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館の中は、外装ほど古くなっているようには感じられない。寧ろ、新品の壁紙や絨毯が敷かれていて、外との差に違和感を覚えたぐらいだ。
そういえばあの漁師、どこかの業者がここの内装工事をしていたようだと言っていたな。
それを思い出して、心の中で一人納得した。
玄関にはホールのようなものはなく、そのまま廊下に繋がっていた。廊下は左右に円を描くように広がっている。その形状のせいで、曲がった廊下の先の様子は内壁に遮られてしまって見えない。
廊下は照明で照らされているのだが、妙に薄暗かった。どうやら小さな暖色系の電球がいくつか天井に埋め込まれている程度のようで、廊下全体を明るくするのには不十分なようだった。
冴沼は、廊下を挟んで殆ど正面に位置する、玄関と大差ないほどの大きな木製の両開きの扉を開けて、俺たちをその中の部屋に案内した。
「こちらは食堂になります。みなさん、荷物はお置きになって、どうぞお座りください。長い船旅でお疲れでしょうし、部屋にご案内したいところなのですが、なにぶん私もまだここへ来たばかりで準備が整っておりません。お茶のご用意はできておりますので、どうかその間おくつろぎになってください。御手洗いは廊下を挟んで反対側の片開きの扉になります。それでは」
言って、お茶を取りに冴沼は部屋を出ていった。
扇形のこの部屋には、中心に大きな長机が置かれてあり、それがその部屋の大半を占めていた。テーブルの周りには椅子が客の人数分揃っている。テーブルの上にはネームプレートが置かれてあり、俺たちは各々荷物を適当に置くと、自分の名前が書かれたプレートの前の椅子に落ち着いた。
廊下とは違って、やけに明るい部屋だと思ったが、天井を見上げてその理由が分かった。
瀟洒なシャンデリアが吊るされているのだ。それは煌々と部屋全体を照らし出し、俺に感嘆の息を漏らさせた。
「さて、みなさん。落ち着いたようですし、どうです。自己紹介でもしましょうか。皆さん初対面の方ばかりですし、これから数日間はこの一つ屋根の下で過ごすわけですから」
沖がそれとなく提案したが、皆へとへとになっているのか、誰も肯定も否定もしない。
その様子を見て、言い出しっぺの沖がそのまま立ち上がった。小さく咳払いをして、姿勢を正す。
「改めまして、僕は沖陶哉と言います。東京の大学に通っています。何卒よろしく」
明朗快活な声が心地よく部屋に響く。
一人の女性がそれに食いついた。先程のショートボブの女性だ。少し派手な化粧をした彼女は、くりくりとした可愛らしい目を輝かせて、テーブルの上に僅かに身を乗せた。
「へええ、どこの大学?」
「馳田大学ですよ」
にっこりと笑みを浮かべて、沖は静かに答える。
「すごっ、あの馳田? 私立の名門じゃん」
その女性は自分で聞いておきながら、驚いたようで大きな目をより一層大きく見開いた。
「いやあ、それ程でもありませんよ」
照れ隠しか知らないが、謙遜した沖は苦笑しながら再び椅子に座った。
彼は細い眉で彫りが深く、僅かに日に焼けてはいるものの、艶のある滑らかな肌で、どこからどう見ても好青年だった。その上学歴まであると来てる。
こうなると三流大学に通う風采の上がらない出で立ちの俺が、ちょっとした劣等感を覚えたのは無理もないことだろう。
彼が座ると同時に、左隣の男が入れ替わりに立ち上がった。この館に興味を覚えたような発言をしていた、色黒の筋肉男だ。
「私は武刀勇一朗と申します。今はジムのトレーナーを生業としていますが、恥ずかしながら作家を目指している次第です」
筋骨隆々の彼からは、後半は思いもかけない言葉だった。
その場にいた誰もが、驚いて彼を注視する。
「作家というと、何かもう書いていらしてるんですか?」
俺は好奇心に耐えかねて訊いた。しかし、武刀は笑って誤魔化した。
「いやあ、まだてんでダメでして。到底ここで言えるような代物ではありませんよ」
「でも、どんなジャンルかぐらいなら、教えてくれませんかね」
それでもしつこく聞こうとする俺に、参ったなというような顔で渋々口を開いた。
「ミステリですよ。推理小説です」
「ミステリですか。僕も好きですね。ぜひ一読させてもらいたいんですが……」
「よしてください。そんな大層なものではないと言ったでしょう」
「まあまあ、他の方の自己紹介もしなければなりませんし、続きは終わった後にゆっくりやってくださいよ」
沖が釘を差したので、俺は肩を竦めて居住まいを正した。
「や、すみません。推理小説となると、どうにも目がなくて……」
武刀のほうはホッと胸を撫で下ろしたようだった。
「じゃあ、次は僕ですね」
目にかかった長髪をわざとらしくかき上げて、武刀の左隣の男がきざったらしく立ち上がった。沖と武刀が続けて自己紹介したことで、完全に順番が出来上がっていた。
白スーツに身を包んだその男は、これまたわざとらしい舞台役者のような抑揚をつけて話した。
「九剣志音です。不動産業をしています。どうぞよろしく」
俺には何だかこの男の動作のすべてが鼻につくように見えて、あまり良い印象を受けなかった。
「ええっ、もしかして社長さんとかだったりして」
