上げるチャンスでもあった。宮廷警備部隊や監察部隊は事後処理を始めとして大きな仕事に関わるようになったし、他の部隊とて回される仕事は以前と比べて格段に増えていた。
未だに警邏部隊隊長の籍を持っているヒィナが護衛騎士であったことも影響しているだろう。結局、南星国の騎士があの場を収めてしまったとは言え、アイリーン嬢を最初に庇ったのはヒィナだ。
……それに関して言えば、ヒィナを「よくやった」と褒めるべきかもしれない。
彼女も事件関係者として聴取を受けており、家族としても騎士団の同僚としても面会の許可は下りなかった。分かっていたはずだが、ヒィナが目の前で斬られかけたことや突如現れた男の存在が、ヨシュアの判断力を鈍らせてしまったようだ。
だが、自身の不甲斐なさを嘆く暇は無かった。
あのパーティーには、真央国や南星国を含め大陸中の重鎮達が集まっていた。今までは真央国と南星国の問題に首を突っ込んでくる国はなかったが、これほどの醜態をさらしてしまったら話は別だ。万が一戦争になれば、自分達も無関係では済まされないのだから……!
ヨシュアは情報収集や作戦参謀を担う情報戦略部隊を率いている。今回の騒動に対する諸国の動向を探るのが、今の彼の役目だ。実家のアレジオン家は西の大国との国境沿いを領地とし、父親の辺境伯は国境警備を司る西方軍の司令官でもある。ヨシュアはそのツテを最大限に利用し、かの国から出席していた外交官達の様子や国境沿いでの動きを見張ることもできた。
「ヨシュア隊長。迎賓館の客人方ですが、今のところは自国への報告以外、目立った動きを見せておりません。各国とも、我が国の対応を見極めているようだと」
「そうか。引き続き監視を怠るな」
「承知いたしました。それと、ヒィナ隊長及びアイリーン様、南星国使節団への聴取が終了したと監察部隊より連絡がありました」
「……分かった。他に無ければ下がってよい」
報告に来た部下を下がらせ、報告書に目を通すが、特に気になる箇所は無かった。
アイリーン嬢の供述は実に客観的で、一切感情が読み取れなかった。
真央国の建国祝いのパーティーに、王弟と共に出席するよう王命が出たこと。
パーティーが終わった後、正式にシュザ王子に謝罪するつもりだったこと。
会場でシュザ王子と鉢合わせしてしまった時、騒ぎを大きくしてはならないと思って他人行儀に話したこと。
――その態度が、シュザ王子の癪に触ってしまったらしい、と。
最後だけは「憶測ですが」と前置きがしてあったが、供述を疑う余地はない。南星国の一行もほぼ同様の供述をしており、下手な言い訳はこちら側の首をしめるだけだろう。
シュザ王子の処罰は避けられないとして、問題はその影響がどこまで広がるか、だ。
現在、関係者達に課せられている処分は、あくまで一時的なものだ。シュザ王子の処罰が決まれば、彼らは改めてより重い処分を受けるかもしれないし、親族まで及ぶ可能性だって高い。
そうなれば、武官文官を問わず各部署の勢力図は一新される。その規模は花姫騒動の比ではなく、今度ばかりは「派閥が違うから」という言い分は通じなくなるだろう。
通常業務と並行して行わなければならない仕事は山ほどある。ため息をこらえながらも、警邏部隊の本来の長であるヒィナの不在は重くのしかかってくるように感じていた。
◇02
こめかみを抑え、少しだけでも目を休めようとした矢先。廊下の方が何やら騒がしくなっていた。
声の主は事務方に回っていた者達だろうか。だが、その声色はどこか明るい。悪い知らせ――ではないようだ。
何事だと思い、立ち上がろうとしたヨシュアを、部屋のドアを控えめにノックする音が止めた。
「入れ」
「失礼します」
入室の許可を与えると、控えめな声で応答があった。その声は、ヨシュアが今もっとも聞きたい人物の声だった。
「ヒィナ……?」
そこにいたのは、アイリーン嬢の護衛騎士であり、紅玉騎士団警邏部隊隊長であり、ヨシュアの妹であるヒィナだった。
伸びた髪を後ろで無造作に束ね、顔立ちが大人びて見えるところ以外は、別れた一年前と変わらない。
彼女は優雅に一礼をして、「お忙しいところすみません」と遠慮がちに前置いた。
「お久しぶりです。その、聴取の後に時間ができて……一度、こちらに顔を見せようと思いまして」
「そうか。アイリーン嬢の方は大丈夫なのか」
「はい、許可はとってあります」
それならば問題は無い。ヨシュアはヒィナに応接用のソファを勧め、自身も反対側に腰かける。下っ端の騎士は皆多忙なので茶を頼めるはずがない……のだが。
「失礼いたします」
