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奇人島殺人事件  作者: 東堂柳
第八章 バベルの塔
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4

「暗号の解き方がもうわかってるだって? だったらどうして、さっきあの机を調べたときに教えてくれなかったんだね?」


 武刀は意地の悪い奴とでも思っているのだろう、俺に眉を歪めた顔を向ける。

 俺は宥めるように、慌てて説明を始めた。


「ですから、あの時はまだ、ハッキリとはわかっていなかったんですよ。俺がこの解き方に確信を持ったのは、その後に客室を全部調べ終えた時だったんです。全部屋が同じ間取りで、本棚に置かれた本さえも同じ。違うのは、飾ってある絵だけだったんですが、その絵は全部イタリア人画家の描いたものだった。これに気付いたとき、やっと解法に確信したんです」


「それで、一体あの暗号は何を示しているんだ?」


「それに関しては、館に戻ってからにしましょう。ここで説明している時間も惜しいですから」


 結局俺たちは一路館の中へと舞い戻ることになった。

 三階へ向かう途中に、夜宵の部屋で待っていた沖と女納尾を迎えに行った。

 沖はだいぶいつもの調子を取り戻しているようだったし、女納尾のほうも大した怪我はしていないようで、俺も武刀も一安心と言ったところだった。

 それだけに、沖に夜宵が死んだことを伝えるのは、少しばかり気が咎めた。またも彼を茫然自失に追い込んでしまうかもしれない。しかし、黙っていても、いずれ分かることだ。

 正直に彼に打ち明けてみたのだが、予想外に彼はそれを受け入れたようだった。


「それが彼女の運命だったのかもしれませんね……」


 彼は静かにそう呟いて、小さく首を振った。

 俺はさらに、暗号のことについても二人に話した。

 彼らも俺の考えに賛同してくれて、全員で奇人の書斎に向かうことになった。

 時間は限られている。解き方は分かっていても、それが本当に外へと繋がる隠し通路になっているのかも、島から出られるようになっているのかも、判明していないのだ。だからこそ、確認しなければなるまい。

 俺たちは階段を駆け上り、急いで書斎に乗り込んだ。

 書斎の机には、例の暗号文が彫られている。


『九重より始まる時の流れに沿って、小さな世界の創造主の大いなる象徴、その始まりと終わりを集めよ。シェイクスピアが我らを導くであろう』


 机を囲むようにして、俺たちはその文章を眺めた。


「いいですか。まず、最初の『九重より始まる時の流れに沿って』と言うのは、これは出来上がった、館の見取り図を見て閃いたんですが、この館の二階は、丁度部屋が十二室あって、時計の文字盤の様に見えるんですよ」


 俺は懐から自分のスマートフォンを取り出して、そこに保存してある見取り図の写真を示した。


「さらに、『九重』というのは、普通はここのえと読むものですが、読み方を変えれば、きゅうじゅうとも読める。きゅうじゅう――つまり、90という事です。二階の部屋の中にも、90号室と言うのがありますよね」


「冴沼さんの部屋ですね」


 沖が注釈を添える。


「ええ、つまりこの部分は、二階の客室の90号室から、『時の流れに沿って』――つまり、時計回りに見て行けばいいということを示しているんですよ」


「なるほど。しかし、何を見ていけばいいと言うんだね?」

 

 武刀は腕を組んで悩んだ。


「各部屋のつくりは殆ど同じです。唯一違うのは、壁に飾られてある絵だけ。これを見ていけばいいというのは、察しが付くでしょう。つまり、次の『小さな世界』と言うのは、その絵のことを指しているんです。という事は、『小さな世界の創造主』という文句は――」


「絵を描いた者――画家ですね」

 

 沖が俺の言葉を奪った。


「そうです。そしてその『象徴』と言えば――」


「サイン。つまり、画家の名前を指しているんですね?」


 流石に、沖は物わかりが良い。お陰で話がスムーズに進んでいる。俺は満足気に頷いた。


「そうだと思います。これらを総合すると、『小さな世界の創造主の大いなる象徴』と言うのは、各部屋にある絵を描いた画家の名前のこと。更に『象徴』の内の『大いなる』ものですが、これは外国人の名前なんですから、絶対にあるはずですよね。大文字になっているところが」


