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「エレベーター……ですかね? 一体どこに繋がっているんでしょうか?」
沖は小部屋に顔だけを突っ込んで、物珍しそうに中をぐるりと見まわしている。
「下の階にこんなエレベーターが通れるシャフトのようなものはなかったように思うんですけど……」
女納尾が不思議そうに小首を傾げた。
「多分、部屋と部屋の間に、実際には隙間があるんですよ。見取り図を見ると、丁度この下は全ての階で、部屋と部屋の間に相当する場所になっています。そこに、シャフトを通しているんでしょうね」
俺はスマホの画面を示しながら、そう結論付けた。
「これ以上上があるわけはなし。つまりこのエレベーターは、この館の地下の、さらに下に繋がっているんでしょうな」
武刀もエレベーターを興味深そうに覗き込んでいる。
「どうしますか? 一応どこに繋がっているか、確認したほうがいいとは思いますが。これが確実に島の外に出られるようになっているのかまではわからないんですから。もしかしたら、ただ袋小路になっているだけかもしれませんよ?」
沖がそう言い出したが、自分が行くとまでは言わない。
それはそうだ。こんな、どこへとも通じているのか判然としない、得体の知れないエレベーターにおいそれと身を委ねようなどと考える人間などいないだろう。
誰も進んで確認しに行きたがらないようなので、結局俺が言うことになった。
「それは言い出しっぺの俺が見に行きますよ。もし、残り三十分を切っても戻ってこないようだったら、この館から避難してください」
「本当に、いいんですか?」
女納尾がそう尋ねるが、それは形式的なものに過ぎなかった。
「ここまで来たら、誰かが行かなければならないでしょう。仕方ありません」
俺は言いながらエレベーターに乗り込んだ。
しかし、心配する素振りこそすれ、やはり誰も必死に止めたり、自分が行くと名乗り出ることもなかった。
エレベーターの中にはボタンが付いている。上と下の二つだけ。実にシンプルである。点灯しているのは、下のボタンだけだ。やはり、館の地下に繋がっているのだろう。
俺がそのボタンを押すと、扉が静かに閉まり、エレベーターはそれが動いているのかどうかもわからないほどに、びっくりするほど音を立てずに移動を始めた。
さっきの本棚の仕掛けと言い、このエレベーターと言い、稼働音のなさに驚いた。隠し通路と言うのだから、もう少し大仰な音を想像していたので、何だか拍子抜けである。しかしこれならば、館内にいた使用人が気付かなかったのも無理もない。
エレベーターは数分のうちに最下層に到着したようだった。
到着のブザーやベルの音もせず、例のごとく静かに扉が開くと、俺はそこに広がった景色に、思わず口を開けて暫く呆然としてしまった。
「これは……」
そこは、もはや館の中ではなかった。
洞窟だ。
エレベーターの外には、洞窟が広がっていたのである。
ごつごつした黒っぽい岩肌に四方を囲まれているが、それほど暗くはない。奥のほうから、光が差し込んでいるのだ。
どうやら外へは繋がっているらしい。
空気は湿っているが、夏だというのに快適な温度だ。
さざ波の音が周囲に反響している。
先へ進んでみると、水が溜まっていた。その水は洞窟の外にまで続いているから、これは海水が入り込んでいるということか。年月を経て海水が島を削り、この洞窟を創りだしたのだろう。
海蝕洞というやつだ。
海水に光が反射して、洞窟内を水色がかった明るさで照らしている。波が押し寄せては引いていく度に、その光も揺れ動いて、さながら水中にいるような錯覚に陥った。
そしてその水面に、一艘のボートが停泊していた。
俺はそれを認めると、慌てて駆け寄り、中を確認した。
鍵は――付いている。
真新しいボートだ。四人なら乗れる。脱出できる――!