何故か、法術技官の制服を着た女がしずしずと二人分の茶と茶うけを持ってきた。
ヒィナに礼を言われて嬉しそうに顔を綻ばせる彼女は、警邏部隊所属――つまりヒィナの直属の部下だ。「仕事はどうした」とヨシュアが口を開く前に、当の本人はさっさと一礼して退出していってしまった。
「何だったのだ、あれは……」
「リュミエラですか? 彼女とはさっき会ったんですけど、にい……ヨシュア隊長の所に行くと言ったら、お茶を用意してくれたんです」
思い出したように笑うヒィナは、カップを手に取りながら、嬉しそうに言葉を続ける。
「このお菓子、南星国の大公領で作られているものです。少し硬いですけど、甘さは控えめになっていまして」
「お前が持ってきたのか?」
「はい。あちらの城下に評判のお店があったので」
「そうか。……ああ、今は休憩中だから私用で良いぞ」
ヨシュアは甘いものが嫌いで、砂糖をふんだんに使う自国の菓子は格上の相手からの贈り物でもない限り口にしなかった。一方、手に取った菓子は味も歯ごたえもヨシュアの好みで、正直に美味いと思えるものだった。
ヨシュアの機嫌が少し良くなった一方、当のヒィナは浮かない顔をしている。顔も何か言いたげな様子だったが、ヨシュアに遠慮してか黙ったままだ。
(わざわざ私の元へ来たのは、先日の件を気にしてのことか? まあ、我々だけでなく国中が騒いでいるのだから、要らぬ責任を感じておるのやもしれぬが。少し気を紛らわせてやるか)
ヨシュアはそう解釈すると、カップを手に取りながら南星国でのことをヒィナに尋ねることにした。
アイリーン嬢や王弟――もとい南星国大公の情報が少しでもほしいという下心もあったが、利口だが天然な一面がある妹が粗相をやらかしていないか、自分のあずかり知らぬところで何か――特に例の事件で疑念を抱いた異性関係で――問題が起こっていないか確認したい気持ちもあった。
「アイリーン嬢は大変だったと伺っているが、お前はどうだ。任は抜かりなくできたのであろうな」
「はい。アイリーン様につつがなくお過ごしいただけました。ただ、その……」
言葉を急に濁した妹を気にしつつ、ヨシュアは先を促すそぶりをしたが、ヒィナは黙り込んでしまった。
ヒィナは困った事態になると、下唇をなめる癖がある。ヨシュアに言いづらいことがある時は、特にそうだった。
「やはり、四年前の一件が関わっているのか?」
視線を漂わせるだけの妹にしびれを切らし、本題をぶつけるヨシュア。
ヨシュアが心配した可能性の一つが、南星国との国交悪化の影響だった。傍系とはいえ王族の血を引いているアイリーン嬢や彼女に仕える他の従者達はともかく、真央国の騎士でしかないヒィナへの風当たりが良いはずがない。
元々護衛騎士は、相手国からしてみれば「貴国の対応を信じていない」とかなり遠回しに言っているような役職だ。役職ができた経緯が経緯とはいえ、他国の騎士が自国内で、しかも要人の側を歩くのを好ましく思わないのは当然だと、他ならぬヨシュア自身が思っていたからだ。
「南星国の者達に、何かされたのではないだろうな?」
「い、いえ! そんなことはありません。確かに最初の方は上手くいかないことの方が多かったですし、その、私や真央国を良く思っていない方もいたのも事実です。でも今は仕事も順調で、味方してくださる方の方が多くなってきて……」
「そういう話を聞きたいのではない」
求めている答えを得られず苛立ったヨシュアは、つい厳しい口調で遮った。ヒィナはその声音にびくりと肩を震わせると、「申し訳ありません」と小さく謝罪した。
ヨシュアはその様子にいくばくか落ち着きを取り戻すと、一つ咳払いをして改めて問いただす。
「まあ、とにかく、だ。私が一番聞きたいのは、お前……とアイリーン嬢をシュザ殿下から庇った、あの騎士のことだ」
「ユウ……殿のことですか?」
「そうだ。かの騎士には真央国としても、我が家としても借りがある。お前の顔見知りだと言うならば尚更、私には多少なりともその素性を知る義務があるからな」
ヨシュアのもっともらしい説明に納得したのか、ヒィナは少し俯きながらも語りだした。
今現在、ヨシュアが(個人的に)もっとも警戒している男のことを。
◇03
「あの方は、ユウ・サガン・クラビット殿で、大公親衛隊の隊長を務めておられる方です。従三位――伯爵相当のご身分で、“サガン”の血族の次期筆頭と目されていらっしゃいます」
「大公殿下の直属の部下なのか。では、お前とも接点はあったわけか」