頓狂な声を上げてその話に食いついたのは、またもやショートボブの女だった。
「わかりますか。いや、実を言うとそうなんです」
「すごっ」
さっきの食いつきから、もっとぐいぐい来るかと思ったのだが、彼女は意外にすんなり引き下がった。それというのも、彼が格好つけて再び髪をかき上げたときに、左手の薬指に指輪が嵌っているのに気が付いたからだろう。
どうやら彼女は、出会いを求めてこの企画に応募したに違いない。
九剣が座ると、その左隣の男の番になったのだが、彼は気が付いていないのか、ずっと下を向いたままである。
「あの……、あなたの番ですよ」
沖が小声でそう話しかけると、ようやくハッと我に返って、自分に視線が集中していることに気付き、顔を真っ赤に染め上げて、彼は立ち上がった。
「僕は――」
その時、タイミング悪くお茶菓子をワゴンで運んできた冴沼が、食堂に入ってきた。
それで彼は、すっかり勢いをなくしてバツが悪そうに俯いてしまった。
しかし我関せずというふりで、冴沼は皆の前にカップを用意し、紅茶を注いでいく。お茶菓子も一つ一つ小皿に乗せて、丁寧に各人の前に差し出した。
「では、私はこれからお部屋の準備に参りますので、なにか御用がありましたら、そちらの壁にかかった電話をお使いください」
部屋を立ち去る前に扉の前に立つと、冴沼はそう残して深く頭を下げた。
彼女が部屋から出るのを待ってから、手持無沙汰に立っている彼は再び沖に促され、自己紹介を再開した。
「ええっと、僕は御行直彦と言います。あの、えっと、よろしく」
恥ずかしさで声を上擦らせながら、早々に紹介を終えるとすぐに席に着いた。
ボサボサに乱れた髪を、がりがりと掻いて俯いている。その様子だけ見れば、まるで小説に出てくる、かの有名な探偵のようである。
御行の心中を察したのか、流石に誰も彼に声をかけないまま、次の俺の番が回ってきた。このままの流れではやりにくかったので、一つ咳払いをして区切りをつけると、俺は立ち上がった。
「ええ、末田光輝です。大学生ですが、俺はそこの沖君とは比べ物にならないほど酷いところなので、どこの大学かは訊かない様に」
半分本気半分冗談の言葉で締めくくると、場に少しばかりの笑いが生まれた。ショートボブの女は、沖には興味があっても、俺には微塵もないようで、自分の爪を弄っている。
入れ替わるように、隣の男が立ち上がった。彼もまた、所謂イケメンの部類に入るであろうが、沖とは違って彫は浅い。目が細く、唇も薄い。肌は女性のそれにも見えるほどのきめ細やかさだ。
「冷山臨です。よろしくどうぞ」
彼は質問が来ないうちにさっさと席に腰を下ろした。
しかし彼の左隣に座っているショートボブの彼女が、それを許さなかった。
「え~、それだけですかあ? もっと教えてくださいよ。お仕事とか、何されてるんですか?」
彼の顔が少し曇った。微妙な間があってから、
「フリーターですよ」
冷山は少しイラついているようだった。訊かれたくなかったのだろう。しかし、彼女はそれに気付かぬ様子で、「ふうん」と途端につまらなさそうな目になって、彼を見るだけだった。『フリーター』には興味がないらしい。
「じゃあ、次は私ね」
冷山の番が終わると、女性陣の番がやってきた。先ほどのショートボブの女性が立ち上がる。
「私は甲塚めぐみ。化粧品会社に勤めてます。絶賛彼氏募集中なんで、っていうか、まさにそのために来てる感もあるんですけどね」
彼女は舌を小さくぺろりと出して座った。
言われなくても、この場の全員がわかっているだろう。彼女は気付いていないが、何人かはその浅ましさに呆れているようだった。
入れ替わり、その隣の女性が立ち上がる。
「夜宵華絵です。よろしく」
か細い声でそれだけ言うと、彼女は頭をぺこりと下げて、直ぐに着席した。
目鼻立ちはくっきりしていて、隣の可愛らしい甲塚と比べても見劣りしない、いや、それ以上に可憐な顔立ちをしているが、彼女とは対照的に静かでおしとやかな印象だ。白いワンピースを着ているが、そこから伸びている腕も白くて細い。そこに腰まで伸びた艶やかな黒髪がよく映えている。
「夜宵さんは、お仕事は何をされているんですか?」
沖が尋ねる。彼はどうやら、甲塚よりも彼女の方に気があるようだ。
「まだ院生です」
「どこの?」
「二橋です」
彼女は沖の繰り出す質問に対しても、素っ気なく答えていた。
「へえ、二橋ですか。僕も高校の時の知り合いがいるので、学祭とかよく行ったりしますよ。なかなかいいところですよね。
……ああ、すみません。では次の方、お願いします」
ようやく最後の女性の番がやってきた。
沖に促されると、彼女は立ち上がって、かけたメガネの縁をくいと動かした。女性にしては、かなり長身の方だろう。
「女納尾円香と言います。高校教師をしています。よろしくお願いします」
黒髪を後ろで纏めた彼女は、年齢こそ若く見えるが、眼鏡のせいか、あるいはその奥に潜む切れ長の目のせいか、どことなく冷たいような、威厳のあるような近寄りがたい雰囲気を漂わせている。
本人が意識しているのかは知らないが、その喋り口調もなんだかとげとげしく思われた。
こうして、全員の自己紹介が終わったころ、丁度良く再び冴沼が部屋に入ってきた。