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奇人島殺人事件  作者: 東堂柳
第二章 イカロスの墜落
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1

 遠くで音が聞こえる。その音は暗闇の彼方から、最初は小さく発せられていたが、徐々に大きく鼓膜を揺さぶり始めていった。シャワーを出しっぱなしにしたような水音。

 夢の中にいながらも、それが現実の世界から聞こえている音だということに気付いた。夢の世界では、現実の影響による感覚は、何かしら異質に感じるものだ。妙に生々しいというか、耳にまとわりつくというか、とかくそういった感覚を受けるのである。

 そのせいで夢うつつでまどろんでいるような状態になっていた。まだ眠っていたい俺は、布団を被り耳を塞いで目覚めを防いだ。

 しかし、その行為に空が怒りでも覚えたように、突然炸裂音が轟いた。腹の底にまで響くような雷鳴。

 驚きですっかり現実に引き戻された俺は、文字通り飛び起きるようにしてベッドから身を起こす。途端に、割れるような頭痛に襲われ、顔を顰めて眉根を押さえた。


「っつ……」


 昨日の記憶はぼやけて曖昧なものになっている。


 確か、夕食が終わって、食堂を出たあと、えーっと、そういえば、遊戯室で時間を過ごしていたっけな。


 まるでモザイクがかかったような記憶を、より鮮明なものにしていく。ベッドに腰掛けて、遠くを見るような目で足元を眺めながらぼうっとしていると、段々と何があったのかを思い出してきた。


 *


 誰かが気を利かせて、厨房からワインを拝借してきたようで、皆でまた酒を呑みつつ、夜はどんどんと更けていった。


「冷山さんもやりませんか?」


 観戦しているだけの冷山をチェスに誘った。最初は一局だけと言っていたのだが、その一戦で負けた俺は、どうにかして沖に勝とうと躍起になって何度も挑戦していたのだが、結局全敗していて、いい加減投げ出したくなっていたのだ。

 彼は意外にも乗り気で、腕まくりをすると、


「いいですよ、やりましょう」


 と言って、俺と交代した。

 彼は自分の腕に、かなり自信があるようだ。

 俺もチェスはよくやる方だが、沖は思いの外上手い。けちょんけちょんにやられるのがオチだろうな、と踏んでいたのだが、予想外にも苦戦を強いられたのは沖の方だった。

 戦局は沖の意図しない方向に進んでいき、彼の顔つきはどんどん厳しくなっていった。そして気がついたら、彼のキングは袋小路に追いやられていたのである。

 チェックメイトの手はまさに妙手だった。


「あっ」


 と言ったきり、沖はすっかり盤面を凝視して固まってしまった。


「冷山さん、チェス強いんですね。どこかで修行でも積んでたんですか?」


 彼は得意そうな顔をしていたが、俺がそう尋ねると、すぐに何かを思い出したように、暗い表情になった。


「これでも、以前はプロとしてやってたんですよ」


 ボソリと呟く。

 それなら強いはずだ。趣味でやっているだけの俺や沖では、歯が立つわけがない。

 俺は、しかし依然として顔色が優れない冷山を覗き込んだ。


「どうかしたんですか?」


 彼は俺の視線を避けるように顔を背けると、グラスに注がれたワインをぐいと呑み干した。


「いえね、プロの世界のいざこざに嫌気が差した。ただそれだけですよ」


「そうなんですか」


 何があったのか、彼のその言葉で大体の察しはついた。何事もプロの世界と言うのは、妬み嫉みがつきものだ。大方、そうした人間関係にやられたという事だろう。これ以上古傷を抉るのは酷だろうと思い、俺は話題を逸らした。


 ――ガラガラガシャン。


 テーブルをひっくり返す音が聞こえて、何事かとその方を見ると、赤ら顔の九剣が尻餅をついていた。テーブルに乗っていたグラスも落下したが、幸いどれも中身は空っぽで、割れてもいないようだった。


「九剣さん、大丈夫ですか」


 武刀が彼に近寄って心配するが、そう言う彼もかなり酔っているらしく、その近寄る動作は千鳥足で、見ているこちらがヒヤリとした。ただ立つこともままならないようで、ふらふらと身体が左右に揺れている。


「いやあ、流石に飲み過ぎました。うぃっ、ははは。……おや、なんだかバカに眠くなってきたなあ」


 よろめきながら立ち上がる九剣。その目はとろんとしていて、焦点が定まっていない。


「じゃあ僕はそろそろ部屋に戻って寝ますよ。それではみなさん、ご機嫌よう」


 彼は危なっかしい足取りで遊戯室を出ようとした。


「部屋まで送りましょうか」


 と、ようやく正気を取り戻した沖が尋ねたが、彼は手を振った。


「いやいや結構、一人で戻れますよ。馬鹿にしないでもらいたい。これでも僕は九剣不動産の社長ですよ。ははは」


 アルコールに支配され、すっかり陽気になっている彼はへらへら笑いながら、一人で部屋を後にした。


「ややっ、なんだか私も急に眠くなってきたなあ」


 九剣が出ていった後で、武刀もそう言って眉間を抑えた。欠伸を必死に噛み殺している。


「武刀さんも戻られますか?」


 女納尾が尋ねる。その彼女も、睡魔と格闘しているようで、目を何度もしばたたかせていた。


「そうしようと思います」


「じゃあ、私も一緒に戻ります。何だか頭が重たくなってきましたし……」


 女納尾もこめかみを押さえて、そう言い出した。酔いが悪い方向に回ってきているらしい。さっきまでの愉快そうな表情はなくなり、辛そうに顔を顰めている。

 武刀と女納尾は揃って遊戯室を後にした。

 しかし、残った俺を含めた六人は未だに覚醒している。


「みなさんもチェスやりませんか?」


 沖が他の三人にも話しかけて、御行、夜宵、甲塚もチェスに参戦し、ちょっとしたトーナメント戦が行われた。各々勝った負けたで大騒ぎだった。

 特に印象に残っているのが、沖と夜宵の対戦だ。

 この時は夜宵が勝ったのだが、それも彼女に華を持たせてやろうという沖の計らいだろう。

 沖は試合に全く集中出来ていなかった。ああでもないこうでもないと、駒をどこにどう動かそうか考え込んでいる夜宵のいじらしい顔を、ずっとちらちら盗み見ていたのだ。

 そんな彼の様子に気付いたのか、甲塚はやけに沖に絡んでいたように思う。自分が見向きもされていないことに妬いていたのだろう。

 疲れた様子の夜宵が途中で抜けて部屋へ戻ってしまったが、結果としては自称元プロの冷山の一人勝ちで終わった。

 残っていた面々も遂に眠気に耐えられなくなり、ぱらぱらと散会し出して、日付も変わって午前二時頃には全員が自室に戻ることになったのだった。

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