「はい。警備の面では本当にお世話になりました。あちらの女性騎士は王都や領内の神殿に集中してしまっていて、大公城の女性騎士は私一人だけだったのですが、異性の同行が好ましくない場所以外は、アイリーン様の警備に十分な人をまわしていただけだんです。色々な情報も教えてくださって、時には自ら警護を請け負ってくださったこともありました」
「直々に? 先方がよく許可したな」
「大公殿下は、アイリーン様の方が危険だと判断した時は許可を……というよりはむしろ、積極的にユウ殿に命じておられました。秘書官のカイル殿やパタノール議長あたりは当初は渋い顔をされていらっしゃったんですが、ユウ殿は彼らや反対派の大公城の方達――特にカイル殿との橋渡し役もしてくださいました。あ、カイル殿は此度の来訪にも同行されていて、パーティーにもおられましたよ」
兄様はご存知ですかと聞かれて思い浮かぶのはヒィナとユウを見ていた南星国の文官風の男だ。確証は無いが、あの男がそうなのだろう。
「彼は大公殿下の筆頭秘書官で、幼い頃から近習としてお仕えしていたそうなんです。最初はアイリーン様のことも、真央国出身の私達のことも快く思っていないようでしたけど、ユウ殿のご協力やアイリーン様が誠意をお見せしたこともあって、アイリーン様だけでなく私にまで個人的に謝罪してくださったんです」
「ほう」
「それからはカイル殿とも会話できるようになって、城内での活動が楽になりました。その、ギスギスした雰囲気とか、私達への色々な視線が無くなったので。あちらの王都でも知り合いができたんですよ」
ヨシュアは、務めとはいえ大公側の協力的な態度に感心した。ヒィナが実に楽しそうに思い出話をしているようなのは気に入らないが。
「そう言えば、南星国では血族の名を名乗る者は精霊術士の中でも選ばれた存在だと言われているらしいが……あの男がそうなのか。王族の親衛隊隊長なのだし、相当な実力を持っているのであろうな」
南星国はテルス人と呼ばれる民族が国民の大多数を占めている。彼らは極北に住むアース人とは異なり、外見的特徴は大陸人口の大多数を占めるヨシュア達ガイア人と変わらない。他の民族と区別する上での最大の違いが、精霊術と呼ばれる異能の術だ。一部のガイア人が使う法術とは似て非なるもので、ヨシュアも直接見たことは無いが、中でも特別な精霊術を使える者はそれぞれの“血族”の名を名乗ることを許され、王位継承の絶対条件であったり、武官もしくは神官として高い地位を与えられたりといった厚遇を受けていると聞く。
「そうです。精霊術の方は詳しくは存じませんが、剣技の方は実際に手合わせをしてみたら、本当に強いんですよ。彼、同年代の騎士の中で剣術の腕が第三位だって自慢していて」
「ちょっと待て。手合わせ? 護衛騎士のお前が、大公殿下の親衛隊長と剣を交える機会があったのか?」
ふと気づいた疑問を投げかけてみると、ヒィナが気まずげな表情になる。まるで失言をしてしまったと言わんばかりの顔だった。
「ヒィナ? どうした、私に報告していないことでもあるのか」
ヨシュアが視線を鋭くさせて問いただす。普通の人間なら適当に誤魔化すだろうが、妹に限ってはそれはない。いや、できないのだ。そうであるよう教育したのは自分だし、だからこそ信頼しているわけだが。
兄の視線に耐えられなくなったヒィナは、しばらくして口を開いた。
「実は……入国してしばらくは王都の大公邸に滞在していたのですが、南星国の近衛騎士団長にお声をかけられたんです。あちらの騎士がよく行う稽古試合があるので、私に挑戦してみないかと。その、私はてっきり護衛騎士としての実力を知りたいだけだと思って、アイリーン様立会いの元でそれを受けたんです」
「稽古試合? 普通のものではなさそうだな」
「はい。他の騎士百人と、連続して試合をしていくというものなんですけど、休憩時間もほとんどない上に途中から複数の相手と同時に戦うこともあって、意外と難易度が高くて」
ヨシュアの勘が、ほんのわずかだが警告を発していた。
似たような稽古は真央国でも行われているが、たった一人が百人もの相手を連続して行うなど無謀な話だ。しかも挑戦者側に不利な条件で。
これでは市井の道場などにおける道場破りへの対応とほとんど変わりない。第一、何故他国の護衛騎士の実力を、近衛とはいえ大公と直接関わるわけではない他の騎士団がはからねばならないのかが理解できない。
「その……参加した騎士は、全員近衛だったのか?」
「いえ、他の騎士団からも参加者が。ただ、最初の方の人達は剣の振り方が不慣れそうで、場数の経験もほとんど無いようでした」
ヨシュアは南星国の騎士の程度を疑った。