「イニシャルか」


 武刀が指を鳴らした。彼もようやく話の先が見えてきたようだ。


「そうです。『その最初と最後』なんですから、これはファーストネームとラストネームのイニシャル。それを並べればいいという事です。

 ええっと、まず90号室の絵は、『春』でしたね。御行さんの話だと、作者はジュゼッペ・アルチンボルド」


「ってことはGAね」


 答えたのは女納尾だった。彼女は机の上のペンを手に取り、引き出しの中を引っ掻き回して紙を取り出し、そこにGAと書きつけた。

 俺は御行の解説を必死に思い出した。


「次が87号室で『アテナイの学堂』。作者はラファエロ・サンティ。隣の37号室は『大天使ガブリエル』で、作者はロレンツォ・ロット」


「RSにLLね」


 彼女はさらに続けて書く。


「25号室が『聖セバスティアヌス』アンドレア・マンテーニャ作。61号室が『イカロスの墜落』カルロ・サラチェーニ作。43号室は『ユダの首吊り』ピエトロ・ロレンツェッティ作。28号室は『アベルを殺すカイン』ガエターノ・ガンドロフィ作」


「AM、CS、PL、GG……」


「95号室『ダビデとゴリアテ』ジュリオ・ロマーノ作。77号室『最後の晩餐』レオナルド・ダ・ヴィンチ作。53号室と84号室は入れ替わっているから、元の並びに直すと次は84号室になって、『バベルの塔』スタニスラオ・レプリ作。48号室は『最後の審判』ルカ・シニョレッリ作。そして最後が53号室『カッシーナの戦い』ミケランジェロ・ブオナローティ作」


「GR、LV、SL、LS、MB……」


 女納尾が紙にすべてのイニシャルを書き終えた。


『GARSLLAMCSPLGGGRLVSLLSMB』


 女納尾が書きつけたアルファベットの羅列を見ても、武刀も沖も、そして書いた彼女自身もピンと来ていない様子だった。


「でも……これは、一体何と読むのかしら? ただ滅茶苦茶に文字が並んでいるようにしか思えないですよ」


「そうですよ。これだけでは、何の意味もなさない文字列です。暗号をすべて解読したわけじゃないんですから、当たり前です。まだ残っているでしょう? 『シェイクスピアが導くであろう』って。これはヒントだったんです。全ての客室に、シェイクスピアの本が置かれていたでしょう?」


「ああ、そういえばそんなのがあったな」


 俺はまたも、御行の言葉を思い出した。彼の知識が、ここでようやく、面白いほどに役に立つ。


「シェイクスピアはイギリスの劇作家です。他の本はイタリアの本ばかりだったのに、これだけはイギリスのもの。それに、イタリアを舞台にした戯曲もたくさん書いているのに、その中でもイタリアを舞台にした作品は、たった一つ。『ジュリアス・シーザー』しかなかったんです。暗号解読に必要な絵は、全てイタリア人画家の描いたものだった。つまり、そのシェイクスピア作品の中でも、イタリアに関係したもの――『ジュリアス・シーザー』に注目しろという事です。

 暗号で『シーザー』と言えば――」


「ああ、シーザー暗号ですね!」


 反応したのは、沖だけだった。


「シーザー暗号?」


 あとの二人は、ぽかんとしているばかり。女納尾はまだしも、推理小説を書こうと思っている武刀が、暗号の中でも有名なこれを知らないのは、ちょっと問題があるようにも思う。