俺はこのことを報告しようと、三人の元に戻ろうとしたのだが、その途中、何かに躓いてよろめき、危うく転倒しそうになった。
「何だ……?」
小さな岩のようなそれをよく見てみると、穴が開いている。
大きな丸い穴が二つ。丁度その二つの間に、大きな三角形に近い穴。その下には、大きな裂け目。歯のようなものが、裂け目から覗いている。
これは――頭蓋骨だ。それも紛れもなく、人間の頭蓋骨である。
息が止まりそうになった。驚いて、またバランスを崩したが、何とか持ちこたえた。
さらに周りをよく見てみると、崩れてきた砂や岩に隠れているが、その頭蓋骨の持ち主と思われる人間の骨が、次々に見つかった。その傍からは、拳銃まで発見できた。
それでよく観察してみると、頭蓋骨のこめかみのあたりにも、丸い穴が開いていた。
自殺だろうか。
そして、白骨が大事そうに手に収めている、一冊の手帳。
元々は高級な黒皮の手帳だったのだろうが、長い月日が流れた結果、ボロボロになってしまっている。海水の湿気のせいか、すっかりよれよれだ。ページも何だか硬くなっていて、かなり開きづらい。一部はページとページがくっついてしまっているところもある。
適当にページを繰ってみようかとも思ったのだが、それを見ている猶予はなかった。
今は逃げ出すのが先だ。
俺は急いでエレベーターに乗り込み、三人を呼び寄せることにした。
エレベーターには一度に一人しか乗れないから、全員が洞窟に到着するまでには、思いのほか時間を取られてしまった。
「こんな洞窟が、館の真下にあったなんて……」
感慨に耽っている沖を、武刀が急かした。
「そんなこと言ってる場合じゃないぞ。早くここから抜け出さないと」
「そうですね。急ぎましょう。爆弾がこの真上なんかで爆発すれば、その衝撃で崩落しかねません。そうなればまず助からないでしょうから」
俺は洞窟で拾った手帳をこっそりとポケットに忍ばせ、急いでボートに駆け寄った。
「武刀さん、ボート運転できるんですか?」
迷うことなく運転席に乗り込んだ武刀に訊いてみたが、愚問だとでも言わんばかりに、慣れた手つきで彼はエンジンを始動させた。
「これでも、船舶免許一級は持ってるんだぞ。自分の船だって持ってる。操縦は任せてくれ」
俺たちが後ろに乗り込むのをしっかり確認すると、彼は勢いよくエンジンを吹かし、ボートを飛ばした。
慣性で重力の方向が九十度回転してしまったように、後ろに身体が持っていかれる。海水が舳にぶつかって飛沫が飛び散り、目に入り込んでしみた。
任せてほしいと言った割には、かなり荒っぽい運転だ。ちょっと気を緩ませたら、水中にほっぽり出されてしまいそうになる。
しかし、状況が状況だけに、文句も言っていられない。今は一秒でも早く島から出て、一メートルでも遠くに逃げなければならないのだ。
空模様はすっかり晴れになっていた。あれだけ分厚く覆っていた雲は、いつの間にかどこかへ消え去り、絵の具を筆で伸ばしたような白い雲だけが残っている。
武刀が腕時計を確認するのを見て、俺もつられて腕を見た。
十二時三十秒前。
十秒前。
五秒前。
三秒前。二。一。
俺は後ろを振り返った。
大海原の中にポツンと寂しく、しかし泰然自若と鎮座している奇人島が望める。
その中央のほうから、赤い火花の混じった黒煙が噴出した。と、ほぼ同時に、凄まじい突風に見舞われた。息ができないほどの衝撃波だ。さらに押し寄せてきた波がボートを襲った。
武刀はそれに気付いて、スピードを徐々に落とし、ボートを止めた。右に左に傾くボート。地に足がついていない不安定感に、言い知れぬ恐怖を覚え、縁にしがみついた。
黒煙はすぐに煙草の煙の様に空中に散乱していき、次には薄灰色の煙がもうもうと立ち上った。
「助かった……」
沖が心底から溜息を吐き出した。肺中の空気を一度にすべて吐き出してしまうほどの、深くて大きな溜息だった。
それは他の二人も同じようだ。
強張っていた顔から、ようやく安堵の綻びが生まれている。
武刀は暫く島を複雑そうな眼で眺めていたが、再びボートを動かし、三日ぶりの本土に向かい始めた。
「それにしてもこのボート、誰が用意していたんでしょうか?」
沖がふとそんな疑問を口にした。
「夜宵さんでしょうね」
「じゃあ、彼女は暗号を解いて……」
「それだったら、わざわざ館の外に逃げていく必要はないでしょう? きっと、下見でもしている時に、あの洞窟を見つけて、隠すのにはうってつけと考えて、このボートを泊めておいたんでしょう。あの時、彼女は外から回り込んで、洞窟に行くつもりだったんでしょうね」
なるほど、と沖は納得したように頷いた。
俺は先ほど拾った手帳のことを思い出し、それを取り出して中身を読み始めた。
大体の予想はついていたが、やはりあの死体は館に住んでいた奇人だったのだ。
そしてこの手帳には、その奇人が死の間際に書き遺した、走り書きが記されていた。
*
この島に住み始めて、もう一年の月日が流れたが、いくら都会の喧騒から離れても、あの日の出来事が忘れられない。