真央国の騎士になるには、平民は市井の道場で鍛錬し、年一回の入団試験を受ける必要がある。騎士の子弟や武門系貴族の子女である者も学園の騎士科を修了しなければ入団できない。唯一の例外は法術や医術などの技能面を認められて技官として入団した者達だが、彼らでも一定の武術訓練が義務付けられている。ヒィナの言うような素人紛いの人間は、間違ってもいないはずだ。
「あ、それでも試合数を重ねるごとに相手の実力が強くなってきて、最後の方は二回攻撃しないと勝てなくなっていきましたが……なんとか八十五人抜きまで達成できました」
……否、ヒィナが少し強すぎるだけかもしれない。南星国の騎士達がヒィナを侮って油断していた可能性もあるが。
だが、何時もなら嬉しそうに報告してくる内容であるにも関わらず、ヒィナの顔色は良くなかった。
「ただ私がそこまで勝ち残ると思っていなかったのか、その後しばらく試合が中断したんです。上役の方々が話し込んでしまって、いったん席で休んでいたのですが、例の近衛騎士団長が残りの騎士が試合を辞退したとかで、試合を中断してほしいと言われて。でも、私どうしても納得できなくて、言ってしまったんです。騎士なら途中で投げ出すなどありえないと。最後まで戦わせてほしいと」
後半、ヒィナは泣きそうになっていたが、それは彼女の非ではないとヨシュアは思った。彼女は真面目すぎる上に(特に剣術の)勝負事で熱くなってしまう所はあっても、騎士として常に正しくあるよう自戒していた。彼女の主張は、騎士として常識の範囲内だ。与えられた役目を「無理」と投げ出す者など騎士ではない。
ヒィナがちらりとヨシュアの顔色を窺う素振りを見せ、ヨシュアが怒っていないことを確かめると話を続けた。
「そうしたら、対戦相手を急きょ変更して、試合を再開していただきました。その相手がユウ……殿で」
名前を聞いて、ヨシュア自身も忘れかけていた本題を思い出す。そう、最初に聞こうとしていた「男」のことだ。そしてもう一つ、ある可能性に気付いた。ヒィナの顔色が悪い理由を。
「そうか。で、手合わせの結果はどうだった」
――まさか負けたのではないだろうな。
言外に続けたヨシュアの問いかけを、ヒィナは正しく理解できるはずだ。武門の名家であるアレジオン家の人間が、いくら格上とはいえ稽古試合などで易々と負けるなど許されない。幾度となく教えたことだし、ヒィナ自身も勝ち続けることが存在意義だと思っていたはずだ。
だが、ヒィナの答えは予想と少し違っていた。
「あ、あの………………ひ、引き分け、ました……」
「ん? 引き分け?」
「はっ、はいっ」
妹は相変わらず挙動不審のままだったが、ヨシュアの方は拍子抜けしていた。勝つことが最善なのに変わりはないが、引き分けならまだ許せる。
「一瞬だけしか見ていないが、確かに手練れそうであったな。その相手に引き分けか。まあ気にするほどではないだろう」
兄の言葉に怒りを感じないためか、あからさまに安堵するヒィナ。何か乗り切ったような顔をしたのが気になるが、他に聞くことがあると思い出したヨシュアは更に問いかける。
「その件はまあ分かった。ところで、それだけ交流があったのだから分からなくもないが……その男とは、ずいぶん親しそうに見えたぞ」
「そうですか? 彼は普段から馴れ馴れしいというか、単に軟派なだけです。一緒に仕事をするうちに考えを改めたのは事実ですが、最初はあまり好印象ではありませんでした。毎日散策やら食事やら誘われましたし」
「…………」
「次第に花束や品物も贈ってくるようになって。離れている時はわざわざクラビット家の人を使いにして自作の詩を送り付けて感想を求めてきたんですよ。毎日毎日、護衛騎士でしかない私を誘って、親衛隊長はお暇なのですかと言ってやりたい気分でした。しかも、そうしている内に他の人達まで声をかけてくるようになったんです。大公領の警備隊長殿や領議会の議長殿、王宮からいらした査察官殿に、あのカイル殿まで。カイル殿がご実家の茶会に誘ってきた時には、耳を疑いましたけど」
「……それで、どうしたのだ」
「もちろん、最初から至極丁寧にお断りしました。贈り物も全部お返ししたんですが、一向に止めてくれなくて。そうしていたら、アイリーン様にも心配されてしまって……」
思い出して疲れたようにため息をつくヒィナだが、ヨシュアの方は内心動揺が広がっていた。
(ちょっと待てヒィナ、お前、何時の間に男どもに言い寄られるようになっている。しかも、結構なエリート揃いではないか。最後のカイルとかいう奴など、完全にお前を親に紹介する気でいたとしか思えんぞ。では何か、あの男が言っていた、恋人というのはただの口説き文句なのか?)