 そんな二人に、沖が説明を加えた。


「ええ、ある文字列に対して、特定の数字の分だけ、それぞれの文字をずらして読むと解読できる暗号の事です」


「しかし、そんな数字なんてどこにも……」


 武刀はやはり察しが悪い。


「あるじゃないですか、部屋番号が」


「そうか、部屋番号か。……でも、アルファベットは26文字しかないんだろ? それなのに部屋番号は七十番台や八十番台もある。おかしくないか?」


「ううん、そう言われてみればそうですけど……」


 突っ込まれて、沖もまごついた。説明がつけられないようだったので、俺がその先を継いだ。


「いえ、それで合ってますよ。部屋番号は全部二桁だったでしょう? そして、それぞれの部屋から集めたイニシャルも、ファーストネームとラストネームで二文字ずつ」


 沖ははたと思いついたようだった。


「そうか! それぞれの文字に一桁ずつ数字を当てはめればいいんですね。という事は……」


 女納尾からペンを借りて、紙に数字を書き足していった。


『GARSLLAMCSPLGGGRLVSLLSMB

 90873725 61432895 77844853』


「となりますね。それぞれの文字の下にある、数字の分だけアルファベットをずらしてみると……」


 さらにその数字の下に、彼はアルファベットを書き並べる。


『GARSLLAMCSPLGGGRLVSLLSMB

 90873725 61432895 77844853

 PAZZOSCR I TTOIOPWSCAPPARE』


「こうなります。ううん、でも……」


 しかし、解読したはずの文字列を見て、彼の顔は難しいものになった。それは武刀も同様のようで、すっかり五里霧中になってしまったようである。


「これでもどう読めばいいのか……。さっぱりわからんじゃないか」


「まあ、待ってください。これまで全てのものがイタリア尽くしで来てるんです。このアルファベットだって、イタリア人の名前から取ってきたものです。という事は……」


「これはイタリア語ってことですね?」


 女納尾は一人、確信を持って尋ねていた。


「ええ。女納尾さん、読めるんですか?」


「学生時代に留学していたことがあるので、ある程度はわかります。区切りがないので分かりづらいですけど……。読めるように区切るなら、PAZZO SCRITTOIO PW SCAPPAREですかね」


「どういう意味ですか?」


 沖が彼女に尋ねると、彼女は一つ一つの単語を翻訳した。


「PAZZOは奇人、SCRITTOIOは書き物机、PWは……」


 説明に詰まった彼女に、俺は助け舟を出した。


「それは多分、パスワードの略称でしょうね」


 彼女はそれを受け継いで、さらに続ける。


「そしてSCAPPAREは、脱出です」


「脱出?」


「やはり、この暗号は隠し通路を開くためのものなんでしょう」


 俺はもう完全にそう信じていた。


「奇人の机ってことは、結局のところ、この机のどこかに、そのパスワードの入力装置があるってことですね?」


 沖は机をきょろきょろと眺めまわしている。


「しかしさっき調べたときに、そんな何かを入力するようなものは、どこにもなかったがね」


「もう一度よく調べてみましょう」


 俺たちは四人がかりで机の周りを調べ上げた。机に乗っている本の山をどかして、手探りで入力装置を探し、引き出しの中や机の裏側も覗き込んだ。

 引き出しは三つ上下に並んで付いているのだが、一段目は文房具やメモが乱雑にしまわれているだけ。二段目には、何か書くために用意しておいたのだろう、白紙がしまってある。これは、女納尾が先ほど取り出したものだ。そして三段目には、本がぎっしりと詰められているだけだった。

 机の裏側も側面も、ただの平坦な板で、そうした入力装置の類などはない。


「ふむ、困ったな。もう後一時間を切ってしまったぞ。諦めて逃げたほうがいいんじゃないかね?」


 腕時計を一瞥して、焦り出す武刀。しかし俺は動揺することはなく、落ち着いていた。


「そう言うのはまだ早計ですよ。それに、入力装置はもうわかりました。恐らく、この引き出しの本です」


 俺が一番下の引き出しを開けると、武刀がそれを怪訝そうに覗き込んだ。


「本だって?」


「ええ、見てください。この本のタイトルを見てみると、同じものが二冊も三冊もあるんですよ」


 俺は三段目の引き出しの中を指さした。


「ああ、本当だ」


「そこで、もっとタイトルに注目してみると、それぞれのタイトルの頭文字はSCAPPAREと同じアルファベットで構成されていて、同じ文字数なんですよ。つまり」


 沖がポンと手を叩いた。


「この本を並び替えて、頭文字がSCAPPAREになるようにすれば、隠し通路が開く仕掛けになっているんですね!」


 沖は慌てながら、引き出しの中の本を入れ替えて、タイトルの頭文字がパスワードの順になるようにした。

 すると、何という事だろうか。壁に連なった本棚の一部が、音もなく静かに前にせり出してきたのである。


「これは……」


 驚きに目を見張る俺たちに構わず、本棚は勝手に動き続ける。

 前方にせり出す動きが止まったかと思うと、今度はその本棚が真ん中で二つに分離し、自動ドアの様に左右にスライドしていった。そして、動き出した本棚が元あった場所からは、人ひとりがやっと入れるほどの、小さな扉が現れたのである。

 本棚が動きを止めると、自動的にその扉が口を開けた。扉の奥には、これまた人ひとりしか入れないほどの小さな部屋。

 これが、奇人がこの館から脱出するときに使った、隠し通路なのだろうか。

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