私は元々、東京で資産家として暮らしていた。妻と娘と息子。四人でつつがなく幸せに過ごしていた。
しかし私は、元来人付き合いが苦手という事もあり、人でごった返した都会の騒々しさには、もううんざりだった。ある程度稼ぎが貯まったら、人里離れた山か島にでも移住するつもりだった。
そして、私はこの格安で売りに出されていた無人島に目を付けた。
ここに終の棲家を建て、家族と家族ぐるみの付き合いの使用人だけで生活し、何物にも煩わされることのない静かな生活をする。それこそが私の望みだった。
すぐに島を買い取り、第二の我が家の建築に着手した。
そして、完成目前に迫った、ある冬の事だ。
私は例年のように家族と新潟の山にスキーに向かったのである。
だが、そこで事故は起こった。
突如発生した雪崩。私たち家族は不運にも、それに巻き込まれてしまったのだ。
私は奇跡的にもそれほど深くに埋もれなかったようで、すぐに救助隊に助けられた。特に怪我もしていなかったし、その時は、これなら妻も子供たちも大丈夫だろうと思っていた。
だが――。
雪崩は想像以上に大規模なものだったようだ。
救助隊が次々と山の中に入っていくのに、一向に生存者は発見されず。それは私の家族も同様だった。
私も何とか力になりたいと思い、資金を寄付して救助に貢献したのだが、それを嘲笑うかのように、既に冷たくなった息子が見つかった。
しかし、妻と娘は発見されることなく、遂に捜索は終了してしまった。
行方不明者はこの二人だけではなく、かなりの人数に上っていたようだ。生存者は皆、家族を失ったことに対して、あるいは見つかりもしなかったことに対して、強い悲しみを抱いていた。
私とて例外ではない。
結局、私は何をすることもできずに、おめおめと東京に戻ってくるほかなかった。
それから何か月もの間、家族を一度に全て亡くしてしまった悲しみは癒えることなく、私は塞ぎ込むことしかできなかった。
都会の喧騒が煩わしかった。
外に出れば、見渡す限り幸福に満ちた家族が存在するのだ。私の悲しみなど知る由もなく、皆家族との楽しい日々を送っている。
そう考えると、よからぬ考えに自分が支配されてしまいそうで、恐怖を覚えた。
だから私は、完成した離れ小島の館に、使用人と共に暮らすことを決めたのだ。
周りには自然しかないこの空間は、私にとってはこれ以上ない快適な空間だったのだが、いざ住んでみると、どうしても脳裏を家族のことが過ぎってしまうのである。
もしも、家族と一緒にここに住めていたら。
そればかりが頭を堂々巡りする。もううんざりだった。
わざわざ食卓や遊戯室といった部屋を使用人用と私たち家族用に分けて設計していたのだが、使用人たちは私を気遣って、いつも一緒にいてくれた。私が早まらない様に、気に懸けてくれていた。
だが、彼らがいくら家族の様に付き合ってくれても、それは偽物の家族でしかない。それは余計に本当の家族のことを想起させて、私を苦しめるだけだった。
もう、私は生きることに意味を見出せなかった。三人は既に天国で私を待っているのだ。ならば、そこに逝ったほうが幸せなのだ。
私は使用人の目を盗んで、冒険好きの長男の為にとこっそり仕掛けておいた秘密のエレベーターを通って、遂にここまでやってきた。
これまでよい付き合いをしてくれた使用人たちに、私の惨たらしい死体の処理を押し付けたくない。
だから、私はここで死ぬ。
待っていてくれ、今行くよ、洋子、純一、華絵。
*
華絵と言う娘の名前。そして、スキーで雪崩に巻き込まれたという話。
まさかと言う荒唐無稽な考えが頭の中に過ぎった。
確かめずにはいられず、手帳の表紙の汚れを丁寧に払ってみた。
金字で『Diary』と彫られた表紙。そして裏表紙には、『Toshiya Yayoi』とある。
やよい……夜宵。
こんな偶然があるだろうか。
記憶を喪った彼女は、知らず知らずに自らの本名を偽名として使い、そして知らず知らずに、本当の父親が住んでいたこの島を舞台に、殺人を行ったというのだろうか。
それともただ単に、彼女はこれをあの洞窟で拾い読んで、作り話を……?
いや、それはない。白骨死体は、砂や岩にまみれて、長い間誰の手も触れられていないようだったし、それはこの手帳も然りだ。
だとしたら、今までのすべては、まさに神のなせる業――運命のいたずらだったというのだろうか。
まるで、彼女は見えない力に良い様に操られていたようにさえ思える。
だが……。
いや、もう考えるのは止そう。
少し疲れた。
焦燥感に身体が支配されている間は、疲労感など微塵も感じなかったのだが、一たび命が助かったことがわかると、どこからともなくどっと溢れ出てきたのだ。
俺は空を見上げた。突き抜ける一面の青。暖かい陽光。単調なボートのエンジン音。そしてその揺れのリズム。
次第に俺は睡魔に襲われて、夢の中へと落ちていった。
こうして――奇人島と呼ばれた孤島で起こった奇妙な連続殺人は、煌々とした夏の日差しの下に、幕を下ろしたのであった。
喉に小骨が詰まったような、すっきりしない後味を残して――。