頭を抱えるヨシュアに気付いたヒィナが、おずおずと言葉を続けた。
「あ、あの……兄様? 大丈夫ですよ? 先ほど申したとおり、お誘いは全て断りましたから、何も話しておりませんよ」
「話す? 何のことだ」
「ですから、先ほどのお誘いの件です。皆様、私から色々と情報を聞き出したかったのでしょう。ですが私の口は軽くありませんよ。まあ、カイル殿はお詫びのつもりだったと思いますが」
「お前、本当にそれだけだと思っているのか?」
「当たり前ではないですが。私などを本気で娶りたい殊勝な方々だったとは見えなかったですし」
兄の心配している内容とは方向がズレているものの、自信をもって告げられた言葉。それを聞いて、ヨシュアは思い出した。
ヨシュア自身は好ましく思っていなかったが、情報収集のために色仕掛けを行うことは決して珍しくはない。だから正規の騎士になりたてだった頃のヒィナにそれを伝え、そういう類の誘いは一切受けないように、断り方も含めて教えておいたことを。
そして何より、「お前の将来は私が責任をもって考える。伴侶も私が見つけてやる」と、幼い頃から言い聞かせていたことを……!
思わず恋愛方向に思考を持っていってしまっていたが、ヒィナの言う通り情報目的で声をかけた可能性は十分ある。いや、ヒィナの事情――養女という立場や、周囲の女性達と比べて地味な印象を受けがちなことを考慮すれば、むしろ後者の方が自然なはずだ。
そう自身に言い聞かせて頭の中を整理するヨシュア。
分かったのは、ユウという男の素性と性格。そしてヒィナが南星国で小さくない面倒ごとに自覚無く巻き込まれていたという事実だ。
だが、いずれも今回の大事――刀傷沙汰という前代未聞の不祥事に対しては弱い。
ヒィナに言い寄った男達――特にきっかけを作ったというユウには厳重に抗議したいところではあるが、相手は被害者側の重要人物。あくまでも護衛騎士であるヒィナの兄または一介の騎士でしかないヨシュアがそのような言動をすれば、こちらが不利になるだけなのは明白である。
結局、ヨシュアにとって対処すべき問題が増えてしまっただけだった。
◇04
その後、ヨシュアもヒィナも暫し沈黙していた。
ヨシュアは左手の人差し指を顎において俯いている。それは、彼が長考に入った時の癖だった。この癖をしている間、ヒィナはよほどの急用ではない限り、彼に声をかけることはなかった。
ただ兄が次に出す言葉を待つ彼女の姿を見て、ヨシュアは何故か懐かしく感じた。
誰かに煩わされることも干渉されることもない静かな空間が好きだった。
小さい頃は一人であることが絶対条件だったが、いつしか妹だけなら許せるようになっていた。常に兄を第一に考えて行動してくれるヒィナだけが、心安らぐ存在だった。
たった一年離れていただけで、ヨシュアの心はずいぶんと落ち着きを無くしやすくなってしまった。今更な事実だったが、やはり公私共にヒィナの存在は大きい。
(このまま一人で考えていても埒があかない。南星国については後で殿下のご意見を賜るとして、後は――ヒィナ自身の今後のことか)
真央国側の事件関係者の中で、ヒィナの処遇に関してはまだ情報が入っていなかった。処遇といっても、彼女はアイリーン嬢を守り通した上に、どちらかというと被害者に近い立場なのだから、別に処罰されるわけではないだろう。
今回の一件、シュザ王子が自滅したため、アイリーン嬢の問題――学生時代の婚約破棄などの醜聞――が一応の終息を見せたことになる。となれば、ヒィナの護衛騎士の任も終了となる可能性が高い。
――否、そうでなくては困る。
それがヨシュアの本心だった。
(騎士団の方が今まで以上に忙しくなってくるから、部隊長の彼女はいい加減返していただかねば。それに……あのようなこと、私の手が届く範囲におれば防げるのだし)
口に出すわけにはいかなかったが、ヒィナが護衛騎士に任命されてからロクなことが無かった。
婚約交渉や人生設計は頓挫し、仕事にも精神的に支障が出始め、ヒィナ本人に至っては命や貞操(?)の危機にすら見まわれた。
正直、ヨシュアの辛抱も限界だったのだ(言わずもがな、元凶とも言えるシュザ王子に向けるのは既に殺意しかない)。
「とりあえず、お前が任をまっとうできたのは分かった。――ご苦労だったな」
「……! いえ、滅相もございません。私など、あのような失態を犯して……っ」
ヨシュアが珍しく激励の言葉を向ける。彼は滅多に人を――特に厳しく接してきたヒィナを褒めることはしてこなかったにも関わらず、だ。
そのことにヒィナは一瞬嬉しそうな表情をするが、刀傷沙汰の一件を思い出したのかすぐに悔し気な顔に表情を変えてしまう。
「落ち着け。あれがお前の失態? むしろ、お前のおかげで国の面目は辛うじて保たれたようなものだ。お前はこの国の騎士として、最後まで任をやり遂げたのだ。誰も文句は言うまいて」
「え……最後?」
「そうだ。アイリーン嬢の問題はほぼ解決したのだし、真央国に戻ってきたのならちょうど良い。このまま紅玉騎士団に復帰しろ。実は、あの件でちと忙しくなってきていてな。さすがに上層部もお前の復帰を認めてくださるだろう」
「あ、あの、兄様……」
何故か、困惑した表情で兄の言葉を制止するヒィナ。
「ん、どうした?」
「そのことなのですが……」
言いづらそうにいったん言葉を区切るヒィナだが、意を決した表情で口を開く。
「お願いがあります! 紅玉騎士団警邏部隊隊長の任を辞退する許可をください!」
勢いよく頭をさげる妹。一方、ヨシュアは思考を停止したかのように固まっていた。
「………………は?」
それはヨシュアにとって、人生で最も間の抜けた返事をした瞬間だろう。
「じ、実は……今回の一件で、護衛騎士の任期を延ばすべきという意見が南星国側で出てしまっているらしく……当面、復帰できそうにありません。せっかくのお役目を、放棄するような形になってしまうのは大変心苦しいのですが、これ以上隊長不在の現状を続けることは、決して良いとは思えないのです。なので、私の代わりに新しい部隊長を任命していただいた方が、警邏部隊の、ひいては騎士団のためになると思うんです」
必死で説明するヒィナだが、ヨシュアは呆然としたままだ。
無理もない。ようやく終わると思った任務がまさかの延長。その上、当の本人は騎士団の職を降りて本格的に護衛騎士に専念すると決めてしまったのだから。
「ま、待て。ちょっと待て。任期延長はまだ決定事項ではないだろう。そもそも、何故お前が護衛を続けねばならない? 第一だ、そのような大事を勝手に決めるでない!」
思わず机に拳を降り下ろす。大きな音が部屋中に響き、ヒィナは肩をびくりと震わせる。
ヨシュアは長らく溜めてきた怒りが一気に溢れ出たように感じていた。元々、自分の予定通りにいかない事態をひどく嫌う男が、これまで愚痴をこぼす程度で済んでいたことの方が奇跡だったのだ。
「それとも何か! お前は、お前は、栄誉ある王子殿下直轄の騎士団の部隊長より、外国で好き勝手させてもらえる公爵令嬢の護衛騎士の方が良いというのか? それに、あのユウとかいう男、お前をこっ、こっ、恋人とか言っていたぞ?! あの場にいた私が、聞いていないとでも思っていたのか? 勝手な真似は許さんぞ! お前は黙って私の言うことを聞いていれば良いんだ!!」
ヨシュアの放った鋭い言の刃に、ヒィナは目を見開いて固まってしまう。そこまで言われると思わなかったのか、目にはうっすら涙が浮かんでしまっている。
ヨシュアの知っているヒィナならば、ここで必死に頭を下げ、涙声で謝罪してくるだろう。
彼は長年自分が教育してきた妹を知り尽くしていた。だから、言い過ぎたなどという後悔は微塵も感じてはいない。
ほくそ笑むヨシュア。だが、当のヒィナは謝る気配すらない。否、むしろ彼女は口元を固く結んで表情を改めた――何時も、騎士の制服を身にまとった時だけ見せる毅然とした顔に。
「兄様、いえヨシュア隊長。一つだけ聞かせてください。隊長が私の案に反対なのは、騎士団のことを考えてですか?」
いきなりの質問に、ヨシュアは意味が分からなかった。それはまるで、ヨシュアが「私情」でヒィナを手元に置いておきたいだけ――そう言っているようだった。
「なっ、何を馬鹿なことを!」
「本当にそうだと言い切れますか? 私言いましたよね? 私の留任を望んでおられるのは南星国の方々だと。私はあくまで任命された身なのですから、決定権なんてあるわけないじゃないですか」
「それは、まあ、そうだろうが……何も異動することは」
「私は若輩者とはいえ騎士で、一部隊を預かる身です。部隊長の職務が生半可なものではないことぐらい理解しています。別の職務で離れている人間を、何時までも留めおいておく方がおかしいのです。今までは殿下やのご厚意に甘んじていましたが、このような事態になった以上は、それもお受けできません」
堂々と自分の主張を言ってくるヒィナに、ヨシュアは今までとは別の意味で焦っていた。
目の前にいるのは、本当に自分の妹なのか。兄である自分に逆らい、あまつさえ非難するような言い方をするなど、まるで別人ではないか。
騎士の制服を身に纏っている間、ヒィナがやけに自信を持った状態で行動できていることは知っていたが、それでもヨシュアの前では従順な態度を(家庭内ほどではないにしろ)崩したことはなかったというのに。
「そもそも! 好き勝手ってなんですか! 私は任務で、恐れ多くも真央国の代表の一人として南星国に行って来たんです! アイリーン様だって、私だって、向こうで散々苦労してきたのにっ……そんな言い方、あんまりではないですか!!」
とうとうこらえきれなくなったかのように叫ぶヒィナ。自分にしろ他の人間にしろ、ここまで声を荒げる彼女を、ヨシュアは見たことが無かった。もはや、彼の知る「従順で控えめな妹」は、どこにもいなくなっていた。
だが、ヨシュアはその事実を認めない。認めるわけにはいかなかった。だからこそ彼はこれまで使わなかった切り札を持ち出した。
「お、お前、誰に向かって口をきいてるんだ! お前が今持っているものを与えたのは誰だと思ってる? 育ててやった恩を忘れたのか?!」
立ち上がって見下ろす形になった妹を指さしながら告げたのは、彼女が今まで兄に従ってきた最大の理由。
その言葉は、ヒィナにとって相当応えるものだったようで、唇をかみしめて震えている。それを見逃す男ではない。ヨシュアはここぞとばかりにたたみかけた。
「なあ、ヒィナ。お前が騎士として地位を得たのも、令嬢として社交界で認められたのも、私が導いてやったからだろう? 自分一人でのし上がったように言うんじゃない」
立ち上がって真向いに座るヒィナの元へ歩み寄り、打って変わって優しい声色で宥めるように話すヨシュア。視線を合わせるようにかがんで、彼女の顔に自分の顔を近づける。
(大丈夫。問題ない。これでこの話は終わりだ。これで、元通りになる)
余裕ある態度を保ちながら、ヨシュアは心の中で不安を必死に抑え込んでいた。
妹の初めての反論に、動揺しているだけ。そう思いながらも、嫌な予感がしてたまらないのだ。そして、悲しいことに、ここ最近のヨシュアの予感は見事な的中率を誇っている。
「ええ、そうですね。……全部、兄様のおかげです」
ようやく妹が自分の意見に肯定的な言葉を呟いても、彼の動揺はおさまらない。それを裏付けるようにヒィナが身じろぎ、ヨシュアから距離を取る。
「ご存知ですか? アイリーン様の護衛騎士を誰にするか、その人選はとても難航したそうです。何せ、アイリーン様はシュザ殿下の不興を買ったお方でしたから。そのお立場では、派閥の問題から第二王子派の者も第一王子派の者も使えない。更に南星国が、『護衛騎士は伯爵家以上の者を』と要望をだしてきたのです。だからこそ、実質的に騎士団内で中立の代名詞扱いだった第三王子派――紅玉騎士団に白羽の矢が立ったんです。この時点で、候補者は、私とシャルミとアムの……部隊長三人に絞られたんです」
前半の話は、ヨシュアも情報として把握していた。
第二王子派の女性騎士は花姫の親しい者のみであるし、派閥的にアイリーン嬢の味方をするのは憚られた第一王子派の女性騎士をつけるわけにはいかなかったのだろう。ちなみに学園の騎士科にはアイリーン嬢の友人の女性騎士見習はいたが、彼女達は花姫騒動の影響で騎士の道を諦めたと、風の噂で聞いたことがある。
後半の話を聞いてヨシュアの脳裏に浮かんだのは、ヒィナと共に紅玉騎士団で部隊長を務める二人の女性騎士だ。伯爵令嬢のシャルミは後方支援部隊、侯爵令嬢のアムは宮廷警備部隊のそれぞれ隊長を務めている。二人ともヒィナとは仲が良く、護衛騎士に決まった彼女に色々助言してくれていたらしい。確かに、彼女達は武芸の才はヒィナと比べても見劣りしないので、候補としては申し分なかっただろう。
「女性関連ならシャルミが一番世渡り上手でしょう。ですが当時シャルミは実家を継げるかどうかの大事な時期で、長期間の護衛任務は不可能……ビャーコフ殿下と総団長は、本当はアムを任命する予定だったんですよ。アムは宮廷警備部隊の部隊長で勝手も知っていましたし、他に姉妹がいて、家も後継者に困ってはいませんでしたから」
その話は初耳だったが、納得はできた。それと同時に浮かぶ疑問――ならば、何故ヒィナが選ばれたのか。当時は考えることすらしなかったが、確かにおかしい。彼女は王都を見回る警邏部隊の隊長で、要人警護は職務に入っていなかった。
「それなのに、どうして畑違いの私が任命されたのか、分かりますか? アレジオン辺境伯――お義父様ですよ。あの人が裏から手を引いていたんです。私を任命して、南星国に派遣させてやってほしいと、騎士団上層部に根回ししたんです」
「父上が?!」
「ええ。これまで私達の行動に一切干渉してこられなかった、あのお義父様です。どうしてだか分かりますか? ……兄様の“計画”が、お義父様に知られたからですよ。」
「けいかく……? なんの」
「兄様が、私の結婚相手に紅玉騎士団の騎士を選ぼうとしたこと、その候補者達の弱味を探っていたこと、その弱味をネタに『私を形だけの妻にして、三年後に不妊を理由に離縁しろ』と脅そうとしたこと、離縁された私を領地にある兄様所有の別邸に醜聞隠しの名目で軟禁しようとしてたこと、全部ですよ!!」
悲痛な声で叫ぶように告げられた言葉に、ヨシュアは血の気が引いた。無理もないことだ。
(ごくごく身近な人間には)誰にもばれないように進めていた人生計画が、よりにもよって、最もばれてはいけない二人に露見していたのだから。
「え、いやあのヒィナ。それは……」
何とか弁明しようとするヨシュアだったが、ヒィナは立ち上がってそれを遮る。
「兄様、兄様の方こそ、私の気持ちが分かりますか? お義父様からこの話を聞かされた時、どれだけ恥ずかしかったか、兄様が利用しようとした仲間達にどれだけ申し訳ない思いをしたか、兄様が私の生涯の伴侶を見つけてくださるという約束を信じていたのに、実際はそのようなお考えだったと知って、私がどれだけ悲しかったか、分かりますか!!」
ヒィナは泣いていたが、目つきは鋭いまま。彼女の怒りは本物だと悟るヨシュアだったが、時すでに遅しだった。
「……ヨシュア隊長。申し訳ありませんが、異動願いは既に殿下に提出済みですし、当主であるお義父様の許可は取ってあります。兄様に認めていただきたいと思ったのは私情だけなんです。……他にもやらねばならないことがありますので、これで失礼させていただきます」
それだけ言うと、ヒィナはヨシュアに背を向けて部屋を出て行ってしまった。
ドアが静かに閉まる音と、静かに、しかし駆け足で離れていく足音を聞きながら、ヨシュアはその場に膝をついた。
「何故こうなった……?」
放心状態になってしまったヨシュアの呟きに答える者は、その場にいなかった――。
「他人事だと思ったら(妹がまさかの反抗期到来?)」
ご拝読ありがとうございました。
前作でほんの少し語らせていただいたヨシュアの「人生設計」がとんでもない内容だった、という件。
果たして、兄妹は仲違いしたまま終わってしまうのか。乙女ゲームの主役達はどうなってしまうのか。
今後ともお付き合いいただけましたら幸いです。
なお、作中の警邏部隊と法術技官は、現実での「警察官」と「鑑識」に近い職業という設定です。
異能の術や民族については、今後の作品で掘り下げれたら良いな、と考えております。